✨51)─2─三島由紀夫『文化防衛論』。昭和天皇を有罪とした女性国際戦犯法廷。〜No.208 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 現代日本人には歴史力がない。
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 日本の皇室、天皇制度は、世界の非常識であり、正統なグローバルに逆らうローカルの異端である。
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 日本は世界で信用されている、日本人は世界で愛されている、はウソである。
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 世界は、反天皇である。
 アメリカ、イギリス、中国、ソ連、韓国・朝鮮、フィリピン、カナダ、オーストラリアなど多くの国が、昭和天皇ヒトラー同様の戦争犯罪者として平和に対する罪・人道に対する罪で裁き、有罪とし、死刑を含む極刑を要望していた。
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 昭和天皇に対する天皇の戦争責任・天皇戦争犯罪を追及する声が、崩御された現代でも尽きない。
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 国内外で、昭和天皇の死を求める声が多かく、昭和天皇を弁護・擁護・庇う声は少なかった。
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 韓国は、昭和天皇の子供であった上皇陛下が天皇にあった時代に、韓国に来て昭和天皇を暗殺に失敗し処刑された朝鮮人テロリストに土下座し泣きながら謝罪する事を要求した。
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 日本の左翼・左派・ネットサハ、反天皇反日的日本人達は、昭和天皇や皇族の暗殺を企んだ共産主義者を弾圧した事を厳しく非難している。
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 キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
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 昭和天皇は、天皇主権に基づく君主=元首=最終的決定権者であり、神聖不可侵の祭祀王であり、全軍の最高軍司令官=大元帥であり、勅命の最高位歌会を主宰する文人歌人であり、世界的な生物学者であった。
 日本国と日本国民の為に、イギリス国王、ローマ教皇アメリカ大統領などに書簡を送っていた。
 好戦的な軍人や過激な右翼・右派は、昭和天皇文人歌人生物学者である人間性を軟弱的消極的であるとして嫌い、時と場合には暴力的に退位させる事さえ考えていた。
 昭和天皇は、軍部や右翼によるクーデターを怖れていた。
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 昭和天皇の身の処し方が、日本民族の伝統・文化・宗教・日本国語を具現化している
 昭和天皇は、親ユダヤ派であり、人種差別反対であり、戦争回避平和主義であり、原爆反対であり、数多くの歴史的人道貢献に深く関与していた。
 同様に、東条英機松岡洋右板垣征四郎松井石根A級戦犯達は、歴史的人道貢献を行っていたが、その報酬がリンチ的縛り首であった。
 人道貢献否定が、靖国神社問題の核心である。
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 日本国憲法国民主権主権在民の隠された真の目的は、アメリカ化した日本国民の手選択として、天皇制度の廃絶し世襲制男系父系天皇の消滅させる事であった。
 何故なら、日本国憲法を作ったのがアメリカ人のキリスト教徒とマルクス主義者だからである。
 彼らが理想とする、日本国は自由と民主主義の世襲制君主制を滅ぼした共和制国家であり、日本国民は祖先を敬う神道及び仏教を信仰しないキリスト教徒か反宗教無神論マルクス主義者である。
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 敗戦国日本が焼け野原の何もかもなくした国土を再建し経済発展をもたらす信用資産は、皇室から没収した私有財産であった。
 現代日本の糧になった、天皇の私有資産であった。
 天皇私有財産は、海外での侵略強奪や国内での人民搾取でつくった不当資産ではない。
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 人類史・世界史・大陸史、西洋でも中華(中国や朝鮮)でもその他の地域でも、人民による生き神様・生き仏様・最高位宗教指導者、皇帝や国王、独裁者・独裁官が人民の叛乱で家族諸共に惨殺される事は極普通に起きていた。
