⚔30)─2─イエズス会敬虔派は、キリシタン大名達に対して豊臣秀吉への謀反を懇願した。キリシタンへの五箇条。1587年~No.117No.118No.119 @ 

ポルトガルの植民地形成と日本人奴隷

ポルトガルの植民地形成と日本人奴隷

  • 作者:北原 惇
  • 発売日: 2013/02/01
  • メディア: 単行本
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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 イエズス会敬虔派は、キリシタンを守る為にキリシタン大名達に対して豊臣秀吉への謀反を懇願した。
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 サムライは、神代から続く祭祀王・天皇中心の国體を守ろうとして戦い血を流した。
 キリシタンは、神話に基ずく人神・天皇中心を国體を破壊する為に聖戦を行っていた。
 日本民族日本人にとって、「国體」は如何なる犠牲を払っても死守せねばならない大事なものであった。
 日本人キリシタンにとって、「国體」は無価値で、消滅させるべき無用の長物であった。
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 日本に牙を剥いたキリスト教原理主義者は、日本民族の日本天皇国家を根柢から破壊し、地上から消し去ろうとしていた。
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 世界常識は、
 日本人を奴隷として人身売買する事は、善である。
 キリシタンを処刑する事は、悪である。
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 絶対神は、異教徒日本人をキリスト教との奴隷として売られる事を祝福し、敬虔なキリシタンを弾圧する異教国日本に天罰を下す。
 異教徒日本人は、祝福を受けるべきか、天罰を受けるべきか、どうすれば良いのか?
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 全国のキリシタン大名は、豊臣秀吉が強権的に介入してイエズス会領であった長崎を奪わなければ、領地の一部をイエズス会フランシスコ会ドミニコ会などの修道士会や教皇枢機卿などに寄進した。
 キリシタン禁令とは、日本を丸々一国に保つ為ち国内に他国領・教皇領を作らないという排他的な意思表示であった。
 日本国内に、キリスト教を国教とする独立国家の南アフリカシンガポールか出現する危険があった。
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 ポルトガルの奴隷商人は、宣教師の協力を得て、異教徒の日本人2万人から50万人を奴隷として海外に売り飛ばした。
 スペイン人の奴隷商人が、日本人をどれだけの日本人を奴隷として売ったかは不明である。
 全ての奴隷売買に、宣教師が拘わっていた。
 全知全能の神の御名によって、異教徒にして白人でない日本人は奴隷として売られた。
 日本人は、家畜の同類と見られていた。
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 中世キリスト教会の正体。
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 明国人(中国人)も、日本人奴隷売買に関与していた。
 東南アジアは、日本人を奴隷として輸入していた。
 知らぬは、性善説でお人好しの日本人だけである。
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 日本人奴隷の貿易
 16世紀から17世紀にかけての日本は大航海時代を迎えて列強となったポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスなどのヨーロッパ諸国から、東南アジアにおける重要な交易相手としてだけでなく植民地維持のための戦略拠点としても重視された。この時代は日本は室町から安土桃山時代の乱世にあたり、漂着した外国船の保護を契機として、海に面した各地の諸大名が渡来する外国船から火薬などを調達し、大量の銀が海外に流出していた(南蛮貿易)。日本へは中国産硝石、生糸、絹織物、奴隷、ミイラなどが入り、日本からは輸出品:硫黄、銀、海産物、刀、漆器、そして日本人も奴隷として輸出されていた。
