🏯29)─1・A─日本の身分制度と民族宗教。大名の神様。庶民(百姓・町人)が武士に、武士が庶民になる。~No.54 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 大名になった下級武士・足軽
 武士になった庶民(百姓と町人)・外国人。
 朝鮮人は、皇族待遇を受け、政治家、高級将校、知事になり、そして日本の神となった。
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 日本の身分制度は中華儒教朱子学)に毒される事なく柔軟で流動性があった。
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<天下人>
豊臣秀吉…貧しい百姓の子であったが由緒ある近衛家の養子に入り天下人となり、藤原氏でなければなれなかっい関白・太閤に出世した。
 身分卑しき出であったが、新たに豊臣の姓を与えられた
 唐入り(中国征服)の為に、朝鮮出兵を命ずる。
 豊国神社。
 豊臣秀吉は、韓国・北朝鮮で侵略者として最も嫌われている日本人である。親韓国派日本人は、アジア諸国からの批判を無条件で受け入れ、自分の子孫が不利になる事を知りながら日本史を守る為の先祖弁護を一切しない。
 天皇神話に基づく日本の宗教風土を破壊しようとするキリスト教を弾圧し、民族宗教を攻撃するキリシタンを処刑した。
 日本人は、日本の身分制度を馬鹿にしていた。
 キリシタン弾圧は、南蛮人の奴隷商人に協力して日本人奴隷貿易で布教資金を稼ぎ、長崎を教皇領として日本から独立させ軍港都市に改造しようとしたからである。
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徳川家康…半農半武士の小領主で、由緒ある源氏の家系を購入した。
 キリシタンを弾圧した。
 東照宮
 キリシタンは、絶対神への信仰ゆえに、名も無き祖先を神として祀る事に猛反対し、悪魔的異教を撲滅する為に徹底して攻撃した。
 徳川幕府鎖国によって、白人キリスト教徒による日本人奴隷交易は遮断され、長崎を教皇領から日本領に取り戻した。
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キリシタン大名キリシタン旗本>
小西行長薬種商の子
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 宣教師や南蛮商人らキリシタンの、日本人を奴隷として外国に売る人身売買に手を染めたキリシタン大名は棄教しなければ処罰された。
 日本人を奴隷として売る事を罪悪と認めた、キリシタンの大名や商人達は信仰を捨てた。
 それが、日本におけるキリシタン弾圧の元凶であった。
 キリシタン弾圧を非難する者は、日本人を奴隷として東南アジア・中国・インド・メキシコなどに売って大金を手にした宣教師や南蛮商人らキリシタンの非人道的行為を容認する者達である。 
 宗教的白人至上主義から、白人キリスト教徒は神に愛された人であり、非白人キリスト教徒は生きる事を許された動物で、非白人非キリスト教徒は殺してもよい家畜か獣であった。
 ゆえに、宣教師や南蛮商人らキリシタンは、異教徒の日本人を奴隷として売買する権利が認められていると確信していた。
 そうした事は、中南米、アフリカ、アジアなど世界中で行われていた。
 そうした行為は、キリスト教徒の西洋人だけではなく、イスラム教徒の中東人も、正統派儒教の中華人(中国人・朝鮮人)も、極一部の人間以外の全ての人類が行っていた。
 それが、人類史・世界史・大陸史である。
 日本では、大陸世界のような非人間的奴隷制度はなかったが、日本人が外国人によって奴隷として売買されていた。
 それが、歴史的事実である。 
 それ故に、江戸幕府は限定的鎖国を断行して、日本列島(南は琉球・沖縄から北は北方領土・四島)に閉じこもった。
 キリシタンを排除する事で、日本人が奴隷として売買される事がなくなり、世界で類を見ない開放的な庶民文化が誕生した。
 それが、徳川の平和である。
 徳川の平和を否定しキリシタン弾圧を非難する者は、日本人を奴隷として人身売買を正当と認める者である。
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<大名になったキリシタンで百姓>
