🏞89)─1─江戸時代の日本は庶民文化大国であった。文明・文化・宗教の核が天皇である。~No.369No.370 ㉜ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。  
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本民族と中国人・朝鮮人とは違っていた。
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 日本文化は日本民族の独自文化であって、中国文化や朝鮮文化とは縁も所縁もない孤立した文化である。
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 閉塞・閉鎖された日本は特殊・特異な庶民(百姓や町人)文化大国であった。
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 現代の日本人は、昔の日本人に比べて歴史力・文化力・宗教力が乏しい。
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 庶民文化は、喜怒哀楽の粋、いなせ、男伊達 、気風である。
 武士文化は、仏教文化・禅の影響を受けた潔さ・静謐である。
 公家文化は、雅であった。
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 2021年1月号 WiLL「石平が観た日本の風景と日本の美 41
 タイムマシンに乗って江戸時代へ
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 中国出身の知識人の端くれとしては、まずタイムマシンに乗って中国史上の春秋戦国時代や唐・宋の時代に戻って、往時(おうじ)の古き良き文化国の姿をこの目で見てみたい。その時には、もし運が良く、戦国時代の諸子百家人間学や論理学などについて激論している場面をこの目で見ることができたら、あるいは中秋(ちゅうしゅう)の名月の下で、あの詩人、李白を囲んで皆で一緒に痛飲でもしたら、もしくは、わが四川出身の大文人、蘇東坡(そとうば)の優雅なる物見遊山に同伴でもできたら、私にとって、一体、どれほど幸せなことか。
 そして、今や日本人になっている私からすると、タイムマシンに乗って行ってみたい日本史上の時代もいくつかある。紫式部が『源氏物語』を生み出した、あの雅で豪華絢爛な王朝時代、金閣寺銀閣寺が建立され、侘び・寂びなどの日本的美意識が生まれた室町時代、そして、英雄たちが天下獲りの壮大なドラマを演じて見せた、あの大乱世の戦国時代。読者の皆様も、おそらく、これらの時代のどれかに行ってみたいのではないか。
 しかし、前述の真剣に聞いてきた息子に対して、私が真剣な気持ちで口にしたのは結局、『江戸時代へ行ってみたい』という答えだった。息子の手前、嘘偽りでは全くない。そう、もし一度だけタイムマシンに乗るチャンスがあるなら、私はやはり、日本の江戸時代へ行ってみたい。
 私が憧れている中国の諸子百家の時代も、文化の爛熟した唐・宋の時代も、実は日本の江戸時代に移植され、凝縮されている。この江戸時代において『論語』のエッセンスを学びたいならば、京都の町人、伊藤仁斎の塾へ行けば良いし
漢詩の世界に遊びたいなあ頼山陽の弟子になれば良いし、唐・宋の時代で発展した禅の悟りを開きたいなら、永平寺や京都の五山へ行けば良いのである。
 中国文化が日本の江戸時代に開花したのと同時に、日本の思想と芸術の最高峰は、この時代において出現した。芭蕉の俳句、琳派の襖絵、写楽北斎の浮世絵、そして本居宣長国学山鹿素行や山本常朝の武士道・・・と、日本の精神文化の真髄なる部分もこの時代に完成されている。
 江戸時代は武士が精神と教養を高めた時代であると同時に、普通の町人たちも生き生きと文化的生活を楽しめた風流な時代であり、農家の子供たちも寺子屋で算数や文字を学んだという教育水準の高い時代である。
 そして全体的に言えば、平和であって、治安も良く、衛生的であって、穏やかな社会が、この日本列島にあった。しかも、それが260年も続いたのである。
 このような江戸時代だからこそ、私の憧れの世界になるのは当然のこと。……この江戸時代へ飛んでいきたい。そして、江戸の街を歩き、大坂の街を歩き、京都の街を歩き、東海道中山道奥の細道を歩いてみたい。そして旅先で運良く、あの水戸黄門芭蕉に会えたら、なおさら良い。
 こうして自分の息子と、同世代の子供たちが日本の伝統と文化の良さを多少とも理解できるようになれば良い・そして彼らの世代の力で、江戸時代を超えるほどの素晴らしい日本をつくってくれたら、それは、なおさら良い。そうすると私は、もうタイムマシンに乗って江戸時代へ行かなくても良い。……」
