関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
現代の日本、日本人と昔の日本、日本人とは、明らかに違う。
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日本文化とは、α波、1/fゆらぎ、マイナス・イオンである。
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自然には、人に聞こえない高周波音域と低周波音域があり、人に聞こえない両音域を体で感じた時に人は心地よくなって落ち着く。
音感が優れている人は、心も穏やかである。
日本民族日本人は、その音感を持っている。
高周波音域と低周波音域の世界とは、静寂の世界である。
耳に頼らず、耳で聞くのではなく、心を鎮め、心を澄ませ、身体の五感を使って、全身で察するものである。
そこには、個として「思考する」という雑念は邪魔、うるさい、煩わしいとして排除されている。
つまり、関心が外に向かいながら、その実は自分自身の内を見る「内観」である。
高周波音域と低周波音域とは、見えないモノ聞こえないモノに集中する「内観」である。
それが、日本民族日本人である。
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最も重要なのが、喧騒・騒音・混沌・混乱の中にあっても「静寂」を保つ事である。
山川草木すべてと共鳴する、自然そのものとの共鳴。
あるがまま、ありのままに、素直に受け入れる。
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日本は無常である。
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千住博「形に 頼っている限り駄目なんだ、悟る人というのは本当はどんな所でも悟れるんだ」
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日本文化とは、花鳥風月と虫の音そして苔と良い菌による「いのちの深呼吸」であり、自然の物音を感じる「1/fゆらぎ」ぎである。
日本の風土には、心を穏やかに鎮める「マイナスイオン」が満ちている。
それを見える化したのが、日本美術であり、日本芸能である。
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日本民族日本人の伝統には、昔のままに正しく受け継ぐモノと受け継いだモノを時代に合わせて変化させて新しいモノを生み出していく、という二面性を持つている。
この二面性をバランスよく保てないモノは、淘汰され、そして消えていく。
二面性をバランスよく保てたモノが、多種多様性を持った正統派として残ってきたし、子々孫々まで残っていく。
それは、日本民族日本人が持っている感性である。
日本民族日本人の感性は、中国人や朝鮮人にはない。
中国人や朝鮮人は、日本民族日本人とは違う異質な感性を持っている。
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日本文化に流れているのは、今クヨクヨ考えても仕方がない、明日は今日より少しいい日になるかもしれない、というプラス思考、ポジティブ思考である。
日本文化に、宗教・信仰はあっても哲学・思想・主義主張は弱い。
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日本国語は、情緒的な日本芸能を曖昧に謡うに適している。
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日本民族特有の情緒を正確に伝えられのは、日本国語であって、中国語でもハングルでもなく、まして英語などの西洋語でもない。
グローバル化の名目で、日本人が日本国語を捨てれば民族特有の情緒は消滅する。
日本国語はローカル言語で、人類から見れば少数民族の言語に過ぎない。
人類の進化の歴史は、グローバルが生き残りローカルは絶滅する歴史である。
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コリングウッド・イングラム「人間と自然がこれほどまで芸術的なセンスで調和している国を、私は今まで見たことがない」
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日本人とは、生きて立ち上がる宿命的楽観論者であって、絶望してうちひしがれる宿命的悲観論者ではない。
自然災害の多い日本列島は、自然が豊かな為に心地よい自然の「1/fゆらぎ」が至る所に充ち満ちている。
「1/fゆらぎ」の心地よい響きを、西洋人はバッハやモーツアルトなどの音楽で聞いていたが、日本人は自然の営みと一心同体となって体感していた。
日本文化の神髄は、自然の「1/fゆらぎ」である。
自然の「1/fゆらぎ」は、自分が自然によって生かされているよいう実感を与えてくれていた。
子供を育てやすい社会として、子供に寛大で、自由に大声で走り回り、のびのびと思うように遊んでいた。
子供達は、屈託なくよく笑っていた。
ぎりぎりの自給自足ムラ社会に満足し、分不相応のお金を稼ぐ事に興味はなかった。
西洋人のプラス思考は、人為創造的「1/fゆらぎ」ゆえに、意図的に作り出すモノとして、科学的、論理的、合理的である。
人為創造的「1/fゆらぎ」は、聞く人間の好き嫌いで決まり、好きな者は聞くし、嫌いな者は聞かない。
つまり、人為創造的「1/fゆらぎ」とは、不便な田舎の風景を嫌った便利な都市の雑踏である。
日本人のマイナス思考は、自然発生的「1/fゆらぎ」ゆえに、無意識的に生まれるモノとして、感傷的、感情的、情緒的である。
自然発生的「1/fゆらぎ」は、好き嫌いに関係なく、自然を完全破壊しない限り否応なく聞かされる。
