🏯14)─1─武士道とは、平和な時代で戈(ほこ)を止める道であり、死を覚悟して生きる心得であった。~No.25No.26 @ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 徳川家康が目指した天下統一とは、戦争のない、乱取りのない、日本人が奴隷として海外に売り飛ばされない天下泰平の世であった。
 つまり、日本の常識である。
 日本の常識は、世界の非常識である。
 よって、徳川家康は世界の常識が分からなかった。
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 武士の現実を生き残る智恵と公家の理想を戯れる教養。 
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 江戸時代までは、生け花・華道、茶道、和歌の歌道、能楽、書画、笛・鼓などの芸事など諸芸は武士の嗜みであった。
 さらに、サムライ・武士は、家禄が少ない為に本業のお城勤めの他に副業として内職や寺子屋、野良仕事を行っていた。
 百姓は、野良仕事に精を出すサムライ・武士を真似て、諸芸を楽しみ自慢した。
 サムライ・武士と百姓は、意地で諸芸の上達を目指した。
 江戸時代後期になると、百姓はサムライ・武士に負けないように剣術などの武芸を始めた。
 腕を上げた百姓は、自分独自の流派を立ち上げ、名字帯刀を許され、道場を開きサムライ・武士を身分低い百姓と同列の弟子として平等に厳しく教えた。
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 サムライ・武士は、武道と共に華道、茶道、歌道、能楽、書画、笛・鼓など諸芸に精通していた。
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 池坊専好「明治期に女子教育に取り入れられる以前は、生け花をするのはほとんど男性で、むしろそれがあたりまえだったんです。
 ……
 けっこう武将が華道をやったんです。心を整えるとか修練のためにね。そして明治期になると、女子教育の中に生け花が取り入れられるようになるわけです」
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 2015年9月号 歴史通「執行草舟「何よりもまず、武士道が〝不幸な哲学〟であることです。ちまり、不幸を許容する思想ですね。前にもお話ししましたが、武士道とは刀や格好といったうわべの問題ではなく、自分の命をいつでも主君または『至上の価値』に捧げられるように準備しとくこと、つまり武士道とは徹頭徹尾、精神の問題なのです。ある意味、武士の生涯は本当は不幸なもので、武士であること自体、不幸の始まりというより他ない。しかし実は不幸ほど、幸福を強く本人に意識させ、与えられた少ない幸福を生かすものはないのです。
 ……
 幸福の種類は人それぞれですが、『不幸を受け容れる』ことによって、そのひと『固有の幸福』が見えてくる。
 ……
 ドストエフスキーの『死霊』に、『人間にとっての不幸は、自分が幸福であることを知らぬことである』というキーロフの台詞が出てきます。これは私がいつも引用する好きな言葉です。実は人間とは、生きているだけですべての人が『幸福』なのです。そして、それを自覚させるものが『不幸』と言えるのではないでしょうか。教育でも殴り、叱り、厳しくされることで、〝本人の自我〟が立ち上がってくる。その不幸を『死の哲学』として作り出すことによって、反対に『生の哲学』と成しているものが武士道なのです。
 ……
 自分の意志で死ななければならないが、自分の意志だけで死ぬのではないのです。すべて主君の命令です。つまり至上の価値のために死ななければならない。主君が『お前はもう死になさい』と言ったときに、死ねる訓練をするための教えが武士道です。
 ……
 『幸福になりたい』なんて単なるエゴイズムですよ。
 ……
 自己の幸福だけを追求する思想そのものが国を駄目にしていると思います。『幸福を追求せよ』と教育しておいて、国のためになる人間になれと言ったって無理な話です。いまの時代がきついのは、みなが幸福になろうとしているからです。金持ちがいい、健康がいい、長生きがいい、美味しいものを食べたい、旅行や何かで人生を楽しみましょうと、散々喧伝していながら、『生命の真の価値とは何か?』と言われてもねぇ・・・
 ……
 しかし時代がどう変わろうと、生命は死に向かって生きているのです。だから、生の悲哀を追求する以外に生命は生かせない。つまり、生命の根底には不幸が横たっわているのです。〝死ぬ研究〟だけをしていた日本の武士や西洋の騎士が幸せだったと思うのはそこなのです。不幸の研究こそが生きる哲学、それが形になったのが武士道。私は7つのときに『武士道』に偶然であったことを最大の幸福と思っています。『葉隠』に出会い、不幸を許容する心が芽生えたということです。
 ……
 古今東西のどんな哲人が書いた本を渉猟(しょうりょう)しても、『葉隠』の武士道のように、『死の哲学』を極限まで突き詰めたものはありません。強いて言えば、古い宗教書しかない。『旧約』の預言者の書や、『ヴェーダ』の哀歌等ぐらいでしょうか。
 ……
 日本が日本文明としてアジア文明圏の中で生き残り、他に埋没しないためにはイスラエルの姿勢に学ぶべき点があるのではないかと……
 要は気持ちつの問題なのです。自分たちの文明と文化を守り抜くにはそれぐらいのことををしなければ到底守り切れません、きれいごとでは済まされない。周りから嫌われもするし、争い事も起きるでしょう。そこに流れる感情には〝恨み〟が含まれていますから、これもまた不幸の思想です。しかし日本民族の文化と伝統を守り抜くために、日本人はもっと不幸を抱きしめなければならないと思います。戦い続けなければ、価値のある『文明』は守れません。
