🎑100)─1─陰湿・陰険な日本人根性。日本人は選ばれた優れた人間ではない。ハンセン病。~No.212No.213 @ ⑳

90年目の真実―ハンセン病患者隔離政策の責任

90年目の真実―ハンセン病患者隔離政策の責任

  • 発売日: 1999/10/01
  • メディア: 単行本
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本人は、異質・奇形・奇態を醜悪として排除し、自分より弱い者や劣った者を庇いもせず助けもせず見捨てる、薄情さを心に秘めていた。
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 2016年3月28日 読売新聞「寒さに飢え 重監房の闇
 隔離の後にハンセン病の20年 中
 『最悪の人権侵害』記録に
 冬は雪に覆われる国立ハンセン病療養所『栗生楽泉園(くりうらくせんえん)』は、浅間山を間近に望む標高1,100メートルの高原にある。現在も元患者87人が生活する居住区から少し離れた林の中で、2013年、国による発掘調査が実施された。
 南京錠、梅干しの種、おわん──。それらは、『重監房』と呼ばれた懲罰施設が、戦後間もない1947年頃まで確かに使われていたことを示していた。正式名称は『特別病室』だが、医療行為の形跡はない。
 『ひどい所だった。ミイラみたいになって死んだ人もいたと聞いた』。45年に入所した自治会長の藤田三四郎さん(90)は、たきぎを集めていて、かんぬきがある建物を偶然見た時のことを覚えている。
 熊本地裁は2001年、国の隔離政策は違憲だったとする判決を出し、元患者らに対する補償が始まった。だが、藤田さんや、全国原告団協議会会長として国家賠償訴訟を支えた谺(こだま)雄二さん(14年死去)ら同園の入所者は、重監房こそ『最悪の人権侵害』だとして、実態解明にこだわった。
 04年、谺さんが中心になり、重監房の復元を求める10万人分の署名を厚生労働省に提出。復元方法の検討などを経て、国は発掘に着手した。
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 定住先のない患者の隔離を定めた1907年制定の法律『癩(らい)予防二関スル件』に、『規律維持』を目的に新たに規定が加えられたのは16年だった。法律や規則に違反したとされる患者は、裁判を受けないまま、療養所長の判断で処罰されるようになり、38年に全国唯一の重監房が楽泉園に設置されると、職員に反抗しただけでここに送られた患者もいた。
 出土品により、入所者が証言した過酷な収容実態が次々に裏付けられた。
 全8室の独房は4畳半ほど。逃走防止のため、モルタル壁などで幾重にも仕切られていた。『近づくには錠前のかかった重い扉を軟度も開けなければならず、自分も閉じ込められてしまうのではと怖くなった』。重監房の患者に食事を運んでいた佐川修さん(85)が話す通り、周辺からは大小の南京錠が6個見つかった。
 佐川さんによると、朝昼1日2回の食事は、パサパサの麦飯と梅干し、たくあん数切れ。氷点下15度になる冬も薄い布団1組しか与えられず、冬のある日に配膳すると、一人が息を引き取っていた。『ああ。死んだか』。看守は当然のようにそう言ったという。
 記録によると、重監房には、47年の廃止までに全国の患者述べ93人が収容され、寒さや飢えなどで23人が死亡した。収容期間は国の規定では最長2ヶ月だったのに、平均で約135日に達し、500日を超えたケースもあった。
 2014年4月、楽泉園の隣にが『重監房資料館』開館。発掘結果などに基づいて当時の独房が再現され、板塀に刻まれた無実を訴える文字のレプリカも展示された。開館式典には病身の谺さんも出席し、藤田さんに『願いがかなった』とつぶやいた。その10日余り後、谺さんは死去した。
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 今年1月、楽泉園と資料館を、最高裁有識者委員会の委員たちが訪れた。最高裁は、1948〜72年ハンセン病患者の裁判を隔離施設で実施した『特別法廷』の違法性について検証を進めており、そのための視察だった。
 特別法廷は14都府県の療養所や刑務所など21ヶ所で計95件が開かれ、憲法が定める裁判の公開原則に反していたとも指摘されている。有識者委の座長を務める井上英夫・金沢大学名誉教授(社会保障法)は、『戦前は重監房、戦後は特別法廷と、患者が法の世界でも常に隔離されてきた事実を忘れてはならない』と話す。
 最高裁は近く検証結果を公表する見通しだ。重監房の再現運動に取り組んできた新潟大の宮坂道夫教授(医療倫理)は、『司法は差別を正す最後の砦だったはずなのに、なぜ患者の人権を守れなかったのか。重監房と入れ替わるように始まった特別法廷の実態を明らかにする意義は大きい』と指摘している」
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 日本人は、助け合いの精神を大事にしようという事は、実は、いかにお互いに助け合う事が少ない事を公言している事になる。
 助け合いは建前で、助け合わないが本音である。
 にHン人派、裏表をうまく使って誤魔化している。
 強者・優位者は、時間的余裕と金銭的ゆとりがある為に、弱者・劣等者を救済して特権者としての優越感にしたる。
 弱者・劣等者は、僻み根性や嫉妬心が強い為に、強者・優位者から施しを得る為に媚びへつらいおべっかい、自分より下位者を差別しイジメ痛めつけて決して助けはしない。
 日本人は、後者である為に、身体の弱った老人や健康を害した病人に対して冷淡であった。
 弱者の視点を持つ劣等者は、弱者が心の奥底に隠している陰険さを知るだけに嫌悪していた。
 自然災害多発地帯の日本民族日本人は、弱者・劣等者が表に出さず秘めている卑屈にしておぞましい性根に心・精神を蝕まれながら生きてきた。
 日本民族日本人は、「言霊」信仰者ゆえに、口先だけで尤もらしい正論を声高に騒いで人を惑わし世間を混乱させる正義面・善人面の悪党を、心と志と気概を捨てた非人間として最も嫌った。
 日本人は、特別選ばれた優れた強者・優位者ではなく、むしろ、劣った卑猥な弱者・劣等者に過ぎない。



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