💎9)─1─新元号「令和」の賛成・反対。天皇と元号の存続・廃止。〜No.19No.20 ④ 

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 天皇元号は、日本が中国=中華文明(黄河文明)・中華帝国・中華皇帝・中華文化・漢族(中華民族・中国民族)から独立する為に必要であった。
 日本民族を日本国にまとめる為に必要であった。
 日本を中国や朝鮮の侵略から守るために必要であった。
 高ぶる宗教の狂信性を鎮める為に必要であった。
 国風文化を唐風文化から切り離し独自文化として成熟させる為に必要であった。
 日本国の安寧と日本民族の幸せの為に必要であった。
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 2019年4月8日08:00  msnニュース AERAdot.「イチロー国民栄誉賞辞退は官邸の誤算、閣僚が明かす「令和」決定のカラク
 © Asahi Shimbun Publications Inc. 提供 令和について説明する安倍首相(c)朝日新聞社
 スクープが一切なく、全国民に向けて同時に発表された新元号「令和」。直後は好意的な受け止めが多い印象だったが、時間が経つにつれ、その選考過程も含めて新元号に対する違和感を持つ人も出てきた。歓迎ムードに隠された政権の思惑と新元号の影響は?
「なんでイチローの話が進まないんだ! 時間がないぞ」
 4月4日午後、官邸では幹部がイライラを募らせていた。「令和」初の国民栄誉賞を、3月下旬に引退した元プロ野球選手のイチローに授与することを真剣に検討していたからだ。官邸が意識していたのは、この夏に予定されている参議院議員選挙だ。
参院選改元後初の国政選挙だから、絶対に勝たなくてはいけない。そこで参院選前、東京五輪イベントなどを絡めて、イチロー国民栄誉賞はぜひともやりたいというのが、官邸の意向。とんでもない話題になりますからね。参院選のPRとしてはこれ以上ない。イチローさえOKだったら、いつでも、というスタンスでした」(官邸関係者)
 しかし、あっさりとイチローは辞退。翌5日、菅義偉官房長官閣議後の記者会見で、授与検討の見送りを明らかにした。
「正直、官邸は誤算だったようです。イチローは引退会見で神戸は特別な街と語っていたので、授与式は神戸でとも考えていた。みんなガッカリだよ」(同)
 改元に絡んだ話題づくりに余念がない安倍政権。そもそも新元号の「令和」も官邸主導で決められたという疑念がぬぐえない。
 候補は「令和」「英弘」「広至」「久化」「万和」「万保」の六つとされる。9人の有識者から意見を聴く「元号に関する懇談会」でも令和を推す声が多く、すんなりと新元号が決まったようだが、その文字について首をひねる専門家は多い。
 東京大学史料編纂所本郷和人教授はこう語った。
「『令和』以外の他の五つだったら、ケチのつけようがないくらいにいいと思いました。『英弘』は、『英』は英国を表すようになったのは幕末明治の時代からで、もとはエクセレント(優れている)という意味なんです。『広至』は広く行き届くの意味です。『令和』だけはダメなんです」
 どこがダメなのか。
 「『令』の字を見て、上司の顔が浮かびませんでしたか。『令』を漢和辞典で引くと、最初に出てくるのは“命令”。おきてや言いつけの意味。後に“よい”という意味が出てくる」
 さらに続ける。
 「皇太子殿下は、『令旨』という言葉をご存じだろうと思います。皇太子の命令という意味で、天皇の意を受けた命令文書は『綸旨』。だから、『令』は天皇にふさわしくないのです」
 こうした意見を聴くと、最初から結論ありきで1日の発表まで進んだという印象がぬぐえない。実際、閣僚の一人は、こう明かす。
 「令和が本命なのは、わかっていた。全閣僚会議で示した資料で令和は左端、英弘が右端です。英弘は、ひでひろなど名前として使われているので“落選”は誰の目にも明らか。令和で官邸はいきたいのだろうと容易に想像できた。11時半には発表で、論議している時間もない。最後は安倍首相一任となることはわかっている。結局、暗黙の了解で、令和で流れていった」
 懇談会のメンバーの中にも、意見を聴くと言いつつ単なるお飾りだと感じた有識者もいたようだ。
