🎑26)─2─日本の言霊は敗者や弱者の最後の精神的拠り所である。〜No.67 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2021年9月2日号 週刊新潮「夏裘冬扇  片山杜秀
 日本が〝言霊の幸ふ国〟になったわけ
 真に力強い日本語を久々に聴いた。東京五輪を実況するテレビから聴こえて来たその激烈さと言ったら!
 『ディフェンスの方がきついと思うよ。何でそのプレッシャーに負けるの!何で頭つかってないの、最後まで!真ん中にクラッシュして、ボール強くもって、カッティングして、相手にファウルさせるしかないじゃないですか!』
 女子バスケットボールの準優勝。……これぞ指導者の言葉だ。素晴らしい日本語だ。心射抜かれた。一度聞いただけなので、書き取りにやや自信はないけれど。
 もちろん叱っている。言い方次第では、身が縮こまりかねない。ところがそうではない。切れの良いリズムがあり、しかも語尾が猛烈に跳ね上がる。陰でなく陽。怒られているのにどんどん高まる。真面目に観戦していたわけでもない私のような者さえ、偶々(たまたま)耳に入っただけで興奮状態に陥ったのだから、選手には千人力、万人力の言葉だったろう。事実、この後、日本チームは積極性を取り戻し、勝利した。
 何しろ監督の叱り声の調子が、手塩にかけた選手たちに対する絶対的信頼の上に立っている。叱咤即激励。共感共苦する力が凄い。そこに魔力がある。だが、それだけではない。当然、即興のはずなのに、脚韻(きゃくいん)が決まっている。
 ……
 はて、この監督とは?生粋の米国人だ。白人だ。トム・ホーバスという。……
 そんな人の日本語だから立て板に水には程遠い。いちいち考えては振り絞って出てくる。しかもその微妙な間に、日本語を良くも悪くも特徴づける『あのねえ』とか『えーと』みたいな間投詞は使わない。そうして紡がれる、拙いが曖昧さもない誠実な日本語が、土壇場の日本人をその気にさせる。それを言霊という。ホーバス氏は、強豪国に背丈で負ける日本の女子バスケットボールには気力がとりわけ大切で、そこで働くのは言葉の力と確信しているらしい。フェノロサ小泉八雲も、日本精神の理解者だ。
 古代日本での言霊思想の確立者は、柿本人麻呂山上憶良だろう。彼らが物よりも言に力を求めようとしたのは、中国への対抗意識ゆえと言われる。背丈もとい富み科学技術で張り合えぬなら、せめて気持ちで勝ちたい。言を信じて気力を振り絞れば、事の成ることもある。言葉の調子と声の力を相乗させ、歌を詠む人々をどこまでその気にさせられるか。劣位の国の勝負の仕方。言霊思想の神髄である。
 わが国の首相が『安心安全』と繰り返すのも言霊信仰に由来するそうな。が、肝心要を外しているのでは?言霊とは、相手を信頼しつつ、真心を一杯に込めた、土壇場の熱烈な叫びでなければ、働かないものでございましょう。」
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 言霊には、良い言霊と悪い言霊がある。
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 「全ての日本人には言霊がある」とはウソである。
 日本独自の「言霊思想」を持っていたのは、日本民族帰化系日本人で、渡来系日本人にはない。
 現代の日本人と昔の日本人は別人のような日本人である。
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 日本人と中国人・朝鮮人は別種のアジア人である。
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 日本民族は、中国大陸や朝鮮半島における弱肉強食の戦争や陰謀渦巻く政争に敗れた者や虐殺に恐れをなした弱者で、阿鼻叫喚の地獄から命辛々に逃げ、幸運にも日本列島に流れ着いた人々の子孫である。
 ゆえに、日本的な〝言霊思想〟は日本しかない特殊・特別な精神修養である。
 現代日本から、民族的な古典的伝統的文化的宗教的〝言霊思想〟が消えて久しい。
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 言霊とは、キリスト教や中国・朝鮮など反天皇反日本の外国勢力から母国日本を守る為の最強・究極の国防兵器であった。
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 日本の言霊=言魂は、キリスト教の神の言葉やイスラム教の預言者の言葉とは全然違う。
 中華儒教は、日本の言霊=言魂を認めず否定している。
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 創世記(口語訳)
 聖書 > 口語旧約聖書 > 創世記(口語訳)
 『聖書 [口語]』日本聖書協会、1955年
 旧約聖書 〜創世記〜
 第1章
1 はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
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 ヨハネによる福音書
 <聖書<口語新約聖書 『口語 新約聖書日本聖書協会、1954年
 ヨハネによる福音書([リンク])
 第1章
1:1 初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は初めに神と共にあった。
1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
1:4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
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 言霊信仰(読み)ことだましんこう
 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「言霊信仰」の解説
 言霊信仰 ことだましんこう
 言語そのものに霊力が宿っているという信仰。ある言葉を口に出すとその内容が実現するという,一種の宗教的信仰ともいえるもので,祝詞 (のりと) ,忌言葉もその現れである。日本においては,江戸時代の音義説にまでこの思想の流れがみられる。われわれの日常の言語生活にもある程度このような思想がみられる。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 世界大百科事典内の言霊信仰の言及
 【言霊】より
 …ことばに宿る霊の意。古代の日本人は,ことばに霊が宿っており,その霊のもつ力がはたらいて,ことばにあらわすことを現実に実現する,と考えていた。言霊という語は,《万葉集》の歌に,3例だけある。山上憶良長歌に,〈そらみつ 倭(やまと)の国は 皇神(すめがみ)の 厳(いつく)しき国 言霊の 幸(さき)はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり〉(巻五)とうたわれ,《柿本人麻呂歌集》にも収める歌には,〈言霊の八十(やそ)の衢(ちまた)に夕占(ゆうけ)問ふ占(うら)正(まさ)に告(の)る妹(いも)はあひ寄らむ〉〈磯城島(しきしま)の日本(やまと)の国は言霊の幸(さきは)ふ国ぞま幸(さき)くありこそ〉とうたわれている。…
 ※「言霊信仰」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
 出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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言霊と日本語 (ちくま新書)
言霊――なぜ、日本に本当の自由がないのか (祥伝社黄金文庫)
言霊の法則 (サンマーク文庫)
言霊の思想
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」

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