🎑28)29)─1─皇室所縁の古い伝統文化には音楽療法的要素があった。自然観察と詠。〜No.70No.71No.72No.73  

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 世界の常識からすれば、人災の大火や天災の地震や台風で甚大な被害が出て多くの人が死亡しても、被災地で生き残った日本民族日本人達がお互いに喜び笑い合っている事が理解できなかった。
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 日本民族日本人は、水であり静であった。
 漢族系中国人や朝鮮人は、油であり動であった。
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 日本民族日本人は、賢くもなく、優れてもいないし、秀でてもいない。
 日本民族日本人に必然など存在せず、あったのは偶然と幸運、勢いと活力だけである。
 日本民族日本人は、音のない無音状態に不安を感じ、音のある騒音状態に安心する。
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 2019年10月20日号 サンデー毎日「芸術の秋は耳で〝効く〟
 ココロとカラダを癒やす 音楽療法
 『懐メロ』の3大反応
 不安や不眠を解消する
 『愛の周波数』とは
 『健康法』と聞くと、まずは食事制限やハードな運動を思い浮かべる向きが多いだろう。だが、歌を歌ったり、音楽を聴くだけで、さまざまな効果が期待できるという。世界的にも難聴や認知症のリスク要因になるといわれる昨今、ますます『耳』は侮れない。
 歌や音楽、小鳥のさえずりや小川のせせらぎといった心地よい音に疲れた心を慰めてもらう──誰しも、こんな経験があるのではないか。単なる『気のせい』とは限らない。実際、耳から伝わった音は心身の健康に寄与しているらしいのだ。
 音楽を利用して心身の治療や健康増進を図るものというのが『音楽療法』への一般的なイメージだが、医療の現場ではどのように取り入れられているのだろう。
 ……
 *{一般社団法人・日本音楽療法学名誉理事長兼聖徳大名誉教授、村井靖児氏}
 一方で、こうした『歌う』音楽療法に対し、『聴く』音楽療法もある。
 そもそも、聴覚は心身の健康と直結している。JCHO東京新宿メディカルセンター耳鼻咽喉科診療部長の石井正則医師が語る。
 『最近、海外の有名な医学誌に「難聴が認知症のリスク要因として群を抜いて高い」という論文が出て、人と関わるストレスよりも、他人とコミュニケーションが取れなくなることが認知症リスクを高めるのです』
 加齢による難聴は、早ければ40代で始まる。その原因は主に耳の血流の減少だ。
 『耳に細かい血管が多数あり、大量の血液が流れているため、生活習慣病などで滞ると聴覚に影響が出やすくなるのです』(石井氏)
 『楽聖』の曲が副交感神経に作用
 石井氏が『脳に〝効く〟音』として挙げるのは、何も音楽だけに限らない。
 『まず、落語。頭の中で別世界を作り出すから脳が喜ぶ。お経も脳をリラックスさせてくれます。意味なんかわからなくても、目を閉じてひたすら聴いているだけで、あの低い声や独特のリズムが効用をもたらすのです』(同)
 さらには、『モーツァルトと健康効果』を研究している人物もいる。埼玉医科大短大名誉教授で理学博士の和合治久氏(比較免疫生物学・免疫音楽医療学)だ。
 もともと生物科学の視点から免疫機能を研究していた和合氏は、未病のうち体調を戻すことが健康寿命の延伸(えんしん)につながると考え、有効な手段を模索していた。その過程で出会ったのが、音の刺激で自律神経のバランスを取るという手法。
 そもそも血液の流れなどを調節する自律神経には『交感神経』と『副交感神経』とがある。緊張やストレスのある状態や寝不足が続くと、交感神経が優位となり血流が悪くなるなどするが、副交感神経を優位にすれば、それは解消される。そこで、副交感神経を刺激するツールとして──さらに言えば音の高低(特定の周波数)に着目したのだ。
 『聴覚情報は四六時中、寝ていている間も脳を刺激しています。そして生き物は人間から昆虫まですべて、音と行動が関係する。怒ったり悲しんだりした時は低い音を、嬉しい時は高い音を出すといように、喜怒哀楽と音の高低はリンクする。つまり、低い音を聴くと落ち着くのです』(和合氏)
 人体に有用な周波数を探求した和合氏がたどりついたのは、『トマティス理論』だった。フランス医学者アルフレッド・トマティスが1957年に提唱したこの理論は、『周波数と人体の部分ごとの反応には相関関係がある』とするもの。
 脳内で副交感神経が集中している中脳・橋(きょう)・延髄に影響する周波数は、トマティス理論によると、およそ4,000~4,600Hz。ピアノのもっとも高い音(約4,200Hz)を超える高い音が、脳に直接作用するというのは。
 注目の528Hz=『愛の周波数』
 実際、和合氏は何人もの人に、この周波数を含む曲を聴かせる調査を行った。副交感神経優位で見られる生体反応が確認できたという。
 これらの『体にいい』周波数の音は、楽曲や自然音として聴くことで『揺らぎ』と『倍音』が発生するため、音叉(おんさ)のような単音よりも、さらに効果が高まるそうだ。
 『複数の音が同時に鳴る時、音同士がぶつかって生まれる、より高い周波数が「倍音」です。高い周波数はより高次の脳に波及します。「揺らぎ」は、波や風のそよぎのように「規則的なものと不規則なものが定期的に繰り返す」こと。虫や風、川の音には、この「揺らぎ」が豊富なのです』(同)
 中でも和合氏が勤めるのは、モーツァルトの楽曲だ。
