🏕29)─1─日本文化の自然哲学は小さく狭い駅弁と盆栽に込められている。~No.54No.55 

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 食文化として、世界のピクニック弁当と日本の駅弁は違う。
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 園芸文化といっても、世界の箱庭文化と日本の盆栽文化とは違う。
 盆栽といっても、日本の盆栽は中国の盆栽・朝鮮の盆栽とは見た目は似たように見えても三者三様で違う。
 日本の盆栽には、日本列島の自然環境、日本民族自然宗教と日本文明が込められている。
 日本の盆栽は、全開にオープンである。
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 盆栽は、破壊・継承・変貌のイノベーションである。
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 2021年11月13日・20日号 週刊現代「今日のミトロジー  中沢新一
 ミニチュアの哲学
 日本人は自然の本質を怪物であると考えてきた。
 オブジェにつくってもその怪物性が消えてしまわないように、『極小に極大を納める』盆栽芸術は発展してきた
 駅弁と盆栽
 たくさんの外国人旅行者が日本へやってきていた頃、彼らに強い印象を与えたもの一つが、駅弁であった。美味しいさもさることながら、その視覚的コンセプトの見事さに、彼らは感動した。小さな四角い箱の中に、美味しいさまざまな食材がバランス良くきちんと納められ、まるでそこに小さな宇宙が現出しているかのような印象を、駅弁は与える。この駅弁は、幕の内弁当を祖型として、そこから多彩に発達したものである。{幕の内弁当のコスモロジーを最初に論じたのは、デザイナーの榮久庵憲氏であった}
 食のチャンピオンを自負しているフランス人などは、硬いパンの間に無造作にパンを挟んだだけのような、自分たちの国の『駅弁』を恥ずかしいと感じたのであろう。帰国後さっそく日本の駅弁のコンセプトに触発されて、Ekibenを作って売り出したら、これがおおいに受けた。小さな箱の中に大きな世界がすっぽりと納めてみせるかのごとくき、我が国の駅弁は、そのうち世界中で、旅の快楽に大きな変革をもたらすにちがいない。
 だが駅弁は、日本文化の深層にセットされた創造原理の表現としては、まだ序の口にすぎない。『小の中に大をすっぽり納め、一つの中に多をやすやすと容れる』という、この創造原理から生み出された文化は、俳句から半導体技術にいたるまで枚挙にいとまがないが、なかでもラジカルなのが盆栽である。
 盆栽は『小の中に大をすっぽり納める』という創造原理を、実在の植物を用いて具体的かつ即物的に表現しようとしたものである。鉢の中でミニチュアサイズに育てられた植物がかたちづくる小宇宙の中に、現実の自然をすっぽり納め込もうとしている。そのさい形態ばかりでなく、現実の自然が内包する潜在力まで、ミニチュアサイズの中に納めようとする。そのとき盆栽が駆使する技法は、駅弁にも俳句にも真似のできない、ある種の異常さを秘めている。
 盆栽という怪物
 このとき盆栽は、自然の潜在力の表現として、とてもユニークな方法を開発している。サイズをどんなに縮小しても、情報量を減らさないための『相似化(そうじか)』の方法である。ふつうは事物をミニチュア化すると、情報の縮減が起こる。自然を絵画やデッサンで描くときにも、画家は自然を縮減する操作をおこなっている。この縮減操作をつうじて、画家は自然のエッセンスを抽出しようとする。
 これに対して、盆栽はサイズを縮小しても、情報を縮減しないというやり方をとる。デッサンでは木肌の細かい構造は捨像(しゃぞう)される。ところが盆栽では木肌の微細構造は、ミニチュア化されてももとの木肌を相似的に小さくしただけで、どこまでいっても特徴を失わない。
 盆栽は、小宇宙と大宇宙の間に情報量を減らさない『相似性』の関係をつくり出す。そのため自然のミニチュアとしての盆栽は、現実の自然と同じ情報量を持つことになる。自然の潜在力を縮減することなく、それをミニチュアサイズに閉じ込めるという離れ業を、盆栽は実現してみせた。
 そのせいで、盆栽はどこか怪物めいたところを持つことになる。自然をまるごと知的にとらえるために、人間は情報量を減らす縮減の方法をとってきた。ところが盆栽にあっては、どんなにスケールを小さくしていっても、どんな細部にも無限に豊かな情報が内蔵されるために、知的にとらえつくすことが不可能である。眼の前にある盆栽は、一目で把握できるように見えて、じっさいには知的に了解することが不可能にできてる。