田中吉政筑後国柳川32万5千石。
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<大名や旗本になった下層民の、川の民・海の民・山の民達>
蜂須賀家政…河運業者・盗賊‥主君を替えて生き残る‥国瑞彦神社
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<大名になった血筋の定かでないサムライ>
石田三成土豪の子。寺小姓‥豊臣秀次の家族で女子供を全て処刑した。朝鮮征伐では多大なる貢献をした‥石田神社
福島正則…桶屋の息子。
加藤清正…貧しい刀鍛冶の子‥大量の朝鮮人を殺して北朝鮮・韓国から凶悪な殺人鬼として嫌われている‥加藤神社
 「朝鮮国王子等連署書状」
 本妙寺第三代住職 日遥上人
鍋島直茂…小土豪‥主家を乗っ取っる‥松原神社
藤堂高虎土豪‥8度主君を替えた‥高山神社
小早川隆景…小領主‥朝鮮で敵を殺害し活躍した‥和賀神社
前田利家…小領主‥主君を替える‥反逆した領民を釜で煮殺した‥尾山神社
黒田如水…目薬売りの浪人の子‥主君を替えた‥光雲神社
伊達政宗…小領主‥朝鮮で敵を殺して活躍した‥キリシタンを弾圧した‥青葉神社
島津義弘…手勢8,000人で、朝鮮に攻め込み、明軍20万人を攻撃し、3万8,000人を殺した。‥精矛神社
山内一豊…小領主‥凡庸で、功績がなく、一言の発言で大名になった‥従わない領民を騙して虐殺した‥山内神社
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 血筋が定かでなかった身分低いサムライ・庶民は、戦国の下克上の中で戦争を繰り返し、敵兵や庶民を多く殺害し、領地を奪い、そして大名となった。成り上がり大名は、子孫や家臣から神として地元の神社に祀られた。
 大名・サムライは、敵国を侵略し、敵国人を殺して出世した。
 日本の反戦平和主義者は、如何なる理由があろうとも人を殺す事には猛反対し、人を殺すくらいなら殺された方が良いと確信している。
 三河以来の直参旗本や譜代大名の祖先の多くは、土豪松平家の家臣として、半農半武士として郷士の様な貧しい生活を送っていた。
 出自が明らかな由緒ある武士は、室町までの武士である。
 戦国の混乱で保守的支配階層は崩壊し、名門・名家といわれた武士も没落して社会の表から姿を消した。
戦国時代以降の武士は、合戦で手柄を立てて武士と称し、必ずしも源平籐橘の流れを汲んだ名門の出ではなかった。
 ゆえに、武士としての正統を証明する家系図の多くは、身分低い成り上がり者によって捏造や偽造されていた。
 江戸時代のサムライにいたっては、家系図を最もらしく見せる為に意図的に作り、本物かどうか疑わしいものばかりであった。
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<下級武士から成り上がった者>
柳沢吉保…160石の館林藩士柳沢保教の子‥大老並老中。22万8,700石の大名となる。
新井白石…主家の内紛で追放された下級武士‥1,000石の旗本となって幕政に参与した。
田沼意次…300俵の紀州藩士(一説には足軽身分)田沼意行の子‥老中。5万7,000石の大名になる。
・村垣範正…200石の御庭番‥外国奉行勘定奉行若年寄などを歴任する。遣米使節団の副使を務める。
・小野一吉…御細工所の極めて身分の低い足軽の子‥勘定奉行。3,000石の旗本となる。
・竹内保徳…100俵5人扶持‥勘定奉行。大阪奉行。
近藤重蔵…下級御家人。勘定方。
・中島三郎助 浦賀奉行所与力。父親は、書院番与力関丈右衛門の子で、浦賀組与力の中島家の養子となる。老中阿部正弘に認められて、抜擢される。ペリー来航時は、浦賀副奉行と称して交渉に当たった。
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山田方谷 山田家は、清和源氏の流れを汲む武家であったが没落して百姓として生計をたてていた。儒学を学び、備中松山藩士分として取り立てられた。
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平野国臣…3人扶持6石の足軽の次男で、鉄砲頭の小金丸家の養子となる‥靖国神社平野神社