 新元号発表直後の1日に、テレビのインタビューに冗舌に答えていた安倍首相。新元号のスクープが一切なかったのは、周到な準備をしていたからだという。官邸関係者は語る。
 「衆参議長、副議長がとりわけマスコミのターゲットとなっていたようですが、『陛下のご署名がないときに、元号が明らかになっては』と、それとなくプレッシャーをかけていた。やはり陛下のご署名がないと、元号にはなりません。そこが今回のポイントだったと思います。これまでは、陛下が崩御されての改元でしたからね。それを踏まえて、官邸はあらゆる事態を想定。もしどこかがスクープすれば、それを消すために六つの元号案すべてに首相談話を用意していた」
 共同通信社世論調査によれば、「令和」に「好感が持てる」が73・7%、「好感が持てない」は15・7%。内閣支持率は前回より一気に9・5ポイントも上がり、52・8%になった。慶応大学名誉教授(憲法学者)の小林節氏はこう話す。
「安倍政権の新元号パフォーマンスはやりすぎと思いますね。瞬間風速的に支持率が上がってますが、愚かな話だと思います」
 調査では、新元号と西暦で「新元号を使いたい」は18・8%、「西暦を使いたい」は34・0%、「両方使いたい」は45・1%だった。この数字を冷静にみれば、新元号に歓迎ムードがあるとはいえ、すべてが安倍政権の思惑どおりに進んでいくとは限らない。その一例はイチロー国民栄誉賞辞退であり、“忖度発言”で塚田一郎国土交通副大臣引責辞任したことだろう。自民党幹部はあきれる。
「忖度なんて言葉、使うかね? 森友学園加計学園問題であれほどたたかれたのにさ。副大臣クラスがこんな発言をしていて、安倍首相も問題ないとしていたのは、さすがに緩んでいるとしか言いようがない。ある派閥では、統一地方選の応援の演説も気を付けるようにと指令が出ているよ」
 実は「令和」と忖度は関連があるとか。本郷教授によると、「令」の字は、中国の孔子の言葉をまとめた「論語」や教科書にも出てくる言葉だという。
「『巧言令色鮮し仁』という有名な言葉があります。『巧言』というのは巧みな弁舌という意味。『令色』は作り笑い。つまり忖度の意味ですね。『鮮し仁』というのは仁(今の言葉で愛)には遠いという意味です。安倍首相はどうしてこの『令』を元号に取り入れたのか」
 「万葉集」からの出典は初の国書からの典拠だとして、政府は得意げだが、皇室で和歌を教えてきた、岡野弘彦さんは指摘する。
 「大和言葉を使った和歌ではなく、漢語的な表記で歌われた和歌です。あの時代、宮廷で仕える役人は、中国の漢文を使うのが普通ですから、これまでの元号と変わりはありません」
 それを国書からと声高に叫ぶのは、いかがなものかと思ってしまうという。
 「そもそも始まりの神武天皇から、元号は漢語がふさわしい。大和言葉元号をつけようとすれば、間が抜けてしまう。提案した学者もそのあたりは承知の上でしょう。政治家にも、ぜひ理解してほしいですね」
 改元に絡んだドタバタ劇を4月9日発売の週刊朝日で詳報している。
(本誌・上田耕司、永井貴子/今西憲之)週刊朝日2019年4月19日号より抜粋」
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 4月8日15:36 産経新聞「【産経FNN合同世論調査】令和「良い」87%、内閣支持率5・2ポイント上昇
 産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)は6、7両日、合同世論調査を実施した。政府が決めた「平成」に代わる新元号「令和(れいわ)」について「良いと思う」が87・0%を占め、「良いと思わない」の6・5%を大きく上回った。安倍晋三内閣の支持率は3月16、17両日の前回調査比で5・2ポイント増の47・9%。不支持率は6・1ポイント減の36・7%と改善した。新元号への高評価が内閣支持率を大きく押し上げたとみられる。
 令和を日本最古の歌集である万葉集から引用したことについて「日本の古典からの採用でよかった」が75・8%だったのに対し、「中国の古典からの採用がよかった」は1・6%だった。新しい令和の時代が平成よりもよい時代になると「期待している」と答えたのは78・3%に達した。