プラス思考の西洋人の喜びは、増加で、加える事、益す事、増やす事である。
マイナス思考の日本人の喜びは、減少で、省く事、削る事、減らす事である。
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山下裕二「日本美術の題材をよく『花鳥風月』、とひと括りにしますが、もうひとつ忘れてならないモチーフが虫なんです。春の野に蝶が舞い、夏の水辺に蛍が光る。月の差す葉陰には秋の虫を配し、冬ざれには虫も姿を消す。小さな虫に目を凝らすことで、日本の美術家は、季節の移ろい、自然美を巧みにに表現してきました。今森さんの作品にも、そうした伝統的な美意識に通じる繊細なまなざしを強く感じます」
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千利休「稽古とは一より習い十を知り 十より返る もとのその一」
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万葉集「踏まれても根強く忍べ道芝の やがて花咲く春に逢うべし」詠み人しらず
「踏まれても根強く忍べ道芝の やがて花咲く春は来るべし」
藤原家輶「花をのみ待つらん人に山里の 雪間の草の春を見せばや」
(桜だけを待つている人に 雪の降る山里の草の春を見せたい)
日本のムラ社会は、めいめいの仕事場や田畑で黙々と「孤独」に働き生活する社会であったが、地域から切り離されて「孤立」する事はなかった。
ムラ人は、一人で行き一人でしぬという「孤独」は運命として受け入れたが、「孤立」する事を恐れて隣近所や地域の者の顔色や態度を見ながら溶け込む事に腐心していた。
ムラ社会は、協調関係志向が強く、他人、近所、地域とのつながり・絆を切り離しては生きていけない為に、相互に協調しあって生活してきた。
町・都市社会は、独立志向が強く、他人、近所、地域から切り離しても生きていける為に、自分は自分として主体的に生活していた。
一人前の人間の条件とは、西洋では他人と衝突しても自己主張を通して権利を勝ち取る事であり、日本では他人と協調し相手の権利を尊重してお互いに譲り合う事であった。
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奥本大三郎「日本や外国の虫を見ていてつくづく思うのは、これらの虫の色と形はまさにその産地の風土を体現しているなあ、ということである。……そして虫や鳥がこれほどにも風土の影響を受けているのであるから、我々人間もその影響を受けないはずがない、と思うようになった」(虫から始まる文明論)
大竹昭子「日本画には元来、西洋画のような遠近法的風景画がないことを雪舟を例に解説、接写レンズでものを見るような特色を北斎や広重の浮世絵に見いだして行く。……
人間を中心において自然を俯瞰する西洋と、日本人の視座がいかに隔たっているのかである。我々はしばしば虫や花を愛でるとき、自分が人間であることを忘れて対象とひとつになろうとする。どんどん接近するのはそのせいで、ほとんど同志愛に近いものが芽生えていくのを感じる。
子供のときに養った接写の目を文化全体に敷衍させたとき、何が見えてくるのか。」
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日本は自然の中にあり、大陸は都市の中にある。
日本の庭園は自然であり、大陸の庭園は公園である。
日本の美は不規則な自然美であり、大陸の美は計算尽くされた造形美である。
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藤原正彦(お茶の水女子大名誉教授)「ヨーロッパの現状を見てみれば、議論の余地はありません。移民の数は増加していますが、例外なく、受け入れ国で暴動が起き、殺人などの犯罪が多発するスラムが形成されている。移民は、ほとんどイスラム教徒ですが、その事が悪いわけではなく、差別されたり、言葉が分からない為に定職に就けず、社会の最底辺で生活するほかない。となれば、不満が爆発し、犯罪に走ってしまう。母国に住んでいれば差別もされず、貧しいながらもおそらく幸せに生きられたはずです。移民をしたばかりに、不幸へと身を投じる事になったのです。
日本の場合、移民政策は西欧諸国よりも深刻な事態を招くのは間違い有りません。日本は他国に比べて、単一民族で国家を形づくってきましたから、歴史や文化の異なる民族が入ってくる事に慣れていない。過剰に反発し、移民による暴動を余計に誘発するかもしれません。
日本の文化、伝統の中心である天皇制は、日本人が半分以下にでもなれば真っ先になくなるに違いありません。ほとんど移民は発展途上国の人々で、出生率が非常に高いという事を忘れてはいけない。アメリカの唱えるグローバルでは、人、金、物が自由に国境を越える。つまりは、国家や民族が消すという事です。
それでも、移民の話が消えないのは、経団連を筆頭とする財界が、賃金を押さえる為に人口減少を吹聴しているからです。失業者や定年後の人々を考慮すれば、労働力は十分にある。要するに、『儲け論』だけなのです。人口減少と経済の停滞はリンクしません。日本が世界の羨む『一億総中流』の社会を構築したのは70年代、人口がいまよりも2,000万人は少なかった頃でした」
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ドラッカー「日本の山水画家は、人は自然の中に生き、自然は人抜きでは完全ではないとしている」(『ガイジンの見た日本美術』)
「日本人は動物画にかけて、おそらく世界一ではないかという気がする。私の知る限りでは、これらの鳥獣画には日本的特色の一端がもっとはっきりと現れいるようにに思う。それは純粋に喜ぶ能力である」(『日本画の中の日本人』)
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