🌈9)─1・A─唯物真理教が縄文中期以来の6000年の祈りを破壊する。⦅13⦆〜No.18 

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 旧陸軍大将・今村均氏の証言。
 中国共産党は、日教組に対し、60年安保騒乱で大混乱状態にある日本で人民革命を成功させる為には「民族をして、皇室と神社とより隔離せしめない限り、その実現は至難と思う」という指令を打電したという。
 マルクス主義系の教育界とメディア業界は、ソ連中国共産党の指令で、子供達を反宗教無神論・反天皇反民族反日本に導く為に日本人凶悪犯罪者史観と政教分離の原則を広めた。
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 令和4年11月号 正論「令和の『宗門改』行き着く先は暗黒  松浦光修
 今(令和4年9月)、世間では『旧統一教会問題』が、喧(かまびす)しいくらい。少しでも『抵触』がある人は、まるで『犯罪者』のように扱われているともいう。『らしい』『ともいう』と書いたのは、ほかでもない。私は数年ほど前から、テレビを見ていると〝気持ちが悪くなる体質〟になってしまい〝健康上の理由〟から、テレビをほとんど見ておらず、そのあたりの事情は、よくわからないのである(もっとも、自宅には数年前から『Wi-Fi』のネット環境を整えているので、情報、娯楽などの点で、特に困ることはない)。
 『唯物真理教』の猛威
 旧統一教会の荒唐無稽な『反日思想』を、私は嫌悪してやまないし、また信仰とはかけ離れた巨額の寄付などの問題は、法に則って裁かれるべきである、と思う。
 しかし今、〝少しでも抵触があったら犯罪者扱い〟という世の中になったのなら、大変なことである。
 ……。
 まさに江戸時代の、キリシタン弾圧のために踏み絵などで個々人の信仰を調査した『宗門改』である。まさか今の世の中で復活するとは、思いもよらなかったが、やがては、どこかの全体主義国と『接触』のあるデジタル大臣あたりが、財務省と組んで、デジタル版の『宗門人別改帳』のようなものを作成し、それがマイナンバーカードに連結される・・・などという日がくるかもしれない。
 そうなると、すべての国民が、すべての『宗教法人』との『接触』を国に管理されることになる。
 ……。
 そうなると、わが国は共産主義国なみの『人権侵害国家』になる。そういう意味で、今やわが国の『人権の危機』が迫っているのであるが、それにもかかわず、これまで『人権、人権』と騒いでいた人々は、いったい、どこで何をしているのであろうか。そう思っていたところ、どうやらそういう人々こそが、令和の『宗門改』を、中心になって推進しているようである。
 ……。
 しかし、ソクラテスは言う。そもそも人は『死を恐れるもの』であり、『(死の)練習こそ、真に哲学すること』である・・・と。そして『哲学すること』によって人は『神的で不死で叡智的なものの世界』を知ることである・・・と(プラトン『パイドーン』池田美恵訳)。したがって人は、古今東西、『あの世』と『この世』に関する思索を続けてきたのであろうし、おそらく人は、今後もそのような思索を続けていくにちがいない。
 したがって、世に『宗教』と呼ばれる現象は、未来永劫なくなるまい(筆者は、そもそも『宗教』という言葉を好まないので、本稿では以下、それを『信仰』と記す)。なるほど、今の世には唯物主義の歴史観にもとづき、『宗教はアヘンである』というテーゼを前提としてなりたっている共産主義国家もある。しかし、レーニン毛沢東の『廟』をつくって、いわば『礼拝』をしている(あるいは、してきた)。それも『信仰』の一種であろう。そういえば、昭和4年9月、元白虎隊士で、日本人初の物理学教授となった山川健次郎は、『マルクス主義は科学にあらず』と題してラジオ放送を行ったことがあるが、その放送のなかで、当時の共産主義者を『マルクスの信者』と明言している(『男爵山川先生遺稿』)。『共産主義』とは、ある意味で『唯物真理教』とでもいうべき1つの『新興宗教』と考えた方がいいのかもしれない。
 日本民族の6000年の祈り
 それでは、わが国の先人たちはこれまで『この世』と『あの世』について、どう理解してきたのであろうか。その点について、縄文時代研究の専門家である小林達雄氏は、次のように語った。