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 日本で中華(中国や朝鮮)や西洋などで普通に起きていた人種・民族、政治・経済・宗教が原因の世界史的大虐殺がないのは、神聖不可侵とされた天皇の御威光があったからである。
 そして、日本民族日本人による中国大陸・朝鮮半島への民族の大移動はなかった。
 対して、中国人や朝鮮人は絶えず逃げるように日本列島に移住していた。
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 現代の右翼・右派・ネットウハは、大正時代頃までの右翼・右派とは違って、必ずしも、本心から天皇・皇族・皇室・天皇制度を守ろうという意思はない。
 大正時代頃までの右翼・右派、軍国主義者・民族主義者は「惟神の道」の信奉者として「天皇の御稜威・天皇の大御心」を世界に知らしめるべく、シベリア出兵時にロシア人避難学童やポーランド戦災孤児、そしてユダヤ人やロシア人の被災者を助けていた。
 人種差別意識は、昔の右翼・右派は弱く、現代の右翼・右派・ネットウハは強い。
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 『文化防衛論』は、三島由紀夫の評論。昭和元禄と呼ばれた昭和40年代前半、学生運動がピークに達した時代に発表され、各界の論義を呼んだ三島由紀夫の論理と行動の書。高度経済成長が実現し、世間では3C(クーラー・カー・カラーテレビ)の耐久消費財が新・三種の神器として喧伝され、戦後文化が爛熟していた時期に、あえて「天皇」を打ち出した三島の代表的評論である。日本の伝統文化の危機に、「菊と刀」のまるごとの容認の必要性を説きつつ、その円環の中心となる「文化概念としての天皇」の意義を論じている。
 発表経過
 1968年(昭和43年)、雑誌『中央公論』7月号に掲載され、初版単行本は翌年1969年(昭和44年)4月25日に新潮社より刊行された。同書には他の評論や講演も収録されている。
 翻訳版は、フランス語(仏題:Défence de la culture)で雑誌『Esprit』
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 女性国際戦犯法廷は、日本の慰安婦問題についての責任を追及するための、法廷を模した民間団体の抗議活動(民衆法廷)。日本語での副題は「日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷」、英語での表記:The Women's International War Crimes Tribunal on Japan's Military Sexual Slavery。「戦争と女性への暴力」日本ネットワークVAWW-NETジャパン)を中心とする団体で構成され、2000年に東京で開催し、2001年にオランダで「最終判決」として要求事項などを発表した。
 報道では「模擬法廷」と表現したり、「判決」のように法廷やその関連用語を固有名詞として「 」などで括るなど、一般裁判とは区別されている。
 この法廷は、韓国政府が慰安婦問題の賠償を求める根拠としているが当然ながら北朝鮮並びに南朝鮮(韓国)のプロパガンダの一環であるため、正当性も判決の強制力もなく、また国際社会で認められたものでもない。
 「判決」
 2000年12月12日、本「法廷」の「裁判官」らは「判決・認定の概要」を「言い渡し」、「天皇裕仁及び日本国を、強姦及び性奴隷制度について、人道に対する罪で有罪」とした。証拠は、「慰安所が組織的に設立され、軍の一部であり、当時適用可能な法に照らしても人道に対する罪が構成される」とした。また、「裁判官」らは、「日本が当時批准していた奴隷制度、人身売買、強制労働、強姦等の人道に対する罪に関連する各条約、慣習法に違反している」とした。
 評価
 賛同
 東京大学教授高橋哲哉は、当「法廷」を、日本軍性奴隷制の犯罪をジェンダー正義の観点から裁いたことに加えて、戦前との連続を断つ試みであること、東アジアでの平和秩序構築、過去の克服のグローバル化という観点で評価している。[3]また、法の脱構築を行うところに意味があり、法の暴力性が露呈される試みとして「法廷」は意味をもつとも主張している。
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 日本神道とは、自分の血・心・志がつながった全ての祖先を神様と祀る祖先神・氏神の人神崇拝である。
 日本仏教とは、自分の血・心・志がつながった全ての祖先を仏様として供養する人仏崇拝である。
 祖先には人助けの善人もいたであろうし人殺しの極悪人もいたが、紛れもなく血・心・志で繋がった大事な家族・身内として一人も切り捨てず、宿縁として全員を受け入れ神仏として奉った。
