🏯24)─1─日本武道。剣術家・剣豪の多くは百姓・町人の庶民であった。オリンピック競技を拒否した剣道。~No.44No.45 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族の武道から芸道まで全てが、日本天皇家・皇室の皇道に通じている。
 皇道につながらないモノは、単ある戯れ事、ふざけた遊びに過ぎない。
 天皇制度があってこその、日本民族の武道から芸事である。
 天皇制度廃絶を求める日本人は、日本民族の武道から芸事を無価値と唾棄する日本民族を否定する日本人である。
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 日本の武道は、男性だけ武士だけと限定せず、階級や身分で差別しないし、女性を蔑視して排除しない。
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 人口比では武士は5%で百姓が80%以上で、門戸を広く開き庶民を多く門弟に取らなければ剣術道場が維持できなかった。
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 現代の剣道は、幕末の千葉周作(馬医師)が始めた北辰一刀流が始まりである。
 稽古は木刀ではなく竹刀を用い、習得までの時間を簡素化し、他の流派であれば10年かかる修行を5年ほどに簡素化した。
 幕末に、百姓や町人の間で剣道が大流行して、庶民から数多くの剣術家が生まれていた。
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 西洋のフェンシングや乗馬は、貴族や騎士の特権で民衆や女性は排除されていた。
 女性で許されていたのは、王族・貴族・騎士の子女のみであった。
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 江戸時代。東郷示現流では、刀の鍔(つば)と鞘を紙縒(こよ)りで結んでいた。 
 紙縒りは紙である為に、力を入れれば簡単に切れて刀を抜く事ができた。
 薩摩武士の士道では、武士が刀を抜けば相手を斬り殺すか自分が斬られて死ぬかの二者択一しかなかった。
 刀を抜くと言う事は、それだけの覚悟があって抜くべきとされた。
 簡単に切れる紙縒りは、命を賭けて刀を抜いていいのかどうかを自制する、武士の心の戒めであった。
 東郷示現流は実戦重視の地下武道である以上、柳生新陰流や小野派一刀流などのような礼に始まり礼に終わる道場武道とは違って、常に臨戦態勢として相手に頭下げる事なくいきなり打ち込んで稽古に入った。
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 宮本武蔵「一道万芸に通ず」{何かひとつの道を究めれば、どんな芸にも通用する}
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 2015年7月号 正論「憂国の芸術 執行草舟
 日本は、『武』の国である。日本の歴史を貫く、日本人の霊性の支柱には、いつでも武の精神があった。日本人のもつ美徳は、武の思想によって培われて来たのだ。武が、この民族の忠義と廉潔(れんけつ)の心を植えつけた。それは、日本の美しさの根源である。その武は、弛まぬ鍛錬によって培われて来た。そして、鍛錬に生きる者は『初心』こそが、日本刀という魂の武具を生み出したのだ。日本人は、作刀に精神を据(す)えた。戦いの中に美学を持ち込んだ。その心が、剣を真の芸術へと昇華させて行ったのだろう」

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 日本武道は、神道神事と精神修行に通じる武芸で、勝ち負けを求める勝利至上主義のスポーツでも金儲けをする商業主義の興行でもない。
 日本剣道は、日本のローカル・ルールに徹して、オリンピックのようなグローバル・ルールに毒されるべきではない。
 日本柔道は、オリンピックのグローバル・ルールで、金メダルを取りスポンサーを集める金儲け的商業主義に毒されてしまった。
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 グローバル化とは、ローカルな日本ルールを世界の非常識として消滅させる事である。
 そこには、「礼に始まり礼に終わる」という礼節と謙虚と思いやりは存在しない。
