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・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
第14回 川崎大師の『婆』
女性たちが熱心に美顔を祈念する先には、パワフルな醜女が祀られていた。
インパクトが強すぎたせいだろうか、富山県の立山で目にした『おんばさま』が脳裏に焼きついて離れない。
帰京しても、ふとした拍子にあの険しい形相が思い浮かぶ。女性に会うとその顔に『おんばさま』の面影を探してしまい、言葉の端々に『おんばさま』の響きを感じたりする。しまいにこの世は『おんばさま』だらけではないかとさえ思えてくるようで、これも呪力のなせるわざなのだろうか。
そういえば立山博物館では『おんばさま』を『醜い姿』だと紹介していた。確かに両目を見開き、口を歪ませる形相は醜いといえば醜いのだが、この『醜』という言葉にも歴史がある。
頑強の意から転じて、愚鈍の意を表し、さらに醜悪さを罵倒する語にもなった。(『古典基礎語辞典』角川学芸出版 2011年)
『醜』とはもともと『頑強』、つまり『パワフル』を意味していたのである。考えてみればパワフルなものは平然としているせいか鈍感に思える。つい目を逸らしたくなるので見やすくはなく、見にくい。それゆえ『醜』は『みにくい』と訓読みされるようになったのではないだろうか。私たちが『みにくい』と感じるということは、すなわちパワフルにおののいているのだ。国文学者の林田孝和さん(國學院大學栃木短期大学教授)も次のように指摘している。
醜怪な顔には、魔除けの霊能があると古くから信じられている。(『王朝びとの精神史』桜楓社 昭和58年 以下同)
彼によると鬼瓦、般若面、天狗面なども一種の魔除け。『外部から魔性のものが侵入するのを防ぐもので、できるかぎり醜怪なもの』を使っていたらしい。みにくければみにくいほどパワーは強い。霊験としてはそれだけありがたいのである。
そう考えると、前回紹介した『日本書紀』のエピソードも違ったメッセージが読み取れる。みにくい姉を拒否して美しい妹と結婚したアマツヒコホノニニギノミコトの物語。この『みにくい』は原文では『為醜』と記されており、おそらく姉はパワフルだったのだ。そもそも姉の名前は『磐長姫(いわながひめ)』。『磐』とは神が降臨する場所で、いうなればパワーストン。名前自体が『盤石のごとく長久不変の女性』(『日本書紀① 新編日本古典文学全集2』小学館 1994年)を意味していたらしいのである。美女の妹(木花開耶姫{このはなのさくやひめ})のほうは『木の花のごとく移ろいやすい生命の象徴』(同前)とのことで、パワーの観点からすると明らかに『磐長姫』のほうが強い。彼はパワフルを避け、パワーの弱いほうを選んだ。呪いをかけられて移ろいやすい生命になったとされるが、単なる自業自得である。このエピソードは『ブスの呪いこわい』ではなく、パワースポットを見落とすな、見にくいものもきちんと見るべし、という警句だったのではないだろうか。ちなみに林田さんはこうも記していた。
今日でも醜女の妻をもつと男は幸せになるという。古来、偉大な人物は霊力ある妻を必要とした。
なんでも醜女を妻とするのは夫の『偉大性の証』らしいのである。
そんな言い伝えがあったのか。
私は驚き、ふと妻の顔を思い浮かべた。言われてみれば確かに彼女にも『醜』な部分はある。常日頃、見えない世界と交信しているようだし、私はしばしばパワーを恐れて目を逸らす。しかし彼女といることで人生は磐石だという安心感がある。大体、私は弱々しい素振りの女性が好きではない。私の知る限り、世の男たちも美女より『ちょっとブス』を好むようだが、これも『醜』な部分を求めているからではないだろうか。周囲の男たちを引きつけるのではなく、撥ねのけてほしい。妻は魔除けであってほしいのだ。
うばのネットワーク
立山博物館によると、『おんばさま』の元の名前は『うば』である。『うば』は『姥』とも書き、『姥尊』『姥?』『姥石』『姥懐』などとして北海道から沖縄に至るまで全国各地に広がっている。日本中にうばパワーが通信網のように張り巡らされているのである。
