🕯103)─1─日本民族のローカル宗教とは先祖供養である。お彼岸。~No.223・ @

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 自然災害多発地帯に生まれた、日本神道
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 日本民族のローカル宗教とは、祖先霊・精霊への敬虔な祈りであり、私利私欲なき無心な畏敬と畏怖の念である。
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 日本民族ユダヤ民族は、赤の他人である。
 人神を信仰する神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)を守る日本民族
 天地創造の唯一絶対神を信仰する選民・女系民族ユダヤ人。
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 神道氏神・祖先神の人神信仰と儒教の個人崇拝・祖先祭祀とは、全くの別物。
 中世キリスト教は、祖先祭祀の儒教を非宗教として容認しても、人神信仰の神道は容認せず仏教と共に攻撃した。
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 河合隼雄は、人間が幸福と感じる為の2つの条件を上げている。
 1、自分の人生にキチンと向き合って生きている事。
 2、自分を越える存在とつながっているという感覚である事。
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 世界の宗教史に於いて、宗教は一神教によって統一され多神教は滅びる運命にある。
 神霊的精神世界は、絶対真理で完成されたキリスト教によって聖なる調和が保たれ、曖昧真理による神道などの雑教は調和を乱す邪教として消えさる定めである。 
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 それは、神の裔・万世一系男系天皇(直系長子相続)のみが知っている。 
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 日本人がユダヤ人と出会ったのは、1543年のポルトガル人の種子島漂着(第105代後奈良天皇)以降であって、それ以前にはありえない。
 常識として考えれば、日本人とユダヤ人の祖先は同じではない。日猶同祖論は、あわよくば何らかの利益を得ようとする欲得の空論である。
 ユダヤ人がユダヤ人として本格的に来日し始めたのは、幕末の開国からである(第121代孝明天皇平安神宮の祭神)。
 それ以前にもユダヤ人が来日していたが、キリスト教ヨーロッパ世界でのユダヤ人差別と迫害から身の安全をはかる為に、改宗しユダヤ人である事を隠していた。隠れユダヤ教徒である事がわかると、キリスト教会に異端者として逮捕され、審問官によって拷問の末に生きたまま焼き殺された。
 1500年から1700年頃までの、キリスト教会による異端者や魔女に対する弾圧は、身の毛がよだつほどの凄惨なものであった。
 隠れユダヤ教徒は、ヨーロッパの宗教改革から逃げる為に、布教活動を理由にしてアジアやアメリカなどに渡った。大海で遭難する危険を冒し、地球の果てまで出かけていったのは、異教徒の霊魂を絶対神の真理で救済したいと願ったからではなかった。
 B・A・シロニー「ユダヤ人な何世紀にもわたって世界中への流浪・離散の間に東アジアに達し、9世紀・10世紀にはインド・中国に植民したが、日本はあまりにも遠く、あまりにも貧しく、そのうえ長い間外国人には閉鎖されていたから、19世紀以前に、そこへユダヤ人が入植したとは考えられない」   
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 神道は、如何なる理由があっても、祖先神・氏神を持つ人を差別をする事を「心の穢れ」であると嫌っていた。
 さらに、海を渡ってきた異教徒の外人(中国人や朝鮮人以外の)を賓客として受け入れ、彼等を「マレビト」の神の裔としてもてなした。
 ゆえに、ユダヤ人をユダヤ人だからとして人種差別する事はなかったし、神道を否定する異教徒だからといって迫害する事もなかった。
 ただし、仏敵退散を主張する個性の強い仏教界は、受け身で個性の弱い神道とは違う対応をした。
 仏教は、教祖は持ち数多の開祖や高僧や名僧を輩出し、数多の教典や経文を世に出し、他宗教や他宗派と積極的に霊魂救済論争を行って論破し、国境を越えて広く布教活動を行い、人種・民族・部族に関係なく全ての信者・門徒に仏法や戒律を守らせた。故に、心強い強烈な個性がある
 神道には、ないモノばかりである。教祖はなく、世に知られた神主・神官・巫女はなく、聖典はもちろん教義・教理もなく、霊魂救済の信仰論争もなく、死後の世界を見据えた布教活動もなく、そして信者・信徒もない。唯一あるとすれば、個人として、冒してはならない美醜の真理による掟・定めである。故に、ひ弱で個性がない。
 神道は、他に類似性のない、排他的ではないが閉鎖的な民族宗教である。
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 日本人とは、何か?
