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・ ・ 【東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博】・
現代の日本には、
ローカルな民族主義の日本人、
グローバルな西洋礼賛主義の日本人、
儒教的な中国従属主義の日本人、
人民こそ正義という共産主義(マルクス主義)の日本人、
無関心・無感動で金にしか興味がない強欲拝金主義の日本人、
の5種類の日本人が存在する。
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頭脳と肉体で働く者が共に生きる日本型社会は、個を抑えて群れなす社会である。
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群れを支配するのは「和」であり、和とは空気・空気圧・同調圧力である。
和を乱す個は群れから排除される。
群れと個は相反する形態である。
個は、群れを乱し、群れを崩壊させ、群れを消滅させる。
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2019年2月号 WiLL「『自分だけ良ければいい』のか 武田邦彦
企業は株主のためにあるそんなワケないだろう!
社会あっての企業
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『群れ』か『個』か
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研究者時代、経済産業省から1億6,000万円の研究費をいただいたことがありました。その時、経産省の役人は『この研究費で発生した研究成果は、すべて経産省に帰属します』と、言いました。私はとっさに、『経産省に3年間、1億6,000万円置いておけば、研究成果が出るのですか』『お金だけではなく、私の頭脳も寄与しているのではないですか』と言い返した。その結果、施設を提供する大学と私にも、研究成果が帰属するようになりました。
また、会社の役員をやっている私のもとに、ある銀行の職員が『株主への還元をもっと増やせ』と、言ってきたこともありました。この時も私は、『この会社は、従業員の幸福な人生のために運営している』と、言い返した。従業員の幸福度と比較して株主が苦しんでいる、という言い分なら分かります。しかし、そうではなく、ただ『株主への還元』を増やせというのは、経産省と同じ『お金を出しているやつが一番偉い』という卑しい考え方です。
このような考え方は、本来の日本人の考え方ではありません。
日本には天皇がおられます。しかし、天皇は国民を搾取することはなかった。
仁徳天皇は、高台に上って『民のかまどはにぎはひけり』と詠(うた)われ、租税を取り止めました。明治天皇も、日露戦争時は兵士が食べるような質素な食事をしていた。
天皇は独自に存在しているのではなく、日本人がいてこその天皇である──この歴史が、日本の社会観を表しています。
ゴーン氏と前澤氏は、会社はお金で支配できると思っています。でもそれは、金で奴隷を扱ったヨーロッパの植民地政策と同根で、真の経営ではありません。日本とは対極の社会観なのです。
日本とヨーロッパの考え方の違いを、生物学的な視点から考えてみましょう。
我々人間は多細胞生物です。多細胞生物の1つひとつの細胞は独立しているので、一人ひとりの行動は、60兆個の細胞の人生の背負っている、ということになります。
多細胞生物と単細胞生物の中間であるボルボックスという生物は、時に細胞がバラバラになって行動し、時に1つに集まって行動します。この時、細胞同士がどういう信号で連絡を取り合っているかは、まだ分かっていません。
しかし、連絡を取り合っていることは間違いない。
現在、生物学的には『1つの細胞』『一人の人間』『一億人の人間』は別のものである。という区分はできていません。人間の大脳は、『1つの細胞』と『一人の人間』は同一であると認識できても、『一人の人間』と『一億人の人間』は認識できないのです。
しかし、大脳ではなく、ミーム(人類の文化を形成するための伝統や風習、慣習などに類する。脳内の情報)やミラー・ニューロン(他者がする行動を見たときに活性化する神経細胞)などによって他人を認識しているのです。
つまり、人間は大脳が感知できる領域とそうでない領域があり、それが重なり合って人間という個体を作っている。
ところが、ルネサンス以来、近代ヨーロッパによって『個』が覚醒(かくせい)してしまい、『群れ』以上のに『個』を 強調するようになったのです、
明治以降、ヨーロッパに倣(なら)って法律も整備しました。とくに、商法を読むとヨーロッパ流の『個』を強調する論理構成の影響が見られます。
商法は、『会社に勤務している時間は、会社に買われた時間である』と、労働を商品として扱っているのです。
これでは、『金による奴隷制度』ではないですか。先述したように、日本は『社会あっての企業』なのであって、『金による奴隷制度』など許していません。
まずは日本の商法を改正して、『企業は日本国民(群れ)のためにある』と書き替えなければならないでしょう。
哺乳動物は『自分』が最下位
『群れ』を大切にするのは人間だけでなく、ほかの哺乳動物も同じです。たとえば、哺乳動物の寿命は、3つの原理で決まっています。つまり、死に方が3つある。
