🌈15)─1─日本の伝統文化は表=四季の文化と裏=災害の文化で、民族宗教に根を張っている。~No.29No.30 * 

天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)
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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 四季の文化とは、生前の物語・生前の思想である。
 災害の文化とは、後生の物語・後生の思想である。
 日本民族日本人の希望の物語は、生前の物語と後生の物語の合作である。
 それが、日本仏教の此岸と彼岸である。
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 表=四季の文化とは、明・光そして生の文化である。
 裏=災害の文化とは、暗・闇そして死の文化である。
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 伝統文化とは、数千年前の弥生時代古墳時代に行きつく。
 民族宗教とは、数万年前の石器時代縄文時代に行きつく。
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 日本民族は、縄文時代に何度も自然クライシスに襲われ、その度に絶滅・死滅の縁に追い込まれながらも「しぶとく、そして柔軟」に生き延びてきた。
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 2018年8月6日 読売新聞「『災害文化』教訓後世に  大阪本社編集委員 川西勝
 西日本豪雨から一ヶ月
 吉備(きび)高原から流れ出る一級河川小田川は、岡山県倉敷市真備(まび)町付近で勾配が緩やかになる。このため一帯では、上流で降った雨が低地に氾濫する被害に古くから苦しめられてきた。
 江戸時代には『神楽土手』と呼ばれる堤防で集落を取り囲んで守る輪中(わじゅう)が築かれた。1893年(明治26年)の大洪水で堤防が流失した後は住民による水害予防組合が組織され、排水路の手入れや水門の閉鎖、避難誘導を自らの手で行ってきた。
 災害に何度も襲われた地域では被災の経験や教訓、対応策が世代を超えて受け継がれることがある。米国で1960年代にハリケーンの常襲地域を調べた社会学者が、こうした地域共有の智恵を『災害文化』と名付けた。
 真備町でも住民自ら水防活動をしていた時代には、災害文化があったはずだ。だが、7月豪雨の後で住民に話を聞くと、洪水が繰り返されてきた歴史を知って備えた人は、残念ながらほとんどいなかった。
 大きな堤防の整備に伴って河川整備は国や自治体の手に移り、川は住民から遠い存在になった。ベッドタウンとして宅地開発が進むと、新しい住民が増えた。時代の流れとともに災害文化は失われた。
 今回の豪雨で土砂災害が多発した広島県の被災地でも災害の記憶を刻んだ石碑が各地に残されていたが、備えは生かされていない地域が多かった。
 『過去の災害を知ることが、未来へ備える出発点になる。学校や公民館を拠点に災害の記録を冊子に残すような活動を手始めとして、地域全体へ裾野を広げる取り組みが必要だ』と地域防災に詳しい石原遼河・龍谷大学講師は指摘する。
 実際に、災害文化を復活させた地域もある。
 京都府亀岡市篠町(しのちょう)柏原(かしはら)地区は51年の豪雨で75人が死亡したが、次第に忘れられた。半世紀を経て記憶の風化に危機感を持った地元有志が被災者から経験を聞き取り、犠牲者の分布図も作成して2009年に水害記録集を自費出版した。
 学校は防災授業も行い、子どもたちが水害の紙芝居を手作りした。活動が地域に根を下ろした結果、大雨の時は素早く避難するなど防災意識も高まった。
 被災地はこれから復興に向けて本格的に動き出す。地域社会の再生計画には、災害文化の復興も組み込むべきだ。災害の記憶が薄れている他の地域も、災害文化の復活に向けて一歩を踏み出してほしい」
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 日本と日本人を 伝統・文化は、受け継がれなければ、継承されなければ、次の世には残らず、絶えて消える。
 日本民族の伝統文化は、絶える事なく、断絶する事なく、いにしえの昔から今日まで見た目の姿形は変わっても本質は古層の中に脈々と生きて存在している。
 それは、数万年前の石器時代縄文時代につながっている。
 日本民族は、縄文時代に何度も絶滅しかけたが、必然的当然ではなく奇跡的偶然によって生かされてきたが、それは特殊でも特別でもなく秀でていたわけでも優れていたわけでもなく、ありきたりな平凡で普通だったからである。
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 救うのは民族性・民族力で、ローカルなマイノリティーであってグローバルなマジョリティではない。
 参考になる日本の生き方は、日本民族の物語であって世界の歴史ではない。
 中国や朝鮮の中華の歴史でもなければ、欧米諸国の西洋の歴史でもない。
 だが、世界で活躍できる人材を育成する為に、西洋の歴史は学ばねばならない必修科目であったが、日本民族の物語は物好きな変わり者が読む選択科目とされた。
 西洋の文化や美術・芸術は高度で優秀だから学び身に付け、日本の文化や美術・芸術は取り立てて優れていない為に趣味・道楽として知っていればいい。
