関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・{東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本神道・神社は、現世の救済として、心の穢れを浄化してくれる。
日本仏教・寺院は、来世の救済として、人の業・罪を許し死後に仏の世界に導いてくれる。
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身分が高い者、裕福な者、由緒正しい者などは、個人の墓ではなく家の墓・先祖代々の墓を持っていた。
庶民は、個人の供養墓を持っていたが、家の墓・先祖代々の墓を持っていなかった。
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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)「日本が自分の祖先の信仰から、もはやこれ以上何も得るものはないと考えるのは、これは悲しむべき誤った考えである。日本の近代における成功は、ことごとく、この力によって助けられたものであると同時に、日本の近代における失策は、すべてみなこの国古来の倫理上の風習を必要もないのに破棄したために起きた事も明らかである」
「今後何千年かたったら、あるいはこうした旧日本の思想が示してきた道徳的状態を、本能的な無私無欲とか、誰もが人を楽しませる事を人生の喜びとしている願望とか、道徳美に対する一般人の観念とか、そういう世界を、幻の影でなく、はっきり打ち建てられるところまで、人間の道は進歩するかもしれない。そして、人間が、それぞれ自分の心情の教えるところ以外には、何の法典をも必要としないところまで進んだとき、はじめて古神道の理想が最高の実現を見るときなのである」(『日本』)
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☆日本の神社仏閣は、商売上手であった。
ヨーロッパの教会は、領主が強権的に取り立てていた税収の一部を得ていた為に、農民に領主の命令に忠実に従う様の説教した。領主の命令に逆い税金を納めなかった者は、破門して領主に引き渡して、神の御名によって生きたまま焼き殺した。潤沢な資金を利用して多くの傭兵を雇い、安心して悲惨な宗教戦争を繰り返し、迫害と略奪と虐殺を奨励した。キリスト教会は、狂信的な宗派戦争を祝福していた。
それが、表面が高度な文化で洗練されたヨーロッパ中世の城塞都市の真の姿である。無知で理解する能力の欠けた現代日本人だけが、無条件にヨーロッパの綺麗に舗装された都市に憧れる。
日本の神社仏閣は、幕府や藩から財政援助がなかった為に、正邪を決める宗論を戦わよりも賽銭を多く得る事に躍起となっていた。日本には、宗教戦争は起きなかった。
安藤優一觔「幕府などからの公的な援助はほとんど期待できない以上、老朽化はもちろん、不時の震災や火災にも備えて、相応の資金を蓄積しておく必要もあった。堂社を新築する場合は、なおさらである。そのため、多角経営によって財政基盤の強化をはかるとともに、修復などの臨時出費に備えようという寺社側の経営方針が、この時代により確認できる」(『観光都市 江戸の誕生』)
川柳「宗論は どちら負けても 釈迦の恥」
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日本の信仰心とは、人に過ぎない祖先を人神として祀る氏神信仰である。
日本の神は、多様性を持った相対的な「カミ・Kami」であって唯一の絶対的な「ゴッド・God」ではない。
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日本の墓である「××家の墓」は、公家、武士、豪商、豪農など家系を重視する極一部の階層の習慣であった。
百姓や町人などの一般庶民は、先祖代々の墓を持ってはいなかった。家の墓を持ち、家族全員の遺骨を納める様になったのは、明治後半からであるといわれている。
女性が、嫁ぎ先である夫の家の墓に入る様になったのも、明治後半からである。
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