1つ目は『ネズミの寿命は2年、ゾウの寿命は30年』というような『経験数一定の法則』です。ネズミとゾウは同じ構造をしているのに、なぜネズミは2年で死ぬのか。それは、振り返る回数、食事の回数など、ゾウが30年でやる経験を2年で経験しているからです。
人間の愚かな頭脳では、『あの人は80年も生きた』『あの人は40年で死んでしまった』と言うように、〝寿命=時間〟だと思っていますが、それは間違いです。
2つ目に死に方は、産卵したら死ぬ鮭のメスのように、『子どものために死ぬ』ことです。 3つ目は『群れのことに死ぬ』ことです。人間の女性は閉経後も生きますが、ほかの動物は何の役にも立たないので、生命力を失い、苦しまずに自死します。
2つ目と3つ目から分かるように、哺乳動物は『自分』が最も下位の存在なのです。その上に『子ども』がいて、さらにその上に『群れ』がある。日本人のように『群れ』を大切にする姿勢は、哺乳動物として当然なのです。
『個』よりも『群れ』を大切にする日本社会は、よく『日本的』と形容されますが、それはルネサンスによって『個』が強調さえたヨーロッパと比較して概念化されたもの。それまでは、世界中のどこも『日本的』だったはずです。だから『群れ』を大切にする日本社会は決して『日本的』ではなく、『人間本来的』とも言える。
その証拠に、お釈迦さまとキリストは『日本的』です。『自分を大切にするよりも、他人を大切にしなさい』と言っているのですから。
ならば、人間本体のやり方──『群れ』を一つの単位として経済活動をするのが最も正しいやり方でしょう。従業員主体であり、年功序列であり、賃金格差は少ないのがいいに決まって居る。
お釈迦さまやキリストに、『どんな会社がいいですか』と尋ねれば、おそらく、かつての日本企業のようなものを言うはずです。
欧米の真似をする理由はない
いずれにせよ、ルネッサンス以後の欧米型の社会構造は、そのうち必ず廃(すた)れていくでしょう。
事実、アメリカは上位1%の総資産が、残りの99%が持つ総量よりも多いといわれています。これでは、とても『素晴らしい文化』とは言えないでしょう。
欧米文化が廃れつつある証拠に、トランプ大統領の誕生があります。アメリカが隆盛(りゅうせい)していた時代には当選するはずがない彼が当選したことは、ある意味『革命』と言ってもいい。
このように、すでに崩壊しつつある欧米型の社会構造を、日本が真似する理由が見つかりません。
1970年代まで、日本の企業はいわゆる『日本型経営』だったので、『個人の繁栄は意味がない』といことがハッキリしていました。社内運動会や社員旅行が行われ、高野山には多くの企業墓が今も残っている。また、給料も平社員と比較して、課長は1.2倍、部長は1.6倍、それ以上はとらな不文律も存在しました。
これを『古い』と言う人もいますが、〝古い・新しい〟の問題ではないのです。これまでお話ししてきたように、社会を『個』を中心に形成していくのか、『群れ』を中心に形成していくのかの違いでしかありません。
格差が少なく、『一億総中流』と呼ばれる社会を作った日本型経営が、欧米型経営よりも優れていることは明白です。
私は、このような日本の伝統を活かすことが日本の繁栄に繋がると信じています」
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特権を持つ株主が金で支配する欧米型社会とは、1%の人間(個)が99%の人間(群れ)を支配し富を搾取する格差社会である。
中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人をアフリカ人と同様に奴隷・家畜として売り買いして大金を稼いでいた。
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闘う人民のマルクス主義(共産主義)社会は、人間性否定と反宗教無神論の科学万能社会である。
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弱肉強食の原則が支配する能力主義・実力主義の世界で生きて行くには、日本型社会を捨てなければならない。
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グローバルな高学歴出身知的エリートは、日本を共に働いて生きる日本型社会を金で動く欧米型社会か人民のマルクス主義(共産主義)社会へと改良しようとしている。
よりよう日本に変える為には、国民・民族の生活を犠牲にする事も厭わない。
能力なき貧困者・困窮者は、棄民として見捨てられる。
努力が報われない、弱者が救われない、正直者が馬鹿を見る、薄情・非情・冷淡・冷血な日本に変わりつつある。
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中国共産党は、日本を中国人が住みやすく、中国人が権利を持ってより多くの利益が得られる儒教的社会に日本を改善する為に、多額の投資(チャイナマネー)を日本の土地・建物・企業などに行っている。
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政治家や官僚が、本心から日本国と日本民族日本人の将来の事を考えているとは言い切れない。
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