🕯99)─1─日本人にとって仏教は信仰ではなく崇拝で仏像・仏画は有り難く尊い芸術品。~No.215 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2021年12月24日 MicrosoftNews ダイヤモンド・オンライン「なぜ日本人は仏像を見ると心を奪われるのか?語られなかったその本質
 © ダイヤモンド・オンライン 提供 『古寺巡礼』和辻哲郎著(岩波文庫
今回採り上げるのは、『風土』で有名な哲学者・和辻哲郎の『古寺巡礼』である。著者が20代の頃に書いたもので、書名の印象は信仰の本のようだが、実際は仏教美術の鑑賞のエッセイとでも言うべきものだ。美術の専門家ではない和辻の個人的な印象記であり、学問的見地からは疑問も多い。にもかかわらず戦前にベストセラーになり、多くの人に強烈な印象を与えた。そして、今も版を重ね続けている。
 和辻の鋭い感性と滑らかで美しい日本語の描写が、読む人を感化する。採り上げられている仏像やお寺を訪問したことがなく、写真すら見たことがなくても興味が掻き立てられる。声に出して読むとさらに心が震える。和辻の感動が読む者の心の共鳴を起こすのだ。
 SNS時代の今、炎上を避けるためもあり、これでもかというほど懇切丁寧に単純化して説明することを求められ、またそうした文章ばかり読まされる我々に、一通りに解釈が決まらないものや抽象性を帯びた対象から、豊かな感想や思考を紡ぎ出すことのスリル、面白さを思い出させてくれる。
 何より非凡なのは、和辻が日本独自の伝統が生んだと近代の人間が信じて疑わない圧倒的な造形美や技術に、当時の中国、韓国の帰化人のもたらした影響、異文化の融合と多様性による達成をはっきり見て取っていたことである。この分析はイノベーションが足りないと言われる今の日本人にとって、大きなヒントともなるであろう。
 仏像は宗教よりも芸術?
 和辻哲郎の独特な解釈
 私は大学を卒業するまで奈良で過ごした。家の2階からは、左を見れば東大寺の大仏殿と若草山、右を見れば薬師寺の東塔が見えた。新薬師寺に近い中学・高校に通うために、鹿と戯れながら興福寺奈良公園を歩いた。いくつものお寺が近くにあった。年を重ねるたびに、故郷への郷愁の念は高まるが、その中心にはたくさんの仏像の姿がある。
 そもそも多くの人にとっての素朴な疑問ではないかと思うが、なぜ仏像はあんなにたくさん造られたのだろうか。これについて和辻は次のように語る。
 「かく芸術は、衆生にそのより高き自己を指示する力のゆえに、衆生救済の方便として用いられる可能性を持っていた。仏教が芸術と結びついたのは、この可能性を実現したのである。(中略)芸術に恍惚とするものの心には、その神秘的な美の力が、いかにも浄福のように感じられたであろう。宗教による解脱よりも、芸術による恍惚の方がいかに容易であるかを思えば、かかる事態は容易に起こりうる」(和辻哲郎『古寺巡礼』、以下引用はすべて同書)
 芸術を利用することで、仏教の目的である衆生救済が実現できるというのである。では、たとえば代表的な仏像である観世音菩薩(通称、観音さま)の本質を芸術によって表現しようとすればどうなるか。
 「観世音菩薩は衆生をその困難から救う絶大な力と慈悲を持っている。(中略)――かくのごとき菩薩はいかなる形貌を供えていなくてはならないか。まず第一にそれは人間離れのした、超人的な威厳をもっていなくてはならぬ。と同時に、最も人間らしい優しさや美しさを持っていなくてはならぬ。それは根本においては人ではない。しかし人体をかりて現れることによって、人体を神的な清浄と美とに高めるのである」
 この神性と人性をひとつの形のなかにどのように組み入れるか。超人らしさと人間らしさをいかに結合させるのか。民衆がその姿を見るだけで、その崇高な精神と優美さを感じられるようにしたいというのである。生半可な技巧、生半可な表現力ではとても実現できない。
 優れた仏像は
 見る者に「見る力」を求める
 「まず二つの異なった性質の芸術があることに驚かされるのです。すなわち人の姿から神を造り出した芸術と、神を人の姿の内に現しめた芸術です。前者においては芸術家が宗教家を兼ねる。後者においては宗教家が芸術家を兼ねる。前者は人体の美しさの端々に神秘を見る。後者は宇宙人生の間に体得した神秘を、人の体に具体化しようとする。一は写実から出発して理想に達し、他は理想から出発して写実を利用するのです」
 2つの立場を結合し、1つの形が生まれるとき、仏像の作り手である仏師は技能者を超え、芸術家と宗教家を結合した存在になる。一方、このように抽象度の高い内的価値を持つ優れた仏像は、見る者にも見る力を求める。物質として見れば銅であったり、木であったりする単なる造形物である。見る者は、想像力の羽を広げて、現象の多様性の中に最も根源的なものを看取しなくてはならない。それこそが和辻の仏像の見方である。たとえば、法隆寺百済観音について、次のように語る。