 『中部地方の縄文中期には、竪穴住居の奧壁に石で囲った祭壇のような施設がつくりつけられ、その中央に角張った細長い石が立てられる。そんな腹の足しにもならないモノが、貴重な住居の面積を一部占領しているのには、それ相応の理由があったはずだ。もう一つの世界、あるいは精霊との交信の装置であり、竪穴住居の空間が現実的な起居(ききょ)の場としてだけではない、聖なる性格をも併せ有するものであることを表している。これを創り出した動機と観念こそが、やがて神棚と仏壇へとつながっているのだ』(『縄文人追跡』)
 『縄文中期』は、約6000年前にはじまる。とすれば、縄文時代の人々の心には、すでに『祖霊』という概念があったであろう。そうでなければ今日の『神棚と仏壇』へつながる『装置』など、そもそも存在しなかったはずである。時代が下り、文字の記録が残っている時代になると、さっそくそのことを示す史料があらわれる。昭和43年、埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣に刻まれている銘文である。その鉄剣の製造年代は、西暦471年、制作した人物は、『ヲワケノ臣』である。
 その銘文には、『オホヒコ』から6代を経て、制作者の『ヲワケの臣』にいたる文章系図が記されている。『オホヒコ』は、第8代・孝元天皇の皇子といわれており、『ヲワケの臣』は、第21代・雄略天皇に仕えた人物といわれている。孝元天皇の御在位は、3世紀ごろといわれているから、少なくとも1800年ほど昔には、わが国の人々が、心のうちに『家』、『血筋』などの概念を確立していたことが、文字史料で確認できるわけである。なお、興味深いことに、その鉄剣の銘によれば、その『血筋』の意識は、男系継承の原理によってなりたっている。
 『オホヒコ』の父である孝元天皇から、7代さかのぼると、初代の神武天皇になる。『日本書紀』によると、神武天皇の御代には、『もろもろの神たち』や『皇祖(みおや)の天神(あまつかみ)』を祭る皇室祭祀が、すでにはじまっている。神武天皇4年2月、神武天皇が発された詔には、こうある。
 『わが皇祖の御霊が、天からお降りなさり、ご覧になって、わが身を照らし、お助けくださった。そのため今、すでにさまざまな賊に対しても、私が言葉をかけて平らかな世にすることができ、天下は何事もなく、安らかにしずまったのである。よって私は、天つ神を、郊外でお祭りし、神々に大孝の心をお伝えしたい』(『日本書紀』巻第三・現代語訳は筆者)
 一般には、これをもって皇室祭祀がはじまる、とされているが、ここでいう『大孝』とは、『皇祖の天神』を祭ることをいう。『祖霊』への感謝の祈りが、皇室祭祀の一つの核であったことが知られる。
 なお、『古事記』『日本書紀』の『神代の物語』のなかでは、すでに『大嘗(おほにへ)』『新嘗(にひなへ)』などの言葉が見えている。それによって神武天皇よりも前から、わが国では、五穀豊穣を神々に感謝する『マツリ』が行われていたことが知られる。要するに、わが国の『マツリ』とは、古来『祖霊』と『食物神』に感謝を捧げることが、二つの大きな柱であったことになるが、その『マツリ』の源流は、先にも記したように縄文時代にまでさかのぼる。そして、その『マツリ』が、わが国では現在も、皇室から民間にいたるまで継承されているのであるから、わが国は、いわば〝6000年の祈りの伝統〟が、今も生きている国といってよい。
 神事を先にし、他事を後にす
 神武天皇以後、今日にいたるまで皇室の祈りの伝統は、不変である。……宇多天皇は、こうおっしゃっている。『わが国は神国です。ですから、毎朝、四方の大・中・小の、天つ神々、地の神々を拝むのです。そのことは、今日からはじめて以後、1日も怠りません』(『宇多天皇御記(寬平御記)』仁和4年10月19日条・現代語訳は筆者)。
 ……。
 鎌倉時代順徳天皇は、このような皇室の祈りの伝統を堅持されつつ、さらにこう明言されている。『しべての皇居で行うことのうち、神を祭ることが、まず先であり、その他のことは、すべてそのあとに行うものです(原文・神事を先にし、他事を後にす)。天皇たるもの、朝から晩まで、神を敬うことを怠けてはなりません』(『禁秘抄(きんびしょう)』、現代語訳は筆者)。……。
