✾320)─4─赤穂浪士の討ち入り。新井白石とシドッチ神父。世界宗教における心臓崇拝。曽根崎心中。江戸。1700年〜No.657No.658No.659/ @

江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた (講談社+α新書)

江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた (講談社+α新書)

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 プロフィールに、6つのブログを立ち上げる。 ↗
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 キリスト教的人種差別と奴隷制度。
 西洋キリスト教諸国による奴隷貿易
 西洋キリスト教諸国は、三角貿易で大金を稼いでいた。
 ヨーロッパから西アフリカに旧式の武器を運び、西アフリカからブラジルや西インド諸国に黒人奴隷を労働力として運び。西インド諸島やブラジルからヨーロッパに洪茶用の砂糖を運んだ。
 奴隷貿易で、1,000万人から2,000万人の黒人を奴隷として新大陸に運び、途中でさらに多くの黒人を死亡させて海に捨てた。
 非白人の黒人は、絶対神を信じない野蛮な動物である。
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 『元禄御畳奉行の日記』。下級武士が、スケベ根性で浮気をして本妻に隠れて妾を囲った。その事を知った本妻は、嫉妬して飯や身の回りの支度をしなくなった。下級武士は、妾の所に転がり込んで飯を食べさせて貰った。妾は、下級武士と喧嘩するや飯など一切の支度をしなくなった。
 下級武士は、気が弱かった為に、世をはかなんで切腹して死んだ。
 農耕民族は、狩猟民族ほどの闘争心も競争心もなく、決して忘れず追い詰めるという執念深さもない。やり遂げるという根気強さはあっても、同時に直ぐ諦めてしまう淡泊さを持っている。
 特に、男はだらしなく隙あらばずるけて休み、酒を飲んで歌って踊って笑い転げて浮かれ騒ごうとする。
 日本の男は、見た目とは違って弱く、無我夢中になって土や物をいじったりして何かを作るのが好きで、命を賭けて戦う事に恐怖した。
 日本の男どもがだらしない分、日本の女性は強く逞しかった。
 日本の女性は、体力しか自慢できない男を煽てて働かせて給金を入れさせ、男に僅かなカネと質素な食事を食べさせていた。
 日本社会は、建て前として亭主関白であったが本音はカカ天下で、女性の方が強かった。
 落語世界が、日本の実体である。
 それは、男尊女卑の儒教社会とは正反対の社会であった。
 時々の将軍や大名は、武を忘れひ弱に軟弱化した武士を男として鍛える直すべく、死ぬほどの厳しい軍事教練を強制し、寝る暇がないほどに儒教を叩き込んだ。
 儒教を収得しない者は、出世させなかった。
 出世する気がない者は、家柄を理由にして文武修業をサボり、同じ様な仲間とつるんでは酒を飲みながら上司の悪口をついて憂さを晴らしていた。
 日本社会は、死を賭けた権力闘争や正当論争が熾烈な朝鮮あるいは虐殺や略奪が日常茶飯事の中国とは異質な、男が逞しくない弱々しい女性上位の社会であった。
 戦いのない平和な時代では、男はますます女よりも弱くなり、与えられた仕事こなすだけの無気力となり、武芸や武士道を忘れ芸事や女遊びにうつつをぬかして遊びほうけた。
 尚武の武士道精神は、その為に必要とされた。
 だが。武士道精神が叩き込まれたのは、全人口の5%のみだけであった。
 武士道精神を体得して生涯を武士らしく貫いたサムライは、全人口の1%いたかは甚だ疑問である。
 武士道が日本を代表する精神・心というのは、真っ赤な嘘である。
 日本は、儒教的武士社会ではなく、神道及び仏教的百姓・町人社会であった。
 日本人は、神や仏に囲まれながら、神や仏と共に生きていた。
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 子供から大人になる為の元服は、武士の特権的神聖な儀式であり、百姓や町人は行わなかった。
 大人と認められたサムライの子は、全責任を負う事が義務が課せられ、切腹する作法が教えられた。
 不祥事を起こせば、見苦しいわけをせず、サムライとして潔く切腹して果てる事が強要された。
 身の潔白を晴らす為の切腹を臆病になって忌避する者は、サムライの資格は無いとされ、武士の社会から追放された。
 責任と義務の為に命を捨てる覚悟が無い者は、サムライとは認められなかった。
 サムライに求められた責任と義務とは、主君への忠と親への孝であった。
 サムライの忠と孝は、儒教価値観の中国や朝鮮の忠と孝とは本質的に異なる。
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 中欧には、狩猟民族ゲルマン人の名残として「心臓信仰」が存在していた。
