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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
「名こそ惜しけれ」。
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徳川の平和。
徳川家康は、日本人を列島内に閉じ込め、公共心・公徳心による滅私奉公を日本の価値基準として強制した。
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☆徳川家康が、武力で日本を再統一して新たな秩序(公益)を打ち立てた時、武力で領地と領民を守り、領地を拡大する戦国時代は終結した。
日本一国のみの自給自足経済を維持する為に、東アジア共通の普遍的政治体系である中央集権的な士大夫の郡県制を拒否し、日本独自の地方分権的封建制を採用した。下克上を排除する為に、正統派儒教が認める「放伐の原理」(家臣が、不徳な主君を殺して、新たな君主となる)を思想弾圧し、愚昧な主君でも主君は主君であるとして忠誠を誓わせた。
安全、安心、安定した社会を作る為に、強制的に百姓から武器を奪って村に土着させ、隣保扶助のムラ秩序を強要した。
経済は、商人の茶屋四郎次郎や後藤庄三郎らの助言を謙虚に聞き、市場経済を導入し、自由な人と商品の移動を認めた。公共の為に功績のあった商人や職人や百姓を、名字帯刀を許し、武士に取り立てた。
日本は、中国の朝貢冊封秩序(アジア・スタンダード)を拒否し、中国皇帝に卑屈におべっかを使い阿諛迎合する気はなかった。日本の島国根性とは、朝鮮の事大主義とは正反対の独立自尊の精神、孤高の気組みの事である。
つまり、日本人は自然と補完共生するという、ジャパン・スタンダードで生き続けていた。
資源の乏しい日本は、限られた人と自然を最大限に活用しなければ、繁栄と安定を得る事ができなかった。その過重な期待感が人々に重くのしかかり、人々はその重圧感によく耐えて与えられた義務と責任に答えたが、一部の気弱な者が義務と責任を放棄して社会から脱落した。社会に適応できなかった脱落者は、世間を怨み、定職に付くことなく無宿人となり、自己の弱さを誤魔化す為に自分より弱い者に対して暴力を振るった。暴力を振るって自己の居る場所を確保できない脱落者は、下人・非人として寄り集まって貧民窟・部落を形成し、仲間と一緒になって低賃金の汚れ仕事で食いつないだ。彼らは、一般の町民や百姓から軽蔑され、差別を受けた。
大陸世界の王侯貴族とは、「個」人的自由と贅沢が無限に許された特権階級(ノーメンクラツーラ)であった。ルイ14世(1643〜1715年)は、王権神授説から「朕は国家なり」と称えて、領民の生殺与奪の権限を含む国全体の全権を絶対神から委託されたと宣言した。キリスト教会は、専制君主の統治を祝福し、領民に絶対服従をさとした。権力を持つ王侯貴族と権威を司るキリスト教会は、全ての富を独占し、豪華な宮殿を造り、贅沢な家具を所狭しと配置し、そこで天国の様な贅沢三昧の日々を享受していた。上流階級は、貧しい庶民から搾取し、貧しい庶民が最低限の生活を送り、餓死や病死しようとも痛痒を感じなかった。生まれた階級は、神が定めた神聖な身分であるという理由から変えようがなかった。それ故に、家や一族への帰属意識は強く、偏狂的なまでに排他的であった。そこは、絶対神も名を借りた暗黒社会であった。
特権を持った由緒ある王侯貴族は、現代のヨーロッパにも存在し、広大な領地と莫大な資産を持っている。
室町時代までの武者は、天皇家に繋がる由緒正しい家柄を誇っていた。応仁の乱以降の武士は、身分の低い者が成り上がって武士となった。江戸時代の武士は、家柄を誇れるもだけの家系ではなく、その格式はほとんどが捏造された誤魔化しであった。
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徳川家康は、北条早雲や武田信玄の領地経営を学ぶ為に、敵方であった武田家や北条家の家臣を登用して重責を委せた。
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徳川家康は、家臣や庶民に世の為人の為に賢く生きる術を身に着けさせるべく読書を奨励し、駿府城内に1万点の及ぶ古今東西の書籍を集めた。
文武両道こそ武士の道として、『源氏物語』など古典を読み雅、古風を学んで和歌を詠んだ。
「松ちかぬる花も色香をあらはして 咲くや吉野の春雨の音」
「怠らず行かば千里(ちさと)の果ても見む 牛の歩みのよし遅くとも」
「人はただ身の程を知れ草の 露も重さは落つるものかな」
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公の倫理として「名こそ惜しけれ」を広めた。
鎌倉武士・御家人の忠誠とは、将軍・幕府の「御恩」に対して滅私「奉公」を尽くすという形ではあったが、「御恩」とは自分が開墾した所領の安堵であった。
「奉公」とは、所領安堵に対するものである。
所領安堵ができない相手に対しては、「御恩」も「奉仕」も存在しない。
北条執権家が力を付けて力を失って源氏将軍家が所領安堵ができなくなれば、御家人達は源氏将軍家ではなく北条執権家に忠誠を誓って滅私「奉公」を行った。
鎌倉時代の主従関係は、儒教思想に縛られた江戸時代の主君と家臣の上下関係とは異なり、現実的であり実利的であった。
その寒々とした人間関係を補う為に、自分を正常に律する心の支えとしたのが「名こそ惜しけれ」であった。
司馬遼太郎「自分という存在そのものにかけて恥ずかしいことはできないという意味であります。ですから無名な人も、『名こそ惜しけれ』と言うことで、自らを律していた」
「名こそ惜しけれ」は、日本独自の生き様で、大陸の中国やその属国であった朝鮮には存在しなかった。
