🕯136)─1─死ぬ事だけが唯一の救いであった地獄の様な時代の生き方そして死に方。源信と『往生要集』。~No.291No.292 @ 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ユーラシア大陸の東端、地の果て、その外側に浮かぶ激流に囲まれた絶海の日本列島は、あらゆる文化や宗教などが最後に流れ着く場所であった。
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 日本の意識は、海上と陸上の自然災害多発地帯に生きる智恵として生まれ発展してきた。
 日本人の命を脅かす最大の脅威は、人ではなく自然であった。
 自然は、始まりが分からない大昔からそこにあり、そして終わりが分からない遙か遠くの将来へと途絶える事なく続いている。
 ゆえに、日本の風土には、始まりの創世神話も終わりの終末論も存在しないし、正・善の天国や邪・悪の地獄といった死後の世界もなかった。
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 日本の風土に根付いているのは、隠しようもない現実に基づいた偽らざる真実、何人も否定・拒否できない超リアルのみであった。
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 源信の『往生要集』(985{寛和1}年)。
 ダンテ『神曲』(1307〜21年)。
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 論語 述而第七 
 07-20 子不語怪力亂神。
 子、怪(かい)・力(りょく)・乱(らん)・神(しん)を語(かた)らず。
 理性では説明のできないこと。不思議な現象や存在など。
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 下村湖人(1884〜1955)は「先師は、妖怪変化(へんげ)とか、腕力ざたとか、醜聞とか、超自然の霊とか、そういったことについては、決して話をされなかった」と訳している(現代訳論語)。  
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 論語 先進第十一 11
 11-11 季路問事鬼神。子曰。未能事人。焉能事鬼。曰。敢問死。曰。未知生。焉知死。
 季路(きろ)、鬼神に事(つか)うることを問(と)う。子曰く、未(いま)だ人に事(つか)うること能(あた)わず、焉(いずく)んぞ能(よ)く鬼に事えん。曰く、敢(あ)えて死を問う。曰く、未だ生を知(し)らず、焉ぞ死を知らん。
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 宮崎市定は「季路が先祖の霊を慰めるにはどうすればよいかと尋ねた。子曰く、生きている人を慰めることができないでいて、どうして死んだ人を慰められるものか。曰く、死とはどういうことですか。子曰く、生きることの意味が分からないで、どうして死の意味が分ろうか」と訳している(論語の新研究)。
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 下村湖人(1884〜1955)は「季路が鬼神に仕える道を先師にたずねた。先師がこたえられた。まだ人に仕える道もわからないで、どうして鬼神に仕える道がわかろう。季路がかさねてたずねた。では、死とはなんでありましょうか。すると先師がこたえられた。まだ生がなんであるかわからないのに、どうして死がなんであるかがわかろう」と訳している(現代訳論語)。
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 原始仏典の「サンユッタ・ニカーヤ」(邦題「悪魔との対話」中村元訳 岩波文庫)」
 ブッタ「修行者たちよ。この人間の寿命は短い。来世には行かねばならぬ。善をなさねばならぬ。・・・生まれた者が死なないということはあり得ない。たとい永く生きたとしても百歳か、あるいはそれよりも少し長いだけである。」
 悪魔「昼夜は過ぎ去らぬ。生命はそこなわれない。人の寿命は輪転する。車輪・・・が廻転するように」
 ブッタ「昼夜は過ぎ行き、生命はそこなわれ、人間の寿命は尽きる。小川の水のように」
 悪魔は、打ちひしがれて消える。
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 ブッダと死後の世界。
 ウィキペディア
 目連(もくれん、モッガラーナ)と盂蘭盆
 下記に記す盂蘭盆の逸話により、目連が日本におけるお盆及び盆踊りなどの行事の創始者として受け取られている。
 目連がある日、先に亡くなった実母である青提女が天上界に生まれ変わっているかを確認すべく、母の居場所を天眼で観察したところ、青提女は天上界どころか餓鬼界に堕し地獄のような逆さ吊りの責め苦に遭っていた。驚いて供物を捧げたところ供物は炎を上げて燃え尽きてしまい、困り果てた目連は釈迦に相談する。釈迦は亡者救済の秘法(一説には施餓鬼の秘法)を目連に伝授し、目連は教えに従って法を施すとたちまちのうちに母親は地獄から浮かび上がり、歓喜の舞を踊りながら昇天した。
