🕯144)─1─軸の時代・軸の思想から見た日本文明。それは独り生きて死に、そして滅びて消える定め。死を見詰める生き方。~No.305No.306 @ 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本文明において。人は、大自然の中では個として孤独であり、小さな一個の自分を認識するが故に個性を持つ事は無意味と痛感し、我欲・私欲を捨て去った。
 大陸文明において。人は、人種民族が入り交じる騒然とした社会環境で生き抜く為に、他人とは違う所を主張する為に強烈な個性を押し出し、自分と他人をハッキリと区別し、自分と他者を差別化した。
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 軸は、垂直に、水平に、そして斜めに幾本も貫いている。
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 日本文明=ローカル・辺境文明=湿潤地帯=内包関係=階層社会。
 世界文明=グローバル・中心文明=乾燥地帯=相剋関係=階級社会。
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 司馬遼太郎「民族というのは、些末なものです。文化の共有団体でしかなく、種族ではありません。
 面差しが違うのは、風土によります。それだけの事です。
 文化、環境、自然風土が違うだけです。血ではありません。
 今の日本人に必要なのは、トランス(移動する、飛び越える)・ネーションという事です。韓国・中国人の心が分かる、同時に強い日本人である、という事です。
 真の愛国は、トランス・ネーションの中に生まれます」
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 2015年12月号 新潮45「日本人よ、ひとり往く生と死を怖れることなかれ 山折哲雄
 最終回……犀の角のように、ただ独り歩め
 いつはてるともしれない不安の中、それでも私たちは孤立した『個』を背負い、ただひとり往かねばならない。
 ……
 第二次世界大戦終結をみたときのことだ。西欧世界から私にとっては今だに忘れがたい新鮮な声があがった。ドイツの哲学者、カール・ヤスパースのよって提起された『軸の時代』と『軸の思想』の声である。そのとき彼は、原爆の開発と使用を前に危機意識を深め、冷戦時代の不気味な開幕に西洋文明衰退の徴候をみていた。
 時代を覆う混沌とした不安の揺らぎを感じとっていたのであろう。その中から彼の頭脳に『軸の時代』の発想が生まれ、『軸の思想』への関心が芽生えたのでる。それは思い切った異議申し立ての企てであったのだが、それと志を同じくして彼の方を振り向いた者はどこにもいなかった。そんな西欧社会の中で、ヤスパースは孤独な道を歩むことになる。
 後年になって、『ソ連』が崩壊して冷戦時代が終り、西欧社会がやや明るさと落着きをとりもどしたころだった。私は、もしもヤスパースの構想による『軸の時代』『軸の思想』の考えをわが日本列島に適用すると、しれはいつの時代になり、どのような思想にあてはめることができるだろうか、という疑問をもつようになった。
 結論は、あっというまに出た。しれは鎌倉時代の13世紀をおいて外には見出しえないだろうと。法然親鸞道元日蓮たちの思想を抜きにして、わが国の『軸の時代』や『軸の思想』をつかみ出すことなどとうていできない、そう思ったのである。
 この着想を検証するために、ここではもういちど視点を高くしてみることにしよう。
 ……
 歴史を上からみると、どうなるか。3,000メートル上空からみた日本列島は、沖縄から本土を通って北海道まで刻々と変貌する多彩な起伏をみせながら、思いもかけない民族の姿と心が浮きあがらせる。
 ……
 日本列島がまさに3層構造ででき上がっていることがただちにわかるように、それは作られていた……。最低の古層に縄文的な森林・山岳社会、その上の中層に弥生的な稲作農耕社会、そして最上層に近代的な都市社会が、まさに整然とした地層をなしているかのようにつみ重なっている。そしてこの列島形成の3層構造は、おそらくこの国に住む人々の意識の三層構造をつくりつづけてきたにちがいない・・・。
 ……
 比叡山によじ登った僧たち、そこで修行と学問にうちこんだ僧たちの前に立ちはだかったのが、誰いうとなく伝承されていた4つの挑戦課題、すなわち論・湿・寒・貧の壁であった。『論』は万巻の書に立ち向かう学問・論争の道、『湿』はアジアモンスーン地帯に固有のきびしい湿潤風土とのたたかい、『寒』は1,000メートルの高地を覆う寒気との共存、『貧』は本来無一物への不断の接近・・・。
 もしも彼らが論・湿・寒・貧の巣ごもり期を経験しなかったとしたら、その後の、旧体制の岩盤を叩き割るような単独者の道、はみえてこなかっただろう。
 ここで、さきの列島形成の3層構造、列島人における意識の3層構造が甦る。3層構造の『3層』の特質とその意味に注意を払う必要があるからだ。
