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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
武士は日本独自の日本でしかいない支配階級で、中国や朝鮮にはいないし、中国の士大夫・武官・武闘家でもなければ朝鮮の花郎・両班・乱暴者でもない。
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2021年3月21日号 サンデー毎日「今週の新刊
読んでたどる歴史 本郷和人
『会計の日本史』 大村大次郎著
国家の経営に必要な数学の扱い方の通史
『国語、算数、理科、社会』。小学生は必修科目としてこれらを勉強する。平安貴族も似ていて、子どもの頃から『文章(ぶんしょう)道、明経(みょうぎょう)道、明法(みょうほう)道、算道』の4つを学んだ。文章道は中国の古典を読み、漢文が使えるようにする。明経道も、似たような学問。明法道は日本の法たる律令を読み、解釈する。そして算道は数字の扱いの習得を目的とした。
国家を経営するには、税の問題は避けて通れない。この土地は合計でどれくらいの広さがあって、税率はこれこれだから、国庫に入る収入はこの額になる。今年は天気が荒れて収入が激減したから、税の10%は免除して民心を落ち着かせよう。・・・こうした計算が、国家運営の土台をなす。だから日本の貴族=知的エリートは、算数を一生懸命勉強していた、はずなのだ。ところが実際はあくまでも、『はず』であって、貴族の日記を見ても、こうした数字はほとんど出てこないのが実情だ。
それでぼくは想像する。平安始めには立派な漢詩を作られたのに、唐との交渉がなくなると『和風漢文』が工夫されて正確な漢文が忘れられる。同じく世の中が平和になると中だるみが生じ、公平な税負担は画(え)に描いた持ちとなり、計算や会計はなおざりになるのではないか、と。
そうした感想をもてるのも、税制の大原則を理解してこそ。本書は古代の朝廷がいかに精緻(せいち)な会計システムをもっていたかから、武家の幕府がどのような経済基盤をもっていたか、江戸時代にはいかに日本人が数字を使いこなして社会を発展させたか、また明治の富国強兵に会計は必要不可欠だったことを説く。さらには現代の経済までが会計の視点でぶれなく論じられている。全体として、新鮮な日本通史を提供してくれていて、読みやすく、まことに興味深い。」
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平安時代の公家は、荘園からの年貢の計算を現場の家人に任せ、遊び呆けて滅んだ。
身分が低く貧しい武士達は、領地経営を行い年貢を計算して力を蓄えて、武力と財力で身分高い公家の世の中を滅ぼし武士の世の中をつくった。
それは、アリとキリギリス(一説にはセミ)の寓話である。
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戦国時代、経済観念がなく、算数が苦手で、商売できず、領地経営に失敗した戦国武将は合戦に強くても滅亡した。
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天皇家・皇室は、独自の荘園から領民の不平不満を抱かないように安定した年貢を徴収していた。
そこには、マルクス主義が告発するような非道で惨い搾取は存在しない。
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江戸時代の子供は、読み書く算盤は当たり前で、読み書きは中国の古典である論語(日本儒教)や唐時代の漢詩、仏教のお経(経典)、商業的帳簿や契約書など実学で学んだ。
意味は二の次で、原文を声を出して読み上げ丸暗記する事が優先さ、記憶力の良い子は飛び級的に上級者の仲間入りしてさら難しい原書を読み暗記した。
そして、神童が生まれ、努力と業績で庶民(百姓や町人)でも成功して財をなし、野心があれば下級武士の養子になり専門知識を身につけて勘定奉行・町奉行・郡奉行へと出世した。
日本は世襲制で、その家の格で就ける職務が決まっていて、上級職に就くにはその資格のある家の養子になるしかなかった。
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子供達は、大人達の真似をして俳句や川柳を作って遊んでいた。
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日本には、中国・朝鮮・琉球のようなや中華儒教による超難関の高等官登用試験制度・科挙はなかった。
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日本民族は数字・算学に強く、江戸時代の和算は西洋の数学に負けてはいなかった。
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江戸時代が緩やかに発展・進化・進歩を続けた安定した平和な時代であったのは、専制領主による強権的暴力的支配が行われた封建社会だからではなく、主君に忠誠を誓う清廉潔癖な算数に明るい算盤武士(勘定方)がいたからである。
幕末・明治維新を切り抜け近代日本を成功させたのは、優秀な会計官僚が数多くいたからである。
算盤武士(勘定方)と明治の会計官僚は、現代の高学歴な知的エリートや進歩的インテリとは違う。
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日本民族の歴史を歪曲・捏造・改竄したのは、日本を正しく評価する歴史が嫌いなリベラル派戦後民主主義世代が生み出した「嘘八百の武士道神話」である。
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現代日本人は、歴史力・文化力・伝統力・宗教力はもちろん数学力がない。
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日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
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日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
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日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
日本の凶暴な自然災害に比べたら、如何なる戦争も子供の火遊びに過ぎない。
日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
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日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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江戸時代。徳川幕府は、約10万人が犠牲になった振袖火事(明暦の大火)の跡始末として、思いつく限り、考えられる限りの手だてで町の防災と復興、被災民の救済と救護に全力を尽くした。
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日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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日本民族の集団主義は、中華や西洋とは違い、共感と共有のる運命共同体である。
日本には、西洋的ボランティアがいない。
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