 狩りをして殺した獲物をその場で解体すると心臓がまだ動いている事があった為に、狩猟民は心臓を命の源として神聖化した。
 ハプスブルク家では、当主が亡くなり埋葬するさい、内臓を取り出して、心臓を聖なるモノとして銀の容器に他の臓器を銅の容器に入れて別々の場所に分けて埋葬した。
 中欧などにあるキリスト教会では、定期的に墓地から人骨を掘り起こして、王侯貴族などの領主は特別に設えた納骨堂に安置し、裕福な一般人は共同の納骨堂に集め、ローマ教皇から聖人として祝福された聖職者は教会内に飾り信仰の対象とした。
 墓地は城郭都市の外にあったが、主要なキリスト教会は城壁の中にあった。
 農村には、小さな教会や修道院が建てられたが、教会に於ける序列は低かった。
 城郭都市とは、生きている市民と死んだ祖先が共に運命共同体を形成する場所であった。
 中部ヨーロッパなど石灰質の土壌の地域では、骨が溶けない為に、定期的に墓地の骨を掘り起こして処分する必要があった。
 日本は神道と仏教から火葬と土葬が併用されたが、欧米ではキリスト教から土葬が主流で火葬は普及しなかった。
 人は絶対神が自分に似せて創った以上、絶対神の創造物である人体を人間が火葬にしたり棄損する事は絶対神への冒?とされた。
 日本の死生観・宗教観では、生者と死者を明確に区別し、両者を完全に分離して、死を忌み嫌い、死体を穢れとして弔いを上げて村はずれの辺鄙な場所に埋めるか燃やした。
 キリスト教は、神の国という死後の世界と永遠の命を用意して、死に行く者の死への恐怖を取り除いていた。
 神道は、無始無終として創世も終末も考えず、瞬間瞬間の「時」という「今」を取り出して無限に過去と未来をつないだ。
 そして、人を突き放すかのように死後の世界も用意しなかった。
 キリスト教が砂漠に吹く風であるなら、神道は山野の中を流れる水である。
 キリスト教が形に拘る宗教なら、神道は形に拘らない宗教である。
 西欧が知的な「有の思想」なら、日本は情的な「無の思想」である。
 神道は、モノの本質を「無い」ものとするがゆえに、何時かは滅びて消え去る定めに「もののあわれ」を感じた。
 金銭や物質や欲得から離れて「永遠の無」を感じ、多忙で煩雑から離れて一瞬一瞬の「今」という「時」を観じる事よしといた。
 その無、ないを見定める心が、神道清明心である。
 そして、生きている「今」も死んでからの「後」でも、救いの無い覚悟を求められた。
 昨日は既に無く、明日は無いかも知れない。
 あるのは今この「時」の今だけである以上、今この時を精一杯、悔いなく、命のある限り楽しく「唯の今」を生き生きと活ききるだけである。
 日常の日々の中で、我という存在を忘れて「今」を見詰め、我をという思い込みを離れて「時」に身を任す。
 自然の中に自分を消し去り、自然の中に我を観じる。
 神道の無常観は、儒教の孔孟思想ではなく、道教老荘思想の影響を強く受けている。
 西田幾太郎「過去と感ずるのも現在の感情である」
 「時に於いては、形なきものが形あるものを限定するのである」
 「特殊性を失うという事は文化というものがなくなるという事である」
 日本人が死の恐怖に囚われた時、その迷い、絶望感を救ったのが日本的葬式仏教であった。
 日本の外から、世の終わりを示す末法思想が輸入された。
 日本仏教は、心弱く挫けそうな脆い日本人に、生きる意味、死ぬ意味、そして生前と死後の世界を授けた。
 日本仏教は、中国仏教や韓国・朝鮮仏教とは本質から異なり、原点のインド仏教を志向していた。
 日本の神道も仏教も、その根底にあるのか人力では防ぎきれない自然災害への絶望感があった。
 一年中、必ず、多発する自然災害。
 そして、甚大なる被害による夥しい犠牲者。
 大陸の城郭都市は、自然を組み伏せ、支配し、管理し、改造した。
 島のムラは、大自然に凶暴さに抗う事ができず、無力感に苛まれて諦めて従うしかなかった。
 日本の死生観や宗教観が、世界の常識からズレているのはその為である。
 そして、日本の死生観や宗教観を語るのは日本の自然風土で生まれた日本語のみであって、大陸の中国語や韓国語・朝鮮語及び西洋語では不可能である。
 日本文化の真髄を表現する重要な語彙の多くは、翻訳不能である。
 だが。政府も官庁も学界も財界も、国際的な経済競争に勝って豊かになる為には、民族言語である日本語を捨てて国際言語の英語を見ぬ付けるべきだと主張している。
 現代日本は、グローバル化を正義として、国内に於ける「脱日本化」を加速化させている。
 今や、神道的「形なきものに形を見出す」という伝統的特殊性は、数値至上主義の西洋礼賛派日本人が推し進めるグローバル化の波で消え失せようとしている。
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 狩猟遊牧民族は、家畜や獲物を解体して食べる。
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 動物を食料とする狩猟牧畜文明に於いて、生き物を殺して命を奪い、死体から流れ出た血で手を染める事は忌み嫌われ事なく、寧ろ神聖な儀式とされた。