 第一、3層のそれぞれは、他の層の否定を通してつみ重ねられいるのではない。相剋の関係においてではなく、内包の関係において重層化しているということだ。その点で西欧社会における意識や観念の進化、相剋による発展の図式、とはそもそも構造を異にする。
 第二、この内包にもつづく重層化は、危機的なたいしてはいつでもどの層の意識を選択するか柔軟な対応を可能にする。その時代の主導的な原理・原則にもつづいて対応するのではないことに注目しなければならない。
 第三、したがってこの三層構造にもとづく意識の発動は、外側から眺めるときその伸縮自在なはたらきがあいまいな選択に映りかねない。その行動の姿勢が無原則、ときに無責任のそしりを免れないことにもなる。縄文的価値と稲作農耕民的人間観が入り組み、部分的に近代的合理主義がまぎれこむ。太古の昔からこの列島を毎年のように襲ってきた地震・風水害の経験が、そのようないわば生き抜くための智恵と力を生みだしたのであろう。 第四、その結果、このような自然の不安定な災害列島において形成された無原則の原理、そして最後につかみ出されたのが、いってみれば無私・無心という言葉であらわされる理念だったのではないか。重層化する意識のなかから、自立する『ひとり』の生き方を導く行動規範になったのだろう。禅(ZEN)で強調される無、夏目漱石のいう『則天去私』の『去私』であり、小林秀雄が批評の極意として口にする『無私の精神』の『無私』、だったのだと思う。無常といい、無明といってもいい。そして無一物中無尽蔵といった観念もまさにこのような無原則の原理から躍り出てきた言葉だった。ついでに俳句を借りていえば、たとえば高浜虚子の『去年今年貫く棒の如きもの』である。この句の世界のどこにも、原理・原則の入りこむ余地はない。
 ……
 北半球を水平移動してみよう。3,000メートル上空から俯瞰したあと、こんどは地球を横断的に眺めてみようというわけだ。
 イエスが苦難の道を歩きつづけたのも、乾きに乾いた砂漠地帯だった。黄河文明インダス文明メソポタミア文明はその大河の流域の乾燥した大地に栄えた大文明だった。『軸の時代』の乾燥した大地である。
 ……
 ヤスパースはそれらの地域に、人類の精神史の軸となる黄金の心棒が創造されたと考えた。その誕生の背景を示すキーワードを探せば、おそらく乾燥と大文明ということになるだろう。
 これにたいして目をさらに極東へと水平移動させよう。すると極東のはずれに日本列島があらわれる。そこは年がら年中、アジアモンスーンの湿潤の大気に覆われる運命にさらされてきた。
 その苦難のプロセスに光をあてるキーワードを求めれば湿潤と辺境文明、となるのではないか。とりわけ『湿潤』の異様な強調と重圧・・・。
 『湿潤』とは何か。
 湿度が濃厚な土地においては、雨が降りつづき、むし暑い湿度が立ちこめ、モノが腐り、異臭が鼻につく。梅雨期になれば、われわれの感情までがフハイする。大根や菜っ葉や、魚までが塩漬けされ、重しをかけられ、腐らされる。納豆の製造も同じ過程をたどる。フハイした大豆がカビを生やし、ねっとりした糸をつむぐ。
 古い話だが、この国では死んだ人間の遺体を一定期間地上に放置する習慣があった。それをモガリ(殯)という。この期間、横たえられた人間の肉体は完全に死んだわけではない。魂が降りて、蘇るかもしれないと考えられたからだ。遺体はやがてただれ、発酵し、最後に白骨になる。日本列島において発達した特異な骨フェティシズム、遺骨崇拝の背景だ。
 中世に顕著となる九想観や白骨観もそこに由来する。この時代にはまた死の意識がしだいに深まりをみせ、それを主体化し思想化したのが、ほかならぬ『往生』の観念だった。九想観とは、屍体が腐爛し、膿血をしたたらせ、蛆虫や鳥獣に食われて、しだいに腐敗の度を加え、最後に白骨になって散乱するまでの九段階を観想する作法のことだった。そして白骨観は、その最後のステージの骸骨の姿に意識を集中することを意味した。
 骸骨(白骨)は死の終着点であると同時に、悟り(往生)への出発点でもあると考えられたのだ。そこにいたるまでの腐敗・発酵のプロセスをたじろがずに凝視(みつ)めつづけること、それがこの日本列島の風土に根ざす、浄土往生の形而上学の究極だったといっていいだろう。
 この国における『無常』の詠嘆も、まさにこのような腐敗・発酵の痛烈な認識においてはじめて産み落とされたことを忘れてはならない。『平家物語』の冒頭にあらわれる無常観も、後の15世紀にあらわれ蓮如の無常観──『されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり』の一文(『白骨の御文』)も、その系譜をつぐ。このような心と感情の発酵作用の中で詠嘆してやまないわれわれの『無常』感は、したがってインドにおける釈迦仏教の乾燥し切った観念としての『無常』観とはもともと質を異にするのである。仏陀のいう『無常』は、この世に永遠に存在するものは何一つない、形あるものはすべて滅するということを、いってみれば形而上学の究極の命題として客観的にいい切っているのみだからである。