 外国人に自己主張する為に英語教育は必修だが、国際共通語になっていない日本国語は深読みする必要はない。
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 日本民族の歴史とは、数限りない自然災害に襲われ、打ちのめされ、甚大な被害と夥しい犠牲者を出しながらも、涙をこらえながら立ち直り、笑いと共に復興・復旧に邁進する不屈の物語である。
 日本民族日本人の物語は、誰に恥じる事もなく、胸を張って誇るべき物語である。
 日本民族日本人の物語とは、地べたを這いずり回る逞しい物語であって階段を駆け上がり高見に到達する偉大な物語ではない。
 日本民族日本人は、貧しいが逞しい民族であって豊かで偉大な民族ではない。
 日本民族日本人は、暗さを心の中に抱えながら、明るく瓦礫を片付け新しい家を建てた。
 日本民族日本人は、愚痴一つ言わず、不平不満の一言も漏らさず、ただただ、黙々と、耐え忍ぶ、呆れるほどに我慢強い民族である。
 そして、競わないし、争わない。
 泣いても、笑っても、怒っても、一日は一日。どうせ一日なら笑って過ごす。
 日本民族日本人は、嘘をつかず、偽らず、騙さず、誤魔化さず、素直に、正直に、誠実に、生きる。
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 2018年8月10日 産経ニュース「台風西進、猛暑、豪雨は「異常気象の連鎖」 気象庁見解
 専門家でつくる気象庁の異常気象分析検討会は10日、7月の西日本豪雨と「災害級」とされた猛暑を受けて臨時会を開き、梅雨明けが早かったことや台風12号の西進なども含めて、「異常気象の連鎖だ」との見解を示した。
 西日本豪雨では、7月の月降水量が平年値の2〜4倍となるところがあるなど、前例がないほどの降水量になった。西日本付近で、発達したオホーツク海高気圧と太平洋高気圧の間で梅雨前線が長期間停滞し、さらに多量の水蒸気が南から流れ込んだことが主な要因だった。
 7月は埼玉県熊谷市で国内の観測史上最高となる41・1度を観測し、東日本では月平均気温が7月として最高になった。太平洋高気圧とチベット高気圧が日本の上空で重なり続けたためという。
 いずれも気候的な背景として、上層のジェット気流の蛇行が続いたほか、地球温暖化に伴う気温の上昇と大気中の水蒸気量の増加も関連しているという。
 東京大先端科学技術研究センター教授の中村尚・検討会長は臨時会後の記者会見で、関東甲信地方が観測史上初めて6月に梅雨明けしたことや、台風12号が東から西へ列島を横断する異例のコースをとったことも含めて「互いに関連している。一連の連鎖と考えるべきだ」とした。
 また、気候変動や地球温暖化の状況から、同様の猛暑や豪雨について「今後も起こりうる。備えはますます必要になる」と注意を呼びかけた。(山岸玲)」
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 8月1日 産経ニュース「【西日本豪雨】「豪雨と猛暑は30年に1度よりも発生確率が低いという意味で異常気象」 気象庁が7月の気象まとめる
 40度を超える猛暑となった岐阜県多治見市で、水遊びする子どもたち=7月23日
 気象庁は1日、7月の天候まとめを発表した。平均気温は昭和21年の統計開始以降、7月の最高記録を更新した東日本を中心に全国的に上昇。降水量は豪雨や台風に見舞われた西日本で多く、特に太平洋側は平年の2倍の雨量となった。気象庁気候情報課の竹川元章予報官は「豪雨と猛暑は30年に1度よりも発生確率が低いという意味で異常気象だ」と総括した。
 気象庁によると、太平洋高気圧とチベット高気圧に覆われて晴天が続いたため、各地で気温が上昇。東日本(関東甲信、北陸、東海)の平均は平年よりも2・8度高く、7月の最高記録を更新した。西日本(近畿、中国、四国、九州)も1・6度高く、7月として統計史上2位の高温だった。
 また、梅雨前線や台風の影響で降水量は北海道の日本海側、近畿、四国、中国の山陽側で平年の2倍を超えた。沖縄は平年の3倍を超えた。
 東日本の日本海側の日照時間は7月としては統計史上最も長かった。
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 8月5日 読売新聞「『メソ低気圧』梅雨前線内に
 西日本豪雨で、停滞していた梅雨前線の中に『メソ低気圧』が発生していたと、気象情報会社『ウェザーニューズ』(千葉市)が発表した。『メソ』とは『中間』の意味で、通常より規模の小さい低気圧を指す。広島、岡山両県の一部では7月7日朝に2度目の雨のピークを迎えており、同社は、メソ低気圧の影響とみている。
 通常の低気圧は1,000キロ・メートル以上の大きさだが、メソ低気圧は数百キロ・メートルほどで、梅雨の時期には前線の中や近くでしばしば発生している。
 同社によると、気象庁の観測データを解析した結果、7月6日に長崎県付近で、直径が推定約200キロ・メートルのメソ低気圧が発生し、7日にかけて中国地方に進む様子が見られたという。
 同社予報センターの気象予報士、坂本晃平さんは『メソ低気圧には風が流れ込み、上昇気流が生まれやすくなる。今回はメソ低気圧の出現で南西からの水蒸気の流入が強まり、被害の拡大につながった恐れがある』と話す。
 死者・行方不明者299人を出した長崎大水害(1982年7月)では、メソ低気圧が発生し、豪雨を引き起こしたことがわかっている」