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 神道・仏教の日本とキリスト教の西洋と儒教の中華では、死後の世界は全く異なる。
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 2017年12月号 新潮45「反・幸福論  佐伯啓思
 『往生要集』に見る 地獄の情景
 地獄とは、生きているこのわれわれの世界そのものと見て良いのではないか──。われわれは地獄を生きている。
 煩悩に苦しみ続ける
 少し前に奈良の国立博物館で開かれていた源信展を見てきました。今年8月の猛暑まっさかりのなかですが、大盛況の展覧会でした。中国人の観光客と思しき人もかなり来ており、少々複雑な気もします。
 源信といえば『往生要集』で知られた平安時代比叡山の大僧侶で、われわれは、まちがいなく学校時代にこの僧侶の名前ぐらいは習っているのですが、たいていはその程度でおしまいでしょう。実際に『往生要集』を読んだことがあるなどという人は相当な古典通で、『一般人』ではそうはいないでしょう。実際、これは結構大部なもので、現代のわれわれがそう簡単に読めるものではありません。 
 もっとも、地獄の恐ろしさを巷間広く知らしめるにあたってきわめて重要な役割をはたしたのがこの書物だというのですから、これは、平安時代のベストセラーというわけです。この時代に描かれた地獄絵図などは、『往生要集』から強い影響を受けており、またいうまでもなく、法然源信のもとに専修念仏を説いたわけで、日本の浄土宗の立役者が源信だといってよいのです。
 『往生要集』は、いうまでもなく、りっぱな『往生』の仕方、つまり正しい死に方を教授した本で、そのために、彼はこれでもかとばかりに地獄の恐ろしさを描き出し、続いて極楽浄土のすばらしさを論じ、最後に、その極楽浄土へ往生する方法としての念仏の作法を事細かに記したものが、厭離穢土・欣求浄土を民衆にまで広げよとしたのです。
 と、誰でもが、おおよそこの程度の知識は持っているのでしょうが、それでも、今日、源信や『往生要集』に格別に関心を持っている人がさほどいるとも思えません。いや、かくいう私自身も、この程度の知識しか持ち合わせずに暑い中会場へ出かけてゆき、汗を流しながら、人々の頭越しに薄れかかった地獄絵をかいま見ようというのですから、確かに大盛況も別に不思議がるほどのことでもないのでしょう。
 もっとも、この書物は、往生するためのハウツー本ではありません。当時の最高の学僧であった源信が膨大な経典を参照し、その文言を集めてきて読解した教学の書でもあって、だからこそ、源信は、この書を人に託して中国(宋)にまで送ったのでしょう。
 『地獄』の観念は、もともとサンスクリット語パーリ語の『ナラカ』から出た言葉で、それが『奈落』になり、さらに『地獄』になったようですが、それからもわかるように、この観念はもともと古代インドにあったようです。初期仏教にも地獄の観念はあったのですが、それが少し後になると、よく知られるように、地獄、餓鬼、畜生、人間、神々の五道(五趣)、さらに修羅が加わった六道になり、この六道こそ人間がいつまでも輪廻する世界だ、ということになりました。神々の天上界がこのなかに入っているのは少々奇妙な気もするのですが、神々もまた欲望をもち、迷いのなかにあって煩悩の世界にいるのです。ともかくも、衆生は死後もまたこの六道に落ち、そこを何度も生まれ変わることになる。死後も生まれ変わるなどとえいば、つい衆生たるわれわれはうれしくもなって『今度は何に生まれようかな』などと思ったりするのですが、仏教では、生まれ変わるなど、とてつもなく恐ろしいことなのです。
 ではどうして輪廻するのか。それは、煩悩がある限り、人間は悪行から逃れることができず、この世での悪行は、来世で苦痛をもたらすという業因があるからだ、というわけです。
 そこで、どうすればこの永遠に続く苦から逃れることができるのか。煩悩を断ち切るしかありません。とりわけ貪・瞋(しん)・痴、すなわち、貪欲、怒り、愚鈍といった煩悩を断ち切ることです。もちろん、これを断ち切ることは容易なことではありません。だから、容易ならざる修行に日々励んでそれを断ち切った者が覚者であり、覚者ともなれば、六道輪廻から解脱できる。しかし迷いに満ちた六道を輪廻する限り煩悩に苦しめられ続けるのです。
 そのことの大事さをことさらに強調するために、源信はとりわけ地獄の悲惨さを徹底して描きました。当時数多く描かれた六道絵図などでも、地獄のおぞましさがことのほか強調された。もちろん、これはサンスクリットで書かれた仏典の原文でも同じことです。地獄や餓鬼の姿が恐ろしければ恐ろしいほど、激しい修行に打ち込んで悟りを開くことの大切さが了解されるからです。逆にいえば、さほどまでに現世の煩悩に打ちかつことは難しいのです。もっとも、そんなことは、衆生ならだれでもわかっているから衆生なのでしょうが。