富山でも『うば』が『うば尊』となり、『うんば』→『おんば』→『おんばさま』、さらには『だつえば(奪衣婆)』と変遷したように、その名はバリエーションに富んでいるが、常在しているのは『ば』という音。漢字で書くと『婆』であり、それは元来、年寄りではなく、『女がぐるぐる舞う』(『角川字源辞典』角川書店 昭和47年)ことを表しているわしい。
何やら狂気じみたパワーを感じさせるが、さらに『婆』とは梵語の音訳、つまり仏教用語でもある。方広大荘厳経によると『婆字を唱ふる時、解脱一切繋縛の聲を出です』(『國譯一切經印度撰述部』大東出版社 昭和5年)とのこと。『婆』と声に出せば、一切の繋縛から解脱するそうなのだが、なぜ解脱できるのかというと、『婆字に繋縛の義あり』(『佛教大辭彙第五巻』冨山房 大正11年)だから。『婆字を見れば?ち一切の諸法は皆悉く因縁ありと知る』(同前)らしく、つまり『婆』とは繋縛・因縁そのもの。それを声に出すことで振り払うというわけで、『このばばあ』『クソばばあ』などという言い方も、繋縛や因縁を断ち切ろうとする一種の呪文だったのではないだろうか。
私たちを繋縛する『婆』のネットワーク。その一端を知るべく私は川崎大師平間寺に出かけてみることにした。
川崎大師平間寺は初詣に毎年300万人を超える参拝者が集まる人気の寺院。真言宗智山派の大本山のひとつであり、『もろもろの災厄をことごとく消除する厄除大師』(同寺HP)で、いうなればパーフェクトな厄除けスポットである。
境内には弘法大師空海のご本尊が奉安される大本堂はもちろんのこと、四国八十八ヵ所霊場の砂をおさめた『お砂踏参拝所』、さらには『海苔養殖紀功の碑』や『植木供養之碑』『消防紀念碑』など 50を超える碑蹟が集められており、その中に、
『しょうづかの婆』
という石像がある。『しょうづか』と『葬頭河』は、つまり三途の川のことで、この婆は実は『奪衣婆』らしいのだ。
これまで私は何度も川崎大師に出かけているが、すっかり見落としていた。パワースポットをスルーしていたわけで、反省を込めて『しょうづかの婆』を中心に参拝し直したいと考えたのである。
川崎大師駅から商店街を歩いて約10分。門前の仲見世通りに入ると、盛んに『咳止めの飴』が売られている。
なぜ咳止め?
かねがね疑問を抱いていたのだが、はたと気がついた。関東近辺の姥?様は大抵、咳止めに御利益があるとされている。『うば』と『咳』は何の関係もないように思えるが、江戸時代の修験者、行智が次のように解説していた。
まづ咳てふ言はのちにいひよそへぬるものにして、もとは関の姥てふ神にはあらずや。(『甲子夜話4』平凡社 昭和53年 以下同)
『せき(咳)』とはもともと『せき(関)』。音が同じなので意味が転じたそうなのだ。『関』とは『遮(サエギリ)の意なるべし』とのことで、『往かふ人をえらびて、入まじきものを遮りとどむる』。つまり姥は関所の番人のような神様だったのだ。彼によると、そのはじまりは『古事記』にある黄泉国のエピソード。『見るな』と言われたのにイザナキはイザナミの醜怪な姿を見てしまう。イザナミは激怒し、イザナミは逃げる。そこでイザナミは黄泉国の醜女たちにその後を追わせる。イザナキと醜女たちとの攻防が繰り広げられるのだが、最後にイザナキは『千引(ちびき)の石』を置いて道を遮る。『千引の石』とは千人かかっても動かない巨石。その巨石に因んで人々はムラなどの境界線に石を置き、やがて『黄泉醜女の像を模して作られる』ようになったそうだが、行智がこう疑問を呈していた。
石と醜女とは、敵身方の如く隔れる神なれども、それが混じて遮る石に直に追来し醜女の形を彫たるはいかなる心ならむ。
醜女を遮るために石を置いたのに、その石を醜女にするのは矛盾しているのではないか、とのこと。彼は『それは人考へよ』と匙を投げているのだが、私にはわかる。パワフルな醜女に対抗できるのは、よりパワフルな醜女しかいない。大体、石などで遮れるはずがないのだ。
醜女vs醜女。火花が飛び散るようで、さらに見にくくなるのである。
剥ぎとれば美人
大山門をくぐり、まず大本堂に参拝す。そして案内図を頼りに『しょうづかの婆』を探してみると、それは出口(西解脱門)の手前にちょこんと鎮座していた。言われなければ見落としてしまう場所なのだが、隣が墓地なので間違いなく奪衣婆のポジショニング。すぐ近くの柱には看板が掲げられている。
美肌 きれいな歯
しょうづかの婆さん
美しさをつかさどる
美しさ?