 善くも悪くも、歴史という連続性の中に属性がある。
 全ての祖先が、志を以て生き抜き、命を子孫に残したから今の日本人が存在する。
 祖先が置かれた状況下で、あらん限りの努力をして、幾つものの犠牲を払ったお陰で今の日本人がある。
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 昔は、10代で結婚し、25歳までには子供を生んでいた。
 一世代25年として、100年で4世代が交代した。
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 祖先神・氏神の人神信仰とは、純血の血縁ではなく、混血の地縁である。
 一人の日本人には、二人の両親がいた。二人の親には、四人の祖父母がいた。四人の祖父母には、八人の曾父母がいた。
 14世代前では、8,192人。
 23世代前には、419万4,304人。
 25世代前では、1,677万人。
 27世代前では、1億3,422万人。
 だいたい約700年前の鎌倉時代で、当時の日本の総人口は700万人から1,000万人。 
 30世代前には、5億3,687万912人。
 40世代前には、5,497億5,581万3,888人。
 50世代前には、562兆9,499億5,342万1,312人。
 100世代前の、祖先の人数は?
 指数関数的な増加。
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 806年 桓武天皇は、讒言(ざんげん)を信じて死に追いやった早良親王らの鎮魂・供養の為に、新たな仏教行事として春分秋分の彼岸会を始めた。
 全国の国分寺は、勅に従い、春分秋分の前後7日間、金剛般若心経を読誦した。
 春と秋のお彼岸は、宮中祭祀として始まり、庶民が真似して始めたのは江戸時代からであった。
 『大日経』「菩提心を因と為し、悲を根本と為し、方便を究竟(くきょう)と為す」
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 遺伝子は、受精卵の時点で父親と母親の遺伝子が偶然に混ざり合い、その内の2分の1を受け継ぐ。
 子供は2分の1,孫は4分の1,曾孫は8分の1、五代後には32分の1した伝わらない。
 特定の個人の遺伝子は、血統・家系とは関係なく、代を重ねるうちに薄れ崩壊し消滅する。
 17代後の子孫の遺伝子は、2の16乗で、約6万5,536分の1程度しか受け継いでいない。
 77代後の子孫の遺伝子は、2の76乗で、約755垓(がい)分の1に過ぎない。
 数字の単位は、億、兆、京(けい)、垓と続く。
 生物の遺伝子は、絶えず入れ替わっている。
 人類の起源は、細胞に含まられるミトコンドリアDNAを分析して明らかとなった。
 ミトコンドリアは、母親からしか遺伝子しない・
 世界各国の女性3,000人から抽出した母系ミトコンドリアDNAを辿ると、6万年前のアフリカの女性「ミトコンドリア・イブ」に辿り着いた。
 10万年以上前にアフリカで誕生した現生人類は、6万年前にアラビア半島を経由して世界中に移住し、そこに住んでいたネアンデルタール人など他の人類と雑婚しながら特殊能力を獲得した。
 6000年前 太平洋地域に移り住んだ。
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 武者小路実篤「人は過去の人知を吸収し、何かを追加して、後世に引き継ぐ義務がある」
 人は、長い歴史の中で先人達が代々に渡って残してくれた遺産を、未来の繁栄の為に足りない所を補い毀損する事なく後世に残す責任がある。
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 日本の自然、日本の国土は、日本民族にとって霊廟(モウソリウム)である。
 日本民族は、祖先が眠る墓を眺めながら、祖先の霊魂と生活していた。 
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 『劇場版SPEC〜結〜爻ノ篇』
「生と死を峻別する事に意味はない。
 他者が念ずれば、死者とて生命を持ち。
 他者が念ずる事なければ、生者とて死者の如し。」
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 シルヴァーナ・ガンドルフィ『銃声の中の僕』「よく覚えておく為だ。この虐げられた島に平和をもたらす為に、命を捧げた人達を忘れてはならない。忘れる事は、彼らを二度死なせるに等しい事だからだ」(フランス語訳『パレルモの罪なき子』)
 ギリシャ神話の勝利の女神ニーケーを象徴する二枚の翼を持つブロンズの碑が広場の階段には、無宗教として、段ごとにマフィアと戦って死んだ人の名前が彫られてある。
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 神道の神霊は、個個人がめいめいの清明心で念うが故にその存在を身近に感じる。
 絶対神の神霊は、信仰を通してのみあらゆる場所でその存在を感じる。