 日本の自然哲学
 外の自然と相似的にミニチュア化された『もう一つの自然』を提示するとき、盆栽では植物の自然の成長に手を加えて、枝の形を針金を使って不自然にたわめたり、切り縮めたりすることによって、植物をいわば『奇形化』させる操作をおこなう。この操作によって盆栽芸術は、ミニチュア化された『自然の怪物』を、意識的に作り出そうとしている。内面は自然の怪物でありながら、外から眺めると端正な美にみちている。
 日本文化の創造原理の中で、(前々回の皇室の回で見たような)無を美に造型する技術と並んで、(盆栽に見るように)怪物的な存在を、こぢんまりとした美に昇華するための方法が、さまざまなミニチュア化の技術として発達をとげてきた。そういう創造は、今日も旺盛に続けられている。『ポケモン』が、その代表である。
 このゲームでは自然の諸力がさまざまな『モンスター』として造形される。ゲーマーはこの怪物たちと戦って捕獲することをめざす。そのときゲーマーは怪物に向かって『モンスターボール』と呼ばれる小さな格納容器を投げつけるが、このボールが当たった瞬間に、モンスターたちは、ミニチュア化されて、ボールの中に納まってしまう。
 そうやって自然の潜在力を捕獲し集めていくことで、ゲーマーは自分の体内に自然力が取り込まれていくような幻想を持つ。このとき若いゲーマーが抱く幻想と、丹精込めた盆栽を眺めている趣味老人の抱く幻想は、じつは同じ構造をしている。幕の内弁当から盆栽をへてポケモンまで、じつにミニチュア化は、日本の自然哲学の本質そのものをしめしている。」
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盆栽 BONSAI ジャパノロジー・コレクション (角川ソフィア文庫)
盆栽名品集 第1巻―名品鑑賞で学ぶ盆栽の世界 最高賞の名木たち 1 (KBムック)
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 盆栽の歴史 - JAPAN BONSAI
 TOP盆栽について盆栽の歴史
 「盆栽」はいつ頃から存在するのでしょうか?その歴史を紐解くと、およそ1300年前の中国にたどり着きます。
 盆栽の起源
 日本の伝統文化である盆栽。その起源、源流を辿っていくと、およそ1300年前にたどり着きます。李賢(りけん)という王子のために築かれた墓の内部に描かれた壁画。行列する人物の一人が、浅い鉢(盆)を両手で捧げ持っています。鉢の上には石のような塊がふたつ載せられており、それぞれから植物が勢いよく伸び、花のようなものが描かれています。まだ「盆栽」という言葉が生まれる前に、古代の中国では鉢の中に入れた植物を愛でる文化が根付いていたのです。
 日本における最も古い盆栽の絵は、700年前の鎌倉時代以降に作られた絵巻物に見ることができます。春日神社の由来を語る「春日権現験記(かすがごんげんげんき)」に描かれている盆栽は、その典型的な例と言えるでしょう。
 鎌倉時代以降では、室町時代から江戸時代にかけて盛んに作られるようになった屏風絵に、盆栽が描かれているものがあります。また、慶長8年(1603年)にイエズス会キリスト教宣教師らが著したポルトガル語による日本語辞「日葡(にっぽ)辞書」には、「Bonsan(盆山)」という項目があります。盆山とは、室町将軍家や僧侶たちの間で大流行した、石を中心に山水景を表現する造形物で、辞書の説明はこの時代の屏風絵に描かれた盆栽と符合します。屏風絵に描かれた盆栽は、盆山と呼ばれていたのです。
 桃山時代には、盆栽の歴史と文化を伝える重要な物語、能の「鉢木」が誕生しています。「鉢木」は落ちぶれた老武士が、雪のため難渋した僧侶に一夜の宿をかしますが、寒さをしのぐ薪にも事欠く生活だったため、愛蔵する梅、松、桜の鉢の木を伐り、焚き木として供する場面が有名です。この中世末期に端を発した「鉢木」は、近世から現代にかけて日本の文化に根付いていくこととなります。
 江戸時代の大名屋敷では敷地内に大名庭園が築かれるようになり、そこには「盆栽」の姿を見ることができます。ここまでの時代、「盆栽」の担い手は上層階級の人々に限られていました。しかし、江戸時代後期に入ると、庶民の手に届く趣味になっていきます。狭い長屋の庭で主に花の鉢ものを楽しむ姿が、浮世絵版画に描かれるようになるのです。
 明治時代に入ると、ことばとともに、現在の「盆栽」が芽生え始めます。政財界を中心に盆栽愛好家が数多く現れ、邸宅には盆栽置き場、園芸用の西洋式温室などが備えられるようになります。また、屋敷の内部にも盆栽が飾られるようになりました。