 元号と西暦について、普段はどちらを使いたいかを質問したところ、「元号と西暦の両方」が42・1%で最多。「西暦」31・4%、「元号」25・2%と続いた。元号制度を今後も続けるかどうかに対しては「続ける方がよい」が82・7%で、「廃止する方がよい」の9・7%を大きく上回った。
 山口県下関市北九州市を結ぶ道路整備に関し、安倍首相らの意向を「忖度(そんたく)した」などと発言した塚田一郎元国土交通副大臣が辞任したことについては「辞任は当然だ」が71・6%を占め、「辞任する必要はなかった」は21・7%にとどまった。
 自民党内に浮上している安倍首相の党総裁連続4選論に関連し、3期目の総裁任期が終わる平成33年9月以降も安倍首相が続投することについては「反対」が61・6%で、「賛成」の30・0%を上回った。次の首相に誰がふさわしいかを尋ねた質問では、小泉進次郎厚生労働部会長が25・9%で首位となり、石破茂元幹事長が20・7%と続いた。新元号の令和を発表した菅義偉官房長官は5・8%だった。
 主な政党支持率は、自民党40・4%▽立憲民主党9・6%▽国民民主党1・6%▽公明党4・8%▽共産党3・4%▽日本維新の会2・3%-だった。」
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 4月9日 産経WEST[【河村直哉の時事論】みずみずしい「令和」 日本の左傾の修正
 新聞号外を求める多くの人でごった返す新橋駅前=4月1日午後0時42分、東京都港区
 新元号「令和(れいわ)」発表のとき印象深かったのは、配られる新聞の号外に押し寄せた人の波だった。手にした人々のうれしそうな表情もあった。かつて元号に反対する小さからぬ勢力がこの国にあったとは、とても思われなかった。左方向に傾いていた戦後日本の、常識感覚に沿った修正は、こんなところでも進んでいる。
 日本独自の文化
 それはそうだろう。新元号のみずみずしい響きに、来るべき時代への澄んだ希望や、過ぎゆく平成への郷愁を感じた人は多かろう。あるいは皇室の歴史とともにある日本に生まれた幸せを、改めて思った人もあるだろう。
 元号は単に暦年の表記であるだけでなく、日本独自の文化である。その文化は現代に生きられつつ、はるかな昔につながっている。驚くべき、また感謝すべきことではないか。
 ところがその元号に反対する、あるいは慎重な勢力が戦後の日本にはあった。
 昭和から平成への改元昭和天皇崩御に伴って行われた。平時とはいえない。平常時における元号議論を考えるには、昭和54(1979)年の元号法制定の経緯を見るのが参考になる。
 元号法に反対の声
 この年の2月、元号法案が国会に提出された。朝日新聞の報道が詳しいので、追ってみる。
 まず社会党共産党などが反対の姿勢を見せた。社会党は党見解として「(1)天皇主権、元首化を明文化したものであり、憲法に違反する(2)天皇ナショナリズムで国民精神の統合をめざし、思想、信教の自由を奪う」などとした。
 共産党国対委員長元号の慣習的使用には反対しないとしつつ、「背景には、天皇中心主義、憲法改悪をめざす運動があり、ファシズムへの道だ」としている。
 これが当時の状況だった。その後、日本が「天皇ナショナリズム」や「ファシズムへの道」を歩んだのか、問うまでもあるまい。このようなイデオロギー的な見方が当時はまだ通用していたのである。
「復古」「右旋回」批判
 イデオロギーかどうかは別としても、元号法を批判する動きは政党にとどまらなかった。
 朝日によると6月の成立までに、たとえば東大の教員200人以上が反対声明を出している。社会、共産に、労働組合の全国組織、総評なども加わって反対集会が開かれている。反戦団体「ベ平連」元メンバーの呼びかけで反対デモが起こっている。
 朝日も社説で批判的な論陣を張っている。
 「社共両党は『国民主権憲法精神を逸脱する』と反対し、それに共感するものも少なくない。法制化への動きは国民的合意を基盤にしているとはいえず、この段階で急いで結論づけようとすることには、同意できない」(2月6日)
 「元号法制定のような動きを繰り返すことは、憲法精神をなしくずしにしてゆく恐れのあることを指摘しておきたい」(6月7日)
 5月3日の憲法記念日の社説「右旋回のなかの憲法」では、元号の法制化を「一連の復古的な調子」の中に位置づけ、防衛力増強などの動きと合わせて「右旋回」「右傾化」として論じている。