 何故なら、動物は絶対神が人間の食料にする為に頂いた食糧であるからである。
 それ故に、絶対神への感謝として動物を殺して捧げた。
 肉体とは、人が背負っている原罪ゆえに魂を閉じ込める牢獄であり、絶対神に対して原罪を償う為の道具とされた。
 死とは、魂を肉体という牢獄から解放する事であり、原罪を償い永遠の命を得て生まれ変わる事である、と前向きに考えられていた。
 キリスト教会は、異端審問や魔女狩りの宗教裁判で猟奇的な拷問で肉体を傷付け、告白させる為に血を流す行為を「神の御名」において容認していた。
 聖人や福者の遺品はおろか肉体や骨の一部は聖遺物に指定され、聖遺物巡礼の対象として遠方の地から多くの信者を集めていた。
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 ジョン・ロック「あらゆる事について読書した人達は、同時にあらゆる事を理解していると考えられていなすが、必ずしもそうではありません。読書は心に知識の素材を提供するだけであり、思考こそが、私達が読んだものを自分のものにします。……全ての議論をその源泉にまで遡り、それがどのような基礎にどれほどしっかり基づいているかを看て取るのは、心にとって本来ゆっくりとしかできないつらい仕事です。しかし、そうであるからこそ、ある人が読書から大きな利益を得るのに、他の人は何の利益も得られないという事が起きるのです。厳しい規則によって、最初は困難であるこの課題に心を縛り付けなくてはなりませんが、やがて慣れると練習によって容易にこなせるようになります」(『知性の正しい導き方』)
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 元禄・宝永小氷期
 1690年から寒冷化して、1720年まで続いた。全国的な飢饉が襲って大凶作となって、多大なる犠牲者を出した。
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 1701年 ザクセン侯は、ヨーロッパで中国茶による喫茶が普及した事きに、中国磁器を真似てマイセンでの彩色磁器の生産を本格化させた。
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 1702年12月14日 赤穂浪士の討ち入り。荻生狙来「以後、天下の法は立つべからず」。翌03年2月 大石内蔵助切腹
 江戸の庶民の「判官贔屓」から、強者の権力や権威を笠に着た振る舞いを嫌い、弱者への嫌がらせや意地悪などに嫌悪した。
 討ち入りの翌日、愛宕下の大目付仙石伯耆守邸は、大石内蔵助赤穂義士を一括で預かったが、上杉家から追っ手が押しかけてくる事を覚悟して屋敷を防備した。
 幕府の命令で赤穂義士を預かる事になった諸大名は、上杉家の襲撃を恐れて多くの家臣を警護に就けた。
 細川家、750人。松山松平家、300人。長府毛利家、200人。岡崎水野家、150人。
 上杉家は、寝ていた藩主の老いた実父を殺害されたが、裁定を幕府に委せた。
 親孝行、武士の体面として、かなわぬまでも親の仇で一太刀浴びせるべきであったが動かなかった。
 本当の武士道はこの時死に、これ以降の武士道は単なる飾りとなった。
 荒木又右衛門の伊賀越え仇討ちや阿部一族の上意討ちの様な、真の意味での武士の世はこの時を以て終わった。
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 1703年(元禄16)年4月 曽根崎心中。大阪で心中事件が起きた。大坂内本町醤油屋平野屋の手代徳兵衛と北の新地の天満屋遊女お初が、曾根崎天神の森で心中した。
 近松門左衛門は、一ヶ月後に世話浄瑠璃として上演し、興業は成功した。
 命を捨てても恋を成就させるという純愛が受け、心中に憧れて次々に心中が流行った。
 御上は、心中を止める為に上演を禁止し、心中者の葬儀はさせないとのお触れを出した。
 若者による心中騒ぎ深刻な社会現象となり、幕府を驚愕させ、政治を翻弄した。
 「此れで、貴方と一緒になれる」
 12月31日 相模湾。元禄関東大地震震源は房総半島野島崎沖、。M8.2程度。
 江戸・小田原を中心に倒壊家屋約2万戸、死者5,000人。
 千葉の九十九里で、大津波が発生して約2,000人が犠牲となった。
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 1704年 教皇クレメンス11世は、たとえ布教の為とはいえ異教徒の民族的儀礼を容認する事は信仰に反すると裁定して、イエズス会の布教活動を禁止した。
 キリスト教は、異教を絶対に許さず、異教徒を全員殲滅する事を「神聖な使命」としていた。
 康煕帝は、民族宗教の伝統的典礼を容認しない不寛容さに激怒して、イエズス会以外の布教活動を禁止し、イエズス会以外の宣教師を中国から追放した。
 キリスト教会の根底を揺るがす典礼問題は、内部告発から起きた。