 まさに『骨』の発見、というほかはなかった。その発見に独自の美意識と信仰を注入したのが、人間のからだの緩慢な腐敗・発酵の過程を演出する湿潤の風土だった。のちの『わび』『さび』の美意識も、そのような骨の発見にもとづく人間観から生みだされたといっていい。世阿弥の夢幻能、千利休茶の湯雪舟水墨画の世界なども、このような無常の美意識と切り結ぶことで鍛えられ、洗練の度を加えていった。これが比叡山に胚胎する論湿寒貧という身心作法の、もう一つの成熟した姿だった。
 私は日本列島に展開する物語を、3,000メートル上空から見下ろすところから語りはじめたが、そうであればこんどは3000年ほどの時間をさかのぼって人類の歴史を眺めてみるのも意味のないことではないだろう。
 ……
 さて、二つの物語である。まず『ノアの方舟』であるが、そこにみられるのが生き残りの物語であることは誰の目にも明らかだ。この地上に危機が訪れたとき、そこからいかにして脱出して生き残るか、そのためにどんな救命ボートに乗るか、という物語だった。まさに生き残り戦略を描いたような話になっている。よくよく考えてみると、この生き残り戦略がユダヤキリスト教文明をつらぬいて生きつづけてきたことがわかる。選民思想、進化論をみるだけでも明らかになる。アングロサクソン文明に育った西欧思想の根底を方向づけてきたのも、同じ考え方だった。その後に発達する政治理論や経済学説の系譜をたどっていけば、たちどころに納得されるはずだ。その原風景のように浮かびあがってくるのが、『救命ボート』と『犠牲』にもとづく選別の考え方である。
 もう一方の『三車火宅』の物語はどうか。われわれの生きている世界はすでに燃えはじめている『火宅』にほかならないといっている。それに気がつかなければわれわれはすべて焼かれて死ぬほかはない。気がつかないうちに火が全身に廻ってしまえば、一人の例外もなく全員死んでしまう。世の中は『無常』である。この地上に永遠なものは一つもない。形あるものは、かならず滅する。人は生きて、かならず死ぬ。無常の三原則である。だからその『火宅無常』の現実から、早く脱出せよ、ということになる。それに気がつけば白牛の救急車に乗ることができるが、気がつかなければ火宅とともに滅ぶ。
 無常戦略といっていいだろう。仏陀老子がそのような考えに立っていたことはいうまでもない。救命ボートに乗ることのできる者を選別するのではない。そのボートに乗る者も乗れない者も、人は生きて、そしてかならず死ぬ、その運命を免れることは誰もできない。無常という火宅の船に乗っているのであるから、生きるも死ぬも一緒という感覚が、こに無常戦略の核心部分には潜在している。人間の究極的な再生力も、社会の持続的な復元エネルギーも、まさにこの無常戦略に胚胎する、という考え方である。
 ユダヤキリスト教文明に発する生き残り戦略は、たしかに数々の輝かしい文明の果実を人類にもたらした。そしてわれわれの日本列島も、そのおびただしい恩恵を全身にうけて豊かな繁栄の道を今日まで歩きつづけることができた。しかし率直にいうと、この生き残り戦略は、生き残る者(救命ボートに乗る者)と死ぬゆく者(乗れない者)とのあいだの亀裂と差別を十分に埋めることができないままに、数知れない不安の種を人類に与えつづけてきたのではないか。生き残り戦略にもとづく文明の度合いがすすめばすすむほど、われわれは却って生死の不安と緊張からのがれられなくなっている。いわば文明の業による病から脱出することができなくなっている。
 そのようにみてくるとき、三車火宅の無常戦略は、生き残り戦略によって生み落とされた文明病とともいうべき不安や緊張を、むしろ鎮静するはたらきを内在されているといっていいだろう。
 今われわれは、これまで経験したこともないような大災害に直面して、いつはてるともしれない不安の中に投げだされている。そんなとき眼前にあらわれてきたのが二つの物語だった。現代のわれわれは今日まさに、その二つの神話的な物語が示唆する底知れない洞察の力に学ぶときにきているのである。そのことを通して同時に、この13世紀に登場してきた『軸の思想』の可能性を見直すときにきているのではないだろうか。
 砂漠化する文明の中で、われわれの乾ききった『個』はいたるところで分断され、孤立化を深めているのではないか。それでもなお、選別と成長をのぞむ生き残り戦略に命を賭けることは、もはや愚か選択でしかないだろう。われわれの行く手には、『ひとり』往く生死の無常戦略の広野が横たわっているのである。
 ……
 『やはり、個であるということがいちばん大切ですよね。そのことを一人ひとりがよく考えなければならない・・・』とポツリといって口を真一文字に閉じた。
 強靭な個、自立した個が集まって、はじめてみごとな人間のアンサンブルが可能になる、そのことをわれわれ一人ひとりがよく考えなければならない、と。
 個を背負い、ひとり往く道、といってもいいのではないだろうか。
 犀の角のように ただ独り歩め (ブッダのことば)」





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