 それが、昔の日本民族日本人の信仰心である。
 その象徴が、靖国神社である。本殿は神道であるが、拝殿は無宗教として開放されている。
 戦国時代を生き抜いた庶民は、世界一醜い人間であった。
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 現代日本では、日本民族心神話を源とする血筋を正統な血統・皇統とする万世一系の男系父系天皇を消滅させる目的で、憲法・法律が正当と承認する非血筋の女系母系天皇即位・女系宮家新設支持派が増えている。
 つまり、血を正統とする血統と憲法・法律を正当とする皇統の分離論である。
 現代日本人は憲法政教分離の原則に従って、2000年以上に渡って世襲制天皇家に伝わる一子相伝の秘儀である宮中祭祀を消滅させようとしている。
 何故なら、宮中祭祀の資格は、最高神の女性神天照大神の血を正しく受け継ぐ直系男系父系子孫だけで、傍系女系母系子孫にはないからである。
 最高神の女性神天照大神の正しき血が、日本民族の歴史、伝統、文化、宗教、日本国語の中に流れて命・心・志・気概・精神を支えている。
 日本民族日本人の血は、琉球人やアイヌ人同様に数万年前に生きていた縄文人までつながっている。
 世襲制万世一系の直系男系父系天皇の遺伝子は、縄文人の遺伝子(Y染色体)にまで遡る。
 それが日本民族の神話力である。
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 2019年のあいちトリエンナーレで、「昭和天皇の写真が焼かれ、その灰を踏みつける」映像が現代アートとし出展され、リベラル派・革新派そして一部の保守派、メディア・報道機関、護憲派人権派、学者・教育者などは憲法で保障された「表現の自由」として庇い、国民世論は反対も批判もせず天皇不敬映像の継続展示を黙認した。
 つまり、現代日本人が昔の日本とは違って天皇・皇族、天皇家・皇室を必要としなくなった証拠である。
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 天皇・皇族・皇室を守ろうとした狂信的な勤皇派・尊皇派は、下級武士、貧しく身分低い庶民、賤民、部落民、芸能の民、異能の民、異形の民、真面でない者、普通でない者、そして心が穢れていない者(清明心ある者)、つまり、政治権力や宗教権威から見放された、世間から弾き出されていた下層民達=社会の弱者であった。
 下層民には失うモノが何もなかったが故に、天皇主義者として喜んで命を捨てた。
 天皇を信奉する下層民は、キリスト教が救おうとした「迷える子羊」ではなかったし、マルクス主義共産主義)が革命で助けようとした「搾取される哀れな人民」でもなかった。
 それ故に、日本では一神教キリスト教ユダヤ教イスラム教も同様)や一党独裁マルクス主義とくに暴力革命を目指す共産主義は忌避された。
 昔の日本人と現代の日本人は違うのである。
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 天皇・皇族が訪問してはいけな国は、中国共産党政府、韓国・北朝鮮、ロシアである。
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 2020年11月号 正論「『文化防衛論』を今こそ読み返せ
 富岡幸一郎
 三島由紀夫没後50年を経て、筆者が改めて痛恨の思いに駆られるのは、この半世紀に及ぶ時間が日本の国の衰亡の歴史そのものであったことである。
 自決の年、すなわち昭和45(1970)年の夏に、三島は『私の中の25年』という文章を発表し、その最後を次のように結んだ。
 《私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら、『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、空っぽの、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目ない、或い経済的大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである》(『サンケイ新聞』昭和45年7月7日)
 平成の30年間とは、『或る経済的大国』もふくめた『日本』が『なくなって』いく時間であったといっても過言ではない。『日本を取り戻す』といって7年8ヵ月という憲政史最も長期にわたって宰相を務めた政治家は、ナショナリストである以上にグローバリストであった。
 平成14(2002)年に52歳で急逝(きゅうせい)した政治学者の坂本多加雄は、21世紀に入ってすぐに、日本が新たな『国家論』を必要としていることを力説した。『グローバル化が進み、国境を超えたボーダレスな物や金が動き、国民国家の時代をもう終わりつつある、などというには全くの幻想だ』といったのである。そして、日本は『古代の時代、それから明治維新に続く第三の、対外的な意味での国家の形成期を迎えているのではないかと考えている』(『「政策」の前に「国家」を再考すべき』『坂本多加雄選集2』所収 平成17年)とはっきりと説いたのである。これは13年3月の衆議院憲法調査会の報告であったが、この言葉に真剣に耳を傾けた政治家はどれほどいたのだろうか。