 『モーツァルトの曲は和音が多く、特に倍音が発生しやすい。「モーツァルトを聴くと便秘が治る」と言うと怪しげに聞こえるかもしれませんが、要はストレスに対抗して交感神経が優位になることで起きる体の不調を、特定の周波数で副交感神経を刺激し、自律神経のバランスを取るわけです。ただし、音に対する反応性は個人差があり、すぐに効果を実感できる人もいれば、そうでない人もいるので、根気よく続けることが大事になります』(同)
 他にも538Hzの周波数は、服部の消火器に分布する副交感神経を活性化するという。
 この528Hzを含む音楽や自然音を聴くことで『体調不良や精神的な不安、不眠などが好転する』と評判を呼んだことから、『愛の周波数』ともいわれている。有名タレントらが愛聴していることでも人気だ。
 だが、528Hzが現代の音階でどこに当たるかを説明するのは難しい。現在用いられている音階に、この高さの音は含まれていないからだ。強いて言えば、高い『ド』(528Hz)に近い。
 現在使われている『ドレミファソラシド』という1オクターブ8音階の周波数は、1939年に国際的に決められた『ラ=440Hz』という基準をもとにしている。一方、528Hzはそれより昔、クラッシック音楽全盛期に使われていた『ソルフェジオ音階』と呼ばれる音階に含まれる周波数なのだ。
 『最大の価値』は手軽なところに
 ……
 『歌う』にしろ『聴く』にしろ、どのような体内メカニズムで効果が得られているかという医学的根拠は明らかになっていない。だが、音楽療法が有意に効果を示した研究結果は数多(あまた)あり、音楽に触れることで心身の状態が好転したという人は確かにいる」
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 日本民族日本人は、数万年前の縄文時代から音楽療法的環境で生きそして死んで行った。
 そこには、科学的な必然もなく、宗教的な救世主(メシヤ)の奇跡や神の御業・恩寵も存在しない。
 存在するのは、たまたまの偶然と幸運、一心に思い込む勢いと心の奥底から突き上げてくる活力だけである。
 仲間はいても敵はいなかった。
 その証拠に、弥生人は殺し合っていたが、縄文人は殺し合う事をしなかった。
 縄文の文化や生き方を正統に受け継いでいるのが、天皇家の皇室祭祀である。
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 縄文とは、耳を澄ます、気を落ち着かせ、心を鎮め、穏やかに過ごす事である。
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 万世一系男系天皇・皇室が、音楽療法的環境=古文化を保護し、絶えず新しい時代の息吹きを吹き込みながら後世に伝えてきた。
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 キリスト教共産主義マルクス主義)は、天皇・皇室に所縁のあるもの全てを根絶するべく、天皇・皇室に関連する伝統、文化、宗教、風習、歴史、芸能、日本国語その他多くのモノを完全否定し、破壊し、消滅させようとしてきた。
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 現代日本から、急速に、天皇畏敬と民族主義の源泉である伝統的日本民族文化が破壊され消えつつある。
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 日本民族日本人が、大災害で甚大な被害を被っても大人しく列に並んで配給を受け取り、もし配給品が自分の番でなくなって激昂せず、暴動・騒乱や強奪・略奪を起こさず、奪い合う為の暴行や殺人も起こさず、ましてや不当に人よりも多く貰う為に暴力で人を押し退けるような様な事もしなかったのは、縄文時代からの音楽療法的自然環境=古文化で生きてきたからである。
 だが、現代日本では、古い伝統的民族文化は廃れ、音楽療法的自然環境は破壊され、理と情をわきまえ大人しく従順だった日本人は、個の強欲と自由で醜悪へと変貌し始めている。
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 日本のローカルな神々と世界のグローバルなゴッドとは、違う。
 グローバルなゴッドは、天地創造の不可能がない絶対神である。
 ローカルな神々の神力は、霊験や御利益を示しても奇跡や恩寵を与える力はない、つまり無力である。
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 音楽療法とは、日本では自然であり、西洋ではクラッシックである。
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 日本民族日本人は、花鳥風月と虫の音の自然を愛し、四季折々の山・川・海そして平地と共に生き、自然環境に負荷を掛けない範囲、毀損しない範囲で得られる最大限の恵みで生活していた。
 日本の伝統的民族文化とは、花鳥風月+虫の音及び苔と良い菌のローカル文化で、それは縄文時代から受け継がれた地域文化であった。
 日本列島の自然環境には、花鳥風月+虫と水の音、苔と良い菌が生成する空気などが生み出す1/fゆらぎやマイナス・イオンが充満している。
 日本民族日本人は、自然の1/fゆらぎやマイナス・イオンを五感で体の中に取り込み第六感で熟成させ、心を鎮め、精神を正常に保ち、感情を穏やかにし、争いや諍いなどをを極力避け、まあまあなあなあの曖昧で平穏な日々を過ごしていた。
 日本人と中国人・朝鮮人とは違うのである。