 護憲こそ左傾である
 筆者の考えは異なる。戦後日本を覆った思潮自体が左傾していたのである。朝日が右旋回や右傾化と呼んだものは、左傾していた日本が真ん中に戻ろうとする動きにすぎない。言葉遊びではなく、左から見ればこの動きは右方向へのものではあろう。しかしそれはまっすぐな国になろうとする動きなのである。
 今回の新元号の発表では、元号法が制定されたときのような反対はほとんど見られなかった。世論調査を見ても歓迎する声が多数だった。冒頭、日本の左傾の修正を見ると書いたゆえんである。
 しかし日本の左傾が完全に修正されたかというと、そんなことはない。
 憲法違反であるとする野党の批判、デモ、集会、学者の声明。元号法制定のときのこれらの動きを改めてなぞると、最近の記憶で重なるものがないだろうか。これらはたとえば平成27年の安全保障関連法の議論のときに見られたものなのである。
 左傾思潮はいろんなバリエーションを持って現れる。実は戦後日本は多くの局面でこの思潮に揺さぶられ続けてきたのだが、これについては追って書いていく機会もあるだろう。
 問題は、さまざまな面で日本の左傾が修正されながらも、まだ完全に終わりには至っていない、ということである。
 元号法に反対した勢力は、根拠のひとつとして憲法違反を挙げていた。
 以前も書いたことだが左傾思潮は、自らが属する社会や国の制度、歴史、あるいは国家そのものを否定する傾向を持っている。9条によって国家の権利を制限する戦後憲法は、この思潮とよくなじむ。ほとんど一体化している。護憲こそ戦後日本の左傾の最たる、また根源的なものの一つであるといってよい。
 それはいまだに日本を暗く厚く覆っている。3日の衆院憲法審査会の幹事懇談会が、主要野党の欠席によって開催できなかったことを思い出せばよい。議論のテーブルにもつこうとしない。当欄の初回に書いたように、左傾の残滓(ざんし)はなおくすぶっている。
 令和という、美しい響きを持って近づく時代。日本をまっすぐな、より美しい国としていきたいものである。   (編集委員論説委員 河村直哉)」
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 日本の皇室は、日本国同様に民族中心神話・天孫降臨神話から始まっている。
 政治的天皇位の正統性は、民族中心神話・天孫降臨神話における初代神武天皇の男系直系の皇統にある。
 家族的宗教的天皇位の正統性は、民族中心神話・天孫降臨神話における最高神である女性神天照大神の男系直系の血統にある。
 故に、民族中心神話・天孫降臨神話を否定する事は天皇位の正統性を否定する事である。
 天皇位は、国民が総選挙で国民の中から選んだわけではなく、聖職者や宗教家・宗教関係者・神道関係者が神前でクジ引きで選んだわけではない。
 天皇位の正統性は、最高神・女性神天照大神の血統と初代神武天皇の皇統で保証されている。
 血統と皇統によって保証されない天皇は、神聖不可侵の正統天皇ではなく、ニセ天皇、民間天皇、私人天皇、俗物天皇、簒奪天皇、私利私欲の強欲天皇である。
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 天皇の権威とは、俗世の政治権力でもなければ神聖の宗教権威でもなく、ただただ神性(こころ・精神)の権威であった。
 それ故に、新たな勢力によって打倒され事もなかったし、廃れる事もなかったし、消え去る事もなかった。
 如何に政治権力が強大でも宗教権威が隆盛を誇ろうとも、小さな天皇の権威を亡ぼす事も超える事もできない。
 天皇の権威は、日本民族日本人が居る限り存続する。
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 元号は、正統な天皇が徳と良識と見識を備えた優れた賢者の話を聞いて定めて公布する暦である。
 天皇が発布する元号とは、中華思想・中華皇帝・中華帝国からの独立宣言である。
 日本が独自の元号を使用する事は、日本の文化が中華の唐風文化から脱却した一つの自立した国風文化であると宣言した事になる。
 元号とは、日本がどこにも属さず従属しないひとり立ちした日本である事の宣言である。
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 4月23日号 サンデー毎日「新天皇論  保阪正康
