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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
江戸時代、百姓は8割強で武士・侍は5%~10%に過ぎなかった。
日本民族日本人が持っていたのは、儒教的武士道・大和魂ではなく神道・仏教的百姓根性・大和心であった。
日本人の性根は卑猥なほど下劣・下品であり、武士道や大和魂の欠片などない。
約260年の江戸時代は、貧富の格差が激しいブラック社会で金さえれば大抵の事は自由であった。
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現代日本人には、歴史力はなく、史実に基づいた歴史は嫌いだが、架空の時代劇は好きだ。
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2020年4月17日 週刊朝日「週刊図書館 ベスト・レコメンド
『椿井文書 日本最大級の偽文書』 馬部隆弘 中央新書
長薗安治
立派な由緒が偽り?
歴史的な史蹟や寺社は全国各地で町おこしの目玉となっているが、その根拠となっている由緒が偽りだとしたら、どうなるのか?
馬部隆弘の『椿井文書(つばいもんじょ)』を読めば、誰もがそんな不安を抱くだろう。私はこの本で初めて知ったが、椿井政隆(1770~1837)なる人物はその生涯で数百点もの偽文書(手紙、家系図、中世の地図、失われた大伽藍や城の絵図など)を創作。近畿一円に流布したそれらの一部は今も、寺社の格式や家系の正統性を証明するものとなっている。
では、椿井文書はなぜ、かくも広く受容されてきたのか──馬部はこの問いに、具体的に、豊富な事例と40余りの図を用いながら回答してみせる。
そこから見えてくるのは、当時の古文書に対する需要の高さだ。たとえば、祖先が侍であってほしいと願う豪農や富家たちに、椿井はもっとらしい家系図を提供。他にも、近くの寺院がかつては格の高いものだったと信じたい人々からの要望に、椿井は立派な絵図で応えた。近畿圏の地誌に詳しく、画才があり、国学にも精通した椿井にすれば、それらの創作は趣味の延長のようなものだったかもしれない。
とはいえ、椿井文書に疑念を持つ者は江戸時代からいた。戦前の歴史学の一派は警鐘を鳴らした。しかし、古文書学を学んだ者が現物を見れば偽物と気づくはずの椿井文書はいつしか活字となり、先述のとおり、まだ堂々と活用されているのだ。
この現実は、歴史学の課題であると同時に、多くの人々が史実よりも見栄や町おこしを優先してきた結果なのだろう。さて、現地はどうする?」
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ウィキペディア
偽書(ぎしょ)とは、製作者や製作時期などの由来が偽られている文書・書物のこと。主として歴史学において(つまりはその文献の史的側面が問題とされる場合に)用いられる語である。単に内容に虚偽を含むだけの文書は偽書と呼ばれることはない。
偽文書
編纂資料とは別に古文書においては家系の由緒の装飾などを目的に作成された偽文書の存在が指摘される。偽文書は真文書の筆跡や印判などを精巧に再現したものから真文書の一部を改変したものまで多様なものが存在し、古文書学においては真文書と偽文書の真贋の見分け方や偽文書が作成された背景事情が問題視される。
偽文書と指摘されながら、正当な中世史料として世に出回った例として「椿井文書」と通称される文書群がある。この文書群は、江戸後期に興福寺出入りの家を出自とする椿井政隆によって、近畿一円の顧客の求めに応じて作成された。中世より椿井家に伝わっている文書を政隆が写した、という体裁で作成されており、虚実が入り混じった寺社縁起・系図・絵図などを、他の文書と複雑かつ巧妙に関係させることで信憑性を持たせている。
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2020年3月31日 朝日新聞「地域の系図まるごと偽造 でも…「どこか憎みきれない」
今井邦彦
近畿地方の広い範囲で、旧家の系図や寺社の由緒書(ゆいしょがき)、村の絵図など、江戸時代後期に中世のものとして偽作された多数の文書(もんじょ)が、自治体の出版物などに本物として紹介されていることが分かってきた。この偽書群を17年前から研究している馬部(ばべ)隆弘・大阪大谷大学准教授(日本中近世史)は、近著「椿井(つばい)文書 ――日本最大級の偽文書」(中央公論新社)で、歴史学研究の現状に警鐘を鳴らしている。
馬部さんは大阪府枚方市の非常勤職員だった2003年、枚方市内の城郭について調べるなかで、江戸時代にその場所の支配権をめぐる村同士の争いが起きており、一方が根拠とした中世の古文書が偽物であることに気づいた。偽文書を村に提供した南山城(京都府南部)の椿井政隆(1770~1837)という人物を調べていくと、彼が山城や河内(大阪府東南部)、近江(滋賀県)の村同士の争いがある場所に出没し、村人らの求めに応じて中世の古文書やその写本を大量に偽作していたことが分かってきた。
