✨36)─3─臣籍降下(皇籍剥奪)。昭和天皇の苦渋の英断、貞明皇后の隠された本意。〜No.155 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本天皇・皇室は、日本民族の歴史において主役・主人公ではなく、日本民族の総本家・元祖家元・根源家長である。
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 昭和天皇は、悲劇の天皇ではなかった。
 昭和天皇は、自分が悲劇の主人公だとは思っていなかったし、悲劇の帝として同情される事を望まず、失敗した帝として厳しく批評・批判される事を望まれた。
 昭和天皇御真影は人類が生きている間は人類の歴史に残るが、死んだ日本民族で写真はおろか生きていた存在すら残らない日本人が99.99%であった。
 昭和天皇を悲劇の帝として語り弁護・擁護する者は、真の日本民族日本人ではない。
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 現代日本人の多くが、天皇・皇室、天皇制度がどうして必要かを説明できない。
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 天皇・皇族・皇室を、敬愛する日本人は2割、嫌悪する日本人が3割、何方とも言えない日本人が5割。
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 昭和天皇は、歴代天皇に優れた天皇として順位を付ければトップテンに入るほどの優れた英邁な天皇であった。
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 昭和天皇の念いを理解できる日本人は1割未満。
 昭和天皇を口汚く罵り尊厳を踏みにじる日本人は4割。
 昭和天皇に無関心無興味な日本人は5割。 
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 国内外で、昭和天皇ヒトラーと同罪視する人々が数多く存在する。
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 GHQの主要幹部は、ユダヤ系ニューディーラーつまり隠れ共産主義者であった。
 ユダヤ系ニューディーラーの真の目的は、日本を共産主義化する為に天皇制度を廃絶し天皇家・皇室を消滅させる事であった。
 日本国を崩壊させる為に暗躍する共産主義勢力。  
 ユダヤ人の、多数派は反天皇であり、少数派は親天皇である。
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 2020年3月15日号 サンデー毎日「皇后の覚悟
 貞明皇后からたどるプリンセスたち
 第一部 節度  
 (一)武蔵陵墓地
 皇室のあり方がさまざま議論されている今、皇后をはじめとする女性皇族の果たす役割もクローズアップされるようになってきた。近代の皇后として独自の仕事を果たした貞明皇后から、昭和、平成、令和の皇室を見通してみた。
 ……
 貞明皇后崩御したのは昭和26年5月17日のことだった。その日までの約25年半の間は『皇太后』であり、『貞明皇后』は同年6月7日におくられた追号である。
 ……
 臣籍降下──皇族に走る激震
 これまで日本の経済復興に国民が勤しんだ結果、極度の食糧難からは徐々に脱出しつつあったものの、この時代はまだ戦後の影を色濃く残していた。それでも、形だけにせよ日本が主権回復をするのはそれから間もなくのこととなる。昭和26年9月8日、サンフランシスコ講和条約が締結され、翌年4月28日に講和条約が発効し、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が廃止された。敗戦のにおいがやや薄まってゆく。
 物価の移り変わりも時代を反映していた。ちなみに昭和26年大卒の公務員の初任給が5,500円、ラーメンが30円、煙草の『ピース』が40円くらいだった(『続・値段の明治大正昭和風俗史』)。庶民の暮らしぶりがうかがえる値段だが、一方でかつての皇族方の暮らしぶりにも敗戦は大きな影響を及ぼしていた。
 昭和22年10月14日、GHQによる圧力から11宮家の皇籍離脱が施行され、51人の皇族が民間に下り、『平民』となった。残った皇族は皇太后を含む天皇家秩父宮高松宮三笠宮の直宮3家のみと大幅に縮小され、今日にいたっている。皇籍離脱(あるいは臣籍降下)の日に梨本宮伊都子妃が残した言葉を、皇室史専門家である小田部雄次が編んだ日記から引いてみよう。
 『10月14日、臣籍降下。昨13日午後、皇室会議開かれ、いよいよ本日より11宮家は一平民となる事になったに付、区役所へ戸籍を届出、其他、手続きをする。むろん、配給、其他も一般市民と同じになった。
 前には一時賜金も、それぞれ出る事になり、国会にて通過したけれども、司令部の方からm元軍人であった御方には与へてはいかぬといふ事になったので、御子様、女等だけの分がわたされる事になって、あとは何とかして、極々秘密にしてわたされるとかいふ事になった』(『梨本宮伊都子妃の日記』)