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 8月6日 産経ニュース「東北は山形を中心に記録的大雨 西日本を中心に猛暑も
 日本列島は6日も東日本、西日本を中心に気温が上がった。気象庁は各地に「高温注意情報」を発表し、熱中症対策を呼び掛けた。一方、停滞する前線の影響で、東北は山形県を中心に記録的な大雨となった。土砂災害や洪水の危険性が高まっている。
 気象庁によると、6日朝までの気温は岐阜市三重県桑名市前橋市などで30度を超えた。予想最高気温は名古屋市39度、甲府市岐阜市で38度。
 東北の雨は5日昼ごろから山形県を中心に非常に激しい雨が断続的に降り、24時間雨量は山形県金山町で312・0ミリと、平年の8月1カ月分を超え、この地点での過去最大となった。また戸沢村は1時間に100ミリの雨が降ったとみられ、気象庁は、数年に1度しか発生しない短時間の大雨で災害が発生する恐れのある場合に出す「記録的短時間大雨情報」を出した。
 山形県山形地方気象台は6日午前8時過ぎ、新庄市舟形町戸沢村など11市町村を警戒対象地域に指定、「市町村から発表される避難勧告などの情報に注意してほしい」と呼びかけた。
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 8月11日 産経ニュース「熱中症搬送3カ月で7万人超、年間最多すでに更新 死者138人 消防庁集計
 総務省消防庁は7日、熱中症のため4月30日〜8月5日の約3カ月に救急搬送されたのは累計7万1266人で、年間で過去最多だった平成25年(6月1日〜9月30日)の5万8729人を既に上回ったとの速報値を発表した。死亡したのは138人だった。
 日本列島が長期にわたり高気圧に覆われ、7月23日に埼玉県熊谷市で国内観測史上最高の41・1度を記録するなど、各地で猛烈な暑さが続いたためだ。
 今月6日にも岐阜県下呂市で国内2位タイの41・0度を観測。消防庁は今後も暑い日が続くとみて、こまめな水分補給や適切なエアコンの使用といった予防策を呼び掛けている。
 今年の集計は25年より約1カ月早い4月30日に始まった。ただ、搬送者数の累計は5月分の確定値(2427人)を差し引いても25年を既に上回っている。」
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 8月11日 産経ニュース「一時4600人に避難準備発令 栃木で1時間120ミリの記録的大雨
 10日夕から夜にかけて激しい雨が降り、記録的短時間大雨情報が相次いで発表された栃木県では宇都宮市などで計約1900世帯約4600人を対象に「避難準備・高齢者等避難開始」が発令された。11日午前4時すぎに全て解除。県によると、宇都宮市で40人が一時、避難所に避難した。
 栃木県危機管理課のまとめによると、さくら市で2棟の住宅が床上浸水、同市や宇都宮市那須烏山市で計14棟が床下浸水の被害があった。負傷者は確認されていない。
 宇都宮地方気象台によると、同日午後6〜8時ごろ、レーダー解析による1時間降水量が宇都宮市那須烏山市高根沢町で120ミリ、さくら市で110ミリに上り、記録的な大雨となった。」
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 日本の災害は、地球温暖化で巨大化と広範囲化しながら数を増し、その破壊力による被害はこれまでの予測・想定をはるかに超してくる。
 昔は小さな被害く死傷者は少なかったのが、今後は大きくなり甚大なる被害をもたらし数多くの犠牲者を出す。 
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 災害文化とは、日本民族日本人が日本列島特有の自然災害多発地帯の中を逃げ回りながら生き抜き、命を犠牲にしながら生みだした日本民族固有の文化である。
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 四季の文化と災害の文化を両輪とする日本文化は、日本民族日本人だけの固有文化で、中国や朝鮮とは無関係で、中国人や朝鮮人には理解できない。
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 災害の文化はムラ文化で、生死・運命を共にする事を誓う一致団結・全体一致・一味同心を不文律とし、個・個性を殺しムラ人として団結する事を強制した。
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 日本全国を、そうした生死と運命を共にする地域共同体・ムラ共同体が覆っていた。
 地域共同体・ムラ共同体は、お上や行政を頼らず当てにせず、自分達の事は自分達でなんとかするとして独自に行動・活動していた。
 それが、ムラ根性・百姓根性であった。
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 個を絶対視する世界が驚嘆し恐怖して破壊・消滅させようとした、日本民族日本人の没個性的集団行動の強さはここから発生いていた。
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 日本民族日本人固有の空気・空気圧・同調圧力、配慮・思い遣り・忖度の真の姿は、ここにある。
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 真の「言霊信仰」もここにあった。