 いっぽう、盆栽文化は文化人にも浸透していきます。明治の文豪、夏目漱石は「虞美人草(ぐびじんそう)」「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」といった小説の中で、盆栽の話を登場させています。
 明治時代に西欧で開催された万博には、海を越えて盆栽が出品されています。日本政府として初の出展を果たした明治6年1873年)のウィーン万博、明治11年1878年)のパリ万博では、屋外に構えられた日本庭園の添景として盆栽が飾られました。
 大正時代には、盆栽を芸術として認め、世界に広めようとする考えが生まれました。現代へと続く、言わば「盆栽芸術運動」の先頭に立ったのが、大正時代発行の盆栽専門誌「盆栽」の主幹を務め発行人ともなった、盆栽研究家の小林憲雄氏です。小林氏は、盆栽は単なる園芸趣味ではなく、絵画や彫刻と同列の芸術作品であると主張。さらに、その正式な居場所として、明治時代から始まる西洋式の美術の殿堂である「美術館」での展覧会を求めたのです。この美術界をも巻き込んだ運動は、東京府美術館(現在の東京都美術館)で昭和9年(1934年)に開催された「国風盆栽展」として実を結びます。なお、同展覧会は、現在においても同じ会場で毎年開催されています。
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 日本文化いろは事典
 盆栽
 読み方:ぼんさい
 盆栽のイメージ画像
 盆栽とは、陶磁器の鉢などで植物を育てながら、植物の姿の美しさを求めていく日本の伝統的な芸術です。
 盆栽の種類としては松類が代表的ですが、花物・実物・草物・葉物など様々な種類があり、いずれも数10センチで実際の草木のミニチュアのようなものです。
 特徴鉢の中の自然美
 盆栽は、陶磁器で作られた鉢(盆)の中で草木を栽培する(栽)という意味です。草木が生育する過程の中で培養したり、姿を整えたりして、自然美をつくりだし、その美しさを鑑賞する芸術です。 盆栽の中には、代々受け継がれているものもあり、そのような盆栽は、数10センチの草木でありながら、自然の大樹を思わせるような存在感のあるものばかりです。現在盆栽は、わずかな鉢の空間の中に壮大な自然の美を表現する芸術として、日本国内のみならず世界各国で楽しまれています。
 起源・歴史世界のBONSAIへ!!
 盆栽は、平安時代の貴族が小さな器に草木を植えて棚に置き鑑賞したのが始まりとされています。 その後、室町時代後期の華やかな東山文化の繁栄と共に発展し、江戸時代には大名から町民まで幅広くひろまりました。 特に、江戸時代には多くの大名の間で、盆栽ブームがおこり、各々盆栽鉢専門の焼き物師を抱え、盆栽の競技会が開催されるほどになりました。この頃から「盆栽」という言葉が使われ始めたと言われています。その後、現在まで数々の素晴らしい盆栽が受け継がれ、外国での愛好者も急増し、「BONSAI」が世界各国から認められた日本の芸術の一つとして発展しました。
 礼儀・作法・形式・心得思いやりを持ってお手入れを
 盆栽を鉢の中で何十年も育てていくために、様々な手入れが必要になってきます。
その中から代表的な手入れ方法を紹介します。
・剪定〔せんてい〕
 ハサミや専用の道具で枝を切る作業のことです。盆栽としての骨格を決める大切な作業で、バランスよく枝を切っていきます。
植物が生長する力をうまく利用して盆栽の形を整え、かつ盆栽の日当たりや風通しをよくして成長を助ける役目もあります。
・針金かけ
 幹や枝に針金をかけて、その力を利用して樹に曲がりをつけたり、不自然な曲がりを直したりする作業です。
 盆栽の姿を美しく整える為に行う作業ですが、それぞれの樹の性質と個性をつかんで、樹の良い面を引き出す事が大切です。
・植え替え
 鉢の中でいっぱいになった根を切って、新しい土で植えなおす作業のことです。
鉢という限られたスペースの中で根がぎっしりとつまってしまうと、樹の成長を止め、空気や水の通りも悪くなってしまうので、定期的に植え替えをして、樹の生育を助けるために行います。
■参考文献・ウェブサイト
 「日本盆栽net倶楽部」『What's 盆栽?』2000(2004.9.14)
 京都広樹園「盆栽へのいざない」『広樹園トップページ』1998(2004.9.14)
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 盆栽 妙TOP 盆栽とは 盆栽とは
 盆栽入門
 「盆栽とはなにか」
 「盆栽」と聞いた時、あなたは何をイメージするでしょう?