 伊都子妃の夫は元陸軍大将で元帥にまで進んだ梨本宮守正王である。貞明皇后崩御と同じ昭和26年の1月は亡くなっていた。A級戦犯にも指名された宮には支給金がなかった。さらに長女・方子(まさこ)が朝鮮王朝最後の皇太子李垠(りぎん)に嫁していたための苦労も重なっていた。こうした戦後の転換期にあって伊都子妃の日常はかなりの激変を伴った。前年11月29日、天皇から直々(じきじき)にやがて臣籍降下になるとの言葉を受けた際、彼女はすでにそれを察知していたのだろう。
 天皇はやや悲痛な声で『実に申しにくき事なれども、何とぞこの深き事情を御くみとり被下度(くだされた)い』と言われ、さらに言葉を継いで『其他に次(つい)ても、身をつつしみ、貴賓ある御生活をしていただき度(た)い。出来るだけの御補助はいたすつもりである』と仰せられたと伊都子妃は延べている(同)。
 思うにこのときの昭和天皇の発言の真意は、たとえ臣籍降下しても、いつの日にか再び自分を助けてくれる日が来るまで品位を保って生活をしてほしい。そのためにはできる限りの援助をしたい、ということではなかったろうか。『身をつつしみ、貴賓ある御生活をしていただき度い』とは、万が一にも皇位継承が途絶えるような危機がくる日に備えて、皇族らしい生活を維持してもらうことを望むという含蓄があったかともうかがえる。
 『それではご維新前と同じに』
 こうして皇室が存亡の危機に直面したとき、皇太后はある固い決意を胸に秘めていたかのような言葉を残している。宮内次官加藤進が皇太后に、皇室や直宮(じきみや)さまのお身分には変わりがないと思うが、皇族の宮まさがたのお扱いは、今のところどうなるかわかりません。と言上したのに対して、皇太后は毅然とした口ぶりでこう答えている。『それではご維新前と同じことになると考えればよろしいのですね』(主婦の友社編『貞明皇后』)
 瞬時に皇太后はどんな苦労にも耐えてゆくのだ、との覚悟を示された。なぜなら、維新時の宮家は有栖川宮家、伏見宮家、桂宮家、閑院宮家の四親王家だけだったからである。そこから日本の国力を反映されるかのように皇族の人数は増え、生活が豪奢(ごうしゃ)になっていった。国民の皇族に寄せる強い憧憬(しょうけい)や尊崇の念はひたすら高まった。その末に迎えた敗戦だったのである。明治維新の前に戻ればよいだけだという貞明皇后の言葉の真の意味はどこにあったのだろう。『ご維新前と同じ』に戻った皇室は、戦後の長い歳月の間にどのような変化を遂げたのだろうか。果たしてそれは貞明皇后の思いに叶う姿だったのか。
 貞明皇后は皇室について、開くべきところは開き、閉じるところは閉じると考えていたように思う。メディアが発達した現在、皇室のあれこれが情報として流れるのが常になっており、皇族が好奇の目にさらされることもある。そんな中、『開く』『閉じる』のバランスをどうとらえるべきであろうか。今こそ精緻な分析が問われている時はないかと思われる。皇室とは私たち国民にとってどんな存在なのかを考える上で、貞明皇后の生き方、あり方を改めてだどってみたい。
 崩御から36日目の6月22日午前、大葬儀が豊島岡(としまがおか)で取り行われた。ご遺体は八王子の多摩東陵(たまのひがしのみささぎ)に埋葬され、貞明皇后はそこで静かに眠っている」
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 昭和天皇は、米英協調派であり、親ユダヤ派であり、ヒトラースターリンを嫌っていた。
 戦争嫌いの平和主義者として、戦争には最後の最後まで同意しなかったし、戦争が始まれば早期に講和して戦争を止める事を望んでいた。
 主権者として、世界の平和と日本国の安寧と日本国民(日本民族)の幸福を願っていた。
 人種差別反対として、ヒトラーから逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人難民の保護をA級戦犯達に切望した。
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 節子(さだこ)皇后=貞明皇后(ていめいこうごう)は、日本軍によってシベリアの戦場から救出されたポーランド人戦争孤児達が収容されている日本国内の赤十字社施設を慰問された。
 近代的天皇制度における女性皇族の役目であったが、その源は奈良時代光明皇后であった。
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 国民世論の79.6%が、血統・血筋による男系継承を廃止し、皇統による女性天皇女系天皇の即位と女性宮家の設立に賛成している。
 13.3%は、男系継承こそが正統として反対している。 
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 日本国憲法政教分離の原則から、天皇に対して、国家と国民の統合の象徴としての合法的正当性を認めているが、神の裔としての宗教的正統性は認めていない。
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 天皇の正統性は、最高神である女性神天照大神からの血統・血筋だけである。