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 日本文化(日本民族固有文化)の心髄には八百万の神々への敬虔なる祈りがあり、その神髄には他に代える事のできない神の裔・天皇への畏敬の念が存在する。
 つまり、日本文化(日本民族固有文化)と八百万の神々への祈りと神の裔・天皇への崇敬は好一対である。
 この不分離の関係性は、絶対神の福音(隣人愛の信仰)のキリスト教、人民の正義のマルクス主義共産主義)、天帝の徳の中華儒教など、排他的不寛容な唯一無二の絶対価値観を掲げる宗教や主義・主張とは交わる事がない水と油である。
 特に、マルクス主義共産主義)とは分かり合う事が絶対にない。
 まず、マルクス主義共産主義)には好一対の不分離の関係性が理解できない。
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 四季の文化と災害の文化は、日本国語でのみ表現されている。
 日本文化とか、日本国語の事である。
 日本国語は、言霊信仰である。
 花鳥風月プラス虫の音、苔と善玉菌を深く観察し味わって鑑賞する事によって、今この時の四季の変化と近日中に起こる可能性のある災害を知る事だできる、と信じていた。
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 災害の文化は、災害を忘れない為に、死者・犠牲者を覚えている為に、各地で追悼の祭り・鎮魂の祭り・供養の祭り、回向・彼岸・施餓鬼・盂蘭盆地鎮祭など生みだした。
 そして、花火、凧揚げ、相撲、盆踊り、夏祭り、歌舞伎、能楽、田楽、お神楽、生け花・華道、茶道、浮世絵、水墨画、和歌、短歌、俳句、民謡、民話、昔話などであった。
 それ故に、生を楽しむ日本の催しの中にはひっそりと「死」が隠されている。
 如何に命を震わせる熱狂的な躍動感ある踊りであっても、その内には寂寞感が潜んでいる。
 陽気に見えて陰気であるが、同時に、陰気に見えて陽気である。
 ネクラに見えてネアカ、そして、ネアカにみえてネクラ。
 ポジティブでありながらネガティブ、ネガティブでありながらポジティブ。
 本音と建て前もそこから出ている。
 やせ我慢の気質が、日本民族日本人である。
 日本民族日本人であれば言わなくても分かり合えるが、世界では説明されても理解できない点である。
 「一期一会」とは、今目の前の生きている相手と死んで会えなくなった相手と、心・魂を通わす、想い気持ちを同じくする、という意味がある。
 日本では、生と死は切り離される事なくつながっている。
 故に、現代の金儲け目的のイベントやビジネス・ショーなどはない、関係なかった。
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 日本列島は複雑な地形をしていて、日本人気質は一つではなく多種多様で「これが日本人である」という「確固たる明解な説明が付く性格」はない。
 北はアイヌ人・津軽人から南は薩摩人・奄美人・琉球人まで、数多くの異なった人間が生活していた。
 それら全てを日本民族日本人というが、日本民族日本人は一つではない。
 津軽人が津軽弁で薩摩人が鹿児島弁で話し合うと、話は通じない。
 日本国語は、明治の近代教育で創られた新語であった。
 日本国語を創り強制的に普及させたのは、富国強兵、特に強力な軍隊を造る為であった。
 軍国主義のカギは、日本国語の定着であった。
 もし、日本の再軍国化を阻止するにであれば人工語の日本国語を破壊し消滅させねばならない。
 その意味でも、英語の公用語化は必要である。
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 死者を思うが故に我がある。
 それが、民族宗教の祖先神・氏神の人神崇拝である。
 祖先崇拝といっても、日本神道・日本仏教・日本儒教の混合である日本と中華儒教至上の中国や朝鮮とは異なる。
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 死に関わる事、死に近づく事は、「穢れ」として恐れられた。
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 「日本人は忘れやすい人間である」とは、現代の日本人の事であって、昔の日本人の事ではない。
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 戦後の平和及び民主主義教育は、日本文化から四季の文化だけを残して災害の文化を抹消した。
 何故なら、戦後教育は、キリスト教価値観とマルクス主義共産主義)価値観に支配され、伝統的民族価値観は「罪悪」で「好戦的」であるとして跡形もなく一掃されたからである。
 特に、1980年代後半からの、日本民族極悪非道な重犯罪人史観(自虐史観)によって教育現場にかすかに残っていた伝統的民族性すら完膚なきまでに破壊された。
 その証拠は、全国に先祖代々伝わっていた生き物を捧げる神事や相撲などの女人禁制にたいする反対行動が目立ち始めている。
 悪しき、独り善がりの不寛容排他的政教分離原則が、日本の寛容で曖昧な多様性を有した宗教性を破壊しつつある。
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 戦後教育で高得点を取った有能優秀な高学歴出身知的エリートが社会に出て、政治家、官僚、学者・教育家、企業家・経営者、メディア関係者となって日本を動かし始めている。