 小さくて趣のある鉢を思い浮かべる人もいれば、大事そうに盆栽を育てるおじいちゃんを思い浮かべる人もいるかもしれません。盆栽は普通のガーデニングと比べて、仕立てるのに長い時間がかかります。愛好者は自分の盆栽をより赴き深い姿にするために、天候や気温まで気を配りながら盆栽の面倒を見るのです。
 意外かもしれませんが、近年世界中で盆栽が注目されています。高尚な趣味として楽しむ人が増えてきたのです。小さな苗が毎日少しずつ変化していく様に愛着を感じるのは、どうやら日本人だけではないようです。
 盆栽が趣味とされているのは、樹の仕立て方や種類に形式やルールがあるからです。
好きにやればいいじゃないかと思う方もいるかもしれませんが、サッカーや野球と同じでルールを知ればより盆栽の魅力を楽しむことができます。盆栽における形式やルールは決して平等を確保するためのものではなく、先人達がより素晴らしい盆栽を仕立てるために培ってきた貴重な知恵なのです。またルールを知ると、鑑賞する際の楽しみも大きくなります。
 知識と観察眼を駆使することで、その盆栽の背景に隠れたストーリーを読み取れるようになるのです。いったいどんな場所で育てられ、仕立て者はどのような意図を持って仕立てたのか…、考えを巡らせることで、自分自信の趣味もより充実したものになるでしょう。
 盆栽
 盆栽は植物を「仕立て」て楽しむものです。ただ鉢に樹を植えればいいわけではなく、仕立てる過程で様々な技が必要になります。
 例えば枝の剪定や根の切り詰め、針金で枝を曲げる、などが挙げられるでしょう。しかし仕上がりに人工的な部分が見えてしまってはいけないというのが盆栽の難しいところです。ありのままの自然をそのまま見せるのではなく、自然の美しさや厳しさを凝縮して魅せることができているものが、良い盆栽と言われます。
 表現方法は様々なので、初心者はまず基本樹形を覚えるところから始めましょう。
幹が天に向かって真っすぐ伸びる「直幹(チョクカン)」、幹が一方こうに傾いている「斜幹(シャカン)」、太い幹が曲線を描きながら伸びる「模様木(モヨウギ)」、幹が根もとか2~3本に別れている「双幹・三幹(ソウカン・サンカン)」など、その多様さは挙げればキリがない程です。
 しかしどの表現にも考えられた意図と、それに準ずる技術があります。また盆栽用土の種類も多彩で、時には植物の性質に合わせてブレンドすることもあります。まずは盆栽の基本的な部分を抑え、実際に手を動かしながら覚えて行くのが良いでしょう。
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 「園芸と盆栽の違いは?」
 地味な印象を持たれがちな盆栽ですが、実は近年、世代・地域を問わずその注目度が上がり続けています。
 おそらく1990年代初めから加速し始めたガーデニングブームの影響でしょう。西洋庭園への注目が落ち着くと、園芸好きな人たちは次第に鉢物に注目するようになりました。日本にとって当たり前の水草類やシダ類、草花類も、海外に住む人々の目から見れば新鮮に見えるようです。
 情感溢れる和の植物に惹かれた人の中には、それまでガーデニングにあまり強い興味を示していなかった男性も多くいました。草ものの盆栽が注目され始めたのは、いたって自然な流れだったのです。
 最近は海外に住む人たちだけではなく、日本の若い世代にも盆栽ブームが広がっています。
 特に苔盆栽や苔玉が人気で、今では専門店だけではなく雑貨屋などでも購入することが可能です。時折大量生産ゆえの粗悪な盆栽もありますが、気軽に盆栽に興味を持てるという点では良いきっかけかもしれません。
 先ほど盆栽の知名度が上がり始めたのはガーデニングブームの影響だと述べましたが、厳密には「園芸」と「ガーデニング」の意味は異なり、盆栽も園芸のくくりの中にすっぽりとは収まりません。「ガーデニング」は一般的に「園芸」と訳されますが、おそらく「庭作り」と訳すのが正しいでしょう。ガーデニングには、単に植物を育てるだけではなく、全体の配置や庭全体のデザインの意味も含まれています。1つの植物をいかに美しく育てるかよりも、庭全体を1つの風景としてどれだけ美しく魅せるかが重要なポイントなのです。しかし「園芸」という言葉が持つ意味は、それとは少々異なります。