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 日本民族日本人が空気を音として読みながら自然を観察したのは、日本列島が自然災害多発地帯であったからである。
 命の危険をもたらす様な無慈悲な自然災害が多発しようとも、日本民族日本人は朝鮮半島や中国大陸に逃げ出さず日本列島に住み続けた。
 歴史的事実として、西日本を壊滅させ、そこに住んでいた住人を大量に殺すような大噴火が縄文時代に幾度も発生していた。
 自然観察で自然を読むとは、発生する自然災害を察知して逃げると言う事である。
 日本民族日本人の生き方は、「逃げる」であって「戦う」や「挑む」ではなかった。
 日本的「逃げる」で大事にされたのが、相手を「信じきる」、相手との約束は「守りきる」事である。
 故に、日本の民族文化とは御霊・和魂による四季の文化と怨霊・荒魂による災害の文化の明暗を併せ持つを両輪文化である。
 両輪文化は、日本民族日本人の固有文化で、中国や朝鮮の文化とは無関係で、中国人や朝鮮人では理解できない。
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 空気を読み風を理解するのは、土を耕す農耕民でも、大地を移動する遊牧民でもなく、海で生きる漁労民である。
 日本民族日本人は、土着した漁労民の子孫である。
 人との争いは挑み戦い切り開いて生きる、である。
 自然の脅威には逃げるしか助かる道はない。
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 災害の文化は、ローカルなムラ文化であってグローバルな城塞都市文化ではない。
 ムラ文化である為に、ムラ人に対して、生死・運命を共にする事を誓う一致団結・全体一致・一味同心を不文律とし、自己、個・個性を殺して団結する事を強制した。
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 日本の自然災害多発地帯と中国・朝鮮などの大陸世界の戦争・紛争・暴動多発地帯とでは、性・慰安は根本から異なる。
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 自然災害多発地帯を生きる智恵は、日本民族固有の神話・民話・伝承に詰まっている。
 その源泉は、縄文時代にある。
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 日本を生きる智恵は、世界・大陸の大地の上を自由に吹き抜ける風ではなく、狭く閉ざされた日本列島の土の中に埋もれている。
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 船乗りが持っているべき必須の条件は、空気を感じ、風を読む事である。
 そして、ポジティブで、ストレスに強くパニックにならない事である。
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 埋もれた自然災害の生きた知恵を掘り出し明らかにするには、文系的現実思考と理系的論理的思考の総合力が必要である。
 日本民族日本人の思考は、文系的現実思考と理系的論理思考のバランスを保っていた。
 現代日本人の思考は、アンバランスで何方かの一方に偏っているか、両方とも希薄か消失している。
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 日本の音楽療法とは、自然観察の「詠」である。
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 日本民族日本人が自然観察で用いた「詠」とは、和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・落首などであった。
 日本の伝統的民族文化とは、簡潔に凝縮された形式美の「詠」である。
 山奥の鹿の声、森林の中の鶯のさえずり、草むらの虫の音、小川のせせらぎ、葉っぱを揺らす微風(そよかぜ)の音などを詠によみ、言語化し、文字化し、そして深層風景として心に留める。
 上は天皇から下は庶民・賤民・部落民まで、昔の日本民族日本人は全員が「詠心」を持ち、それが読み書きという識字率を上げていた。
 詠は、言霊である。
 詠を保護し、詠に力を与えているのが、天皇・皇室である。
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 詠は、現代日本で流行っている歌=カラオケではないし、中華の漢詩でも西洋のポエム(詩歌)でもない。
 カラオケの歌は、歌手や特定のプロ詩人が制約なく自由に創作し、それを聞いた消費者が金を払い歌手をまねて歌った。
 韻を踏んだ漢詩は教養高き読書人が、思いの丈のポエムは職業詩人が、それぞれ詩作し、それを時の権力者や権威者が評価して後世に残した。
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 現代の日本人が創るのはカラオケ用の歌であって、伝統的民族文化の詠ではない。
 伝統的民族文化の詠は、年始に天皇の御前で催される「歌会始」である。
 歌会始で詠われるのは、現代のカラオケではなく、中華の漢詩や西洋のポエムもない。
 伝統的民族文化の詠は、自然の観察と自分の内観を文系的現実思考と理系的論理思考で文字化・見える化する行為である。
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