 勝つ事が最上の価値として、勝者は勝利の雄叫びを上げ、敗者を神聖な道場から追い落とす。
 商業主義は、勝利至上主義で、敗者への労りと賞賛は存在しない。
 とにかく、勝つ事。 
 是が非でも、勝つ事。
 勝負は、勝ち負けを決め、優劣をハッキリさせる事。
 勝って、幾ら金が貰えるか。
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 グローバルな柔道。
 出口クリスタル「日本と海外の柔道は全然違うんです。日本はきれいな柔道にこだわりますけど、海外は勝負重視。〝壊しにきているな〟って感じることもあります。ケガしちゃいけないと集中しますし、フィジカル的にも海外の選手の方が強いので2倍、3倍くらい疲れちゃって・・・。それでも日本と海外の柔道が自分のなかでうまく合わさってきて、世界選手権決勝で決めた谷落としは練習でもやったことのない技。海外の選手と試合をする機会が増えた効果なのかもしれません」
 ローカルな剣道。
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 グローバル・ルールの柔道。ローカル・ルールの剣道。  
 世界において競技人口を広げる為に、如何なる国の人々でも理解し試合ができる様にジャパン・ルールを変更する必要があった。
 そして、日本武道独自の仕来りや所作は、煩雑で分かりづらいとして敬遠され削除された。
 柔道がオリンピックの種目となるや、世界の白人柔道家は自分に都合が良く、伝統を重んずる日本人に觥合が悪い様に強引に国際基準を変更しきている。
 今や、精神修行の柔道ではなく、勝ち負けだけの格闘技に変わって、日本の伝統的武道ではなくなった。
 日本の武道とは、己を孤独に見詰める座禅の修行に通じ、泰然として孤高の峰に一人立ち、静寂の中に一人坐す、ことである。
 武道の真髄は、「勝つ為に戦うのではなく、負けない様に戦って勝つ」のである。
 柔道の極意は、技を持って「柔よく剛を制す」ことであり、弱い者を豪腕で投げ飛ばしねじ伏せて勝利の雄叫びを上げる野蛮行為ではなかった。
 剣道などの武道は、「心」重視の伝統文化を守りたいのなら、西洋礼賛派日本人の甘言に騙されることなく、柔道の失敗に学んで安易な国際化をするべきではない。
 世界基準を広げようとする一部の西洋礼賛派日本人は、全てが個別の神であるという多神教民族宗教に基づいた伝統的日本文化を、全てに唯一の神が宿るという一神教キリスト教文化で破壊しようとしている。
 熱狂的西洋礼賛派日本人は、日本を愛してはいないどころか日本を憎み、日本を世界文明で改造するべく伝統的日本文化を消滅させたいと願っている。
 外国人選手を積極的に大量に受け入れても、古臭い日本基準を頑迷固陋となって守り、「開かれた武道」というまやかしに騙されて世界基準に改革すべきではない。
 安易な文化のグローバル化は、日本文化に好ましい事ばかりは限らない。
 柔道と同じ轍を踏むべきではない。
 当然。世界の勝ち負けだけの格闘技とも違う、心技一体の宗教的精神鍛錬である。
 西洋キリスト教文化圏における非白人非キリスト教文化の受容は、生活習慣の一部として取り込んで利用する事ではなく、文明度の高いキリスト教文化圏の外で滅び去った古の文化として博物館に陳列する事である。
 日本の武道は、中国の武芸や韓国・朝鮮の武術とは、縁もゆかりもない独自の文化である。
 日本の島文化と中国及び朝鮮の大陸文化は、全く異なる異質な文化で、似通った所が限りなく少ない文化である。
 日本文化の未来とは?
 日本文化は世界文化ではない以上、日本列島にあってこその民族文化である。
 日本は文化は、海外に類似性のある文化を持たない孤独な文化である。
 日本が世界から孤立する事は、古代から、地理的に避けられない宿命である。
 歴史的事実として、世界中で多くの民族宗教や民族文化が消滅し、その多く欧米の博物館に滅びた世界遺産として保存され陳列されている。
 伝統的日本文化を守るのは、日本列島に生きようとする日本民族日本人であり、海外に出て世界で生きようとする西洋礼賛派日本人ではない。
 日本文化が特別であるから優秀であるから守るのではい。
 世界に同じ様な文化がないから守るのである。
 日本文化が朝鮮文化同様に中国文化の亜流として、中国文化の摸倣に過ぎなければ、ムキになって守る価値はない文化である。
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