 園芸の目的は、植物がより元気に長く成長できるよう世話をすることです。例え広い庭がなくとも、1つひとつの植物に対して丁寧に愛情を注いでいきます。
 全体としての景観は、どちらかと言えば二の次なのです。かといって、決してガーデニングは植物への愛情が足りないと言っているわけではありません。ガーデニングも園芸もそれぞれ違う視点から植物のことを考え、最良の環境をつくろうと努力しているのです。
 盆栽は、樹を健康に育てるという点では「園芸」に近いでしょう。しかし育てる過程で様々な工夫を施し、鉢全体をデザインするという点では「ガーデニング」に近いとも言えます。
 盆栽を仕立てる過程では、葉の茂み具合や色合いの調整や、一本の幹を強調するために他の枝や花の数を減らしたり等、空間的な技法も多く用いられます。
 日本の盆栽が持つ形の種類や思想は、園芸ともガーデニングとも違う脈略の中で何百年もかけて積み重ねられてきたものなのです。結局、盆栽はどちらの枠組にもはめることのできない独自の文化であると結論づけるしかないのかもしれません。
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 盆栽の起源は中国と言われており、2000年以上の歴史を持つ重要な文化です。
 少なくとも2500年前には、既に樹を鉢に植えて育てる趣味があったと言われています。中国での呼び名は「盆景」です。日本には平安時代から鎌倉時代あたりに渡来し、それ以来日本の文化として多くの人々に愛されてきました。
 細やかな手入れは一見面倒にも感じられるかもしれませんが、手先が器用で真面目な日本人にはぴったりの趣味なのかもしれません。日本の盆栽文化は芸術性の評価も高く、海外ではBONSAIとして認知度を上げ続けています。
 中国の盆栽に関する歴史はとても長く、はっきりとした記録としては唐代の遺跡から世界最古の鉢植えの壁画が発見されています。
 既に芸術としての盆栽に対する評価が非常に高く、人々は繊細な手入れを施しながら盆栽を仕立てていたようです。特に、枝が特徴的な松の盆栽が人気だったと言われています。
 宋代になると、今度は樹や草を石付けにした盆栽が見られるようになりました。盆石という石を使用することで、人々は中国独自の山水の景色を表現しようとしたのでしょう。
 南宋時代になると園芸市も盛んになり、盆栽の売り買いが活発に行われていたという記録が残っています。
 明代、清代になっても盆栽ブームの勢いは続きました。このころの暮らしを描いた絵画や文献には、盆栽が多く登場します。
 盆栽は富裕層だけの高尚の趣味ではなく、一般民も楽しめるような馴染み深い趣味だったのかもしれません。中国盆景には現在7つの流派があり、それぞれの地域の伝統を重んじた樹形を持っています。
 中には抽象的な樹形も多く、日本の盆栽に慣れ親しんだ人にとっては少々奇妙に見えるかもしれません。しかしどれも赴き深いことは事実であり、その文化は現代中国にも受け継がれています。
 日本に盆栽が伝わってきた時期は正確には分かっていませんが、鎌倉時代に書かれた絵巻物『西行物語絵巻』に盆栽が登場しています。謡曲『鉢木』には、既に庶民にも親しまれる趣味であったという記述もあります。
 室町時代には、8代将軍の足利義政が盆栽を世話していました。江戸時代に活躍した三代将軍の徳川家光も盆栽の熱心な愛好家だったそうです。特に五葉松の盆栽がお気に入りで、家光が育てた松の盆栽のいくつかは今でも大切に保管されています。
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 東洋経済ONLINE「日本の独自文化「盆栽」と「緊縛」の密接な関係 
 「支配−被支配」の深い精神性を考える
 木谷 美咲 : 食虫植物愛好家、文筆家
 盆栽文化の発展
 日本人と植物の関わりの中に深く根をおろしている「盆栽」は、日本独自の文化として成熟してきた。