吉田稔麿足軽靖国神社
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木戸孝允…下級藩医の次男で桂家の養子となる‥夫人は、芸者。
久坂玄瑞藩医の子‥靖国神社
山縣有朋足軽
品川弥二郎足軽
乃木希典…身分低い文官‥軍神・乃木神社
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大久保利通…身分低い御小姓組
西郷隆盛…貧しい下級武士‥西郷神社。
東郷平八郎…下級武士‥軍神・東郷神社
大山巌…貧しい下級武士。
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江藤新平…下級武士。
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坂本龍馬…商家の分家・郷士靖国神社
中岡慎太郎郷士靖国神社
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児玉源太郎徳山藩の家臣‥軍神・児玉神社。
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 幕末維新で活躍したサムライ・浪士の多くは、身分ある武士ではなく、下級武士か身分の低い町人や百姓であった。
 町道場で剣術や軍学や学業に励んだのは、上級武士ではなかった。
 明治維新は、血筋の定かでない、地位の低い彼等によって成し遂げられた。
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<恩恵で武士・華族になった庶民>
・河村瑞賢…伊勢国度会郡東宮村の極貧の百姓出身。一説には、部落民出身。下級人足から幕臣となった。
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・川崎 定孝…武蔵国多摩郡押立村の名主の長男。農政家。旗本に取り立てられて美濃国代官、勘定吟味役石見銀山奉行を歴任した。川崎神社の祭神。
本居宣長…伊勢松坂の木綿問屋。没落後は、医師になった。本居神社。
二宮尊徳相模国小田原の極貧の百姓出身。小田原藩の財政を立て直し、幕府に請われて幕臣となり財政再建に取り組む。二宮報徳神社。
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・藤田幽谷…水戸城下で古着商藤田屋を営む与右衛門の次男。水戸学者。
・会沢正志斎…会沢家は代々久慈郡諸沢村(常陸大宮市諸沢)の農家。水戸学者。
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最上徳内出羽国の百姓。蝦夷地調査団の下級人足として見聞を広げて、蝦夷地の第一人者となり、幕臣となる。
 幕府は、蝦夷地問題やロシア外交で意見を聞いた。
 蝦夷地における道普請について、4,000石取りの名門旗本松平信濃守との激論で正論を貫いて論破した。
 上下関係の厳しい身分制度からいえば、松平姓を持つ上級武士に恥をかかせたとして切腹を命ぜられるところであるが、何故かお咎めなしとされた。
間宮林蔵常陸国筑波郡の百姓。
伊能忠敬下総国佐原の商家の養子となり、50才で隠居して、趣味の測量を勉強を始めた。武士を指図して、近代的日本地図を完成させた。
松浦武四郎伊勢国郷士
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清河八郎…出羽の百姓‥靖国神社
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近藤勇武州の百姓…近藤家に養子…若年寄格。
大鳥圭介播磨国赤穂の医師…幕臣…歩兵奉行…枢密顧問官。
天野八郎上野国甘楽郡磐戸村の名主‥江戸町火消し与力・広浜喜之進の養子となる‥養子縁組を解消して旗本・天野氏を称する。
渋沢栄一…百姓の息子から幕臣
渋沢成一郎…百姓の息子から幕臣
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中浜万次郎土佐国の貧しい漁師出身‥直参旗本。
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伊藤博文…父親は小作人足軽・伊藤家の養子となる。夫人は、芸者。‥束荷神社。