私は目を丸くした。『醜』ではないのかと。実際に石像を眺めてみても、決して美しくはない。口は半開きで険しい表情。『婆』と声を出しているかのようである。
なぜ『美』なのか。立山の『おんばさま』は美女を杉や石に変えたり、血の池に堕としたりする。ブスの妬みから美女を駆逐するということで辻褄が合っていたような気がするが、こちらは逆。それこそ矛盾しているのではないだろうか。
『奪衣婆とは、着ているものを剥ぎ取るということですよね』
解説してくれるのは川崎大師平間寺広報課の天沼寛文さんである。
三途の川で死者の着物を剥ぎ取るのが奪衣婆の役割。着物の重さが罪の裁定につながるわけで、地獄の沙汰も彼女次第なのである。
『この「剥ぎ取る」ということが重要なんじゃないかと思います。奪衣婆は剥ぎ取る時に着ているものだけじゃなくて、悪いものも一緒に剥ぎ取ってくれると』
──悪いもの?
『そのひとつが歯痛です。主に首から上のことのようです』
剥ぎ取られると聞くと、盗まれるような印象があるが、剥ぎ取られてさっぱりすることもあるということだ。
聞けば、昭和30年頃まで川崎大師には地方から『歯痛を治してください』というハガキが届いていたという。石像の近くに郵便受けが設置され、郵便配達人がそこに届けていたそうだ。宛名はなぜか『野木甚左衛門様』か『久兵エ様』だったらしい。
『戦災で史料を焼失したので、なぜこのふたりなのかわかりません。おそらく口コミで「歯痛が治る」と広がっていったんじゃないでしょうか』
──しかしなぜ、それが『美しさ』になるんでしょうか?
私がたずねると彼は微笑む。
『歯が痛くなると顔が腫れますよね。それで痛みがとれると腫れがひいてキレイになる。それで美顔。心も体も美しくなるということになったらしいです。いろいろ転じていますが、本当に口コミの世界の話ですから』
口コミでじわじわと広がり、昨今のSNSで一気に拡大。多くの女性が『しょうづかの婆』に美顔を祈願するようになったらしい。そこで川崎大師では目印として看板を用意し、『べっぴん守』(500円)の授与も開始した。『美しさをつかさどる「しょうづかの婆」にあやかり、〝美〟を祈念したお守りです』(ポスター)とのことで、奪衣婆はいつの間にか『美』の仏様に。本人がどう思っているのか知る由もないが、醜パワーとしては調子が狂うのではないだろうか。
実際、『しょうづかの婆』は妙な服を着せられていた。パステルカラーのワンピースで、こう言っては何だが、あまり似合っていないように見える。
──誰が服を着せているんですか?