 古来から日本の戦場では戦利品の一部として男女を拉致していく「人取り」(乱妨取り)がしばしば行われていた。この時代に入ると、侵攻地域に居住する非戦闘員に対する拉致や、非戦闘員の拉致自体を目的とした侵攻も恒常的に行われるようになっていたと考えられている。この時代に大内氏や尼子氏と代る代る戦争をした毛利氏は、領内深くに尼子氏が侵入してきた際、居城に非戦闘員である農民や商人らを収容して尼子氏による乱妨取りに備えた。同種の記録はこの時代の各地で見られる。乱妨取りされた人々の中にはヨーロッパ商人や中国人商人によって買い取られ、東南アジアなどの海外に連れ出されたものも少なからずいたと考えられている。
 九州の薩摩・大隅地方ではこの時代の少し前から、人々が盛んに海外に進出し私貿易を行うようになっていた。この地域では、国外で捕虜とした人々を日本に連れ帰って、来航した外国商人に奴隷として販売する事例も見られる。遣明船にも携わった西国の大名である山口の大内氏や、貿易都市である堺を掌握し、細川氏を継承する四国の三好氏らも、捕虜とした人々を外国商人に売却していたと考えられている。九州の南端に位置する薩摩地方の港や、西の京都と呼ばれた山口や、遣明船貿易で繁栄した堺の町では、これまでの明人に加えて、ポルトガル商人の活動も早くから確認できる。
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 1587年 大村由巳「日本仁(人)を数百、男女によらず、黒船へ買い取り、手足に鉄の鎖をつけ、船底に追入れ、地獄の呵責にもすぐれ、生きながら皮をはぎ……ただ今世より鬼畜道のありさま、目前のように相聞え候」『九州御動座記』
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 日本のキリスト教区から、奴隷としてスペイン船やポルトガル船に乗せられて、インド・東南アジア・アフリカ・中南米など世界中に売られた日本人男女は数十万人と言われている。
 キリスト教徒商人は、奴隷として買った日本人を黒人奴隷同様に扱い、中国・東南アジア・インドはもちろん、アフリカや中南米などへ強制連行して売り捌いていた。
 キリスト教徒白人は、宗教的選民思想から当然の事として、非白人の日本人を人とはみなさず、如何なる権利も認めてはいなかった。
 キリスト教徒日本人商人も、その事を十分に理解した上で、彼等に協力して儲けていた。
 豊臣秀吉(豊国神社、身分賤しき最下層の出身)は、明国へ出兵する為に肥前名護屋に城を築き、朝鮮出兵の準備を始めた。九州征伐で、キリシタン大名が周囲の大名との領土争いの軍資金を得る為に、神国日本の国土を勝手にキリスト教会に寄進し、日本人を奴隷として海外に売っている事実を知って愕然とした。
 キリスト教会が、その土地を教皇領として日本から独立させ、領土内の由緒ある神社仏閣を破壊し、民百姓を強制的に改宗させている事に激怒した。されに、ポルトガル商人が日本人を奴隷として海外に輸出している事実を知るや、非人道的行為を奨励するか見逃している宣教師(バテレン)の影響力を恐れた。
 秀吉は、コエリョ神父に対して、すぐさま国外に奴隷として売られた日本人の連れ戻しを命じた。
 キリスト教会側は、連れ戻しは不可能と拒否した。
 各地の寺社仏閣は、キリスト教徒による破壊行為を止めさせる様に訴えた。
 全ての宗教を公平に扱う日本人には、自分の信仰を優先して他人の信仰を否定して暴力を振るい、非人道的に人を差別して奴隷を容認するキリスト教が、全く理解できなかった。
 日本の支配者である秀吉は、前代未聞の宗教紛争を起こさない為に、キリスト教会に対する制裁を行う必要に迫られた。
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 6月19日 天皇より天下人と認められた豊臣秀吉は、キリスト教会が神国日本をキリスト教国家化する為に征服し、異教徒日本人を家畜の様に絶対神の奴隷・下僕にしようといているとして、バテレン(宣教師)追放令を発した。
 バテレン追放令「1,日本は神国たる処、キリシタン国より邪法を授け候儀、はなはだ以て然るべからず候事」  
 日本副管区長コエリョ神父は、日本在住の主だった宣教師達を小西行長の領地室津に集めて対策会議を開いた。
 コエリョ神父ら強行派は、絶対神への忠誠を世俗の権力者・豊臣秀吉への忠誠より優先し、隣人愛の信仰を守る為に日本征服の秘密会議を行った。