 グローバリズムの負の部分は、新型コロナウイルスの世界的拡大とパンデミックによって突きつけられたが、それ以前に日本はアメリカを軸とするグローバルな金融経済に翻弄されるなかで、新たな『国家』形成をなすこともなく漂流し続けてきた。
 内に目を向ければ、昨年、5月1日に平成の天皇生前退位(4月30日)を受けられ、皇太子徳仁親王が第126代の天皇に即位された。マスコミはこの御代がわりを大きく報道し、国民は歓迎し、改元の瞬間を新年をむかえるカウントダウンのように楽しみ騒いだ人々もあった。しかし、今回の天皇退位という歴史的な出来事に際し、天皇制そのものについての議論は、ほとんど出てこなかった。昭和天皇のときには天皇制への批判や廃止論は左派の側から当然出ており、保守派の論客・福田恆存は、昭和天皇崩御の直後に刊行された『文藝春秋 特別号「大いなる昭和」』の巻頭論文『象徴天皇の宿命』で、天皇を『象徴』として祀りあげることは『天皇の非人間化』であり、戦後憲法を受け容れたまま天皇を『神格化』することこそ、『国民の心理的頽廃』であると激烈な批判を加えた。上皇が平成の御世を通して『象徴天皇』としての務めを、『国民と苦楽を共にする』というその責務を全身全霊で実行されてきたことは、皇室の歴史に新しい一頁を刻み、多くの国民がこの『象徴』としての天皇を受け容れたのは確かであろう。しかし、平成31年4月30日をもっての譲位は、明治以降の近代天皇の在り方のある意味では根本的な変更であり、天皇をめぐる歴史的な議論がなされなければならなかったはずである。
 しかし、本質的な国家論がないように、天皇論もない。歴史が消えてしまったような、まさに『無機質的な、からっぽの、ニュートラルな、中間色』の『国』に、『或る経済的大国』の自信も失ってなり果てている。そこが今の日本及び日本人なのではないか。
 そう思うとき、三島由紀夫がその生命を賭して訴えたかったものは何なのか、という問いの前に、もう一度立たされる。何よりもその天皇論を読みな直さねばならないと思われる。
 『文化概念としての天皇』とは
 昭和45年11月25日、三島由紀夫は彼の主宰する『楯の会』の会員4名と市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室に入り、当時の益田兼利総監を人質にして、バルコニーから集合させたおよそ1,000人の自衛隊員に向けて演説をした後、割腹自決した。三島の介錯に関わった『楯の会』の幹部の森田必勝(当時25歳)も続いて自刃し、介錯を受けて斬り落とされたふたりの首は、血の海となった総監室の床の上に並べられた。三島らが訴えたのは、自衛隊が名誉ある国軍となり、アメリカの傭兵である現状から脱却するために憲法改正のために立ちあがれ、ということだった。三島の叫びに自衛官は怒号とヤジをあびせ、耳を貸そうとはしなかった。『七生報国』と書いた日の丸のはち巻きをしめた三島と森田は最後にバルコニーで天皇陛下万歳を叫んだ。
 この市ヶ谷事件の顛末から、三島を復古的な天皇主義者、戦前の右翼的な皇国史観の持ち主との誤解が生まれたが、もちろんそうではない。昭和43年に発表した『文化防衛論』(『中央公論』昭和43年8月号 単行本は44年4月刊)は、三島の天皇論のひとつの集大成であるが、大日本帝国憲法下の天皇論hさ、言論の自由をふくむ文化の多様性を否定する方向へ行き、国家の統治と機構としての『政治概念としての天皇』が支配的になって批判している。とりわけ大正14年の治安維持法普通選挙と抱き合わせで、社会主義無政府主義者運動の徹底的な弾圧を意図した)によって、言論の自由は圧殺され、司法が取り締まる対象として『国体ヲ変革シ又ハ私有財産ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者』とあるように、国体と資本主義のブルジョワ勢力を並列的に規定し同義語とすることで、明治以来の政治的な『天皇制支配機構』は完成したと指摘している。
 もちろん、三島は占領下にアメリカによって作られた日本国憲法下での天皇・皇室の在り方にも批判的であり、『文化防衛論』でも、『・・・俗流官僚や俗流文化人の大正教教養主義の帰結として、大衆社会化に追随せしめられ、いわゆる「週刊誌天皇論」を失墜せしめられたのである』と厳しく批判している。
 それでは、三島が構想した在るべき姿としての『天皇』とは、どのような存在であったのか。それは日本文化を根源において包括しそれを体現するものであり、文化の多様性そのものを映し出す鏡のような存在、すなわち『文化概念といての天皇』であった。三島はまず『日本文化の国民的特色』を次のように明確に述べている。