 私は、仏教についてほとんどまったく無知同然なので、むろん経典上の議論をしようというわけではないのですが、ここでついこんなことを考えてしまいます。
 衆生たるわれわれが死んで六道に輪廻するとしれば、その輪廻する『私』とはいったい何なのか、と思ってしまうのです。さらに、解脱というのはどういうことなのか、釈迦は、悟りの世界を涅槃(ニルヴァーナ)といったようですが、涅槃とは、それ自体がどこかにあるひとつの世界なのかどうなのか、ということです。
 一種の仮象
 実は、そうしたことは仏教の内部でもかなり重要な問題のようなのです。初期仏教は、『私』などという実体は存在しないことを強調します。『私』と称しているものは、実は、まず感覚機能を備えた自分の肉体があり(色)、さらに、外界の様々なものを苦や楽といった感覚で受けとめ(受)、心のなかでそれを様々な思念や妄念によって表象作用を行い(想)、あることがらを能動的かつ衝動的に欲求し(行)、それについて判断する(識)という五つの作用の集まりであって、その五つの作用そのものが、実は、きわめて頼りないものなのだ、という。
 それはそうでしょう。われわれの肉体といっても、その時々で銚子が良かったり、悪かったりするし、年を取れば肉体も変わります。耳も遠くなり、目もかすんでくる。当然、感覚の働きも変わります。なにせ花粉症にかかったぐらいでも、急に感覚作用が鈍くなるぐらいですから。だから、外界のものを受け止めて、それをもとに表象作用を行うといっても、そんなものは決して確かなものでもありません。美しいものやかぐわしいものは、またわれわれの妄想や邪念を呼びおこし、衝動的にそれを欲望の対象にする。しかしどんな美人でも3年もすれば急激に欲望も減少するとしれば、われわれの知識も意志も欲望もまたいかにも頼りないものというほかないでしょう。
 色(物質現象)というわれわれの肉体と、受(感覚的なもの)、想(表象作用や思念)、行(意志や欲求)、識(認識と判断)からなる「五蘊(ごうん)」の結合したものが「私」だとするのが仏教の人間解釈であって、この五つの要素もしくは作用がたまたまその都度、その都度の結びつきをもったのが「私」なのです。この結びつきを「仮和合(けわごう)」というのですが、そんなものは決して確かなものではない、というわけです。
 確かに、外界の様々なものに反応するわれわれは、美しいものに惑わされ、うまいものを食べたいと思い、暖かい衣類に包まれたいと思い、こうして、際限なく欲が膨らんでいく。ところが、欲望が膨らめば膨らむほど、それを手に入れることのできない苦痛も増大するのでしょう。欲望が欲望を生み、するとますます苦痛も大きくなる。自分よりもよい生活をしている隣人に嫉妬したり、高価な財宝を手に入れるために他人と血みどろ争いをしたりする。これは人生の苦にほかなりません。ではこの苦を生み出したものは何かといえば、『私』の欲望であり、それは何かというと、そもそも決して不変で確たる存在でもない五蘊(ごうん)にゆきつくのです。
 しかし、五蘊である色、受、想、行、識、さらには六入(六根)である目、耳、鼻、舌、身、意など、すべからく時間とともに変化し、しかも、実に主観的であり、状況依存的でしょう。となれば、そこには不変の実体は存在しない。五蘊など決して確かなものではない、とまずは知らなければならない。これが『五蘊皆空』といわれるもので、そうであれば、『私』もまた実体をもたないのです。
 これと対照的なのが、近代人たるわれわれにほかなりません。とにもかくにも近代人は、『私』という確かな『主体』がある、と信じようとした。確かな『私』がないとなると、契約によって成り立つ近代社会などという観念も成立しないのです。自由と民主主義などという政治理念も何ともあぶなっかしいものになるからでらす。『自由の主体』にせよ『欲望の主体』にせよ『選択の主体』にせよ、あるいは『責任の主体』にせよ、近代社会は、この『私』という『主体』を明確にして組み立てられているのです。だから、戦後日本の最大の思想的な課題は、いかにしてまともな『市民社会』を生み出すか、という点におかれ、それはいいかえれば、『自由の主体』であり『権利の主体』であるような『個人』をどのようにして自立させるか、という課題だったのです。
 それゆえに、戦後の日本で仏教などというものの評判がめっぽう悪かったのもまた、当然のことといわざるをえません。もしも、厳格に初期仏教の教説にたてば、とてもではないけれど『主体』としての『私』や『自我』などというものはそのままでは認められないからです。それこそそれは煩悩の産物であり、一種の仮象であり、実体をもたない五蘊の仮和合に欺かれている、ということになるでしょう。