 明治以後は、わが国のそのような祈りの伝統を、近代的な成文法なかたちにしてゆく作業が、真摯につづけられていった。明治22年に公布された大日本帝国憲法のもとで、わが国の国法は、皇室典範憲法という2つの法体系にわけられたが、それによって皇室関係のことがらは、一般の国務の圏外に置かれたことになる。いわば『聖と俗』の分離である。わが国の伝統にもとづいた賢明な判断であった。
 そして、そのような法体系のもと、以後、皇室関係の法令は、着々と整備されていく。具体的にいえば、次のようになる。
 『皇室祭祀令』(明治41年)、『登極令』『立儲令』『摂政令』(明治42年)、『皇室財産令』『皇室親族令』『皇族身位令』(明治43年)、『皇室会計令』(明治45年)、『皇室喪儀令』、『皇室陵墓令』(大正15年)
 しかし、大東亜戦争の戦闘終結後、悲劇がおこる。昭和20年にはじまったGHQの間接統治のもと、『GHQ製の憲法』がつくられ、それが軍事的な脅迫のもと、わが国に押しつけられたという事実は、よく知られている。それだけでも『ハーグ陸戦規定』という国際法に違反する暴挙である。
 GHQは、それにとどまることなく昭和22年5月2日、『皇室典範』以来、40年にわたって慎重に積み重ねられてきた皇室関係の法律を、一挙にすべて廃止してしまったのである(大原康男天皇─その論の変遷と皇室制度』)。それだけではない。GHQは、昭和22年5月、華族制度を廃止し、同年10月には、十一宮家の強制的な『臣籍降下』を強行している。それらによって、皇室をお守りする法的な、あるいは人的な『藩屏』は、ほぼ壊滅状態におちいってしまった。
 ……。それらの『藩屏』の『復興』は、いまだに手つかずのままであるが、それを放置してきた責任は、いうまでもなく戦後の政治家にあり、そして、そのような政治家を選んできた私たち国民にある。
 そのような戦後の皇室の痛ましい現状と、それを放置して来た私たちの責任を反省することなく、ひたすら特定の皇族や宮家に対して攻撃をくりかえす人々は、たぶん『保守派』ではない。
 伊勢神宮も標的に
 以上のように戦後ずっと、皇室は無防備のままなのであるが、戦後には、その無防備な皇室に対して、外国勢力と『接触』をもちつつ、執拗に攻撃をつづける人々が、政界、学界、司法界、教育界、放送界などに蝟集(いしゅう)するようになった。ここでは、その代表的な一例として、日教組をあげよう、いわゆる『60年安保』の騒乱が起こっていた時、『中国共産党』は、日教組に恐るべき指令を出している。そのことについて、旧陸軍大将・今村均氏は、こうきしている。『中共の対日工作員である陳宇氏は、我が共産党員である日教組の幹部である赤津益三氏に対し、暗号電報により、6月1日「われわれは、この度の諸君の勇敢なる革新運動に敬意を表する。しかし貴国の革新は、民族をして、皇室と神社とより隔離せしめない限り、その実現は至難と思う」というような指令を打電した』(『修親』昭和41年1月号)。
 以来、今日にいたるまで、わが国では『民族をして、皇室と神社とより隔離』せしめるような教育が、全国津々浦々で行われてきたわけであるが、その点については、あらためていうまでもなかろう。
 しかし、そのような『指令』にもとづく工作は、近年、往時よりも猖獗(しょうけつ)をきわめている感がある。平成25年10月、伊勢神宮式年遷宮が行われたが、そのさい、去る7月に殉難された安倍元総理は、8人の閣僚を引き連れて、『遷御(せんぎょ)の儀』に参列している。それに対して、朝日新聞は、『日本キリスト教協議会靖国神社問題委員長』なる老人に、『憲法に定められた政教分離の原則に違反する行為だ』と語らせているのである(『朝日新聞デジタル』平成25年10月3日)。すでに10年ほど前から『唯物真理教』の人々は、靖国神社のみならず、今度は伊勢神宮にも〝閣僚が参拝できないような空気〟をつくろうと、情報工作をはじめていたわけである。
 わが国の文明・文化の〝核〟は、縄文中期以来、『祖霊』と『食物神』に対する感謝の『祈り』にあり、皇室はGHQにより法的、人的な『藩屏』を破壊されても、その〝核〟を、今も堅持してくださっている。しかし、昔、GHQが『無防備』の状態にしたその〝核〟を、今、外国勢力と『接点』のある『唯物真理教』の人々は、攻撃しはじめている。心ある国民は、そのような『サイレント・インベージョン(静かなる侵略)』に警戒するとともに、それにとどまるのではなく、戦後放置されてきた法的、人的な『藩屏』の『復興』にも、心を尽くしていくべきであろう。