 《・・・文化は、ものとしての帰結を持つにしても、その生きた態様(たいよう)においては、ものではなく、又、発想以前の無形の国民精神でもなく、一つの形(フォルム)であり、国民精神が透かし見られる一種透明な結晶体であり、いかに混濁した形ををとろうとも、それがすでに『形』において魂を透かす程度の透明度を得てものであると考えられ、従って、いわゆる芸術作品のみでなく、行動及び行動様式をも包括する。文化とは、能の一つの型から、月明の夜ニューギニア海上に浮上した人間魚雷から日本刀をふりかざして躍り出て戦死した一海軍士官の行動をも包括し、又、特攻隊の幾多の遺書をも包括する。源氏物語から現代小説まで、万葉集から前衛短歌まで、中尊寺の仏像から現代彫刻まで、華道、茶道から、剣道、柔道まで、のみならず、歌舞伎からヤクザのチャンバラ映画まで、禅から軍隊の作法まで、すべて『菊と刀』の双方を包摂(ほうせつ)する、日本的なものの透かし見られるフォルムを斥(さ)す。文学は、日本語において、フォルムとしての日本文化を形成する重要な部分である》
 文化とはつまり博物館の文化財ではなく、人の行動様式もふくむところダイナミックな多様態であり、それが『形』となって顕われるものである。このような日本文化の最大の特色は、『オリジナルとコピーの間の決定的な価値の落差が生じない』ところにある。その端的な例が伊勢神宮式年遷宮である。持統天皇以来、20年に1度、天照大神を祀る皇大神宮(内宮)と、衣・食・住の神である豊受大神(外宮)をはじめ各社を建て替えることであり、神宝・調度品も新調される。これがおよそ1300年の間続けられてきた。
 それはまさにフォルムの継承であり、造営によって匠は伝承され、その都度『オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき、コピー自体がオリジナルになる』という、西洋文化にはない日本文化の独自性がここに現前している。これはまさに、『各代の天皇が、正に天皇その方であって、天照大神とオリジナルとコピーの関係にはないところの天皇制の特質』にそのまま重なる。
 この国の歴史を貫く天皇という存在は、このように日本文化の特色と国民精神の継承を反映するものであり、日本の多様な『文化』の包括者であり、まさに『窮極(きゅうきょく)の価値』として在り続けてきた。むろん、歴史上天皇は政治にも関わり、時に戦乱の中心にもあったが、それは政治権力や統治機構をこえた祭政一致の超越性を同時に持ち続けてきたのであり、それこそが三島が考えた『文化概念としての天皇』の真姿であった。
 源氏物語や和歌に代表される日本文化の『雅』の世界は、ただ手弱女(たおやめ)ぶりだけではなく、益荒男(ますらお)ぶりをも内包し、文化概念としての天皇制は、政治的無秩序さえも容認する。
 《『みやび』は、宮廷の文化的精華であり、それへのあこがれであったが、非常の時には、『みやび』はテロリズムの形態さえとった。すなわち、文化概念としての天皇は、国家権力と秩序の側だけにあるのみではなく、無秩序の側にも手をさしのべていたのである。もし国家権力や秩序が、国と民族を分断の状態に置いているときには、『国と民族との非分離』を回復せしめようとする変革の理由として、文化概念たる天皇が作用した。孝明天皇の大御心に応えて起った桜田門の変の義士たちは、『一筋のみやび』を実行したのであって、天皇のために蹶起(けっき)は、文化様式に背反(はいはん)せぬ限り、容認されるべきであったが、西欧的立憲君主政体に固執した昭和の天皇制は、2・26事件の『みやび』を理解する力を喪(うしな)っていた》
 三島の天皇論の核心は、近代化が西洋化であった明治以降の近代天皇制(それは『天皇』神聖でありながら、西洋的な立憲君主制をとることになった)をはるかにさかのぼり、『古事記』のヤマトタケルの伝説・神話のなかに天皇の『神人』的性格をさぐり求め、あるいは近代以前の天皇像に立ち戻り、歴史の中に『在るべき天皇』を見出そうとしているところにある。
 上皇の『おことば』の衝撃
 この三島の『文化概念としての天皇』は、決して一人の天才的な文学者の独創でも夢想でもなかった。それは上皇の平成28年8月8日の『おことば』を、今日改めて深く読み直すとき、驚きをもって現在的であることがわかる。8月8日の上皇のメッセージが決定的に重要かつ衝撃的なのは、次のことである。
 《天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことは、無理があると思われます》
 天皇の『象徴としての行為』たる『公務の縮小』はありえないということである。それは象徴天皇の在り方を、憲法皇室典範だけでなく、近代以前の歴代天皇嵯峨天皇後奈良天皇など)の『伝統的に国民と苦楽を共にするという精神的立場』(昭和61年5月の皇太子時代の言葉)に相通ずるものとして実践してこられた平成の天皇の明確な決意であった。このことは、『おことば』のなかで摂政を置くことへの疑義(ぎぎ)につながる。