 何がなんでも、日本をキリスト教国家に生まれ変わらせる事を「神聖な使命」とし、その為には聖戦も辞さなかった。
 小西行長蒲生氏郷ら敬虔なキリシタン大名達に主君・豊臣秀吉への反乱を起こさせるべく武器と軍資金を与える事と、現人神・天皇を殺害する為にスペイン軍を引き入れる事を、採択した。
 コエリョキリシタン領主を集めて秀吉への叛乱を起こさせ、イエズス会その為の軍資金や武器を集める事、スペイン軍を日本に導入し、軍事要塞を作る事」
 だが、改宗した戦国大名の中には、織田信長に取って代わるような軍略優れた指導者はいなかった。
 皇族や公家の中での改宗に失敗した上に、天皇から布教活動に関する許可と宗教的保護を得られなかった為に、日本のキリスト教化、日本征服と日本人奴隷化計画は失敗に終わった。
 こうして、日本はインカ帝国アステカ王国の悲劇の二の舞になる事が避けられた。
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『秀吉の五箇条
 1,何故に 秀吉の臣下をキリシタンにしたのか
 1,何故に 宣教師は教徒に神社仏閣を破壊させたのか
 1、何故に 仏教の僧侶を迫害するのか
 1,何故に お前達は耕作に必要な牛も屠殺して食用にするのか
 1,何故に お前達はお前達の国民が日本人を購入し、奴隷としてインドに輸出するのを容認するのか』
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 豊臣秀吉は、日本人を奴隷として売らなくても硝石が手に入る様にする為に、国内で硝石を生産できるようにした。
 この結果、火薬の製造に成功し、鉄砲の大量生産によって日本は世界最大の鉄砲保有国となった。
 西洋諸国は、火薬と鉄砲の自己生産に成功して軍医大国化した日本を帝国として恐れた。
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 10月1日 北野天満宮で催された「北野大茶会」は、参加者が約800人で予想より少なく失敗に終わり、開催期間を10日と予定していたが1日で終わった。
 失敗した原因は、気位の高い京の町人が、自分達よりも千利休今井宗久、津田宗及などの堺の茶人が重用されていた事に反発したからと言われている。
 豊臣秀吉は、参加させる為に呼んだ博多や平戸などの商人達に詫びを入れて、後日改めて茶会を開いた。
 京の町人は、天子(天皇)様が生活している都の住人というフライドから、豊臣秀吉が財力と武力で天下を支配しても元は下賤の生まれと馬鹿にしていた。
 京には、貴種信仰が根強く残り、貴種でない実力者が天下を統一して権力を振り回しても、軽蔑して見下し鼻であしら風潮が強かった。
 神代から、日本には独裁者が出現できない風土が存在していた。
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 当時のフィリピンは、1521年にスペインの植民地となり、キリスト教への改宗が進められた。祖先からの民族宗教を守ろうとした数十万人の原住民は抵抗して虐殺され、無抵抗な人々は奴隷として強制連行され農場で重労働を強要された。
 白人地主に協力して異教徒原住民を酷使したのが、キリスト教に改宗した原住民や混血児達であった。ゆえに、多数派を占める異教徒原住民は、改宗者や混血児を差別した。
 宣教師や修道士らは、ローマ教皇から与えられた宗教的権威と植民地総督以上の政治的権力を持って、キリスト教の宗教秩序に不満を持って抵抗する異教徒原住民の虐殺を承認した。彼らは、原住民の心情を理解するどころか完全に無視して、民族中心宗教の多神教の神々を殺し、原住民を文盲にする為に教育を禁止した。
 植民地での重要な統治政策は、徹底した愚民化政策であった。原住民に教育を施す事は、独立心を持たせて、支配に対する暴動を起こす原因になるとして禁止するのが、世界常識であった。分割して支配して搾取する為に、統一言語としての公用語を許可しなかった。
 東南アジアには、タイやビルマの様な民族的宗教国家が存在していた。山や海によって隔てられた地域が多かった為に、1,000に近い部族が独自の言語と文化風習を持って生活していた。
 征服者は、部族間交流を制限する為に、部族言語を保護するという名目で放置した。後年、日本軍が東南アジアでおこなった日本語教育は愚の骨頂であった。
 聖書は、宣教師や修道士が原住民に読み聞かせるものであって、改宗者とはいえ手にとって読む事は禁止されていた。聖書を独占する為に、中を覗き見る事さえ許されてはいなかった。もし見たとしても、読み書き算盤の教育を受けていなかった為に意味が分からなかった。
