🎑26)─1─言霊。日本民族はセンチメンタルな「うた」を唱う。〜No.66 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 言霊には、益荒男の勇ましい言葉より早乙女(さおとめ)の優しい言葉が似合う。
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 日本女性は、大和撫子ではなく早乙女である。
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 現代日本人は、昔の日本民族日本人とは違う別種の日本人で、民族固有の伝統文化を持っていない。
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 五木寛之「よく始めに言葉ありきといわれるけれど、始めにあったのは歌だと思うことがある。最近、万葉学者の中西進さんとも対談させていただいたんだけど、万葉集も、もともと歌なんですよね。みんなメロディーをつけて歌っていたから後世に残った。この国派、歌の国でもあるんです。
 歌と言うば、敗戦後、外地で難民キャンプみたいなところにいたときも、とにかく朝から晩までみんなが歌を歌っていたのを覚えています。それも、マイナー調のセンチメンタルな歌ばかり、でもその歌にはげまされて、がんばりぬいて帰ってこられた。引き揚げ船の中で日本の船員さんたちがいま内地で大ヒットしている曲だといって『リンゴの唄』というのを聞かせてくれたんですが。でも、みんなキョトンとしていた。しらけた感じで盛り上がらなかった記憶がある。
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 ずっとマイナーなセンチメンタルな歌謡曲を歌ってました……。
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 歴史をたどると経済的成長が下り坂にさしかかるころにカルチュアが花開くことが多いでしょう。
 これからは経済的な成長だけではなくて文化的成熟に第一義を踏み出していく。それが令和の時代と思ってるんです。
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 若い人のカルチュア、中年のカルチュア、シニアのカルチュアが和音のように重なっている時代になるといいですね」
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 日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣息づき、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 日本民族日本人は、森羅万象、自分を取り巻く全ての音に感謝し、そして讃えて唱い舞った。
 それを見える化したのが、日本神道の皇室祭祀、新嘗祭大嘗祭である。
 それを音化したのが、和歌や俳句などの日本独自の短詩である。
 日本の伝統的楽器は、自然の音色を邪魔しないように、殺さないように、寄り添うように発達してきた。
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 大陸のキリスト教や中華儒教そして科学にとって自然とは、滅ぼすか屈服させるか、征服し支配し制御するべき敵であった。
 人類の歴史とは、人間と自然を敵として戦ってきた歴史である。
 人間の宿命として、自然を壊して奪う事でしか豊かな幸せを手にする事ができなかった。
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 西洋では、言語に関係のない楽器が発達し、人種民族、国家、宗教に関係なく受け入れられるクラッシックが生まれた。
 日本では、楽器の音ではなく自然の音が好まれ、自然の音色に合わせて唱った。
 その意味で、日本でカラオケが生まれたのは自然な事であった。
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 ユダヤ人は、信仰とユーモア、笑いでホロコーストを耐えた。
 日本民族日本人は、楽観的な「あきらめ」とセンチメンタルな「唱」で困難・災難に耐えた。
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