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 実用の読み書き、実利の算術・ソロバン。
 観念的を嫌い、合理的を好んだ。
 その為、哲学や思想はあっても、イデオロギー(主義主張)はなかった。
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 公家や武士は、能を舞い、小鼓(こづつみ)を叩き、琵琶を奏で、笛を吹き、琴を弾き、漢詩を作り、漢書・和書・古書を読み、詩吟を歌い、和歌を詠み、連歌を競い、辞世の句を残し、囲碁を打っていた。
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 庶民は、歌舞伎や文楽浄瑠璃を見て泣き、落語や講談を聞きて笑い、舞踊・御神楽・祭踊・民踊を楽しみ、太鼓を叩き、尺八や横笛を吹き、三味線を弾き、今様の読み物を読み、常磐津・都々逸を唸り、民謡を唱う、俳句・川柳を競い、将棋を指し、歌留多を取り合い、双六に興じた。
 そして、多くの人々が日常的に和食(旬の食材)、和菓子(季節の趣き)、茶道(茶の湯)、華道(花生け)、香道(香を焚く)などを嗜んでいた。
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 日本国語に翻訳語
 平仮名、片仮名、漢字。
 当て字。
 新語。造語。
 崩し文字。
 音。音読み。
 字音。 文字声。呉音。 漢音。 唐音。 宋音。 唐宋音。
 訓。訓読み。
 国音。読み声。字訓。訓ず。訓ずる 訓(よ)む。
 遊び読み。戯れ読み。とんち読み。謎かけ読み。隠し読み。
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 日本画。浮世絵。錦絵。
 瓦版。
 落首。風刺。
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 完全と不完全。
 新品と中古品。
 日本産と舶来物(西洋・中国・朝鮮)
 古典と斬新、けれん。
 昔ながらと今様。
 変わらないと変わる。
 正しさと異なる。
 豪華・華美と侘び・寂び。
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 多色画と一色画=水墨画。 
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 秘すれば美。
 歪(いびつ)、歪(ゆが)みも美。
 壊れて直した跡も美。
 醜も美。
 壊れても美。
 未熟も美。
 拙きも美。
 幼さも美。
 全てが美。
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 心穢きもののみが醜悪。
 邪な心が醜悪。
 恣意の強気が醜悪。   
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 静寂の中で、座禅をし写経を行った。
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 旅行好きな人々は、全国の御利益があると言われる寺社仏閣を巡り、名湯と言われる温泉に行って浸かり、各地の名勝景勝地に出かけて眺めて楽しみ、郷土料理や名物料理を食べ歩いて食通になって批評を広めた。
 それらを番付・順位付けした旅行案内書は飛ぶように売れていた。
 通を自認する人々は、玄人が付けたオンリーワンやナンバーワンの番付・順位付けに興味を持ったが、同時に、素人のへそ曲がりで番付・順位に入らない誰も知らない番外編の隠れた穴場を探しに歩き回っていた。
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 多岐・多方面・多種多様な日本文化は、身分、階層、家柄に関係なく、自分の興味による趣味が嵩じて、更なる高みへの好奇心と探究心で極められていた。
 そこには、宗教、哲学、思想そして主義主張(イデオロギー)さえも関係なかった。
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 日本民族の伝統・文化・宗教・日本国語・歴史は、如何なる憲法・法律に拘束されないし影響も受けない。
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 日本民族の伝統・文化・宗教・日本国語は、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌に根を張り栄養を得て華を咲かせ、空気の中に1/fゆらぎやマイナス・イオンを充たしている。