 さしずめ、日本人が仏教経典を見ても意味不明と同じであった。
 『新約聖書゠マタイによる福音書、第7章6節』「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなた方に噛み付いてくるだろう」
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 1587年 イエズス会のサンチェス神父は、マカオ・アモイなどの中国の実情を視察してフィリピンに到着し、布教の為に中国征服論の強硬論を主張した。
 アジア全域の総管区長のヴァリニャーノと中国布教長のリッチ神父は、中国はもちろん今後のアジアでの布教に悪影響すると反対した。
 ヴァリニャーノは、ローマ教皇の大使を中国へ派遣する様にバチカンに要請した。
 四名の教皇が相次いで死亡し、大使派遣は中止された。スペイン王国がイギリス王国に敗北した為に、中国征服論も消滅した。
 イエズス会の強硬派は、中南米で行った武力による布教を再現しようとしていた。
 一般信者には、絶対神が何を求め、何を成そうとしているのか、その大いなる思惑がわからない。
 ゴアのインド副王は、豊臣秀吉に対して宣教師の保護を要請する書簡を送った。
 10月4日 フランチェスコ・パシオからイエズス会総長への書簡。「関白殿は、大身の領主達の間で我々の信仰が宣布される事に満足していない。というのも、キリスト教徒達は、血のつながった兄弟達よりも、領主達の中で一つになっているのが一般的なので、関白殿、彼等が日本の支配者に対して、何らかの叛乱を起こすのではないか、という事を恐れていたからだ」 
「秀吉の考えでは、我々イエズス会士は日本を征服して支配する為に、身を置いている、との事である。
 秀吉は信長の生存中に、この事について述べた。しかし信長は最よく熟考しあの様に遠い所から、その目的を達成するのに十分なだけの兵士が来るのは、不可能だ、と語っていた」
 高山右近は、小西行長によって小豆島に匿われた。
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 1588年 エリザベス1世は、スペインの無敵艦隊を撃破した。
 海洋大帝国スペインは、致命的な打撃を蒙った。
 世界の半分を手にれようとしたフェリッペ2世の野望は打ち砕かれ、日本への脅威は薄れた。
 豊臣秀吉は、宣教師追放令と共に、イエズス会が軍事要塞港都市化しようとしている長崎を接収した。
 ポルトガル領インドの副王は、イエズス会以外の修道会が日本・中国に布教する事を禁止した。
 イエズス会は、布教と自衛の唯一の拠点を失い、日本人キリシタン保護が出来なくなった。
 多くの宣教師が、異教徒の暴君による不当な弾圧であり、絶対神の「隣人愛信仰」の危機と認識し、信仰の自由という正当な権利を守る為の自衛戦争の必要性を実感した。
 スペインは、ユダヤ人商人達が日本を含む東アジアに築いたポルトガルの交易網を奪い始めた。
 スペイン船は、メキシコへの航路として日本近海を通過する北航路をとり、天草、島原、薩摩などの沿岸近くまで接近して立ち去った。
 江戸時代も北航路は使用され、江戸時代においても沿岸から通過する外国船を時折見かける事があった。
 秀吉は、日本近海の安全な航行と自由な交易を保証する為に、海賊行為を禁止する「海賊停止令」を発布した。
 前田利家は、豊臣秀吉の許可を得て高山右近を客将としえ、3万石の領地を与えた。
 「高山右近は武功の士であるから、少ない知行でも召し抱えたい」
 郄山右近は、新たな領地・鹿島郡地方での布教活動を行ったが、前田家への配慮から寺社仏閣の破壊は控えた。
 2月20日 ルイス・フロイスは、秀吉の詰問状を公式文書と自筆の『日本史』に書き残した。
 「(秀吉は) 日本に交易の為にやって来るポルトガル人その他が多くの人を買い入れ、奴隷として船で本国に送っていると聞いている。これは自分にとって耐えられない。従って、今日までにインドその他の遠隔地に売られていった日本人の全てを、日本に送り返すように努力していただきたい。遠隔地である為に送り返す事が不可能であれば、少なくとも現在ポルトガル人買い入れた者を放免していただきたい。自分は奴隷を購入したときの費用を支払う用意がある」 
 宣教師側は、ヨーロッパの常識か、身分低い卑しい階級の者を奴隷として売り買いする事に罪悪感を持ってはいなかった。
 キリスト教会は、世界中で、キリスト教徒のみを絶対神に愛される資格のある人間と見なして保護したが、非キリスト教徒は絶対神に愛されない罪人として奴隷として売買する事を認めていた。