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 「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」で、昭和天皇肖像画を燃やし足でもみ消すという動画が現代アートとして展示された。
 一部の日本人は抗議したが、多くの日本人は沈黙し何ら行動も取らず放置した。
 昭和天皇肖像画を燃やす動画は、日本各地で展示され続け、会場によっては自治体から公金が支払われている。
 名古屋市は、昭和天皇肖像画を燃やす動画に反対して公金支出を拒否した。
 愛知県知事やメディア・報道機関は、昭和天皇肖像画を燃やす動画の企画展を支持し、名古屋市の対応を「自由の侵害」として厳しく批判した。
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 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義テロリストは、昭和天皇と皇族を殺すべく付け狙っていた。
 日本を歴史上、最も命を狙われたのは昭和天皇であった。
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 国内外で声高に告発する天皇の戦争責任や天皇の戦争の天皇とは、昭和天皇の事である。
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 旧皇族とは、1947年(昭和22年)に皇籍離脱した11宮家51名の元皇族の総称。旧宮家ともいう。またこの皇籍離脱者の子孫も含めた総称で用いられることも増えている。天皇の男系子孫であるため、近年の後継者不足による皇位継承問題で話題となることが多い。 皇籍離脱の経緯
終戦後の1947年(昭和22年)10月14日、11宮家51名は、GHQの指令により皇室財産が国庫に帰属させられたため、経済的に従来の規模の皇室を維持できなくなったことから皇籍離脱した。
 『昭和財政史』によれば、終戦前後の皇室の財政規模は約2,500万円と推定されている。そのうち450万円が政府の一般会計から支出されていた。この450万円という額は明治43年度(1910年度)から昭和22年度(1947年度)まで完全に固定され、その後の財政規模の拡大にともなう差額は山林・有価証券・農地などの皇室独自の財源からまかなわれていた。終戦後には皇室が自らこの差額を調達することは不可能となり、長年固定されていた皇室費を一挙に数倍に増額することは、敗戦直後の極度に逼迫した財政のもとではとうてい合理的な説明がつかなかったのである。
 皇籍離脱という着想自体は、GHQにより新たに持ち込まれたものではない。東久邇宮稔彦王は、1945年(昭和20年)に内閣総理大臣を辞任した直後にも、自らの臣籍降下昭和天皇に願い出ており、さらにそのことをマスコミにも語り、他の皇族も自分にならうことを求めたために、宮内省があわてて否定の声明を出す一幕もあった。また、賀陽宮恒憲王も天皇に同様の申し入れをしている。
 当然、この動きに対し昭和天皇や一部の皇族から激しい抵抗があり、香淳皇后の実家である久邇宮家や昭和天皇の第一皇女成子内親王の嫁ぎ先である東久邇宮家などの一部の宮家に関しては皇室に残す案も出た。しかし最終的には、昭和天皇実弟である秩父・高松・三笠の3宮家のみを残し、伏見宮系の11宮家は全て皇籍離脱させることになった。
 {万が一にも皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとの御自覚の下で身をお慎しみになっていただきたい。
 — 昭和22年、加藤進宮内次長の言葉}
 11宮家51名の皇籍離脱は、形式上は現行の皇室典範の第11条第1項「その意思に基き、皇室会議の議により」、第11条第2項「やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により」もしくは第14条「その意思により」または第13条「皇族の身分を離れる親王又は王の妃並びに直系卑属及びその妃は、他の皇族と婚姻した女子及びその直系卑属を除き、同時に皇族の身分を離れる」によってそれぞれ行なわれた。
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 日本国憲法
 第1章 天皇
 〔天皇の地位と主権在民
 第1条天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
 〔皇位世襲
 第2条皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
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 皇位継承問題は、1965年(昭和40年)の秋篠宮文仁親王誕生以降、長く日本の皇室に男子が誕生しなかったため、将来的に皇室典範に定める皇位継承資格者が存在しなくなる恐れが生じた、平成時代、2000年代に入って表面化した問題である。皇位継承資格者の不足という問題を解決するために、史上前例のない代々父方のみを遡って天皇を持たない女系天皇を容認すべきか否か、あるいは皇位継承について定める「皇室典範」を改正すべきか否か、皇位継承順位をどのように定めるべきかという問題でもあるため、女系天皇問題(じょけいてんのうもんだい)や皇室典範問題(こうしつてんぱんもんだい)などともいわれる。