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奈良県県立図書情報館
『近代日本の偽史言説 : 歴史語りのインテレクチャル・ヒストリー』
作成者 小澤実編
出版者 勉誠出版
刊年 2017.11
OPAC
漢字から作られた仮名より以前に成立した、日本独自の文字というふれこみの神代文字・源義経が大陸に逃れてジンギスカンになったという説・ユダヤ人が世界の転覆を企んでいるというユダヤ陰謀論や日本とユダヤ(等)は ルーツが同じという説・太平洋や大西洋にあったが沈んだというアトランテ ィス大陸やムー大陸の伝説。また、以上の諸説を集大成した感もある天津教の竹内文献。
こうした偽史はどういった背景で生まれ、主張され、展開してきたか。2 015年に行われたシンポジウムのパネラーらが執筆者となって、論文集の形でまとめられたのが本書です。
三ツ村誠による第二章「神代文字と平田国学」では、本居宣長と平田篤胤 の古代観を比較して、平田には「外国の伝説や学知を本来皇国のものであったと付会」する傾向が強く、その延長線上に、神代文字実在論を展開したとしています。そのうえで平田説が明治の神道家与えた影響を指摘します。永岡崇による第三章「近代竹内文献という出来事」は、竹内文献の内容を肯定する立場からも、全否定する立場からも距離を置いて、昭和戦前期日本においてどのように受容・弾圧されたかを追っています。その神代文字や竹内文献の戦時中の展開を追ったのが、長谷川亮一による第四章「「日本古代史」 を語るということ」です。戦時中、「非常時局に際し・・・国体を明徴にし ますます国民精神を昂揚」するための内閣の諮問委委員会、肇国聖蹟調査委員会で、神代文字や竹内文献を好意的に取り上げる委員がいて、記紀の尊厳を損ねるとして、学者の委員から一蹴された際の議論を紹介します。しかし、記紀から肇国聖蹟、つまり国の始まりの場所を明らかにしようとする学者の立場(皇国史観)自体が、極めて危うい基盤に立っていたことを指摘しています。
石川巧による第五章「戦時下の英雄伝説」は、小谷部全一郎『成吉思汗ハ 源義経也』(冨山房、1924)から、小谷部がとった方法論や思想を検討すると同時に、従来あまり注目されてこなかった1932~39年刊行の 『満洲と源九郎義経』『義経と満洲』『成吉思汗は義経なり』(いずれも厚 生閣書店)の叙述を、時局との関連で検討しています。 高尾千津子による第六章「ユダヤ陰謀説」は、欧米ではまず陰謀説があり、それに沿って偽書「シオン議定書」が生まれたのに対し、日本では、シベリア出兵を機に陰謀説と議定書が同時に流入したとして、当時の議論を紹介しています。山本伸一による第七章「酒井勝軍の歴史叙述と日猶同祖論」は、著名な同祖論者酒井(1874-1940)の論理の形成、その構造を分析しています。津城寛文による第八章「日猶同祖論の射程」は、同祖論の日本での展開、世界各地にみられるユダヤとの同祖論、その要素や問題点を俯瞰します。
齋藤桂による第九章「「日本の」芸能・音楽とは何か」では、白柳秀湖が展開したヨーロッパのジプシーと日本の傀儡子の同一説を検討しています。 前島礼子による第一〇章「原田敬吾の「日本人=バビロン起源説」とバビロ ン学会」では、一般には日本における古代オリエント研究の草分け、バビロン学会設立者として紹介される原田(1867-1936)が、この奇説に学会設立前後から、一貫してはまっていたことを明らかにしています。そしてその原因として、「アメリカ留学中に経験した人種差別からくる白人コン プレックス」を挙げています。庄子大亮による第一一章「失われた大陸の系 譜」では、アトランティス大陸やムー大陸説の日本への紹介や、他の偽史との関連、近年に至るこれらを扱った著作の動向を述べています。
第二~一一章で扱われた偽史は、その方面の雑誌や出版社から、大真面目に、あるいは偽りであることを知りつつも、わりきったうえでの商売として 主張・紹介する記事、書籍が、しばしばみられる程度には著名です。一方、 馬部隆弘による第一章「偽文書「椿井文書」が受容される理由」は無名な偽史を扱います。椿井文書とは、南山城の椿井政隆(1770-1837)が巧妙に作成した偽文書、偽絵図類のことで、同時代の本人による頒布、明治期の質入先からの流出で広まったものといいます。中には指定文化財となったり、自治体史や論文でこれを典拠とした叙述がされる、といった状況が今もあるとします。
本書のもととなったシンポジウムは立ち見が出るほどの大盛況だったといい、当時の反響は https://togetter.com/li/897515 で読むことができますが、これを眺めていると、特に椿井文書に関する報告が注目を浴びたようで、感嘆する書き込みが随所に見られます。なお、これら偽文書論は、最近馬部の単著『由緒・偽文書と地域社会』(勉誠出版、2019.2)にまとめられました。