大村益次郎…周防の村医師‥靖国神社
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・続 豊治…船大工‥北海道開拓神社
前島密は、新潟の豪農・巻家に生まれ巻退蔵と名乗っていたが、薩摩藩の洋学校(開成所)の教官を務めた後に、幕臣の前島家の養子となり前島密と名を改めた。
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千葉周作…獣医の次男‥北辰一刀流
・斉藤弥九郎…越中国射水郡仏生寺村組頭の子‥神藤無念流‥靖国神社
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 昔の日本は、身分・地位に関係なくなろうと努力すれば、天皇・公家・将軍・大名以外にはなれた。ただし、生まれた家庭の環境によって苦労の度合いは違っていた。
 華族になった者とは、旧大名や公家といった身分の高い者ではなく、天皇に忠誠を誓って明治維新を戦った勤王の志士や、国益の為に日本の近代化に貢献した政治家・学者・官僚や、朝鮮・中国・ロシアなどの外敵から日本を守った軍人が大半であった。彼等は、日本という小さくひ弱な国を侵略しようとしていた軍事大国から守り抜いた功労者で有り、そのほとんどが身分の低い下層階級出身者であった。
 華族は、欧州の支配階級である王侯貴族とはその本質がことなる。
 華族とは、中流階級や下層階級のサムライと身分低い町人や百姓から、実力・能力・努力で受勲し、日本の上流階級を形成した者達たである。
 王侯貴族とは、生まれながらにして特権を所有する上流階級の一員で、支配者の一族として庶民と違って法律で保護されていた。
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御家人株を買って武士となり、さらに他家の養子となって出世した庶民>
勝海舟…曾祖父は越後の貧農で、祖父は金貸しとして蓄財して御家人男谷家の株を購入した。父親小吉は、無役の勝家の養子となる。
川路聖謨…父吉兵衛は、甲斐国の身分低き庶民で、御家人株の御徒を買って幕臣となり、内藤吉兵衛と名乗った。聖謨は幼名を弥吉といい、90俵3人扶持(石高105石に相当)の川路三左衛門の養子となる。勘定奉行外国奉行
井上清直…川路聖謨実弟幕臣井上新右衛門の養子。江戸南町奉行勘定奉行外国奉行
・神尾春央…伊豆国三島の百姓出身。700俵の御家人徒士の株を買って下級幕臣となる。勘定奉行
根岸鎮衛相模国若柳村の百姓の子供。幕臣根岸衛規の養子となる。江戸南町奉行勘定奉行佐渡奉行
榎本武揚…祖父は備前国の庄屋‥父親は御家人・榎本家に婿養子となる。
・松田伝十郎…越後国の貧農の子。幕臣松田伝十郎の養子となる。箱舘奉行。
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 日本独自の年功序列制という昇進システムと「個」の能力主義による養子制は、身分が低く貧しい者にもその才能を生かす為に、活躍の場と出世の機会を与えた。
 だが、そうした者への上司や同僚からの陰湿な嫌がらせは尽きず、精神力ある者のみが出世して指導者となった。
 日本の真の指導者像とは、名門・名家育ちのプライドだけが高い無能者ではなく、身分低い中から逆境を乗り越え苦難を克服した精神力と行動力のある優れた有能者である。
 百姓や町人は、親の七光りをひけらかすだけの低能な愚者を最も嫌った。
 江戸時代は、中世ヨーロッパや中国・朝鮮の様な、厳格で崩しようのない身分制度による暗黒時代ではなかった。
 お目見え以下の御家人である下級幕臣の御徒、同心は、一代限りのお抱えで世襲ではなかった。
 実子がない者や幕臣を返上したい者は、御家人株を放棄した。御家人の定員に空席が生じるや、空席を補う為に御家人株は一般に公募された。相場は、金500両〜1,000両(現代の5,000万円〜1億円)とされた。
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・樋口為之助(則義)…甲斐国山梨郡中萩原村重郎原(現:山梨県甲州市塩山)の長百姓。駈け落ちして江戸に出て、蕃書調所勤番所使用人となり、1867年(慶応3年)に同心株を買い幕府直参となり、明治維新後には下級役人として士族の身分を得て東京府庁に勤めた。樋口一葉(本名は夏子、戸籍名は奈津)の父。