 2004年(平成16年)末に当時の内閣総理大臣小泉純一郎の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が設置されたことにより関心が高まった。2006年(平成18年)に41年ぶりの皇族男子として悠仁親王が誕生したものの、2019年(令和元年)5月1日に平成から令和時代に入り、依然として皇位継承資格者の不足という問題は残ったままである。 本項では特に、皇位継承資格者の不足問題の解決策として、
 「旧皇族皇籍復帰などによって父系継承を維持すべき」とする論と、
 「皇位継承原理を改変して女系天皇を容認すべき」とする論
 との対立を中心に取り扱う。
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 天皇の優先すべき責務とは、「国體の護持」と「三種の神器の安全保持と安定継承」である。
 それは、科学的宗教的伝統文化的男系父系Y染色体神話の死守であった。
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 マッカーサーは、昭和天皇は助けたが、天皇家・皇室を消滅させ、日本神話と日本神道、伝統文化を抹殺しようとした。
 アメリカの天皇利用とは、昭和天皇個人の一代だけであった。
 アメリカ、マッカーサーの隠された対日占領政策とは、天皇制度を廃絶し、日本をキリスト教国家に大改造することであった。
 それに一人で抵抗したのが昭和天皇であった。
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 昭和天皇貞明皇后ら皇族達は、天皇家・皇室を守る為の苦肉の策として直宮3家以外の皇族の皇籍剥奪を受け入れたが、誤算は残された直宮3家に女性皇族しか生まれなかった事である。
 男子皇族の減少で、女性天皇女系天皇の即位の可能性が強まった事である。
 真に天皇家・皇室を守るべき藩屏は存在しない。
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 日本で政治的に有名な女性は、最高神天照大神卑弥呼、第35代皇極天皇、第41代持統天皇光明皇后、第48代称徳天皇北条政子日野富子昭憲皇太后貞明皇后らである。
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 皇室財産とは、徳川将軍家が領有していた領地と近代化に伴う殖産興業からの利益で築いてきた私有財産で、国民に重税を課して搾取した金銭ではないし、外国を侵略して強奪した財宝でもない。
 明治新政府が発行した新貨幣の信用を与えていたのは「天皇の御威光」であり、諸外国は「天皇の権威」が保障する日本円貨を信用して通貨と認めた。
 その意味で、日本の近代化の成功の鍵は「天皇の権威」が世界で通用するかであった。
 世界における日本の国力のバロメーターは、日本帝国の経済力や軍事力ではなく皇室財産・皇室の私有財産であった。
 それ故に、日本天皇は世界が認めた国際的日本皇帝であった。
 それが認められたのは日露戦争の勝利であった。
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 日本民族とは、乱婚を繰り返してきた混血の雑種民族で、科学的宗教的伝統文化的男系父系Y染色体神話を信じていた。
 それが天皇神話である。
 そこには女系母系X染色体物語は存在しない。
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 シベリア出兵時、日本軍は、アメリカやイギリスなど西欧諸国が見捨てたポーランド人戦争孤児達を、犠牲者を出しながらも助け出し、保護し、輸送船を使って日本に送り届けた。
 日本赤十字社は、シベリアから送られてきたポーランド人戦争孤児達を受け取り治療し、元気に回復させてさせたポーランドに送り出した。
 軍部は、日本赤十字社が皇后や皇女と深い関係にある為に救護活動に協力し、もし救護活動を妨害もしくは破壊する事は皇室に対する不敬、天皇に対し不忠となる。
 その為、赤十字従軍看護婦は戦場で死亡すると靖国神社の祭神として祀られた。
 天皇家・皇室は、明治の昭憲皇太后以来、赤十字活動を通じて負傷者や病人・被災者など弱者や困窮者に寄り添っていた。
 天皇家・皇室は、人種差別を避け、平和維持を切望し、人道貢献を心がけていた。
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 シベリア出兵時、日本人民族主義者は、ロシア人避難学童を助け出しソ連・ヨーロッパ部に送り届けた。
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 戦前の日本が世界の五大国として、国際連盟常任理事国として、世界から、人類から、諸国民から信用されたのは、ひとえに日本天皇家・皇室があったからである。