 ユダヤ人は、ユダヤ教徒のみを同胞として大事にしたが、非ユダヤ教徒は獣として憎んだ。
 白人にとって、非白人の日本人は家畜であり、奴隷であった。
 非白人の生き死になど、白人に興味がなかった。
 現代のキリスト教と中世のキリスト教は、全く違うキリスト教であった。
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 問題は、キリスト教ではなく、人間にある。
 何時の時代でも、問題は人間である。
 それは、日本人でも、中国人でも、西洋人でも同じ事である。
 キリスト教の「隣人愛信仰」は、すばらしい教えである。
 全ての原因は、人の邪な心である。
 現に。ポルトガル人奴隷商人に、日本人を奴隷として売ったのは同じ日本人である。
 日本人を奴隷として売った日本人は、キリスト教徒ではなかった。
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 奴隷として売られた日本人は、5万人以上とされている。
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 7月8日 豊臣秀吉は、天下を統一して、刀狩り令と海上賊船禁止令を発した。
 刀狩り令は3ヶ条からなっていた。
 1,諸国の百姓が、刀・脇差・弓・槍・鉄砲その他の武器を持つ事を厳禁する。その理由は、不要な武器を持てば、年貢・雑税を出し渋り、おのずから一揆を企てる事にもなる。……従って、大名・領主・代官らの責任において武器を全て没収して差し出せ。
 2,取り集めた刀・脇差は無駄にするのではない。今度、大仏殿建立の為の釘・かすがいに使用するのである。そうすれば、現世はもちろん来世までも百姓は助かる事になる。
 3,百姓は農具さえ持って耕作に専念していれば子孫末代まで幸せなのである。秀吉公は百姓の事を思って命令された。誠に国土安全、万民安楽の基になるものである。……百姓達はこの趣旨をよく承知して農耕・養蚕に精を出すようにせよ。
 『多聞院日記』などは。刀狩りの主目的は、百姓達が盟約を結んで団結し、武器を持って一揆を起こさないように防止する事であったと記している。
 豊臣秀吉は、同時に喧嘩停止令を発し、隣近所との揉め事などを解決する為に武器の使用を禁止した。
 下層民出身の豊臣秀吉は、ニホンオオカミや熊などから身を守り害獣を駆除する為には刀、槍、弓矢、鉄砲の武器は所持は仕方がないし、村々の神社に於ける祭祀用の武具所有もやむを得ない事を知っていたがゆえに、全ての武器を強制的に没収したわけではなかった。
 刀狩りの実施は、大名・領主ではなく各村の自検断権で実行された。
 サムライと百姓の身分を区別する為に、苗字を名乗る事を禁じ、帯刀する時は脇差し一差しとした。
 後の江戸幕府も刀狩り令を踏襲し、庶民の武器所有を認める代わりに一揆や騒動で武器を使用しない事が暗黙の了解とされた。
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 豊臣秀吉によって天下が統一され戦がなくなるや、戦闘員として大名や領主に仕官して出世しようとしたサムライ達は行き先を失った。
 元々が、百姓仕事が嫌いでサムライになろうとした彼らが、刀狩りで帰農する事を嫌った。
 国内で食えなくなった失業サムライ達は、国外に生きる糧を求めて朱印船の用心棒として乗船し、アジア各地の日本人町に移り住んだ。
 日本人キリシタン達も、国内のキリスト教弾圧を逃れる為にアジア各地に脱出した。
 日本の外国交易は、ポルトガル・スペインの南蛮貿易と日本人の朱印船貿易で行われていた。
 ポルトガルやスペインの船は、日本人を奴隷として売れなくなった為に、主家をなくしたサムライ達を東南アジアの土豪達に傭兵として売った。
 戦闘能力が高いサムライは、高値で売れた。
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 11月22日 ロレンソ・メシアのイエズス会総長補佐への書簡。「関白殿は、ジュスト(高山)右近殿の許に使者を派遣し、……右近殿が領内で、領民全員をキリスト教徒にし、坊主達を追放し、神々と仏達の社寺に火を掛けている限り、右近殿を日本から追放せざるを得ない、と告げた。……関白殿は家臣2人を召して準管区長も許に行かせ、以下の事を詰問させた。─何故に、キリスト教徒達は、神々と仏達の寺社を破壊し、その他、同種の侮辱的な言動をするのか? 