 《また、天皇が未成年であったり、重病などによってその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません》
 大正天皇の時代、昭和天皇が皇太子裕仁親王として大正10年に摂政に就任したのは、帝国憲法下における天皇の政治的支配機構からすれば当然のことであったが、上皇は皇太子時代からそうして天皇となって以来、常にその地位にあって『国民と苦楽を共にする』ことを責務とされてきた。災害の被災者たちへの度重なる真摯な慰問、昭和天皇から受け継いだ戦争犠牲者の霊を慰める旅は、沖縄・硫黄島サイパン島そしてパラオペリリュー島にまで及んだのは記憶に新しい。平成の天皇が、全身全霊をもって実践されたのは、したがって『政治概念としての天皇』ではなく、三島由紀夫のいうまさに『文化の全体の統治者としての天皇』である。『おことば』は、次のように締めくくられている。
 《・・・憲法のもと、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話し致しました》
 『象徴天皇の務め』は、むしろ『我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返る』ときにこそ、祈念と行動として顕われてくる。上皇の譲位は、この国の天皇の歴史の時空のうちに『天皇』の在り方を探り求めた、そのひとつの帰結であったといってよい。
 同時に、その判断は、明治憲法下の『政治概念としての天皇』と『現人神』信仰を結びつけた近代的な国体概念の最終的な乗り越えであり、さらに占領憲法の『象徴』という甚だ曖昧な言葉を、皇統の歴史のなかで捉え直し、この一語に皇室の伝統精神を注入したといえるのではないだろうか。平成の30年間、国として衰亡しつつあるなかで、上皇上皇后による皇統の伝統を現代へと継承せんとする飽くなき努力があった。もし三島が、今回の天皇の譲位を目の当たりにしていたら、何と語るだろうか。
 『菊と刀』を根源とする天皇
 『文化防衛論』の最後で、しかし三島は天皇の在り方をえぐるきわめて重大な問いを突きつけている。それは『文化概念としての天皇』とは、『菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源としての天皇』でなければならないとの主張である。すなわち占領政策によって『菊と刀』、天皇と軍隊の連環を断ち切った。(文化本来の持つ『益荒男』ぶりの獰猛性や暴力性を抜いて、完全で人間主義的で無害な『プラザの噴水の如き』文化主義と化した、と三島はいう)ことによって、文化概念としての天皇の本質的な包括性が失われるのであれば、それを取り戻さなければならないということだ。そこで三島は次のような提言をしていた。
 《菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇なのであるから、軍事上の栄誉も亦、文化概念としての天皇から与えられなければならない。現憲法下法理的にも可能な方法だと思われるが、天皇に栄誉大権の実質を回復し、軍の儀仗(ぎじょう)を受けられるのはもちろん、聯隊旗も直接下賜されねばならない》
 日本国憲法第7条『天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ』とあり、その七項に『栄誉を授与すること』とあることから、三島は『天皇は栄誉大権の実質を回復し』と記している。しかし天皇自衛隊に直接関わることは今日までなく、『栄誉を授与すること』であっても軍事上の事柄に関して天皇が参画することは困難である。ただし東日本大震災直後の、あの3月16日の平成の天皇の異例なビデオメッセージで、危険のなか救援活動を展開する人々の筆頭に『自衛隊』を挙げられたことは記憶されていい。
 ここで半世紀前、三島由紀夫自死をもって訴えた憲法改正──違憲の下に置かれた自衛隊を九条改正によって『建軍の本義』を与えて、国体を守る軍隊となす事──の意義が改めて浮上してくるのだ。解釈改憲をつみかさねてきた自民党政権(安倍政権も結局はそうであった)が続く限り、『菊と刀』の自然な連環を回復することはできない。三島の主張する改憲論は、いうまでもなく九条の改廃自体が目的なのではない。三島が問うたのは、政治問題でもなく、憲法の条文のことでもなく、戦後の日本人が虚妄の平和のなかで、自分の存在そのものに嘘をつき続けることへの苛烈な批判であった。バルコニーから自衛隊員に自らを否定する憲法をなぜ護ろうとするのか、と問いかけた三島は、何よりも〈言葉〉が真実を裏切ることを、そのことを尖鋭化したのであった。
 独立国家として日本が本然の姿を取り戻し、この国の歴史と文化の体現者たる天皇を、『文化概念としての天皇』を、『在るべき天皇』から、ここに『在る』ものとすることである。半世紀以上の前に著された『文化防衛論』を、今こそ読み返さねばならない所以(ゆえん)である。」