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 永遠に存在し続けるモノはなく、宇宙から地球まで、全ての生物、生き物には寿命がある。
 宗教も、哲学や思想も、主義主張さえも、何時かは消えてなくなる。
 民族・国家・組織にも寿命があって、寿命が尽きれば消滅する。
 それは、日本国、日本民族そして天皇家・皇室も同様である。
 命あるモノは、何時か死ぬ。
 形あるモノは、何時かは壊れる。
 永遠の命、永遠に存在し続けるモノ、滅びないモノなど存在しない。
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 天皇家・皇室、天皇・男性皇族はもちろん皇后・女性皇族も、憲法と道義に従って重き務めを果たしていた。
 そして、戦争を嫌い平和を切望し、人命重視の世界的人道貢献を繰り返していた
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 日本が敗北して占領されることによって、日本国内に宗教およびイデオロギーによる反天皇反日的日本人が急増した。
 反天皇反日的日本人は、赤い牧師・赤い神父・赤い僧侶として活動した。
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 ソ連中国共産党共産主義勢力は日本を共産主義国家に作り変えようとしたが、それを阻止したのも昭和天皇であった。
 昭和天皇は、一人、国内外からの言われなき誹謗中傷に耐え日本を守り切った。
 如何にして耐えたかと言えば、「退位しなかった」と言う事である。
 現代日本人には、歴史力がない為に、「昭和天皇が退位しなかった」という歴史的重大事が分からない。
 現代日本人は、歴史的感受性がない為に昭和天皇の真意を理解できない。
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 共産主義は、天皇制度を廃絶する為に皇族や華族などに浸透していった。
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 李氏朝鮮王族は、皇族待遇を受け皇室会議に参加していた。
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 日本民族らしい日本人が2割、日本民族らしかぬ日本人が3割、日本民族なのかどうか分からないあやふやな日本人が5割。
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 日本民族の歴史的悲劇とは、中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人によってアフリカ人同様に奴隷として中国・東南アジア・インド・南北アメリカ大陸さらにはヨーロッパにまで売られた事である。
 ローマ教皇カトリック教会、バチカンは、改宗した日本人キリスト教徒を奴隷にする事を禁止し、改宗しない異教徒日本人は人間ではないとして切り捨てた。
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 現代の日本史から、朝鮮半島の諸王朝による日本侵略と半島人による虐殺・略奪・拉致といった凶悪犯罪が消されている。
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 共産主義者は支配した国や地域で、権力闘争の反対派、自由主義者、民主主義者、資本家・企業家・経営者、土地持ち農民、宗教家・宗教関係者、民族主義者、文化人、芸人・芸術家、学者・教育者など数十万人、数百万人、数千万人を女子供に関係なく、容赦せず虐殺して回っていた。
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 現代の日本史は、近代的天皇制度における天皇家・皇室、天皇・皇后、皇族らの合理的憲法と人情的情義に従った平和維持と人道貢献を否定し抹消し、その代わりに天皇の戦争責任と天皇戦争犯罪を子供たちに教えている。
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 現代の日本史は、天皇や皇室と日本国や日本民族日本人との関係を意図的に薄め、ヤマト王権は日本統一という名で地方の諸王家・諸豪族を侵略した征服者と認定し、帰化人ではなく天皇・皇室への忠誠を拒否し反乱や暴動を起こした半島系渡来人を持ち上げている。
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 政治家、官僚、企業家・経営者、学者・教育者、メディア・報道機関、知識人・専門家・有識者などの高学歴出身知的エリートは、現代の日本史で高得点をとった優秀な人材である。
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 現代日本人は、昔の日本人に比べて皇室に対する崇敬心や敬愛の念は薄く、重き務めへの理解がない。
 それは、左翼・左派・ネットサハも右翼・右派・ネットウヨも同じである。
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