 新元号令和の幕開けに
 史上初 和風元号
 安倍首相の意図を読み解く
 元号に理想を託す天皇
 国際社会の『令和』へ
 新しい元号が『令和』と決まった。出典は『万葉集』だという。日本の古書から採用は初めてである。それだけにこの令和にはさまざまな見方がされる。
 ……
 」国家主義に対峙する国民主義
 私の見方は、すでにその一部はメディアにも明らかにしているが、この典拠をプラスとマイナスの両面から見ている。まずプラスとしては、国書といっても『古事記』や『日本書紀』ではなく、『万葉集』であるところにある知性を感じる。もし『古事記』や『日本書紀』ならば、明らかに神話から始まる日本の歴史を肯定したかに受け止められる。いわば皇国史観の肯定と受け止められる。国書にこだわった安倍首相にはその思惑があったのかもしれないが、さすがにそれに歯止めをかける歴史観の持ち主が元号決定に関わっているように思う。皇国史観の疑いをもたれる元号を、次の天皇に託するのはあまりにも天皇の政治的利用である。
 もし『古事記』や『日本書紀』から採っていたとすれば、国際的にも太平洋戦争前の日本の印象を不必要に持たれることになり、天皇自身にも前提を与えることになるであろう。私は国書からいつか採ることになるにせよ『古事記』『日本書紀』からは遠慮すべきだと考えていた。それだけにひとまずは納得した。次の天皇に余計な負担をかけないという、元号決定に当たる者の常識が守られたといってもよかった。
 このことをもう少し詳しく見ていくと、『古事記』や『日本書紀』はどうあれ国家主義的色彩が濃いのに対し、『万葉集』は天皇から農民まで幅広く折々の日本人の歌を集めているので、いわば国民的な広がりを持っている。国民歌集といった趣さえもある。その意味でいうならば、国家主義に対峙する国民主義ともいうべき意味合いがある。この点では、天皇のあり方を見つめていく時代にあってはきわめてふさわしいと言えるのではないかと思う。あえてこのことをプラスとして挙げておきたいと思う。
 さらに安倍首相が記者会見で述べた中に、次のような一節があった。
 『元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸福への深い願いとともに、1400年近くにわたるわが国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものとなっています』
 この一節をどう解釈するか、私は重要な意味を持っていると思う。
 この発言は『元号は』が主語であり、天皇ではない。1400年とはその期間を指していることになるわけだが、たとえば
神代の時代の神武天皇などは含まれていない。神武天皇から始まる神話の部分を認めていない。皇紀2600年などという皇国史観とは一線を画している。『古事記』や『日本書紀』からは選ばなかった理由が説明されているといってもいいであろう。
 今回の元号の決定は、安倍首相が皇国史観を否定してみせたということになるであろう。そのことは元号を決めるという最も重要な場面で、しかも天皇と皇太子を前にしての意思表示というこおであるなら、政治権力はそこまで横暴に振る舞うことはできなかったということになるのではないか。政治権力が怯(おび)えを持つというのが現実に示されたと考えると、天皇と政治権力の対立の図式は杞憂(きゆう)にすぎないのではないか。
 ……
 安倍首相の元号説明のここが問題
 ……
 もう一つの、新元号決定の経緯についての説明内容は有り体に言って具体性に欠け、天皇のこれまでの代替わりの歴史的説明は全くなかった。この点はあまりにも淡泊だった。まるで文学的な言い回しで『令和決定』を説明している。以下に引き用しておこう。
 『悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春が訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました』
 この説明はあまりにも麗句が並びすぎていて、言わんとする意味が不透明である。これでは『令和』が単なる形容句でしかないと言っているのに等しい。別に総理大臣の言葉でなくてもいいのではないか、と思える。