 「百済観音の奇妙で神秘的な清浄な感じは、右のごとき素朴な感激を物語っている。あの円い清らかな腕や、楚々として濁りのない滑らかな胸の美しさは、人体の美になれた心の所産ではなく、初めて人体に底知れぬ美しさを見いだした驚きの心の所産である。あのかすかに微笑を帯びた、なつかしく優しい、けれども憧憬の結晶のようにほのかな、どことなく気味悪さをさえ伴った顔の表情は、慈悲ということのほかに何事もかんがえられなくなったういういしい心の、病理的と言ってもいいほどに烈しい偏執を度外しては考えられない」
 自信を持って、初めて人体に底知れぬ美しさを見いだした驚きの心の所産、と言い切っている。
 驚くほど官能的な表現も
 和辻が仏像に見た「隠された何か」
 また薬師寺聖観音については、次のように語っている。
 「美しい荘厳な顔である。力強い雄大な肢体である。仏教美術の偉大性がここにあらわにされている。底知れぬ深味を感じさせるような何ともいえない古銅の色。その銅のつややかな肌がふっくりと盛り上がっているあの気高い胸。堂々たる左右の手。衣文につつまれた清らかな下肢。それらはまさしく人の姿に人間以上の威厳を表現したものである」
 巻末の解説に、本書の初版本で和辻が聖観音について記した文章が載っている(改訂版で大きく変更された)。そこでは驚くほど官能的な表現がなされている。聖観音には直接的なセダクション(性的誘惑)は見られないのだが、彼には隠されている何かが見えるのであろうか。
 中宮寺如意輪観音弥勒菩薩とも言われている)については、こう述べる。
 「およそ愛の表現としてこの像は世界の芸術のうちに比類のない独特のものではないかと思われる。これより強いもの、威厳のあるもの、深いもの、あるいはこれより烈しい陶酔を現すもの、情熱を現すもの、――それは世界にはまれではあるまい。しかしこの純粋な愛と悲しみの象徴は、その曇りのない純一性のゆえに、その徹底した柔らかさのゆえに、恐らく唯一のものといってよいのではないだろうか」
 そして、この観音の本質を「慈悲の権化」とする。人間心奥の慈悲の願望、人が心に持つ慈悲にすがりたいという思いが、その思いの出口として、人体の形に結晶したものだというのである。
 さらに和辻は、中宮寺の観音様の御姿を前にして、あえて抑制していた信仰の領域に突入してしまう。
 「わたくしたちはただうっとりとしてながめた。心の奥でしめやかに静かにとめどもなく涙が流れるというような気持ちであった。ここには慈愛と悲哀との杯がなみなみと充たさせている。まことに至純な美しさで、また美しいとのみでは言いつくせない神聖な美しさである」
 精神性が高く、能力がある者には、見えないものが見えるのである。実は、和辻が本書で述べた仏像の鑑賞経験は、私個人の鑑賞経験と完全に重なる。もちろん和辻のように深いところまでは見えないし、巧みな表現をすることもできないが、百済観音からは神秘的でありながらしなやかで強い超人性を、聖観音からは偉大さに加えて女性的な崇高さを、そして、中宮寺如意輪観音からは、時空を超えた途方もなく大きい慈悲と愛を感じる(よって個人的には弥勒菩薩だと信じて疑っていない)。
 なぜこれほど素晴らしい
 仏像が生まれてきたのか
 さて、このような美的世界を現実のものとした白鳳時代。なぜ、これほどの素晴らしい仏像が生まれてきたのだろうか。現在の日本で、この時代の技巧と精神性の高みに匹敵するような美的創造物に出合うことは難しい。科学技術は発展したかもしれないが、手技と精神性が追いついていかない。
 もちろん、当時仏教によって国家統治を図ろうとする天皇をはじめとする有力者の手厚い庇護があり、その結果第一級の人材が仏師を目指し、また彼らが切磋琢磨したということはその原因の1つであろう。しかし、それだけではここまでの高みにまでは登れないのではないだろうか。
 大陸からの大量の帰化人が
 もたらした美的資産
 実は、これらの美しい仏像が生み出される前に、大陸から大量の帰化人が日本に来て、日本社会に同化し始めた。そして彼らの子孫などが、再び唐などに留学をして、知的・美的なものを持ち帰ったのである。
 「右のような実際の文化の担当者のうちに、おびただしい外国人が混じていたことは否定できまい。当時は朝鮮経由でシナ(*)人の大挙移住があってからさほどの年数がたっていない上に、唐人の渡来もようやく多きを加えてきた。唐使とともに二千人の唐人が筑紫に着いた記事もある。大唐人、百済人、高麗人、百四十七人に爵位を賜うた記事もある。古くからの帰化人や混血人は、家業として学問芸術にたずさわっていた。特に飛鳥の地はこれらの文化人の根拠地で、壬申の乱のとき天武帝のために働いたものが少なくなかった。唐に留学して新文化を吸収してくる僧俗の徒も少なからずこの帰化人の社会から出た」(*原書の表現を尊重して掲載している)