 神武天皇以来、御歴代の方々は、神々に、私たち国民の平和と幸福を祈り続けてくださっている。昭和天皇は、こう詠まれている。『我が庭の 宮居に祭る 神々に 世の平らぎを いのる朝々』(昭和天皇御製・昭和50年)。『宮居に祭る神々』とは、『宮中三殿』の神々に『世の平らぎ』を、つまり世界と日本と、私たち国民の平安を祈ってくださっている。万一、日本民族の〝6000年の祈り〟の伝統が破壊されるようなことがあれば、そのあとの『日本』は、もはや日本ではあるまい。」
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 現代日本に蔓延している空気圧・場の空気・同調圧力という毒の正体とは、エセ宗教・カルト宗教であるマルクス主義系の唯物真理教と科学万能教である。
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 日本民族が祖先の縄文人から受け継いだ伝統的民族宗教とは、血の繋がった世襲祖神(血統祖霊神)と命の糧として地球・大地の恵みを与えてくれる食物神を崇め祀る崇拝宗教である。
 日本民族が信じた崇拝宗教とは、「食べ物・食糧である稲、小麦など五穀を神とする多神教宗教」であった。
 ある意味で、日本民族とは「パンの為に生きてきた」人間の事である。
 そこには、世界宗教・普遍宗教・人類宗教である「生死を支配する天地創造主の唯一絶対神」という一神教としての、教典・聖典・教義による信仰宗教や奇蹟・恩寵・救済を対価として求める契約宗教は存在しない。
 つまりは、日本民族と世界とでは生きる意味が全然違うのである。
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 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
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 日本人は、古い民族的な歴史・文化・伝統・宗教・神話に価値を見出さないばかりか愛着も持たず、昔の日本人=日本民族のように命を賭けても守り後世に残し伝えたいという志、熱意、情熱、気概さえない。
 その証拠が、反天皇反民族反日本勢力であったリベラル派ニューディーラー、アメリカ・キリスト教会、共和制主義者、白人至上人種差別主義者と共産主義者らによる天皇家・皇室消滅や天皇制度廃絶を最終目標とするGHQ日本占領方針=日本大改造計画=平和憲法を守っている事である。
 それが、現代日本における、戦後民主主義教育で洗脳された超エリート層、高学歴な政治的エリートや進歩的インテリの正体である。
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 日本家屋における宗教的特異な装置である「神棚や仏壇」の原型は、数万年前の縄文時代の竪穴住居内に設えた祖霊を祀る祭壇であったが、無宗教現代日本核家族住宅から「神棚や仏壇」が消え始めている。
 つまり、日本人は民族的な歴史・文化・伝統・宗教を持った日本民族からそれらを持たない日本国民へと急速に変貌しつつある。
 日本神道、皇室祭祀の源流は、数万年前の旧石器時代縄文時代の自然崇拝・祖霊崇拝にまでさかのぼる、それ故に日本民族にとって天皇祭祀・宮中祭祀は国事行為である。
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 日本人は、哲学や思想を受け入れても宗教やイデオロギーが苦手であったが、受け入れた哲学や思想は縄文的なモノであって世界的普遍的なモノではなかった。
 縄文の子孫である日本民族が受け入れた宗教とは、教条的な独善信仰宗教ではなく曖昧的な寛容崇拝宗教であった。
 特に、信仰宗教としてはキリスト教を、イデオロギーとしては共産主義無政府主義などの全体主義を排除した。
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