 その歴史は古く、平安時代に中国から伝えられた「盆景」が起源といわれる。鎌倉時代から室町時代にかけて公家や武士などの支配階級に愛され、『西行物語絵巻』(鎌倉前期)には石づきの樹木、『春日権現験記絵』(鎌倉後期)には二鉢の盆栽が描かれている。
 江戸時代になると盆栽は文化として花開き、将軍家も家康、秀忠、家光の三代にわたって盆栽を好み、殊に家光はこよなく愛した。東京都立園芸高校蔵の五葉松と赤松の盆栽、宮内庁蔵の五葉松の盆栽は、「家光遺愛の松」として伝えられたもので、今も大切に保管されている。
 盆栽が庶民の間にも普及した江戸時代は、広く園芸文化が発達し、発展を遂げた時代だった。葛飾北斎歌川広重らの浮世絵に、その様子が描かれている。花菖蒲、菊、朝顔の育種が盛んに行われ、温室や培養を独自の手法で編み出し、万年青(おもと)や松葉蘭の斑入り、葉変わりなどの稀少な株は、コレクションや投資の対象ともなり、屋敷と交換する者が現れるほど価値が高騰する。
 こうして植物に対する意識が高まる中、武士の美意識と相まって盆栽の好まれ方も変化し、鉢やしつらえ方など、現在に繫がる盆栽の形はこの時代に完成する。一方で、江戸後期には、京都や大阪を中心に「文人木」の人気が高まる。
 文人木とは、その名の通り文人が愛した樹形で、直幹のどっしりとした姿ではなく、細幹で瀟洒な盆栽のことだ。俗世を離れて飄々としている文人自身の姿に重ねたのだろう。さらに明治時代には、樹の自然な雰囲気を大切にした自然盆栽が提唱された。
このような歴史を持つ盆栽だが、そもそも盆栽と園芸は、同じものではない。植物の状態を良好にして、植物そのものを愛でるのが園芸であるのに対して、盆栽は、草木を用いながら、限られた鉢の中でその美を表現するものだ。
 江戸時代から続く「清香園」の四代目園主・山田登美男は、「盆栽とは、連想の遊びです。見て、四季折々の情感を感じ、日本の風景に思いを馳せるものです」と語る。盆栽研究家で編集者の山本順三は著書『まめぼん―世界で一番ちいさな盆栽』(平凡社)の中で、「盆栽というものは、絵筆の代わりにハサミや針金を使って描いた『生きた風景画』」だと述べている。
 盆栽の基本は、樹を育て、仕立て、美しさや生命力を最大限に引き出すことにある。木の性質や癖を知り、より美しい形を探り出し、その美しさを維持し続ける。目指す美のために、不要な枝を落とし、姿を整えるために、走り根や底根を切り詰め、針金で枝を引き絞り、葉の勢いを剪定で揃え、様々な技巧を凝らす。
 盆栽を良い形にするには、その木が持つ性質や個性をよく知らなければならず、人間が施す技巧を木自身が内側に浸透させていなければならない。そして、木は自ずと育っていくものゆえ、盆栽とは、人間と木の共同作業なのだ。個性を無視し、不自然に枝を曲げ、恣意的に仕立てても、美しい形にはならない。まず木の存在がなくては始まらない。木という存在と人間の意識が溶け合う行為なのだ。
 だから手入れをしなくなった盆栽は、その姿を維持することができず、樹形が乱れていく。乱れた樹形を見て、周りの人間は、盆栽は育てたその人自身であり、作品だったことを知るのだ。また盆栽は、景色を表す盆景とは違い、もっと大きく自然を連想させる。行間から溢れる情緒、イマジネーション、余韻を感じさせる文学に近い性質を持っている。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
   ・   ・   ・    仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
   ・   ・   ・   
 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
   ・   ・   ・   
 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
   ・   ・   ・   
 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 ウィキペディア
 盆栽とは、木のほか草、苔を鉢(盆栽鉢、盆器)に植えて、枝ぶり、葉姿、幹の肌、根および鉢、もしくはその姿全体を鑑賞する趣味。自然の風景を模して造形するのが特徴である。外国でも日本語の発音を基にした「BONSAI」で通じることが多い。