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 日本民族固有の宗教性を破壊する現象は、阪神・淡路大震災頃から不気味に蠢(うごめき)き初め、東日本大震災頃から徐々に表面化し、それは加速化している。
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 現代日本では、「言葉に出すと災害や戦争が起きるから言葉に出さないようにしよう。考えないようにしよう。」という、悪意に満ちた「嘘の言霊信仰」が蔓延している。
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 巨大化・広範囲化して甚大な被害と夥しい犠牲者を出す自然災害多発地帯の日本では、今後、戦後日本を支えてきたキリスト教価値観・中華儒教価値観・マルクス主義共産主義)価値観は役に立たないどころか、百害あって一利なしの無用の長物となる。
 だが、少子化高齢化で人口が激減していく日本民族日本人には、災害の文化を完全に復活させられないだろうし、その為に変える事も止める事もできない。
 将来、日本で災害が発生すれば、災害地・被災地は諸外国と同じ略奪・強奪や強姦・殺人による無法地帯化・犯罪地帯化する。
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 人類の歴史を見れば、人は善人ではなく悪人になりやすい傾向を持っている。
 その傾向に恐怖した先祖が、悪に陥りやすい、悪事に走りやすい弱い心を食い止める為に宗教の神聖不可侵の神性に担保された道徳・倫理、良心・善意を生みだした。
 宗教性を否定し人間性を肯定し如何なる拘束からも解放しようとのが、マルクス主義共産主義)である。
 キリスト教世界では、元首、世襲の国王でも選挙で選ばれた大統領・首相でも就任式では聖書に手を置き、絶対神に誓う。
 その意味で、完全なる政教分離共産主義マルクス主義)体制以外では存在しない。
 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、石器人・ヤポネシア人、、縄文人・日本土人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 つまり、日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりである。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
   ・   ・   ・   
 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
  地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
   ・   ・   ・   
 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
   ・   ・   ・   
 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
   ・   ・   ・   
 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁、わび・さび、捨てて所有しないを求める、「何も無い所」に時間と空間を超越し無限の広がりを潜ませる文化である。
 それが、日本人が好む「色即是空、空即是色」である。
 日本文化は、中国文化や朝鮮文化とは異質な独立した特殊な民族的伝統文化である。
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 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ「はかなく無にして消し去る=漠として死を見詰める」事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
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 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、求道者として一人になりたい、極める為に一人で生きたいという憧れである。
 如何なる時も、オンリーワンとしてナンバーワンとして我一人である。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
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 女性は、子供を産み、子供を育て、末代まで子孫を増やしていく、つまり「命を喜びを持って育み、有を生みだす」存在である。
 日本における女性差別は、「死を見詰めて無を求める男」と「命を生み有りに生き甲斐を感じる女」、ここから生まれた。
 つまり、男尊女卑と一口で言っても現代と昔とは全然違う。
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 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
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hikari