🏞74)─1・B─琉球列島最悪の自然災害。明和の大津波。1771年~No.295No.296No.297 

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 2021年4月24日 MicrosoftNews 沖縄テレビ琉球列島最悪の自然災害 明和の大津波の実態に迫る企画展。1771年
 © 沖縄テレビ
 250年前、宮古八重山を襲った「明和の大津波」の記録を後世に伝えようと歴史資料などを紹介する企画展が那覇市の県立博物館・美術館で開かれている。
 1771年の4月24日に起きた大地震による明和の大津波では宮古八重山でおよそ1万2千人が犠牲となった。
 被害から24日で250年となるのに合わせて開催された企画展では津波石垣島に流されたとされる推定500トンの岩の写真が展示されている。
 また、被害を受けた集落で当時の人々が使っていた道具など発掘調査で見つかった貴重な資料およそ50点を通じて、琉球列島最大規模の自然災害の実態に迫る。
 ▽県立博物館・美術館 山本正昭学芸員
 「明和津波というのがどれくらいの規模で、どのような威力で先島諸島を襲ったのか、その実態を把握して頂いて津波の威力を知って頂きたいと思います。」
 この企画展は6月13日まで開かれていて期間中はフィールドツアーや学芸員による説明会なども行われる。」
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 4月25日 MicrosoftNews 沖縄テレビ「明和の大津波から250年 石垣市で慰霊祭
 © 沖縄テレビ
 250年前に宮古八重山を襲った「明和の大津波」の慰霊祭が24日、石垣市で執り行われ、住民たちが災害の教訓を未来へ繋いでいく決意を新たにしました。
 1771年の4月24日に起きた大地震による明和の大津波では宮古八重山でおよそ1万2千人が犠牲となりました。
 24日、石垣市宮良で執り行われた慰霊祭には住民およそ70人が参列し児童を代表して宇根底師平さんが震災の記憶の継承を誓いました。
 ▽宮良小学校6年宇根底師平さん『震災に遭われた人々の悲しみ、もっと生きたかったであろう命や思いを忘れず、今を生きる僕たちが学んだ知識を活かし、地域と協力して命の安全を守っていきたいです』
 参列者は防災に対する意識を高めていくと決意を新たにしました。」
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本の凶暴な自然災害に比べたら、如何なる戦争も子供の火遊びに過ぎない。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 江戸時代。徳川幕府は、約10万人が犠牲になった振袖火事(明暦の大火)の跡始末として、思いつく限り、考えられる限りの手だてで町の防災と復興、被災民の救済と救護に全力を尽くした。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 日本民族集団主義は、中華や西洋とは違い、共感と共有のる運命共同体である。
 日本には、西洋的ボランティアがいない。
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