 近代日本の天皇元号は究極では天皇個人のイメージと重なり合う。明治天皇のイメージは個人の性格や人間性などが全て『明治』という言葉で表現されてしまう。その人間的な懊悩(おうのう)や思慮深さも全て、元号に収斂(しゅうれん)してしまう。それが天皇元号の関係であり、それは不可分な関係といってもよい。明治天皇は当初日清戦争も、日露戦争にも気乗り薄だった。しかし政治指導者、軍事指導者の言に励まされて、戦争政策に歩を進めた。しかし明治天皇という語には、その間の苦しむは見えてこない。大正天皇文人として優れた能力を持ち、軍事には驚くほど消極的であった。人間的に繊細で、優しさを持っていた。にもかかわず、大正天皇にはそのようなイメージは、今も十分に重なり合っているとは思えない。
 昭和天皇にしても、つまりは前期の軍事、後期の非軍事という二分法が用いられ、その二面で理解されている。『裕仁』という天皇個人がいかに優れた生物学者であったか、あるいは3年8ヵ月の太平洋戦争の期間、いかに煩悶(はんもん)したかはほとんど明かされていない。昭和天皇という語のイメージにより語られているのである。
 国際社会での親天皇の役割
 こうした事実を認識していくと、天皇はまさに個としての存在が許されぬような状態に置かれてきたと言っていいのであろう。むろん天皇には一定の制限(たとえば政治的言動には内閣の助言と承認を得るという法的な規制など)があるのはやむを得ないにしても、そえはできるだけ少なくするように考える時期ではないだろうか。2016年の平成の天皇のビデオメッセージは、そのうちのもっとも基本的な要求を訴えたのではなかったろうか。
 ……
 改めて元号の決定と絡ませて論じるならば、元号天皇を見るのだけでなく、それぞれの天皇がいかに歴史の中で皇統を守り続けてきたかについて、より具体的に確認していく必要があると思う。この点がないがしろにされると、天皇を意思を持たない存在として理解することにつながる。
 昭和天皇は戦争にきわめて慎重だった。それなのに軍部は天皇に対して、あなたが皇統を守るためには戦争という手段しかない、と詰め寄っている。結局、軍部は昭和天皇に偽りの報告をする、真実は知らせない、と自らに都合のいい形での利用を続けた。そして戦後は、自分たちは天皇に背いたことはないと、巧みに逃げ口上の言い分を繰り返した。昭和天皇の戦争責任を問うにしても、こうした事実を正確に分析しないと、昭和天皇という話に戦争のイメージを簡単にかぶせることには無理が生じてくるのではないかと思う。
 それぞれの天皇は、元号の意味を自らの目標に捉えながら、努力を続けた。昭和天皇も、万邦平和を願って元号の意味を求めたように思う。」
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 4月2日 「関連テーマ
 新元号「令和」に言いたい
 平成の次の時代を表す新元号が「令和」に決まった。大化から数えて248番目となる元号は日本最古の歌集「万葉集」から引用されたが、「令」という漢字は初めて採用された。これまで元号で使われた漢字は、たった73文字しかないのも驚きだが、なぜ「令和」が選ばれたのか。その意味を考えたい。
 新元号「令和」が持つ本当の意味を日本人はどれだけ理解しているか
 落合道夫(東京近代研究所代表)
 新元号「令和(れいわ)」が発表された。これは万葉集が出典である。安倍晋三首相の解説によると、いろいろと慶ばしい意味を持っているという。あらゆる危機の中、ぜひ新しい天皇の下、良い時代になってほしいと願うばかりだ。
 「令和」と聞いて私は、祝賀の歌として1270年前の天平21年に大仏建立にあたって大伴家持が詠じた「すめらぎ(天皇の意)の御世栄えむと東なるみちのく山に金花さく」を想起した。
 しかし、同時に大東亜戦争後、敵に捕らわれ冤罪で処刑された坂本忠次郎中尉の詠んだ歌も忘れることはできない。「同胞(はらから)の犠牲(いけにえ)なればすめらぎの弥栄祈り我は散りゆく」。彼も歌心のある武人だった。
 こうした長大な時代の積み重ねにより現代の日本がある。新しい「令和」の御世は新天皇の下で今後、無数の記録が書き込まれていく。そして全国民にとって各自の唯一無二の歴史となる。このように理解すると元号制度が極めて人間的で文化的なものであることが分かるだろう。