 特徴
 内閣総理大臣の年頭記者会見でのマツの盆栽(右)(2021年1月4日、総理大臣官邸にて)
 植物を観賞する方法として、植木鉢に栽培するのは広く行われるもので、鉢物などと呼ばれる。盆栽は広義にはこれに含まれるが、盆栽はその中で独自の位置を持つ。その目的は自然の風景を、植木鉢の中に切り取って作り出すところにある。その植物の、野外で見られる大木の姿を、鉢の上に縮小して再現することを目指すものである。そのために剪定を施したり、自然の景観に似せるために枝を針金で固定したり、時に屈曲させたり(針金掛け)、あるいは根を石の上に這わせたり土を掴むように露出させたりと、様々な技巧を競うのも楽しみの一つとされる。
 施肥、剪定、針金掛け、水やりなど手間と時間をかけて作る。生きた植物なので「完成」というものがなく、常に変化するのも魅力の1つである。
 歴史
 唐の時代に行われていた「盆景」が平安時代に日本へ入ってきて始まった。古くは「盆山」「鉢木」「作りの松」などとも呼ばれた[3]。能には『鉢木』の演目があり、鎌倉時代には武士階級の趣味として広く普及していた。江戸時代になると盆栽の栽培や園芸が盛んになり、盆栽が描かれた浮世絵も残る。明治時代以降も盆栽は粋な趣味であったが、培養管理・育成には水やりなどの手間や数年がかりの長い時間が必要なために、生活環境の推移によって次第に愛好者は時間的余裕のある熟年層が多くなった。そのため、第二次世界大戦後から1980年代ぐらいまでの間は、年寄り臭い趣味とされたこともあった。しかし、1990年代以降は盆栽が海外でも注目を集め、英語でもBONSAIと呼ばれることもある。
 樹齢
 名品と評される盆栽については樹齢100年 - 300年以上の銘品が知られる。例えば「青龍」と命名された五葉松は樹齢350年と推定されている。近時は盆栽の促成栽培の技術が向上し、短期間でも(例えば10年未満)相応のものに仕上げられることがある。樹齢が明記されることも少なくないが、実際には樹齢の正確な把握は容易でないことに注意を要する。
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 山林・森林は、日本では神々が住まう神聖不可侵の聖地であり、世界では絶対神に仇なす悪魔・魔物、魔女・売春婦の巣窟(魔窟)であり、中華では天帝権威に叛逆する山賊・盗賊、謀反人・陰謀者の隠れ家(例えれば梁山泊)であった。
 自然は、日本にとって神であり、世界では絶対神からの贈り物・恵みであった。
 日本の自然には二つあって、一つは手を加える俗世の里山ともう一つは立ち入り禁止・入山禁止・殺生禁止の神聖な神域である。
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 日本の神は絶対的な善ではなく、善心・善神と悪心・悪神の二面性がある。
 自然も、恵みと災害をもたらす二面性がある。
 日本民族は人の心と言葉と行動で身を浄めれば、神を善神に、自然を恵みをもたらす存在にできると信じていた。
 それが、性善説、お人好しである。
 日本民族の歴史では、世界や中華に比べて血生臭が少ない。
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 日本の伝統文化は、世界を変える力がある。
 が、もしそうなっても世界は日本の事を忘れてしまう。
 何故なら、歴史的事実として、日本人が思っているほど、世界は日本を信用していないし、世界は日本人を愛されていない。
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 現代日本には、民族の伝統文化は存在しないか、有ったとしても稀薄・稀少である。
 1980年頃までは確実にあったが、1990年代後半から日本人の手で急速に破壊され捨てられて残っているのは生命力が乏しい文化遺物だけである。
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