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 政治権力や宗教権威に媚び諂う半島系渡来人は、天皇や皇族を殺した。
 蘇我馬子の思惑を真に受けた渡来人は、蘇我馬子への忠誠心から天皇の神性を怖れず崇峻天皇を暗殺した。
 縄文人の血を引く生粋の日本民族日本人であれば、天皇に危害を加える、玉体に傷付ける、ましてや殺して命を奪う事などはできない。
 現代日本から、縄文人の血を引く生粋の日本民族日本人が消え始めている。
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 現代日本には、天皇制度を廃絶し天皇家・皇室を消滅させようと企む左翼・左派・ネットサハ、反天皇反日的日本人達が存在する。
 彼らは、総じて高学歴出身知的エリートに多く存在する。
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 現代日本人は、昔の日本とは違って天皇家・皇室を必要としなくなっている。
 その傾向は、外国人移民(主に中国人移民)が増える事で天皇不要論は強くなっていく。
 人口激減する日本は、人口回復策として外国人移民促進計画を採用する。
 天皇家・皇室を護るのは、日本民族日本人と帰化人であって、外国系日本国民日本人(渡来人)ではない。
 半島系渡来人は、天皇に対して叛乱を起こしていた。
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 日本民族の伝統・文化・宗教・日本国語そして歴史の中心にあるのが、神の裔にして祭祀王である天皇である。
 天皇の正統性とは、日本民族心神話・高天原神話・天孫降臨神話における最高神である女性神天照大神の血を引く直系の男系父系子孫である。
 天皇に即位できるのは、天照大神の子孫で、特殊な血筋・血統と特別な家系・皇統を根拠とする万世一系の男系父系の皇族だけである。
 よって、天皇の正統性は憲法・法律の正当性の外に存在する。
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 日本民族の伝統・文化・宗教・日本国語・歴史は、如何なる憲法・法律に拘束されないし影響も受けない。
 日本民族の伝統・文化・宗教・日本国語は、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌に根を張り栄養を得て華を咲かせ、空気の中に1/fゆらぎやマイナス・イオンを充たしている。
 日本の花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌は、多発する複合的自然災害、疫病、飢餓の中から生まれてくる。
 花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌は、命を生み出す良神・和魂・御霊である。
 複合的自然災害、疫病、飢餓は、命を奪う悪神・荒魂・怨霊である。
 「生」の良神・和魂・御霊に感謝し「死」の悪神・荒魂・怨霊を鎮める祀りは、私心なき清明心を持つ最高位の祭祀王である天皇だけが行える神聖な務めである。
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 神聖な祈りを捧げられるのは、天照大神の血を拠り所とする特殊な血筋・血統と特別な家系・皇統に属する天皇だけである。
 天皇が捧げる民族的祈りは、数万年前の縄文時代にまで遡る。
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 多くの現代日本人は、グローバル基準を基に男女平等・女性差別反対から、天皇の正統性とされる女性神天照大神の血を無価値とし、男系父系から女系母系に変更しようとしている。
 少数の現代日本人は、科学的合理的論理的から、民族神話を否定し、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を断絶させ、天皇の祈りを消滅させようとしている。
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 日本民族日本人は、中国大陸や朝鮮半島から民族大移動として日本列島を侵略し征服した最強の優秀な民族ではなく、流れ着いた・漂着した・逃げてきた雑多な人種・民族が乱婚を繰り返し混ざり合って生まれた血が汚れた混血(ハーフ)の雑種民族である。
 つまり、日本民族日本人の体内には生まれつき多様性が内包されている。
 日本民族日本人は、アイヌ人や琉球人同様に縄文人の子孫である。
 日本民族日本人・アイヌ人・琉球人は、縄文人の遺伝子(Y染色体)を受け継いでいる。
 縄文人の遺伝子(Y染色体)を正しく受け継いでいるのが、万世一系の男系父系天皇である。
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