 この使者の次に、別の使者が来ていった。─関白殿は、こう仰せにいる。お前達が日本の定めにいろいろ反して、有害で悪魔の悪しき一派を宣布する限り、また国々の破壊、天下の王国を冒涜者である限り、自分は、お前達が、日本の如何なる地にも身を置く事を望まず、20日以内にお前達を一人残らず、この全領地から追放する、と」
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 1589年 コエリョは、「宣教師追放令」に対する対応策を話し合う為に、日本イエズス会の幹部を肥前有馬の高木に集めた。
 イエズス会は、宣教師が切り開いた日本のキリスト教界を異教徒の攻撃から如何に守るかを協議した。
 協議会は、日本のキリスト教徒を守る為に、フィリピンのスペイン総督に日本への軍隊派遣を要請することを決定した。
 スペイン軍の日本派兵は、日本を占領する為の侵略ではなく、日本人信者を守る為の自衛であった。
 戦国時代の混乱を生き抜く為に、他力として、キリシタン大名の庇護を得る為に軍事や経済で支援して局地的な戦闘を行ってきた。
 有馬晴信大村純忠小西行長ら敬虔なキリシタン大名らに、キリスト教の隣人愛信仰を守る為に、秀吉に対して敵対する様に要請した。
 豊臣秀吉によって日本が統一されるや、国家規模の戦争を余儀なくされた為に、自力で生き抜く為にキリスト教世界に助けを求めた。
 仏教界は、戦国時代の戦乱で力が分散されていたが、天下が統一されるやキリスト教排除に力を結集した。
 イエズス会としても、絶対神の「隣人愛信仰」を守る為に、否が応でも自衛戦争に突入するしか生き残る術がなかった。
 イエズス会の不幸は、スペイン王国には数十年前に比べて、日本に軍隊を派遣するだけの軍事力が既になくなっていた。
 小西行長は、コエリョフロイスら幹部宣教師らに、教団の軍事力を強化し武力介入する事は、主君秀吉の逆鱗に触れ、教団の根絶やしにあう恐れがあるとして忠告した。何も知らない一般の日本人キリシタンを救うべく、秀吉にコエリョらの行動を伝え、イエズス会の巨大化した権力と軍事力を削ぐ様に意見具申した。
 アジアやその他の地域では、巨大な軍事力を誇示すれば震え上がって屈服した。
 だが。サムライ日本人は、意固地なまでに名誉を重んじ、命に代えても体面を守り、脅迫・威嚇・恫喝に屈する事を潔しとしなかった。
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 中国が面子にこだわるのなら、日本は体面の為に命を捨てた。
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 イエズス会は、第5回総会議を開き、「改宗ユダヤ人の修道士受け入れを禁止する」事を決定した。
 ユダヤ人商人達は、ポルトガルの交易網を使い、イエズス会の会員となる事で海外に活動の場を広げたが、その伝が断たれた。
 ユダヤ人商人達は、スペイン王の内意を受けたイエズス会が教勢を拡大する事は、自分達の商業活動崩壊を招くとして危険感を募らせ、イギリスやオランダの援助を得て反撃に出た。
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 フランス王アンリ4世は、国内を二分した宗教戦争を終了させる為にナントの勅令を出して、カルヴァン派を認めた。
 アンリ4世は、宗教戦争を終焉させる為に精力的に活動したが、農民の叛乱鎮圧には容赦せず皆殺しを命じた。国王の軍隊(大半が契約兵士・他国の傭兵)は、抵抗する領民すべてを、女子供に関係なく虐殺した。
 王侯貴族などの上流階級にとって、国民という下層階級は家畜と同じで、暴力を持って税金を取り立てる人民に過ぎない。国民の生殺与奪権は、キリスト教会から「絶対神の名」によって与えられていた。
 そこに存在するのは、神聖な「弱肉強食の論理」である。
 キリスト教会は、絶対神に愛されているのは文化的な王侯貴族や領主であって、教養なき貧しい農民や町人ではないとしていた。農民や町人が、絶対神の愛に包まれ恵みをえて天国に行くには、国王や両社や教会に税を支払う義務があると説いていた。