 いかしまた、その戦後が70年以上もたって、今日の世界を見ればどうでしょう。あらゆる人が自我をむき出しにして損得勘定に走り、人を押しのけ、跳ねのけ、踏んづけて利益を求め、他人よりわずかでもすばやく、多くの情報を手に入れ、政治家や芸能人のささやかな失態を見つけたら、皆で罵倒して大騒ぎする、というこの世間を見れば、とてもではありませんが、これこそが真実性の仏国土などと誰もいえないでしょう。まさしく、真実性をどこかに忘れてしまったために、われわれは自らの五蘊(ごうん)によって自らを欺いている、というほかないでしょう。そうとでもいわなければ救われません。どこかで五蘊皆空であり、仮和合であると思っておかなければ、とてもではありませんが、この世間をそのまま受け取ることはできないでしょう。聖徳太子ではありませんが、まさしく『世間虚仮(こけ)』なのです。そう思わなければ、今日の世界で正気を保ち、精神のバランスを維持するのは難しいでしょう。
 ではどうして、五蘊が一種の仮和合を起こして『私』になるのか。それには何の理由もありません。いや、それを説明するのが『因縁所生(いんねんしょしょう)』の観念なのです。つまりすべては『縁起』によるというのです。ここには、『私』を超えた、『私』のまったくあずかり知らない力が働いている、ということです。
 そういわれてもわれわれは容易には納得できないでしょう。今のこの世で私が病気がちで人生どうも調子がでないのは前世の『因縁』だといわれても納得できません。
 しかしまた、それでは、別の何か納得できる説明があるのでしょうか。トルストイが書いてたように、目の前で、たまたま子供を列車にひかれた母親は、その事実をどのように納得させるのでしょうか。まったくの偶然というほかありません。しかし、偶然というだけではこの事実は受け入れがたいのです。それならば、自分は以前に何か罪深いことをした、その報いだ、という方がまだしも受け入れやすい。因果応報という『物語』を作ることで、何とか精神のバランスをとることができる。
 そして、この『物語』が巨大に膨らんで、西洋文化の全体を飲み込んだのが、キリスト教文化だった、というわけです。極端にいえば、神との約束をやぶってリンゴを食った最初の人間のわりとささやかな原罪が、現在では、ユダヤ教徒キリスト教徒との間の、そしてイスラム教徒とキリスト教徒との間の恐るべき殺戮という巨大な罪悪まで膨らんでしまったのです。
 それもこれも、キリスト教徒の末裔たちは、もはや、最初の人間のささやかな罪に対する贖罪を忘れてしまったからというほかありません。原罪を犯した人間の末裔が、今日、核兵器を開発して今度はいつ自分たちが大量殺戮に巻き込まれるかわからない、という罰を受けている、などというほとんどブラックジョークに聞こえてしまうでしょう。しかし、第二次大戦のときに、ナチスによって強制収容所に収容されたユダヤ人は、自分に降りかかってきた悲惨を、これは神罰かと考えざるをえなかったのです。
 日本流の因果応報 
 われわれは、『私』を超えた事態、それも命ににかかわる『私』を超えた出来事を、どうしても『私』を超越した物語で了解しようとします。因果応報は、したがって、何も日本人だけではなく、かなり広くみられる解決法(本当は解決できないとしても)なのです。イスラム原理主義者は、いまだに『神の裁き』を下すというのです。『ジハード』にしても、『神』のための聖戦です。18世紀のリスボン地震では、これは神の意志なのか、ということが大問題になりかした。東日本大震災のおりには、視察にきたアメリカの駐日大使であるルース氏(彼はユダヤ教徒だそうです)は、被災者に対して、『神のご加護がある』といったようなことをいいました。
 すべて、多生のニュアンスの相違はあっても、基本的因果応報思想なのです。キリスト教の場合、その因果応報の起点が神になっている。そして、神が人間に対して絶対的な優位をもつのは、人間が神との約束を破ってリンゴの実を食べるという原罪を犯したからです。
 それに比べると、仏教の因縁所生論は、神やら原罪という作話上のわかりやすい観念がないために、いかにもとってつけたような感じはないわけではありません。要するに、因果関係の始まりが日本にはないのです。人は、アダムとイブという最初の人間に行き着くのではなく、どこからかこの世にやってきて、またどこへやら去ってゆくのです。その『どこからか』や『どこへやら』をわれわれは、前世、現世、来世と表現し、この三世を正当化するために六道輪廻の思想を生み出したのでした。そうしないと、一瞬にして津波に肉親をさらわれるといった理不尽な出来事を、われわれは、とてもではないですが、受け入れることはできないからです。
 しかも、この日本流の因果応報は、ユダヤ教キリスト教とも大きく異なった面をもっている。それは、ユダヤキリスト教の因果応報が、基本的に、神との契約違反に基づき、また、神の戒律や教えに対する離反から生じるために、神罰という形をとります。だから、罰を恐れる人はまた神への服従を強いられます。しかし、日本の因果生起では、この世での苦難の原因は、基本的に自分にあるのです。過去世の自分の『業(ごう)』のゆえなのです。自業自得といってあきらめるほかありません。