 ……
 不幸になることを厭わないとことです。いまの日本はかってのカルタゴと同じで、享楽的で贅沢三昧、ローマに滅ぼされるのがいいところです。第二次ポエニ戦争(紀元219〜201年)でカルタゴ征伐の指揮をとったローマの政治家・大カトーは、類稀(たぐいまれ)なる弁舌の才でも知られていますが、元老院で行う演説において、『・・・ゆえに、カルタゴは滅ぼさねばならぬ』という文言をもって全ての演説を締め括ることで有名でした。
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 その言葉どおり、三度の戦いで200年掛かってカルタゴを滅ぼし(紀元前146年)、一木一草残さず根こそぎにして、その上に塩を撒いた。二度と緑が芽吹くことのないように、です。
 ローマがそれほどまでに恨んだものは、カルタゴの享楽主義と贅沢でした。私は戦後の日本人が自らの『主体性』を失っていく様を見るにつけ、民族が生き延びるには何が必要なのか、最後に生き残る民族とはどういうものなのかという命題に、思いを致さずにいられないのです」
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 2017年2月25日 朝日新聞「呉座勇一の交流の歴史学
 知識をひけらかす赤っ恥
 中世の対談
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 応仁の乱の一方の主役、西軍の総大将である山名宗全がある大臣の邸宅に訪れ、昨今の乱世について語り合った。大臣は昔の例を縦横に引いて持論を『賢く』語った。これに苛立(いらだ)った宗全は『あなたのおっしゃることにも一理ありますが、いちいち過去の事例を挙げて自説を補強するのはよろしくありません。これからは「例」という言葉に替えて「時」をお使いなさい。「例」は所詮その時の「例」に過ぎません。昔のやり方にとらわれて時代の変化を知らなかったから、あなたがたは武家に天下を奪われたのです。私のような身分いやしき武士があなたのような高貴な方と対等に話すなど過去に例がないことでしょう。これが「時」というものです。あなたが「例」を捨てて「時」を知ろうとなさるなら、不肖宗全があなたをお助けしましょう』と反論した。やりこめられた大臣は押し黙ってしまったという。
 この逸話を載せたる『塵塚(ちりづか)物語』という説話集は、宗全が死んで80年ほど後に成立しているので、実話かどうか疑わしい。ただ、あの宗全ならいかにも言いそうだ、という横紙破りのイメージが後代にまで伝わった事実は興味深い。
 もう一つ、似たような話を。天下人となった徳川家康のもとに、宗裎(そうぎん)と名乗る老人が訪れた。誰あろう、彼こそはかつて家康の主君だった今川氏真今川義元の嫡男)であつ。家康は氏真(うじざね)と『御対談』した。
 いつしか話題が和歌に及んだ。氏真は大名だった時分から冷泉(れいぜい)為盛を師匠として熱心に和歌を学んでおり、この頃は京都歌壇で名声を博していた。そこで氏真は滔々(とうとう)と歌道論をぶったのである。
 しかし家康は『師匠の教えがどうの歌書がどうのと小難しいのは公家衆の和歌だろう。和歌は感じたことをその表現すればいいのだ』と氏真の意見を一蹴する。
 そして『平家物語』に見える平忠度(ただのり)の逸話(平家都落ちに際し、自らの死と一門の滅亡を覚悟した忠度は立ち返って歌の師匠である藤原俊成に自らの秀歌を託した。俊成は実際に忠度の歌を『千載集』に収録している)についても家康は批判する。歌道を学ぶ暇(ひま)があれば武道に励むべきであったのだ、そうすれば平家は戦に負けずにすんだだろう、というのである。これは和歌に熱中しすぎて国を失った氏真を皮肉った発言であり、氏真は赤面したという(『故老諸談』)。
 この話も創作の可能性があり、武士が和歌に耽溺(たんでき)することを戒める江戸時代の価値観の投影かもしれない(小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか』角川選書)。いずれにせよ、知識をひけらかす学者が実務家に論破される場面は現代でも見られるので、私も気をつけたい」
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 文化は、時空を超えた理想を戯れる教養と共にあって、大地に足を付け根を張った現実を生き残る智恵と共にはない。
 公家には高度な文化があったが、武家には文化らしい文化がなかった。
 西洋の騎士道に紳士文化があっても、日本の武士道には男伊達文化はない。
 反天皇反日的日本人が掲げる現代の理想は、中身のない空虚・虚無に近い為に、生命力溢れた文化を生み出す活力がないばかりか、伝統文化から生命力を奪い破壊するだけの無意味に近い理想である。
 反天皇反日的日本人の知識が目指す方向は、創造ではなく破壊である以上、文化を破壊しても文化を生み出さない。
 つまり、滅びの理想、滅亡の知識、死の美学に過ぎない。
 理想の為なら、「人を殺すのではなく、人に殺される方を選ぶ」。
 現実を生き残ろうとする武士は、見得外聞を気にせず卑怯・卑劣の汚名を喜んで甘受し、寝所に忍び込んで寝首を掻く事も、無防備に入浴しているところを襲撃して殺害する事も、裏切りや騙し討ちも厭わなかった。
 命のやり取りをする合戦場・戦場では、理想的な綺麗事は無意味であり有害であった。




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