 そして、それらの人たちが日本人と同化し、日本化をして、これらの美的資産が生み出されたのである。仏教という世界宗教と、さらには度重なる飢饉や疫病。世の中の安寧を願う人々の強い想い、仏教によって社会を構築したいという有力者の意志、これらが融合し合う。そして、その融合の母胎となったのが日本の自然であった。
 「これらの最初の文化現象を生み出すに至った母胎は、わが国のやさしい自然であろう。愛らしい、親しみやすい、優雅な、そのくせいずこの自然とも同じく底知れぬ神秘を持つわが島国の自然は、人体の姿に現せばあの観音(中宮寺如意輪観音のこと)となるほかない」
 その結果、最高級の技巧を持つ高い精神性を内包した、世界的に見ても第一級の素晴らしい造形物が生まれてきたのである。
 この本を書いた後、和辻は日本的な思想と西洋的な思想の融合を成し遂げ、独創的な哲学の体系を打ち立てる。社会や集団が大きな発展を遂げるとき、そこには新しい要素と革新者による本質看取がある。傑作である数々の仏像たちがどのように製作されたかを考えるとき、とてつもなく多くの要素が混入し、融合し、統合されてきた様が浮かんでくる。
 我々が自らの将来を考える際にも、これらの多様性と融合の混沌から逃げてはいけないのではないだろうか。美しい仏様のお姿から、そのようなことを強く感じるのである。
 (プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)」
   ・   ・   ・    
古寺巡礼 (岩波文庫)
風土: 人間学的考察 (岩波文庫)
人間の学としての倫理学 (岩波文庫)
   ・   ・   ・   
 日本民族は、血の繋がった祖先から命・魂(霊魂)、身体、心、志、気持ち、気概を受け継いで産まれ生きてきた尊い人であって、全知全能の唯一絶対神が自分に似せた姿に土塊・塵・ゴミをこねて形を整え命・魂を吹き込み祝福した貴い土人形ではなかった。
   ・   ・   ・    
 日本人とは、日本列島に住む全ての人間の事で日本民族の事ではない。
 帰化人は日本民族の一員とされたが、渡来人は日本人と呼ばれても日本民族から排除された。
 何故なら、帰化人は利他として天皇に忠誠を誓い日本国の為に働いたからであり、渡来人は自利として天皇への忠誠を拒否し日本国に叛き自分の為のみに働いたからでる。
 昔の歴史は帰化人の神話・物語であったが、現代の歴史は渡来人の話である。
   ・   ・   ・   
 日本民族は自分の父母・祖父母・曾祖父母・祖先を、「家の神様」として神棚に祀り、「家の仏」として仏壇に納めた。
 家の神様や家の仏様は、必ずしも血縁者だけではなく血の繋がりのない赤の他人の他家からの養子も入っている。
 日本の世襲とは、そういう意味である。
 日本民族の宗教とは、自分につながる祖先を祖先神・氏神様として祀る人神崇拝宗教つまりローカルな家・家族・一族限定宗教であって、天地創造絶対神の福音を信じる信仰宗教・啓示宗教・奇跡宗教・救済宗教といった人種・民族といった枠組みを超えたグローバルは普遍宗教ではない。
 その象徴が、最高神である女性神天照大神を祀る天皇家・皇室である。
 日本の宗教では、仏教が伝来するまでは人が死んで行く死後の世界はなかった。
 天上界の高天原も地下界の黄泉国も、死ぬ事がない天孫系(天皇系)の天つ神が住む世界であり、死んでしまう八百万の神である国つ神が行ける世界ではないし、ましてや人が死んでいく世界でもなかった。
 死んでしまう国つ神や人は、死んだら神域である鎮守の森・ご神体とされる高い山・大岩・巨木・海の向こうに宿り、家の近く・家族の近くにある地元の氏神神社に鎮座した。
   ・   ・   ・   
 祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
   ・   ・   ・   
 人は、二人の両親から産まれてくる。
 日本民族の祖先な数は?
 日本人の命が尊いわけ。 
   ・   ・   ・   
 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
   ・   ・   ・   
 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 この世は、生きるに値する。
 命は、等しく尊い
   ・   ・   ・   
 祖先神・氏神の人神崇拝とは、永遠の命、生命の連続、命の継続として、祖先から子孫への絆であった。
   ・   ・   ・   
 イザベラ・バード「わたしは死んだ過去の時代の霊魂が私の背後に近づいてくる、と感じた」(伊勢神宮参宮して)
   ・   ・   ・   
 明治政府は政治の近代化とは宗教の排除であるとして、西洋近代啓蒙思想儒教を利用して宗教統制を行い、国民の廃仏毀釈と神社合祀を黙認した。
 国家神道は宗教ではなく、神への信仰や崇拝ではなく神社での拝礼行為のみである。