近くにいた関係者にうかがうと、『熱心な方がいらっしゃるんです』とのこと。なんでも季節ごとに衣替えに来るそうで、『どういう方なんでしょうか?』とたずねると、『昔、キレイだったんじゃないかな、という人』。おそらく『美』を祈願しての着せ替えなのだろう。
奪衣婆が服などを剥ぎ取り、信奉者が服を着せる。一種のリサイクルのようだが、そういえば立山の『おんばさま』にも年に1回、『お召し替え』という行事があった。地元の還暦を過ぎた女性たちが新たに死装束をつくって『おんばさま』に着せる。これは自分の死後に『きっと剥がされるであろう死装束を「●(儡のイが女)尊=奪衣婆」に前渡ししていることに喩えられている』(福江充著『立山信仰と布橋大灌頂法会』桂書房 2006年)そうで、これなら事前返却できる。もともと奪衣婆から借りた『胞衣({えな}胎盤)』を早めに返すことになるが、『しょうづかの婆』のほうはおしゃれ着のようで、盗人に追い銭ならぬ、追い剥ぎに追い服みたいではないか。
『うば』から『オバ』へ
一体、どういうことなのか。
そこであらてめて全国の『うば』にまつわる昔話を調べてみると、実は『うば』は『うば神』より、『うば皮』『うば頭巾』『うば衣』として広く普及していることに気がついた。
物語の基本はほとんど同じである。旱魃などで困窮する両親のために娘が身代わりとして蛇やカエルなどの元に行く。彼女は道に迷い、山姥に助けられる。そして山姥から『うば皮』を受ける。これを着ると老婆のようになり、盗賊なども近寄らない。身の安全を確保できるわけで、娘は無事生き延び裕福な家に雇われ、風呂焚きなどの仕事につく。ある日、そこの御曹司が部屋などで『うば皮』を脱いだ娘を目撃し、あまりの美しさに恋煩いに落ちる。そして結局、その家の嫁として迎えられ、しあわせに暮らしました──というストーリーである。
要するに、『うば皮』は身を守るための衣装。それを剥ぎ取れば実は絶世の美女というシンデレラストーリーなのだ。
昔話の中には、うば皮を着ると『顔まで婆顔になり』(福島県伊達郡保原町柱田/『日本昔話通観 第7巻』 同朋舎出版 1985年)と完全に変身を遂げるものもあるし、うば皮を授けた老婆が『娘の姿になり、娘は婆の姿になる』(宮城県登米郡豊里町本地/『日本昔話通観 第4巻』 1982年)と老婆も実は若い美女だったという混乱する話もある。美女だと気がついて結婚する御曹司もいれば、その働きぶりに感銘を受けて結婚し、うば皮を脱いだら美女だったという道徳的な物語もある。冨山の女性も『ブスを装っているうちに本当にブスになる』と言っていたが、それもうば皮物語のひとつかもしれない。いずれにしても『うば』が衣装なら、場面に応じて切り替えることもできるし、『実は絶世の美女』という可能性も留保できるのだ。
もしかするとそこに日本女性の美意識、いや醜意識なのかもしれない。現在でもテレビ番組などのファッションチャックは、うば皮を見つけて『婆婆さい』と裁定しているようである。
例えば、『おブスの言い訳』(植松晃士著 講談社 2004年)。著者によると、大人の性には3つあるという。曰く、
女性(お姫様)と男性、そして第三の性である『オバ』の3つです。
『うば』ならぬ『オバ』。ファッションに気を配らないと『オバ』に『変化(へんげ)』し、『一生、図々しくて厚かましい醜い生き物として生きていかなきゃなりません』と警告する。ただでさえ30代は肉体的な衰えが始まる『おブス期』。どう装うかで『姫』か『オバ』か決まるとのことで、うば皮の正しい着脱を指南しているかのようなのだ。確かに大切なのは顔の良し悪しよりセンスだと私も思う。服装のセンスがよければ顔も輝いて見えるわけで、そのためにも彼のような奪衣婆に一度すべてを剥ぎ取ってもらったほうがようのかもしれない。
『しょうづかの婆』の脇でしばらく佇んでいると、ポツリポツリと女性たちがやってくる。偶然かもしれないが、なぜか皆さんふくよかで野暮ったい服装。考えてみれば、ダイエットも一種の『剥ぎ取り』である。贅肉を剥ぎ取られれば美人ということか。」
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日本の美は、木に刻まれ、はかなく、弱々しく、うつろいやすかった。
西洋の美は、大理石に彫られ、活力に溢れ、力強く、永遠に変わらなかった。
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花鳥風月及び虫の音に美を感じる日本文化には、永遠の美や永遠の命は存在しない。
日本の宗教において、霊力を秘めているのは不完全な美=醜であって欠けた所のない完全な美ではなかった。
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美女は三日で飽きるが、醜女は三日で慣れる。
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ローカルな日本民俗は、グローバルな中華儒教に毒されていない為に偏執的男尊女卑に汚染されていない。
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日本神道の最高神は、女性?である天皇家の皇祖・天照大神である。
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