 ところで新元号「令和」は、今上陛下のご譲位にあたり1カ月前に発表された。異例である。これは産業界の要請など政府にも事情があるのだろうが、伝統的権威は伝統によってのみ維持されるから天皇に関わる事柄は、すべて無条件で伝統に従うことが大原則だ。
 今回の異例のご譲位と改元はご高齢であることが挙げられるが、本来摂政を立てられればよいことであり、これは日本が先の大戦を踏まえた講和条約を結んだにもかかわらず、いまだに占領で破壊された民族の大切な伝統が回復されていないことを示している。
 したがって今回はやむを得ないとしても、なるべく早く「占領憲法」を改正し、次回からは伝統に戻すことが必要だ。これは政府だけでなくわれわれ国民の責務である。
 そもそも日本民族における元号制度の機能は歴史に期間を設定し「時代」の概念を作ることである。これにより、元号制度が日本人にとって文化的、そして政治的、社会的に重要なものになってくるのである。
 その一方で、元号反対論には誤解によるものと政治的な陰謀がある。誤解によるものは、暦は数えやすいようにキリスト歴一本にすべきという単純な意見である。しかし、これは短い人生を終える国民の歴史的感慨に配慮のない意見である。
 結論としては、キリスト歴は巻尺であり、元号はもの差しに当たると考えて併用すればよい。換算が不便というが、たいした手間ではない。早見表を見れば良いだけの話で小学生でもできることだ。
 共産党志位和夫委員長はこれまで、元号制度は支配者が時を支配するものだから反対と述べたことがある。しかし、時というものは想像上のもので存在しないことは古代の龍樹、アウグスチヌス、道元などの先哲がすでに明らかにしている。
 だから時は誰も支配などできない。そして共産党の代案がマルクス暦というのなら分かるが、キリスト歴というのでは驚いてしまう。共産党はいつからキリスト教徒になったのか。
 そして唯物無神論ではなかったのか。あまりにも無原則で機会主義的だ。キリスト歴はあくまでも宗教暦であり、キリスト教徒の暦である。イスラム圏ではイスラム暦があり、中東の新聞ではキリスト歴はカッコ付きで付記されている。
 そもそも元号問題は戦後2回、大きな政治問題になった。1回目は昭和25(1950)年に元号廃止が国会で検討されたことだ。これは戦後のドサクサを利用して日本の伝統文化を廃止しようとする左翼、キリスト教勢力の陰謀であったが、左翼の最優先課題がサンフランシスコ平和条約の反対運動にシフトしたため、幸い防ぐことができた。実に危なかった。
 2回目は昭和53(1978)年で愛国的な国民が結集し元号法を制定した。この時は危機感の高まりで元号制度制定促進を求めて国民があの日本武道館いっぱいにあふれたのである。
 また、元号制度は連続した歴史に期間を決めることにより「時代」の概念を作るが、これにより歴史はとりとめのない時点主義から人生の記録を示す人間の歴史になる。この中で各人は天皇の謚(おくりな)を通じて公の歴史につながることができる。
 私の場合、昭和に生まれ、平成を経験し、新しい元号の時代に死ぬことになるから三代の天皇を戴いて生きたということである。ささやかであるが、私の公的記録だ。また、歴史が時点主義から期間になることにより、共同体の成員にとって国家の歴史が成員の共有財産になる。
 われわれ日本人は元号を介して歴史を共有する民族なのだ。これが、われわれが元号制度を守らなければならない大きな理由なのである。
 ところで、元号は日本の文化に多くの影響を与えているが、その一つとして俳句がある。有名な句に、俳人である中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」がある。この句の感慨は明治だからこそであり、これがキリスト暦では俳句にならない。
 そして明治という元号明治天皇を戴き、全国民が心を一つにして大きな犠牲を払いながらも大敵を撃退した日本民族の苦しくも栄光の時代を意味している。この時代の国民の感動と感慨が夏目漱石の小説「こころ」、乃木希典将軍の殉死など、国民の深い感慨になっている。中村草田男もその一人だ。
 また、明治の元号を冠する明治大学の校歌には明治時代の明るさと力強さを感じる。作家の戸川幸夫は、明治は日本人にとって特別の時代であったと記し、次のように述べている。
