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万葉集は、ヤマト言葉で理ではなく情を伝える最古の歌集である。
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2019年4月4日 朝日新聞「世界に開かれた万葉集の時代
『令和』文化模索の世へのあこがれ
上野誠
新しい年号が『万葉集』から採られた。それは、年号の歴史にとって、新しい第一歩を踏み出したことになる。というのは、中国の皇帝制度から生まれた年号が、日本文化のなかに根付いて、ついには和歌集の漢文序文から採用されることになったからだ。
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天平の時代は、決して良い時代ではなかった。政変と飢饉は、人びとの生活を苦しめたし、疫病も蔓延した時代である。ところが、世界の美術史にも特筆すべき、すばらしい仏像を造り、『万葉集』の歌々は、その後の日本の文学の源流となってゆく。
どんな時代にも、人びとは平和な時を求め、新しい芸術と文化を模索していたのである。
『令和』という年号には、そういった平和への思いが込められている、と思う。と同時に、天平文化へのあこがれも内包されているのではなかろうか。万葉学徒のひとりとして、今、私はそんなことを考えている。
『万葉集』とは、いったいどんな歌集なのだろうか。
8世紀の中葉に出来た現存する最古の歌集で、その編纂者のひとりが大伴家持である。大伴家持の父が大伴旅人であり、大伴家持は、父と父の盟友ともいうべき山上憶良にあこがれて、歌を作り続けたのである。
『万葉集』に収められている4,500首あまりの歌々は、後の時代の範となって、和歌の歴史を作ってゆくことになる。つまり、『万葉集』こそ、和歌始まりの歌集なのである。外来の文字である漢字を使って、自分たちの言葉であるヤマト言葉を、いかに表すか。そこから日本文学の歴史は始まるのである。
『万葉集』の生まれた奈良時代ほど、日本が世界に開かれた時代はなかった。漢字・儒教・仏教・律令という中国文化を受け入れて、それをいかに自分たちのものにするのか。万葉びとは、悪戦苦闘した人びとでもある。
一方、万葉びとは、常に自分たちの足元を見つめる人びとでもあった。漢文で書けば意味は分かっても、そのニュアンスが伝わらない。和歌は理ではなく、情を伝えるもので、それは、自分たちの言葉で情を伝えるということなのである。
日本人は、歌で恋をすることを学び、人と人との絆を確かめた。『万葉集』は、その始まりの歌集ということができる。今、新しい時代が始まる──。」
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天皇制度廃絶を目指す日本人は、言霊信仰に繋がる和歌(短歌)・俳句など精神的心情的情緒的短詩文化を、西洋のキリスト教的長詩文化・中華の儒教的漢詩文化・マルクス主義(共産主義)の反宗教無神論的革命歌文化などで消滅させなければならない。
何故なら、和歌の源流は『万葉集』であるが、その深層は祭祀王・天皇の尊き調べである詔にあるからである。
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和歌の歴史とは、日本国語の歴史であり、天皇の歴史でもある。
和歌を日本国語で詠むとは、天皇を詠む事に繋がる。
和歌とは、日本民族日本人の心である。
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天皇制度廃絶論者は、日本民族所縁の有象無象すべての破壊者にならなければならない。
日本民族日本人にとって、長詩は詩作に疲れるし、漢詩は気が重くなり、革命詩は意味不明であった。
日本民族日本人が心癒やされ心安まるのは、日本情緒と日本の心・やまと心である。
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日本の和歌・短歌や俳句における詩心の教養は、西洋や中華とは違って学歴や身分・地位・階級には関係ない。
だが、和歌・短歌や俳句は日本民族日本人の独占ではなく、長詩や漢詩同様に人種・民族・部族に関係なく詠みたいと思った人すべてが詠む事がでてきる。
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西洋人にとって、ローマ文字、アルファベットは表現する為の文字であるが、だからといってローマ文字、アルファベットそのギリシャ文字を生み出した人びとに涙流して感謝する事はない。
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