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 1705(宝永2)年 全国のムラは、伊勢神宮外宮の豊受大御神に豊作祈願するべく、くじ引きで参詣者を決めて送り出した。伊勢神宮への御陰参りである。
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 1707年 赤福本店の創業。伊勢名物「赤福」が生まれた。
 10月28日 関東から九州にいたる太平洋岸の広い範囲で、大地震が起きた。 宝永大地震である。
 津波による死者は、約2万人。
 12月16日 富士山宝永大噴火。火山灰が、江戸まで飛来して数センチ積もった。
 幕府は、復興資金として、諸大名に100石につき2両を差し出させ、50万両(現代の300億円)を集めた。
 だが。幕府は、財政難にあった為に復興資金を他の所に流用し、役人や御用商人らが着服した。
 雨期の大雨で酒匂川が氾濫して、家や田畑が濁流に呑み込まれた。
 伊奈半左衛門と御厨地方の百姓らは、火山礫に埋もれた田畑を天地返して復興させた。
 伊奈神社の祭神、伊奈半左衛門忠順。
 太平洋岸の諸藩も、独自で復興に務めていた。
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 江戸時代。日本全国の火山で、180回を越す噴火が記録に残が残っている。
 日本列島は、世界有数の火山地帯で噴火が絶えず、それに伴う地震も頻発し、その度に甚大な被害が出ていた。
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 1708年 将軍の相談役であった新井白石は、シドッチ神父を取り調べたのち、殉教させればいまだに潜む隠れキリシタンに勇気を与えるのみであるとして、生きたまま本国に送り返す為にオランダ人商館に引き渡した。殉教できず送り返される事は、信仰に命を捧げた宣教師・修道士にとって最大の屈辱であった。彼等は、神の栄光の為に、異教徒に処刑される事のみを願っていたし、日本人キリシタンにそう命じていた。
 シドッチ「私は、キリシタン宗門の法を広める為に日本に渡海仕るよう、ローマのキリシタン宗門総司より申し渡されて参った者でござる」
 新井白石「彼国人来たりてその法をひろむる事は我国を奪う謀也と聞えてその法もと正しからずといえども、我が国を謀るというは実なるべからず。しかれども島原の変出来したれば申し開く事難かるべし」
 西川妙見は、舶来書物から世界の情報を得る事に飽き足らず、長崎に赴きオランダ人から直に聞いて『増補華夷通商考』という書物を書き上げた。
 さらに、1720年に『日本水土考』はを書いた。
 日本人は、西に関心があっても東に興味は無く、立ち寄る島のない世界一広々として太平洋の彼方にアメリカという土地があるり、地理風土は災厄な国であるという知識はあったがそれ以上は分からなかった。
 地球が丸いなら西の果てあるのが、アメリカであると考えた。
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 1708年〜11年 西プロシアで飢饉が発生して、人口の41%の25万人が餓死した。
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 1710年頃 日本の捕鯨の伝統は、江戸中期頃から本格的におこなわれるようになった。
 南紀熊野浦の太地に伝わる『鯨魚種品図目』。
 同じ頃。西洋でも、マッコウ鯨漁が本格化していた。
 日本の鯨漁は、食料や日常品に活用する為であった。
 西洋のマッコウ鯨漁は、ランプの油にする為で肉は生ゴミとして捨てた。
 日本の宗教価値観から、殺した鯨の霊魂を懇ろに弔い、漁村によっては鯨神として神社に祀った。
 キリスト教価値観の西洋では、全ての動物は殺して食料にするように絶対神から賜った物と考え、絶対神の恵みに感謝した。
 『白鯨』「この地球全体を照らすほとんど全ての灯心、ランプ、ろうそくは、あたかも多くの神殿の御前であるかのように、我々の栄光を照らしている」
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 1715年 新井白石は、朝鮮同様に清国と交易を続けても得るところは少ないとして、清国との交易を旧来の半分以下に制限した。
 日本国内で西洋の知識を伝える蘭学が徐々に広がり、知的好奇心がある若者は西洋の最新学問への憧れから長崎への遊学を希望した。
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 1715年 ローマ教皇クレメンス11世は、北京のイエズス会士に対して、如何なる理由があれ、中国人信者が祖先崇拝する事は背信行為に当たるとして禁止した。










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昭和の終焉と天皇制の現在―講座・天皇制論

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