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広田弘毅…石工の子‥靖国神社A級戦犯
松岡洋右…廻船問屋の子‥キリスト教徒‥靖国神社A級戦犯
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高橋是清…幕府御用絵師の私生児として生まれ、仙台藩足軽・高橋家の養子となる。
 11歳の時に、英語習得の為に藩命で、横浜のヘボン博士の下送られた。
 13歳の時に、渡米するが仲介役のアメリカ人商人によって奴隷に売られた。
 1年半後、何とか帰国を果たしたが、仙台藩は官軍に敗れた為に帰藩できなかったが、英語の語学能力を薩摩人の森有礼に認められて拾われた。
 賊軍の仙台藩の下級藩士出身であったが、後に首相や大蔵大臣となった。
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帰化系氏族で大名となった家系>
・秋月家…百済王家の末裔。…上杉鷹山
・大内家…後漢霊帝の後裔。大蔵氏。…大内政弘。 
・長宗我部家…秦の始皇帝の血脈。秦氏。…長宗我部宮内少輔秦元親。
 帰化人氏族は、武勇と知略から名誉あるサムライとなった。
 渡来人は、陰謀と謀略で軽蔑され貶まれて不名誉な部落民となった。
 外国人は、現人神・天皇を敬い、将軍に忠誠を誓って日本各地に定住した。
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<娘の引き立てで武士になった庶民>   
 月光院。本名は勝田輝子。父は元加賀藩士で浅草唯念寺の住職勝田玄哲、母は和田治左衛門の娘。
 江戸幕府6代将軍徳川家宣の側室で、7代将軍徳川家継の生母。
 生家の勝田家は、町医者から旗本に取り立てられ、3,000石もの大身で旗本寄合席となった。
 将軍や大名の側室となり嫡子を生んだ庶民の娘によって、その実家は高禄で武士となった。
 庶民の息子には、そんな功績は生めなかった。
 日本の女性力は、男性力より効果があった。
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<武士になった外国人>
・ウィリアム・アダムス(イギリス人)…日本名 三浦按針‥350石の旗本。
ヤン・ヨーステン(オランダ人)…東京の八重洲河岸の地名の由来。
クリストファン・フェレイラ…日本名 沢野忠庵イエズス会日本管区代理管区長。
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 日本人は自己を卑下する気持ちが強いだけに、劣った日本人より外国人を優れた人間として尊敬し、粗末な日本の商品よりも舶来品を高貴であるとして大金を払って購入した。
 西洋礼賛主義。
 海の外から来た外国人を客人(まれびと・まろうど)として接待し、そして客人神として祀った。
 信仰心の強い日本人は、海の外にある「常世の国」を不老不死の国として憧れ、海の外から来る常世の神は富をもたらしてくれるとして土下座して拝んだ。
 常世信仰。
 商人は、「お客様は神様」として接し、客人権現と祀った。
 日本の「持て成し」は、人を人として迎入れるのではなく、人を神としてお迎えする事である。
 日本人にとって、人は、金を払ってくれる俗物的人間ではなく、優れた尊き人神であった。
 ゆえに、人神である人との出会いを「一期一会」として大事にした。
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 長州藩には、半島から移住した朝鮮人が多く住み、数多くの朝鮮人部落が点在していた。
 日韓併合の推進者の多くが、長州出身者であった。
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<日本の政治家となった朝鮮人
 帰化人は身分を与えて取り立た。
 渡来人は身分を与えず遠ざけた。
東郷茂徳…父親の陶工・朴寿勝は、士族株を購入して東郷と名乗った朝鮮人の子孫‥キリスト教徒‥夫人は、ドイツ系ユダヤ人‥靖国神社A級戦犯