 私は明治人間である。と言っても末年に生まれたので、大きな顔は出来ないが、それでも九州の片田舎で育ったので、当時はまだ明治の気風がそのまま色濃く残っていた。私は大東亜戦争に従軍し苦労を体験したので、戦後の平和な今を生きる若い人がうらやましいが、同時に不安も感じる。明治の人々やそれ以前の日本人が歩き残していったものを伝えるべきであった。その意味で今が明治の昔を振り返って学ぶべきことを学ぶ大切な時期と思う…(「明治の気概」抜粋要約)
 こうした時代の感動が元号による時代認識として共同体の成員に共有され、さらに若い世代に継承されるとしたら、これはすばらしいことである。時代機能のないキリスト歴では到底考えられない。元号はその共通の時代意識を通じて日本民族の伝統意識を作っている。これは日本社会の安定のために非常に重要だ。
 フランスの社会心理学者、ル・ボンは19世紀欧州の革命暴乱をみて国民の精神的伝統の深層が破壊されると社会は流動的になり、それが強い刺激を受けると想定外の暴走を始め悲劇を生む、と民族の深層を守る伝統意識の重要性を記している。
 彼によると、フランス革命前夜のフランス社会ではキリスト教の権威の衰退、地方から都市への移住、産業の変化などがそれまでのフランス人の深層意識を不安定化したため、パリの暴動事件が全国規模の革命の大乱に拡大したという。
 また、ロシア革命でも農奴解放や産業化による社会の変動が人心の流動化を招き、あの大規模な内戦と革命の悲劇を生んだ。ドストエフスキーは小説『悪霊』で19世紀中頃のロシア社会の深層の変化について、次のように記している。 
 それは一種特別な時代であった。以前の平穏さとは似ても似つかない何か新しい事態が始まりそれが至るところで実感されるのであった。その背後にそれらに付随する思想が生み出されていることは明らかであった。しかしそれがおびただしい数に上がるので突き止めようとしても不可能であった…
 われわれ日本人は現在、幸い何となく安心して暮らしているが、その深層には同じ民族としての共通の信頼感があることは間違いない。その柱が天皇崇敬であり、それに伴う元号の作る共通の時代意識なのだ。
 ル・ボンは社会の大乱を深海の大地震が起こす大津波に例えている。民族の深層が強固なら地震の揺れを吸収するが、そうでないと、大津波となって社会を崩壊させてしまうのだ。元号天皇崇敬とともに、この大地震を吸収する有力な緩衝材の一つである。だからこそ元号制度は敵に狙われるのであり、われわれは意識してしっかり守らなければならない。
 ただ、今上陛下の譲位を控えた本年の一般参賀にうかがった国民の数は15万人に上り、史上最多であった。また、先日の今上陛下の神武天皇陵参拝の関西行幸には異例の多くの国民がお迎えした。これは今上陛下への敬慕の思いと、自分の歴史としての平成の時代が過ぎていくことを実感し惜しんだからではないか。これはまさに平成という元号が国民各自の時代でもあったことを示している。
 だから帝王が「元号によって時を支配する」などという非難が、全く的外れであることが分かる。これは同時に日本民族の深層が天皇崇敬と元号制度を通して、まだしっかり維持されていることを示しており心強い。
 日本の元号制度とは、天皇の謚によって、長大でとりとめのない歴史を時代という概念で等身大に切り取り、それを保管、共有し、後世に伝えるという極めて高度で素晴らしい制度である。
 ゆえに、新元号について、文字の善し悪しなどを論じるのは本筋から外れていると思う。時代は、元号の文字によるのではなく、その時代の歴史の評価で強く記憶されてきたからだ。それは現代ではわれわれが作るものであり、時代に生きるわれわれの力量を示すものである。
 冒頭でも記したが、これが国家とともに自分個人の唯一無二の歴史を作ることにもなる。時代概念は時の容器である。新しい時代の始まりを見て期待とともに、ある種の畏(おそ)れの念を持つのは私だけではないだろう。
 今われわれは過ぎ行く平成の御代を惜しみながらも、新しく始まる時代を迎える心の準備をしている。後世の日本人に感謝されるよう父祖にならって新しい天皇陛下の下で強く団結し、内外の危機を乗り切っていかなければならない。」
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