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日本が嫌いな知的な現代日本人エリートは、昔の日本を悪し様にけなし、真実を素直に伝える事を意図的に嫌う。そして、自分を善人に仕立て上げる為に、ありもしない事を捏造し歪曲し、ことさらに昔の日本を極悪人のように罵声を浴びせている。そうした手合いの日本人が、急増し、子供達に影響を与え、日本人を悪人であるように教育している。それが、天皇と日本の戦争犯罪教育である。戦争責任と戦後責任及び戦後補償と戦争賠償は、そうした悪意のもとで行われている。彼等日本人は、天皇と日本を地上から消滅させようとしている。
日本の少子化による人口の減少を補うべく、中国などのアジア全体から1,000万人規模の移民を行うべきだとしている。国際化を標榜する進歩的経済人や評論家も、単純にして過酷な仕事に日本人を就かせるよりは、低賃金で働く外国人を移住させて就労させるべきだと主張している。給料が安くきつい仕事に就くのを嫌がる日本人は、人道的政策として、貧しい国々から多くの人を日本に連れてきた働かせるべき賛成している。
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昔の神話的原風景では、人を人として素直に見て受け入れ、身なりなどの風体で差し排除する事はなかった。
八百万の神々を祀る神社は、多種多様の価値観で、社会的な身分・地位や個人的な資産家に関係なく、純粋なその人間性を受け入れ差別も依怙贔屓もしなかった。
町人や百姓は、名字帯刀を許されて武士の真似事に興じたが、不自由で命の危険がある武士にはなろうとは思はなかった。生産して生活している庶民にとって、武士は消費するだけの「穀潰し」と軽蔑していた。
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昔の日本組織は、農耕漁労民族として、御上のいう事を鵜呑みにせず下からの突け上げで動く「ボトムアップ型」であった。
大陸の組織は、狩猟放牧民族として、一糸乱れずに上からの絶対命令で動く「トップダウン型」であった。
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江戸時代の日本には、勤労革命など存在しなかった。
百姓は、朝早くから夜遅くまで働き、税として年貢米を納めていた。
町人は、本音では、怠け者として仕事をするよりも楽をして毎日を面白おかしく遊んで過ごす事を望んでいた。
食うために無理に気張らず適当に仕事をしていたが、仕上げる仕事はいい加減にして手を抜く事を嫌った。
人の後ろ指で指されるほど嫌われる事を恐れたが、然りとて無理してまで人に好かれようと事も思いもなかった。
自然体が、生きる理想であった。
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*ヨーロッパやイスラムの普遍的大陸文化とは、軍事力と金融力で侵略した高貴な王侯貴族の「支配階級・上流階級・特権階級文化」である。町の中央にあり、支配する町と市民(隷属的共生者)を差別し、有り余る金銀財宝で威圧している。征服者の権利として得た「略奪・強奪文化」である為に、ゴージャスな装いで目が眩む程の煌びやかで見るところは多いが、非現実的である。
大事にすべきは、先祖でも子孫でもなく、自分一人のみであった。
宗教的家父長主義のもと、女性を差別して、女性を単なる男性の所有物として人格をはく奪していた。エヴァ・女性は、絶対神によってアダム・男性の肋骨から作られたと信仰されていた。
ゆえに、普遍的個人主義が生まれた。
『聖書』「人は、パンのみで生きるのではない!」
教皇クレメンス1世は、聖書の女性蔑視の言葉を用いて女性差別の発言を繰り返した。「どの女も、自分が女である事を大いに恥じるべきだ」
1245年 審問官に、助手の宗教的暴行行為を赦免する権限が与えられた。魔女とされた女性は、無罪と分かっていてもレイプされ、白状を強要されて殺された。
1320年 ヨハネス22は、魔女狩りを正式に認めた。
1484年 インノケンティウス8世は、魔女狩りを制度化した。魔女裁判は、カトリックは勿論プロテスタントにおいても正当と認められた行為であった。魔女とされた多くの女性とその子供は、慈悲もなく生きたまま焼き殺された。
トマス・マクィナス「女は、神が作った失敗作」
マルティン・ルター「出産で死ぬなら死なせるがよい、それが彼女達の存在価値なのだから」
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* 中国や朝鮮の地域的大陸文化は、武力占領した異民族の支配者に仕える科挙受験資格のある聖人君子・学者(寄生的共生者)の「読書人・知識人階級文化」である。町外れの竹林の中にあり、生活の為に労働して金を稼ぐ知識なき小人を軽蔑し、働くしか脳のない教養なき愚民を威厳を持って完全排除してきた。高度な教養人が培った「搾取・簒奪文化」である為に、観念的に学ぶ事が多いが、非日常的である。
彼らは、決して身分低き庶民を慈しまなかった。大事にしたのは、教養を共にした同学の士のみである。つまり、正統派儒教とは、偏狂的に人間を差別する学問であり、今の自分と祖先との繋がりを第一として後世・子孫をなき物と切り捨てた。
観念的男性家長主義から、女性を差別し、家族の一員として受け入れない為に別姓のまま、身内の外に打ち捨てた。女性は男性に較べて三本毛が足りない、つまり男性より知恵がなく浅はかであるとされた。
嫁を貰う婿の家は、嫁の生家に娘に見合った対価が支払った。女性は、売買の対象とされ、人間とは見なしていなかった。
ゆえに、完全排他の自己中心的利己主義が生まれた。
教養ある君子は、労働をしない事でゆえに尊敬を集めた。無教養なき小人は、汗水たらして労働をするがゆえに差別された。
儒教的上下関係では、生家の身分は不変であった。、
『論語』「小人 窮すれば濫す」「小人の過ちは必ず文(かざ)る 」
『大学』「小人、閑居して不善を為す」
「小人の心を以て君子を量る」
「小人の腹は満ちやすし」
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