・朴春琴(パク チュングム、ぼく しゅんきん)…朝鮮人の政治家‥1932年に東京府4区(本所区深川区)から国政選挙に出馬して当選し、衆議院員議員を2期務めた。
・權逸。日本名は権藤嘉觔。…1938年。満州国審判官(裁判官)‥ 明治大学法学部卒業・満州国大同学院卒業 。
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 現代の韓国は、強制連行や従軍慰安婦を見過ごした、売国奴親日派)と告発している。
 日本在住の朝鮮人には、投票権が与えられていた。投票用紙は、朝鮮人にも読めるようにハングルが併記されていた。
 国家元首天皇に忠誠を誓って帰化した者は、朝鮮人であれ、その他の外国人であれ、全て日本臣民として平等に権利が認められていた。
 朝鮮在住の日本人には、投票権はなかった。
 江戸時代末期。日本の全国に朝鮮人部落が多く点在し、朝鮮人は日本人と区別する為に朝鮮氏名を強要されていたという。
 同時代の身分低い日本人は、姓を持つ事が許されず、差別する様に熊や虎や吉左エ門や権助などと名前で呼び捨てにされたいた。
 1945年 日本政府は、戦争の勝利の為と叛乱を防ぐ為に、朝鮮人の兵役や税金を免除したりしと、機嫌を取る様に懐柔策を行っていた。
 選挙法を改正し、創氏改名に関係なく、衆議院の18議席朝鮮人に割り当て、7名の朝鮮人華族貴族院議員に任命して国政に参加させた。
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<帝国軍人となった朝鮮人
・李垠(り ぎん 、イウン)…陸軍中佐…李王家の一族で、日本の皇族‥朝鮮貴族朴泳孝侯爵の孫娘である朴賛珠と結婚する。広島で被爆して死亡。
・洪思翊…陸軍中将‥戦犯として処刑されたが、日本はその功績を称え感謝の意を込めて靖国神社の祭神として祀った。
・金錫源…朝鮮人として初めて、昭和天皇から金鵄勲章を授与される‥朝鮮戦争北朝鮮の大軍を破ったが、売国奴とされた。
・白善菀…朝鮮戦争で韓国を救ったが、親日派として売国奴の烙印をおされた。
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 日本軍部は、優秀な外国人は日本人軍人同様に陸海軍幹部養成学校に入学させ、正規の教育を与えた後に高級将校に昇進させて、戦場で光輝ある皇軍の指揮を任せた。
 戦闘機パイロットや船舶の船長にも、大元帥天皇に忠誠を尽くせば外国人でも分け隔てなく採用した。
 外国人の姓名は、本人の自由にまかされ、日本姓への強制的改名は行わなかった。
 軍隊は、戦争に勝つ事を最優先にとしていた。
 但し、指揮命令系統を正当化する為に大元帥天皇への絶対忠誠と、軍事行動の混乱を避ける為に日本語使用厳守が求められた。
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 朝鮮に於ける刑事・警察官8割が朝鮮人で有り、朝鮮総督府の施政に協力し現地における治安維持を担当した。
 朝鮮総督府は、朝鮮人刑事・警察官に武器の所持を認めていた。
 日本国籍朝鮮人は、日本国籍日本人と差別し国民の義務としての徴兵制から排除し、志願制として志願者の9割以上を兵士不適格として日本兵士には採用しなかった。
 日本国籍朝鮮人は、臨時雇用として危険手当を支払い軍属か労働者として戦場から離れた安全地帯で使役し、戦闘が近くなると邪険に扱って後方へ追いやった。
 日本軍には、弾薬もガソリンも絶対的に不足していた為に、貴重な軍事物資を戦わず逃げる日本国籍朝鮮人に分ける義理はなかった。
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<日本皇族待遇となった李氏朝鮮王子>
・李王垠
・李鍵公
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 準皇族待遇の李氏王家は、天皇が主催する皇族会議に出席し、天皇制度の継承・皇室の存続・国家存亡の決断などの協議に参加していた。
 天皇に忠誠を誓う日本人は、準皇族待遇の李氏王族を皇族を同等と見なして敬意を持ってかしずいた。
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<日本の神となった外国人>
