- 作者:上原 卓
- 発売日: 2013/08/02
- メディア: 新書
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
オランダ人フリースは、日本交易を独占する為に南千島のウルップ島に上陸し領有を宣言した。
千島列島の千島という名はアイヌ語のチェプカに由来する。
ロシア語の呼び名クリルもアイヌ語の「人間」から派生している。
数千年前から千島アイヌが、漁撈をしながら、毛皮を周辺民族と交易して生活していた。
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1635年 松前藩は、蝦夷島を探検して、世界で初めて国後島から占守(シュムシュ)島まで北方の島々の地図を作成した。
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日本海という名称は、この頃の世界地図や海図にすでに記載されていた。
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1643年 オランダ東インド会社のフリースは、択捉島と得撫(ウルップ)島など南千島を発見し地図に残した。
日本交易をオランダが独占する為に、得撫島に上陸して領有を宣言し、コンパニーランド(会社の島)と命名した。
ロシア人は、オホーツク海に到達した。
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極東アジアの海と島嶼は、ロシア人ではなく、船を操る日本人とアイヌ人ら少数民族の海と島嶼であった。
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1644年 松前藩は、国後島、択捉島など39の島々の地名を明記した「正保御国絵図」(北方領土四島が地図上で明記された世界最古の地図)を幕府に献上した。
江戸幕府は、「正保日本国図」編纂の為に北方四島に探索方を派遣した。
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1700年 松前藩は、北方の地図を幕府に提出しているが、霧多布やカムチャツカと思われる名前も見られるが、交易相手のアイヌの伝聞をまとめた大ざっぱな地図で島の大きさや方向がいい加減であった。
ロシア人のコサック太平洋遠征隊アトラーソフは、カムチャツカ半島から北千島を発見した。
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1711年 ロシア人は、千島列島を探検し、18世紀の末までに南千島にまで進出して、千島アイヌ人など先住民に毛皮税を課した。
得撫島に、ラッコ猟の根拠地とした。
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1715年 松前藩主は、幕府に提出の上申書の中で、「北海道本島・千島・カムチャツカ・樺太は松前藩領で自分が統治している」と報告したが、和人とアイヌ人の交易を独占している事を言ったのみで、日本海における北前船を仕立てるほどの本格的なものではなかった。
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1739年 ロシア人のシパンベルクは、色丹島に上陸した。
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