🎑73)─1─日本列島の風土や日本の民族文化の特徴は良くも悪くも「湿」であった。湿気対策の日本木造建築。〜No.163 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本列島の湿の主な発生源は、揚子江の南とヒマラヤ山脈の西の山岳地帯で、その源はインド洋である。
 日本民族日本人が、乾燥した中華(中国・朝鮮)よりもインド・東南アジアに親近感を強く抱くのは同じ湿気による。
 だが、日本列島の湿気はインドや東南アジアの湿気とは異なり、太平洋の暖気と大陸の乾燥と北極の寒気が混ざり合っていた。
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 日本の伝統文化は、忌み嫌われた湿気を巧みに利用する中から生まれた。
 「災い点じて福となす」や「転んでもただでは起きない」というのが、日本民族日本人の処世術というより、舟で生きる海洋民=縄文人の生き方である。 
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 2018年3月16日号 週刊朝日帯津良一貝原益軒養生訓
 湿気に注意すべし
 『風寒暑は人の身をやぶる事、はげしくて早し。
 湿は人の身をやぶる事おそくして深し。
 ……
 湿気は人おそれず。人にあたる事ふかし。
 故に久しくしていえず。 巻第六の9』
 養生訓では病気を引き起こす外邪として風、寒、暑、湿をあげています。このうち湿については、こう語っています。
 『風、寒、暑は人の身体を病めること、はげしくて早いが、湿はおそくて深い。そのせいで、風、寒、暑についてはおそれるのに、湿についてはおそれない。ところが、湿は身体の中に深く入り込んでくるので、容易に治らない』(巻第六の9)
 つまり、風、寒、暑にくらべてこわがることのない湿気を甘く見てはいけないと言っているのです。続けて、こう注意しています。
 『湿気があるところからは早く離れるべきである。山中の川岸の近くからは遠ざかったほうがいい。低地で水に近いところ、床が低いところに、坐ったり横になったりしてはいけない。床を高くし、床の下の壁に窓を開けて、気の流れをよくする。塗りたての壁に近づいて坐ったり横たわったりしてはいけない。湿気にあたって病になり、治りにくい。あるいは疫病(伝染病)になることがあるから、恐れなければいけない』(同)
 湿気こそが日本の風土の特徴で、じめじめ、べとべとした日常から日本の文化は生まれたという説がありますが、換気扇やエアコンがない時代には、日本人の生活に湿気は深く関わっていたのでしょう。
 豊臣秀吉の領土的野心による2度の朝鮮への出兵、つまり文禄の役慶長の役は戦略の欠如の見本だと言われていますが、この文禄の役についても益軒は触れています。『文禄の朝鮮で戦死者が少なく、疫病で死んだ人が多かったのは、陣屋(兵営)が低くまばらで、兵士が寒・湿にあたったせいだといわれている』(同)、だから居室も寝室も高くて乾燥したところにしなさいというのです。
 比叡山には『論湿寒貧(ろんしつかんびん)』という言葉が伝えられていて、この4文字は修行僧が立ち向かう課題を示しているのだそうです。『論』は論議をつくすこと。『寒』と『貧』は寒さや貧乏に耐えるということでしょうが、それと共に『湿』があるのが、目を引きます。『(修行僧にとって)春夏秋冬を問わず、肌にべっとりまとわりつく湿気とのたたかいが生活の基本となっている。……そのたたかいに敗れた者は病いに襲われ、山を去り、挫折の道を歩いていくほかなかった』(山折哲雄著『ニッポンの負けじ魂』)というのです」
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 日本の気候には、太平洋側と日本海側で大きな違いが見られる。日本海側では、北西の季節風により、冬に雪や雨が多く、太平洋側では、南東の季節風により、夏に雨が多い[1]。また、瀬戸内海沿岸や中央高地では年中降水量が少ない。また、南北にも長い日本では、緯度による気候の差異も大きい。
 日本はほぼ温帯湿潤気候か冷帯湿潤気候に属し、世界的にみると四季がはっきりしていており、降水量が多いこと、梅雨や秋霖の影響で降水量の年変化が大きいことが特徴として挙げられる。
 地球温暖化や都市化によるヒートアイランド現象が、日本でも起きている。日本の平均気温は、長期的には100年当たり約1.17℃上昇している。また、大都市においては、気温上昇の主因がヒートアイランド現象によるものだと考えてもよいという指摘がある。
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 日本の伝統的木造家屋は、寒気と暖気ではなく湿気に対策である。
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 日本式家屋の特徴である畳や床下・縁の下は、寒気や暖気ではなく湿気を逃す為に存在する。
  住環境対策は、乾燥と寒冷が主である西洋や中華北部とは違い、日本では湿気であった。
 家に上がるとき靴を脱ぐ習慣も、健康や衛生を考えた湿気対策である。
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 江戸時代の建築家・棟梁達は、自然災害や大火が多発する町で、裕福な商家や武家屋敷は大金を投じて建てたが、一般庶民である長屋は低価格の安普請であった。
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 日本の伝統的履物が木靴・革靴ではなく草履や下駄であったのも、身体にまとわりつく湿気を減らす為であった。
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 2018年3月15日号 週刊文春「福岡ハカセのパンタレイパングロス 福岡伸一
 あの日(2011年3月11日 東日本大震災
 ……
 あの日から早7年。またあの日が巡ってくる。
 『福岡ハカセ、生命的な建築があるとしれば、それはどのようなものになるでしょう』そんな風に聞かれたことがある。『人間は、風雪や災害に備えて、できるだけ堅牢で、頑丈な建造物を作ろうとしてきました。あるいは揺れを吸収するような免震構造で高層ビルをつくっています。確かにそれらは50年あるいは100年くらいならなんとか持つでしょう。でも1000年、2000年となったらどうです。あるいは1万年、2万年となったら?自然は必ず牙を剥いてきます。かりに何も大きな異変がなくても、形あるものは必ず風化・劣化・酸化して形なきものになっていきます。エンドロピー増大の法則です。その中にあって生命だけが何万年、いや何億年もの長い時間の試練を乗り越えてきました。どうやって? 堅牢・頑丈につくることをはなから諦めたからです。最初からゆるゆる・やわやわに作りました。そしてエントロピー増大の法則が襲ってくることに先回りして自らを壊しつつ、すぐに作り直してきたのです。つまり(大きく)変わらないために(絶えず)変わり続ける。まあ、これは私の著作のタイトルでもあるんですが。だからもし生命的な建築があるとすれば、それは、壊されること・作り直されることがあらかじめ内包された方法で建設されたもの、ということになります。しかし、タワーマンションが林立するこの東京に、そんな建物は一棟もないでしょう。はたして1000年後の東京はどんな姿になっているのでしょう。』」
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