 ジョルジュ・リヴェ「1593年6月24日、貴族層は攻撃に出、2,000人をこえる農民を殺戮した」
 ヨーロッパ世界のキリスト教徒同士の悲惨な虐殺とおぞましい拷問は続き、信仰による殺し合いは地球上に蔓延して収束の途を見失っていた。
 普遍宗教の布教が進に連れ、数多くの民族宗教が炎と血によって地上から抹殺された。
 それを、歴史は「必要悪」と容認している。
 1月30日 ルイス・フロイスは、イエズス会総長に、日本における教団と信者を異教徒の迫害から守る為に自衛目的の正戦(正当戦争)を訴える書簡を送った。
 宣教師は、「隣人愛の信仰」を異教徒の攻撃から守る戦いは「正義の戦争」と確信していた。
「極めて重要であり、また日本でイエズス会キリスト教会を保持する為に絶対に必要なのは、これらの地域に堅固な要塞を設け、何某かの迫害が勃発した場合には、その要塞にパードレ達が避難し、彼等が資産や衣服、生活に必要な諸物資を、そこに保存できる様にする事である。国王フェリペは装備をした200〜300名の兵達を用いれば、それを掌中のものとできるであろう」 
 3月10日 コエリョは、豊臣秀吉に、イエズス会ポルトガル・スペインが軍事連合を組んでいる事を見せ付け、その軍事力で威圧すればキリスト教信徒は守れると確信していた。
 事実。中世キリスト教会は武力的威圧を利用して、インドや中国などで教区を拡大してきた。
 だが。当時のサムライは、室町時代の武者ではなく、鎌倉時代の武士に近かった。
 ニエッキ・ソルド・オルガンティーノは、コエリョフロイスらの自衛的武装イエズス会総長に報告する書簡「私の忠告に来を留める事なく、身を守る為に、準管区長のコエリョは火縄銃、弾薬その他の武器で有馬の要塞の防御工事を行った。その為に、有馬には砲門が幾つも存在した。パードレ・コエリョは復活祭の時に大砲を撃たせ、その音は、肥後の関白殿の軍隊にまで達した。その為に、肥後では、有馬の領主は関白殿の敵も同然である、と判断されてしまった」
 弱小のキリシタン大名には、如何に絶対神への「隣人愛信仰」といえども、豊臣秀吉の命に逆らう勇気はなかった。
 キリスト教宣教師は、頼りにならないキリシタン大名を見限り、日本人キリシタンと共に絶対神への「隣人愛信仰」を自力で守り抜こうとしていた。
 8月1日 アンリ3世は、カトリック同盟に属するドミニコ会修道士ジャック・クレマンの謁見に応じたが、この暗殺者に短剣で襲われて重傷を負い、翌日の深夜2時に死去した。
 10月5日 ヴァリニャーノのイエズス会総長への書簡。「この暴君自らが語る処によると、暴君が疑惑を抱いたのは、パードレ達は非常に大勢のキリシタン教徒の領主を抱え、さらに作りつつあるで、何時の日にか、何事かを企てて、日本の政体に敵対するのではないか、という事だった。というのも、関白殿は、準管区長が余りにも和平と戦争の交渉に介入し、キリスト教徒の領主達に対して、権限と影響力を持っている事を理解したからである」
 10月14日 ヴァリニャーノは、イエズス会総長に、日本国内で起きている混乱についての書簡を送った。
 「パードレ・コエリョは命令と理性に反してフスタ船を一隻建造させ、数門の大砲を購入した。……私は、彼が集めた全ての武器、弾薬を直ぐに秘密裏に売却させた」
 1589年10月末 北ドイツでオオカミ男事件が起き、シュトゥッベ・ポーターは車裂き刑に処せられた。
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 キリスト教会は、日本人が奴隷として売られていた事を知っていた。
 だが、日本人を奴隷として売られる事をキリシタン弾圧で禁制した豊臣秀吉をサタンの一味と見なした。
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日本キリシタン殉教史 (片岡弥吉全集)

日本キリシタン殉教史 (片岡弥吉全集)