 もちろん、実際には、こんな説明で納得できるものではないでしょう。前世まで戻って因果生起や縁起などといって納得できるものではないでしょう。しかし、今、目の前で起きていることは、すべて幻であり、仮象であるとでもしなければ、ある現象をやり過ごすことも難しい、ということはあるのです。それが、仮象であるということは、それを見ている『私』もまた、仮象である、ということにほかならず、それはこの現実は虚仮(こけ)であり、その背後にこそ、われわれの目に見えない真実在世界が存在する、ということです。そう想定するほかない。現実のどうしようもない苦難をやり過ごすには、目に見えない力にすがるしかない。それを、仏教では三世(さんぜ)の因果としたのです。
 さて、もしも『私』を構成している五蘊(ごうん)が空だというのなら、この『私』なるものも、当然ながら実体をもたないでしょう。われわれがしばしば誇らしげに宣言するあの『主体』や『自我』など、どこにも存在しないのです。『私』などといっても、実は、『私』などあずかり知らない『因縁生起』による。つまりすべては『縁起』によって、今ここにある、ということです。
 すべての根本は縁起であって、『私』など存在しない、『我』などというものはない、と悟ること、それこそが仏教の真理であり、その真理を本当にわかることが解脱への道ということになる。『無私』であり『無我』であると知ることです。『私』はないと了解することです。
 いや、より正確には、現にここで動き回り、何かを求めている、この現象としての『私』はいるのですが、それは一種の仮象だ、と知ることです。まり、われわれが、普通に『私は腹が減った』とか、『私は勉強がきらいだ』などといっている『私』は、いわば『仮の姿』であって、そんな私は、すぐに別の私に変わってしまうでしょう。『私こそが日本を変える』などといっている人も次の日には、けろっとそんなことを忘れており、そう突き詰めれば、自我などというものが確かに存在するとは思えません。むしろ、『無我の我』『無私の私』というべきで、いったん否定された『私』こそ、本当の『私』である、ということになるでしょう。
 だから、ここでいう『無我』は、『私』が文字通りどこにも存在しないということでありません。別に、ここにいる『私』は、幽霊だとかクローンだとか影法師だとか錯覚だといっているわけではありません。確かな実体としての『私』はないと考えよう、といっているのです。不変で確かな実体としての『私』を『無』と見ようということなのです。私の本質は『無自性』なのです。
 当然ながら、不変で確かな私が存在しないのですから、私が働きかけているこの世界のもろもろも、実は実体をもたない。それは、ただ、幻影の私が、そこにあると思っているだけのものだ、ということになるでしょう。かくて、すべては、まずは『無』になる。『諸行無常、一切皆空、諸法無我涅槃寂静』というわけです。この場合の『法』とはさしあたりは、五蘊や六入を含めて、この世の存在するものすべてであり、仏教の真理を示す涅槃(パンニャー)とは、この存在するものすべてが『無』であることを知ることなのです。それは『諸行無常諸法無我涅槃寂静』の『三法印』、そして、自己の本質が無自性、つまり『無我』であることの悟りにほかならないのです。
 この『無』が中間派の『空』の観念を通して、大乗仏教では、『般若心経』に典型的に示されているような『色即是空、空即是色』になってゆくわけです。
 ほとんど地獄絵
 それでは、『諸法無我』であり、『色即是空』であること、己の本性が『無我』であり、一切は皆空であるなどということをわれわれは本当に体得できるのでしょうか。私など、こういうことは頭ではわかりますし、菩提樹の木の下で瞑想でもして悟りに達したいとは思いますが、とてもではありませんんが、そんな悟りに達するわけもありません。桜の木の下で迷走だか酩酊だかするぐらいのことしかできません。
 そうなるととても私など真の仏教徒とはいえません。しかし、改めて問えば、そもそも、一体、何のために悟りを得ようというのでしょうか。
 確かに、『戒、定、慧』、すなわち、戒に従って生活をする、禅定に入る、そして、智慧を得る、という修行に明け暮れる修行僧はいる。しかし、修行僧はともかく、われわれは、そもそもどうして般若の真理にちかづきたいと思うのでしょうか。
 その答えはただひとつ、輪廻の苦しみから逃れるため、ということでした。六道輪廻、すべてが苦ですから、当然、この人間世界の生も苦なのです。それから解脱することこそが修行の目的のはずです。
 しかし、ここで、私はつい、こう問うてしまいたくなります。そもそも前世や来世などというものがあるのか、と。そもそも死後世界などというものがあるのでしょうか。この世でろくなことをしない者に向かって『お前なんか地獄に落ちるぞ』といっても、その地獄に落ちた『お前』とは何なのでしょうか。輪廻するものは一体何なのでしょうか。少なくとも初期仏教が永遠の霊魂などというものの重要性を認めていたとは思えません。肉体を離れて、あの世へ行ってしまう霊魂などというものがあるとすれば、『私』とは霊魂だということになってしまいます。五蘊皆空や無我どころではありません。