本書で取り上げられる様々な偽史とも問題点が通底する、いわゆる「歴史 修正」主義的な言説~たとえば、近代の大虐殺が「なかった」と主張する類 ~がはびこっています。また、横行する陰謀論の現代における危険性は、第八章でも触れられています。こうした問題を考えると気が重くなってしまうにも関わらず、本書を読んでいると逆に実に楽しい気分になってしまうのは、なぜでしょうか。
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昔から日本には、公文書や史書を改竄・捏造・偽装する文化が存在していた。
それを誤魔化すために「言霊」信仰が生まれた。
つまり、「日々の生活が楽しければ、波風立たず平穏無事で過ごせれば、嘘偽りでも構わない」、つまり「ウソも方便」と言ういい加減な生き方である。
その根底にあるのは、将来・未来のない、夢も希望もない、現在の今があるだけの人生という「諦め」の人生観である。
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江戸時代の庶民にとって、今が面白おかしければそれで良かったのである。
ウソで生きる事にした日本民族日本人は、ウソを正当化する宗教・哲学・思想を必要としたが、ウソを否定する信仰や主義主張は求めなかった。
つまり、「清濁併せのむ」生き方である。
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日本民族日本人には、潔癖な白河の清流より不潔な田沼の濁流が馴染むし、安心できる。
その意味に於いて、日本ではキリスト教も共産主義も敬して遠ざけられた。
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江戸時代の庶民は、嘘を承知で、言われるままに信じた振りをした。
何故か、人はアッサリと死んでこの世から消える、今日は生きていても明日の朝には死ぬかもしれない事を知っていたからである。
つまり、死と隣り合わせで生きている事を実感していたからである。
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一期一会における出会いと別れとは、死を見詰め事で、死の先にある生の一瞬の輝きを尊いと感じる事である。
それには、個人欲・自利自愛・私利私欲・我利我欲を捨てた、相手を想う、清明心、素直な心、正直な心、浄い心が求められた。
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武士の家系図や家名・姓名は、天皇家・皇室、将軍家、大名家、公家以外では偽りが少なからず存在する。
現代日本人で自分は武者・侍(サムライ)・武士の子孫であると言う者の多くは、正統な武者・侍(サムライ)・武士の子孫ではない。
江戸時代。金を蓄えた庶民の中には自分は特別な存在である事を自慢したいが為に、専門家に金を出してニセの家系図をつくらせ、偽家系図を見せて祖先は武士だった吹聴した。
中には、自分は大名や公家の御落胤(妾の子・庶子・私生児・落とし子)と偽る者いた。
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武者・侍(サムライ)・武士と言っても、平安・鎌倉期、南北朝・室町期、戦国・江戸期ではその氏素姓(うじすじょう)が異なる。
二本刺しの武士・侍と一本差しの浪人・素浪人とは違う。
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江戸時代に、庶民(百姓や町人)から金で御家人株を買って武士になる者が増えた。
幕府や諸大名は、取り立てた金上がり武士・成上がり武士を正式な家臣ににする為に、天皇家・皇室に繋がる源平藤橘(げんぺいとうきつ)の武士の家系図を作って与えた。
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上級武士は、家名を上げるために、血の繋がらない下級武士の中から優秀な若侍を養子・婿養子に迎え、姓名を変更させて家督を継がせた。
跡継とした下級武士の中には、金上がり武士や成上がり武士も含まれていた。
日本の世襲制家督相続とは、そうした世襲制度である。
先祖伝来の家名・姓名とは、そうしたものであった。
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偽家系作りを生業とする者もいた。
現代でも、自称天皇はおろか旧宮家や生き神様仏様を騙るペテン師日本人が度々現れている。
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