 神道国教化政策の一環として、明治元(1868)年に神仏分離令を発して「廃仏毀釈」が起きた。
 明治39(1906)年 一町村一社を原則に統廃合を行う「神社合祀令」を出し、3年間で全国各地で4万社もの神社が取り壊され、大正2年頃には19万社から12万社にまで激減した。
 儒教は、マルクス主義と同様に反宗教無神論であり、宗教弾圧であった。
   ・   ・   ・   
 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
   ・   ・   ・   
 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
   ・   ・   ・   
 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
   ・   ・   ・   
 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
   ・   ・   ・   
 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
   ・   ・   ・   
 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
   ・   ・   ・   
 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
   ・   ・   ・   
 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
   ・   ・   ・   
 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
   ・   ・   ・   
 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
   ・   ・   ・   
 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
   ・   ・   ・   
 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
   ・   ・   ・   
 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
   ・   ・   ・  
 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
   ・   ・   ・   
 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
   ・   ・   ・   
 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
   ・   ・   ・   
 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
   ・   ・   ・   
 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
   ・   ・   ・   
 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
   ・   ・   ・   
 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運であり、幸運であった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、いつ不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭り繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
   ・   ・   ・   
 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁を求める文化である。
 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ無にして消し去る事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、一人になりたい、一人で生きたいという憧れである。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
   ・   ・   ・   
 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
   ・   ・   ・