 一切皆空だとすれば、地獄や極楽も本当は空なのではないでしょうか。そうだとすれば、覚者である仏陀が入った涅槃とはいったい何なのでしょうか。実際、釈迦牟尼は、如来は死後世界に存在するのか、という問いには答えませんでした(解党なしを『無記』といいます)。霊魂と身体の関係は、という問いにも『無記』だったのです。
 仏教の教義がこのような問いにどう答えるのかは、私にはわかりません。しかし、少なくとも、釈迦牟尼の初期仏教が、死後の世界や来世に人が生まれ変わるなどと論じたとは思えません。釈迦は、死後世界についても世界の無限性や永遠性についてもついに語らなかった。つまり、釈迦が目指したものは、あくまで、この現世での生の苦しみからの解放であり、激しい修行の果てに、己の『心性本浄』つまり『無我』たることの悟りをえることだった。ただただ、解脱して涅槃(安楽の境地)に入ることだったのではなかったのでしょうか。
 とすれば、六道輪廻とは何なのでしょうか。むしろ、それは、生きているこのわれわれの世界そのものと見てもよいのではないでしょうか。欲にまみれて、ほとんど地獄絵のような狂気に陥ちることもあります。年を取って体は動かないのに、病院のベッドに括り付けられているのも、永遠に続く地獄のごときものでしょう。生きもせず死にもせず、という生の終末の様相は地獄といってもよいでしょう。
 また、近年はあまり目にすることはありませんが、昔なら、本当に餓鬼と呼べるようなガリガリに痩せて食べ物をあさる人間もいたことでしょう。あるいは、たえず怒りに身をやつし、みさかいなく争っている修羅の人もいるでしょう。畜生とは、人の道を外れた恥ずべきことを平然と行う者だったのでしょう。
 とすれば、六道輪廻とは、必ずしも死後の世界ではなく、まさしく、いまわれわれが生きているこの世界の現実でもあって、われわれ自身が常に六道と接して生きている。そして、そのことを、浄土教はわかりやすく死後の六道輪廻と言い表したのでしょう。
 『往生要集』の解説のなかで中村元さんも次のように書いています。『ここに表現されている地獄の情景は、空想的で、作り話である、という印象を与える。しかし、現実においてあれわれの生きているすがたを如実に表現したものではなかろうか。われわれは地獄のなかに生きているのである』と。(『往生要集を読む』講談社学術文庫)まさに中村さんが述べるように、地獄は、人間を離れてあるのではなく、人間のひとつの側面にほかならないのです。
 平安末期から鎌倉へ向かう時代は、想像を絶するほどの飢餓や災難に襲われた時代でした。打ち続く戦乱、蔓延する病気、地震や大火など。芥川龍之介の原作を黒澤明監督が映画化した『羅生門』に描かれているような時代なのです。
 確かに、現世そのものが地獄絵図そのもので阿鼻叫喚の声が町中に響いていたのでしょう。そんな時、人々が苦から逃れられるのは、むしろ死でしかなかったのではないでしょうか。とすれば、死に際して、せめて最後に死そのものを極楽往生と期待した心持もわからなくはありません。
 ここで死は生にとって二重の意味をもってきます。第一に、生が、大きな苦しみだとすれば、死は、生という苦痛からの解放であり唯一の希望ですらある。そして第二に、それにもかかわらず、死後の世界がまったく不明であり、想像を絶するものであるとすれば、死は恐怖である。つまり、死は、救済と恐怖のふたつの面をもってくるでしょう。その時に、恐怖を取り去り、死を救済へと向けたのが、極楽往生を願う念仏だったのです。
 厭離穢土・欣求浄土は、死の恐怖を和らげ、死を救済へと転換するために用意された反転の構図だったといいたくもなるのです。
 生きることに必死で、へたをすれば、あの世ではなく、まさにこの世で地獄に落ちかねない衆生は、とてもではありませんが、戒・定・慧に従って修行によって解脱することなどできません。それにかわる方便が、専修念仏で極楽浄土へ行けるという浄土教だったのでしょう。難行である聖道門ではなく、易行である浄土門しかなかったのです。生を苦とし、解脱を救いとする仏教では、本来、死を恐れる理由はないはずです。しかし、それでも人はやはり死を恐れるのです。極楽往生という物語も、それを少しでも和げる工夫だったのでしょう」
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 地獄とは、中華や西洋では人が作り出していたが、日本では自然が作り出していた。
 災害は、中華や西洋では人災であったが、日本では自然災害・天災であった。
 人災であれば対処のしようがあるが、自然災害・天災では対処のしようがなかった。
 運命は、人災であれば切り開く事ができるが、自然災害・天災では受け入れて流れに任せるしかない。
 日本列島は、世界有数の自然災害多発地帯である。
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 自然災害は、何ら罪の咎もない幼子の命を無残に、無慈悲に奪っていく。
 阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、過去の関東大震災でも、数多くの幼子の命が奪われた。
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 犠牲者とは、自分の意志に関係なく命を奪われ死んだ者や傷付いた者の事であるが、それは相手があっての事である。
 戦争であれば、敵であり、戦争を起こした自国の指導者である。
 天災であれば、防災対策を怠った自国の指導者である。
 だが、日本の自然災害は人間の思惑を遙かに超しまう破壊力を持っている。
 日本の自然災害で死亡した者は、犠牲者ではなく、理不尽な出来事にたまたま遭遇してしまった不運な人々・不幸な人々である。
 犠牲者であれば、犠牲を強いた相手に敵意や憎悪をぶつける事ができ、時には同じ犠牲を与える事ができる。
 日本の自然災害で傷付いた者や肉親を失った者は、犠牲者ではなく、理不尽な出来事にたまたま遭遇してしまった不運な者・不幸な者である為に、甚大な被害をもたらした自然を呪う事ができない。
 日本の自然災害と中華や西洋の自然災害は違うのである。
 中華や西洋の自然災害・天災は、人災に近い為に犠牲者である。
 西洋の自然災害は、一神教の神・天地創造の創り主・万能の父神・慈悲と救済と奇蹟を行う唯一神・命と死を支配する裁きの神・キリスト教絶対神が尊き意図、はかり知る事ができない御意思を持って起こす御業である。
 自然災害に対して、犠牲者はうずくまり頭を垂れて神に祈りを捧げ悔い改めるが、不運な人や不幸な人々は座り込み泣くしかない。
 自然災害に対して、人の力、体力や智恵などは無力であると。
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 日本民族日本人は、命の危険がある自然災害多発地帯で、生と死の狭間を均衡を保ちながら「おっかなびっくり」「びくびく」「おどおど」しながら気弱に生きていた。
 自然災害多発地帯では、何時如何なる時も「死を覚悟」しなければ生きられなかった。
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 自然中心の日本と人間中心の中華及び西洋の人生観・死生観は、価値観の相違で異なる。
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 日本と中国や朝鮮と違って当たり前であり、それ故に、お互いが幾ら腹蔵なく話し合っても理解し合う事はできない。
 日本が中国・朝鮮を何とか理解しても、中国・朝鮮は日本が何とも理解できない。
 何故なら、日本は相対的で多様性や柔軟性そして寛容に富んでいるが、中国・朝鮮は絶対的で一元的で硬直化して不寛容で排他的だからである。
 それ故に、中国や朝鮮から日本に避難してくる帰化人が大勢いたが、日本から中国・朝鮮へ渡来した人はほんの数えるだけである。
 日本人には、中国・朝鮮の空気や水そして大地は合わなかった。
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 正義は、時代や場所、国家や民族・部族、地域や共同体・組織、主義主張や思想哲学信条、宗教など、人それぞれ違い決して一つではない。
 太陽の色も、日本では赤く描くが、別の国、ある地域、特定の人々は黄色く描く。
 同様に、道徳も微妙に違う。
 日本神道の「徳」と中華儒教の「徳」はやや異なる。
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 中華儒教(中国儒教・朝鮮儒教)は、人の死を認識し、儒教の作法に従って正しく葬らないと魔物となって彷徨うと恐れたが、天国や地獄などの死後の世界を信じていなかった。
 徳の高い天・天帝を信じていたが、天地創造の唯一絶対神や慈悲心で民衆を救済する御仏を信じていなかった。
 天・天帝の「徳の権威」と地上の天子・皇帝の「徳の統治」を否定する危険のある、唯一絶対神や御仏を弾圧した。
 ただし、愚かな小人物・民衆が自分と家族のみの現世利得を祈る、俗欲・金銭欲・出世欲・性欲・強欲などに塗れた欲得の雑神や野仏は見逃した。
 欲得の雑神・野仏信仰とは、自分一人の排他的不寛容信仰である。
 よって、雑神は一神教ユダヤ教キリスト教イスラム教や多神教の日本神道の神とは違うし、野仏もインド仏教、大乗仏教の日本仏教や上座部仏教の東南アジアの諸仏教とも違う。
 朝鮮仏教・高麗仏教は、野仏を信仰する中国仏教の流れを汲み、日本仏教とは異なる。
 日本仏教は「自他共に」であるが、中国仏教と韓国仏教は他を排除した「自のみ」である。
 それ故に、現代の韓国仏教は日本の寺院から盗まれ売買された仏像や仏画を買い取って拝んでいる。
 天子・皇帝の「徳」は、天・天帝から、武力・暴力で大量の血を流し死体の山を築いて中国を統一して授かる統治権利である。