 日本の花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌は、多発する複合的自然災害、疫病、飢餓、大火の中から生まれてくる。
 花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌は、命を生み出す良神・和魂・御霊である。
 複合的自然災害、疫病、飢餓は、命を奪う悪神・荒魂・怨霊である。
 「生」の良神・和魂・御霊に感謝し「死」の悪神・荒魂・怨霊を鎮める祀りは、私心なき清明心を持つ最高位の祭祀王である天皇だけが行える神聖な務めである。
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 過酷な自然の中で甚大な災害に幾つも襲われても、日本民族日本人は自然を信頼し人を信用しきっていた。
 日本民族日本人は、最悪な自然災害の中を必然として奇跡を得て生き抜いたのではなく、活力と勢いで幸運を引き寄せ偶然を掴み取って逃げ切った。
 日本民族日本人の特性は、自然や人を信じきり、身も心も命さえも委ねきり、そして明日の為に今日を生きる事である。
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 日本列島は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時的に頻発する複合的災害多発地帯であった。
 江戸時代、日本社会は中国社会のように崩壊し地獄のような内戦になる事はなかったし、西洋のような動乱や暴動や人民革命も起きなかった。
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 日本で純粋に雑じり気なしの「陰徳」を体現しているのは、神の裔で神聖不可侵の日本天皇のみある。
 一般の日本人には、完全無欠の陰徳はなく、大小・濃淡・深浅の瑕(きず)が存在する。
 つまり、日本人とは傷物であり不完全であり未熟であり、そして心が穢れている。
 だが、日本人には生まれながらにしての「原罪」は存在しない。
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 本村凌二「じつは、歴史を紐解いてもナンバー2が指導者へと立場を変えて成功を収めたケースはそう多くはない。日本史でいえば保科正之幕藩体制のなかで強い影響力をもち、ある側面では実権を握ったかもしれないが、あくまでも将軍・徳川家光を後ろから支えたからだ。
 いくら実務能力に長(た)けていても、指導者として力を発揮(はっき)できるかといえば別の話だ。安直な物言いにはなるが、表に立ち人を束(たば)ねるには一種の人間的魅力を備えていなければならない。歴代ローマ皇帝を振り返ると、クラウディウス(紀元前10年~紀元54年)は前皇帝カリグラの暗殺後、期待されずに指導者の座に就いた。崩壊しかけた財政を立て直し、クラウディア水道を完成させるなどの結果を残したが、人間的魅力に欠けていたから思うようには求心力を得られず、血縁関係内の諍(いさか)いに足を引っ張られて暗殺されたと考えられている。
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 人間的魅力とは、何も先天的な資質ではない。人として一途に誠実に生きれば周囲は自ずと付いてくるものだ。疑惑が生じた際には、必要であれば説明する。政策を進めるうえでも、周囲や民衆を納得させる。このようにつねに真摯な態度が求められる点では、実務能力が優れていれば合格点が与えられるナンバー2とはいささか異なる点であろう。
 また、リーダーシップの基本は、いざというときに捨て身で自分が責任をとる姿勢をみせることだ。近年では潔(いさぎよ)さを備えた人物は政治家にかぎらず少なくなったように思う。誰もが手柄をわがものにし、責任を他人に押し付ける時代。『人にやったことはすぐ忘れろ。人からしてもらったことはずっと覚えとけ』とは再び裕次郎さんの社訓だが、日本人は『陰徳({いんとく}善行をひけらかさないという美徳)』という概念を忘れてしまったのか。日本という国を統(す)べるのであれば、わが国で大切にされ続けてきた美徳を大切にして、はじめて周囲が心の底から指導者に足(た)ると認めるのではないか。そうした営(いとな)みを重ねて平時に信頼を築いてこそ、コロナ禍のような有事に能力を発揮することができるのである。」(2020年12月号 Voice「歴史に学ぶ激変期の指導者の要諦」)
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