和気清麻呂…‥護皇神社。
・李参平…朝鮮人‥陶山神社。
満州国皇帝愛新覚羅氏…満州族中山神社内愛新覚羅社(下関)
・サン・ジワン宣教師…キリシタン神社‥枯松神社(長崎)
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<特定の職業の神となった人間>
・藤原采女亮政之…御髪神社‥髪結いの神。
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<神にされた障害者>
・仙台 四郎…知的障害‥商売繁盛の福の神。
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<鬼・物の怪・魔物・怨霊・幽霊さらには自然現象・動物・植物・道具・物が神として祀られている神社>
 人ならざるモノが神となった。
酒呑童子首塚大明神。
 日本は、何もかも、制限なく、全てのモノを神として祀った。
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 下剋上は、日本の身分制度があったからである。
 日本の下剋上は、外国の革命とは根本的に違う。
 日本の下剋上は寛容であったが、外国の革命は不寛容である。
 日本の身分制度は、外国の身分制度とは全く違う。
 日本の身分制度は、皇室の神性で正当性が保証され、柔軟で、不完全で、上下の入れ替わりがあった。
 外国の身分制度は、宗教の神聖で正統性が保証され、硬直で、完全で、上下の入れ替わりはありえなかった。
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 日本の身分制度で、神聖不可侵とされ、何人も成れなかったのは「天皇」のみである。
 天皇に即位できるのは、最高神・女性神天照大神を祖先とする直系の子孫のみである。
 最高神・女性神天照大神を祖先とする皇統のみが、天皇の正統性である。
 最高神・女性神天照大神の血筋でない者は、天皇に即位できない。
 天皇霊天皇魂を引き継げるのは、祖先神・氏神の人神信仰から血と心と志を受け継ぐ正統な子孫だけである。
 それが、天皇制度である。
 天皇制度廃絶とは、伊勢神宮最高神・女性神天照大神橿原神宮の初代天皇神武天皇を否定し消滅させ、宗教的精神的神秘的な生と死を無意味無価値と否定する反宗教無神論の蛮行である。
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 武士・武者・サムライとは、「名誉」ある職業ではなく忌み嫌われる「穢れ」た職業である。
 神道において、血と死に触れる軍事や警察は穢れた仕事であった。
 官職において、血と死を扱う役職は全て下級職である。
 朝廷は、武士に血と死に染まる穢れた仕事をさせるべく「征夷大将軍」に任命した。
 「穢れ」を嫌う日本風土は、血と死に塗れた武士が軍事・警察・司法の実行権力を持って、穢れなき天皇を排し最高権力者として日本を支配する事を嫌った。
 天皇は祭祀王として最も霊力がある存在である為に、最も「穢れ」なき存在として血と死から遠ざけねばならなかった。
 武士の魂は、血と死で穢れた悪霊として怨霊になりやすい為に、天皇に即位させるわけにはいかなかった。
 天皇とは、神の裔として最も「穢れ」なき唯一の存在として、如何なる悪霊も怨霊も詔で「なだめ」て御霊に変え守護霊にする霊力があると信じられてきた。
 「怨霊鎮魂」。それが、日本の根本信仰であり最も大事な宗教儀式であった。
 その宗教観を、共有できたのは仏教であり、共有できなかったのが儒教道教キリスト教であった。
 御霊信仰に従って、血と死に穢れた武士は、死後に怨霊化して祟りを起こさないように封じ込めるべく神として祀った。
 寺院では、生き残った者への怨念やこの世に留まりたいという未練を断ち切る為に、読経で死んでいるとの引導を授け、遙か遠くのあの世・極楽浄土に迷う事なく旅立つように説得した。
 日本人は、死者への恐れという本音を祖先霊を弔うという建て前で、上手く誤魔化していた。
 負けた者は負けたなりに、勝った者は勝ったなりに、怨霊かしないように鎮魂した。
 日本の神や仏の実体は、死者への恐怖を誤魔化し安心する為の安全装置であって、信仰の対象ではなかった。
 日本の神社仏閣には、信仰は存在しない。