 中華皇帝の徳は「戦争」が正統性の根拠であるため、「平和」を正統性の根拠とする日本天皇の「徳」とは根本的に異なる。
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 神や仏が実在するかそれは分からない。 
 人は、存在するかどうか分からない神や仏を存在すると決めつけて信仰している。
 故に、宗教は人が自分の都合の様に勝手に創った思い込みに過ぎない。
 死後の世界を証明できない以上、天国や極楽も地獄も人間が無責任に意図的に創り出した架空の世界である。
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 日本民族日本人は、生まれ変わり・生き変わる、蘇る、この世に再生する事は、この世の地獄の苦しみを受け続ける事だとして嫌った。
 日本民族日本人にとっての本当の救いとは、地獄の様なこの世に蘇る事なく・生き返る事なく死にきる事であった。
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 日本神道には、死者が行く死後の世界(天国・地獄)と霊魂の救済はなかった。
 天上界である高天原(たかまのはら)は、死ぬ事のない天照大神天皇家・皇室の祖先神)が統治する天孫(天つ神)の神々が住む「不滅の穢れなき尊き世界」であった。
 地下界である黄泉(よみ)国・根の国は、月夜見や大国主命オオクニヌシノミコト、素戔嗚尊スサノオノミコト}の子孫)が統治する国つ神の神々が住む、魑魅魍魎の悪神・邪神・物のけ・妖怪が蠢く「穢れた死の世界」であった。
 地上界である葦原(あしはら)の中つ国・葦原の国・葦原の瑞穂の国は、天照大神によって五穀が豊かに実る瑞穂の国と祝福され、天上界の神々と地下界の神々が八百万の神々として良くも悪くも精を出して働く「人と人の神が住む世界」であった。
 日本の神々とは、自分に割り当てられた・割り振られた専門的職業をあくせくと汗を流し汚れながら重労働する糞真面目な「精勤・勤労・勤勉の神」である。
 働かず仕事をしなければ、日本の神々とは認められなかった。
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 日本神道において、人の死後の世界は存在せず、人が死んだらその魂・霊魂を氏神・祖先神として村近くの鎮守の杜に人神として祀った。
 鎮守の杜は、「緑豊かな山野」や「水清き水源」を穢れなき神域として抱え、命の源である神域を穢す事を許さず、踏み込んで荒らし穢す者は誰であれ理由の如何に問わず神罰として殺した。
 日本神道では、命の源である自然が人の上に存在していた。
 日本列島世界は、人が中心ではなく自然が中心として動く世界で、唯一絶対の統治者は自然で、人は統治者・自然の支配下で生かされていた。
 それは、「個性なき社会」で、我欲・我見・欲得などの私利私欲を自己消滅させる「私を殺す社会」である。
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 自分で自分を律する・正す・罰する・処断する自己責任の、「甘え」が一切認められない非情・非道で過酷・残酷な社会である。
 社会のせい、他人のせい、といった責任逃れの言い訳は許されない。
 悪いのは自分、自分自身である、それが日本の常識である。
 そこにあるのは、罪の意識ではなく恥の意識である。
 自分が悪いという恥に意識が、村八分を生みだした。
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 日本の自然において、五穀が実るという恩恵・恵みや慈雨が降るといった偶然は存在するが、死者が生き返るとか不治の病が治るとか自然災害が消えるといった奇蹟は存在しない。
 日本の自然には、「好まない」必然的な現実があって、「好む」摩訶不思議な奇蹟などない。
 日本の自然を支配しているのは、人が知り得ない絶対神の深い御意思ではなく、たまたまの偶然に過ぎない。
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 日本に死後の世界と霊魂の救済を持ち込んだのは、インド発祥の仏教であった。
 中国でもなければ朝鮮でもない、インドとガンダーラなどの中央アジアである。
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 日本人は、天竺で生まれた初期仏教ではなく、中央アジアで発展し中華的要素を加えた改革派大乗仏教を信仰した。
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 日本人の死後の憧れは唐天竺であるが、仏教の聖地である御仏が住む西方浄土であり、中華儒教の中国や朝鮮ではない。
 日本人にとって中華とは、敬して学ぶ対象であったが、親しく憧れてる対象ではなく、敬して遠ざける相手であった。


  
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