 日本の人神信仰とは、両縁(血縁・地縁)を持つ子孫が祖先を感謝の心で念うがゆえに成立する。
 神と言う存在に対する、神道の「念ずる事」と絶対神への「信仰」とはその本質が異なる。
 「念ずる」とは、人間としての弱さ脆さを自覚し、色々な思いや雑念を含みながら人神を拝む行為である。
 「信仰」とは、絶対的価値観を定めて善悪を判定する唯一の最終的最高審判官の前で、人である事を全て捨て去り、救済を得る為の裁定を任せる行為である。
 「念ずる」は多様性・複合性を伴い抱合的であるが、「信仰」は単一性・画一性を強要して排除的である。
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 祖先には、良い祖先もいれば悪い祖先もいる、人に嫌われた祖先もいれば人に尊敬された祖先もいる、人を救って自分の物を分け与えた祖先もいれば人を殺して人の物を奪った祖先もいる、そうした全ての祖先がいて自分が今「命を受けて」生きている。
 人は、そうした祖先を一つにひっくるめて引き受けて生きている。
 ゆえに、命を得て生きる事には何かしらの意義がある。
 何らかの意義を探し達成する事を、日本では「志」という。
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 祖先に思いを馳せ、自分が生まれて来た背景を知る。
 過去の祖先を知る事で生きる証し引き継ぎ、その生の証しを未来の子孫につないでいく。
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 日本民族日本人は、共通言語として「日本語」を媒体として、日本人だけに通じる美的感覚や死生観や宗教観を共有しながら島国という運命共同体を作り上げてきた。
 日本人の心を表現するには、日本語の語感が最も適している。
 当然の事ながら、日本語は中国語や朝鮮語・韓国語とも異なる。
 日本民族日本人としての一体感を共有する為に、日本中心の神話、伝説、古典、歴史書、古歌、詩歌を日本語で語り継ぎ、書き記して後世に残した。
 そこには、全ての先祖の霊魂が宿り、一人ひとりの思いがある。
 日本の文化的財産は、祖先が地縁的な氏神として断絶せずにつながっている。
 無数の魂による連続としての歴史が、物語として途絶える事なく存在する。
 日本民族が練り上げた日本文明・日本文化とは、大和言葉としての日本語である。
 広義的な日本語とは、日本列島、北は北方領土から南は沖縄まで、琉球方言からアイヌ語までをいう。
 外国語では表現できない日本語が存在する。
 と言って、日本語が取り立てて優れている言うわけではなく、閉鎖的な言語と言うだけの事である。
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 二宮尊徳「父母もその父母も我が身なり 我を愛せよ我を敬せよ」
 日本人は、途切れる事なく連綿と続く祖先から魂を受け継ぎ、父母との命のつながりをもって生き、その絆で生かされている事に安心感を抱いていた。
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 命を、祖先から受け継ぎ子孫に引き渡す。
 命は永遠に生きる。
 魂も、祖先から受け継ぎ子孫に引き渡す。
 魂は滅びる事はない。
 伊勢神宮式年遷宮は、その象徴である。
 伊勢神宮は、皇室の血を引く天皇と皇族の祖先神・氏神の人神信仰である。
 ゆえに、氏子である皇族のみが祭祀を行う特別な神社である。
 吉川竜実(神宮権禰宜)「大元にある天孫降臨神話を遷御の儀が表しているとするなら、その時代の神々や祖先達がやった技や心というものが今の時代でも再現でき、共有する事ができる。それが非常に重要な事で、これは継続するからできる事だ。原初を繰り返し繰り返し行う事で、それは永遠なものになっていく」
 日本神道における「再生の儀式」として、毎年元旦に、新たな御札を祀り古い御札を燃やす。
 新旧の御札を取り替える事は、永久に行き続けるという証しであり、それが天孫降臨神話にまでつながっている。
 災害で死をもたらす自然と豊饒で生をもたら自然と共に生きる定めの日本民族日本人が、長い年月かけて辿り着いた皇道という宗教観、死生観である。
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 自分の命は、自分だけの命ではなく、自分に託された命である。
 人は、自分だけで生きているわけではなく、不可思議な力で生かされている。
 生きる力を与えられている。
 それを信ずるか、信じないかは、個人の自由である。
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 祖先のうち一人でも欠ければ、今の命は存在しない。
 今の命が断たれれば、この後の命は存在しない。
 それが、命の重みである。
 そして、日本の家である。
 昔の日本人は、「命の継続性」という家の枠で、自分と家族の幸せの為に命を守りながら努力して生きていた。
 ゆえに、「命の絆」が断ち切られる「死」を穢れとして恐れた。
 祖先に興味を持たない日本人は、祖先神・氏神の人神信仰を拒絶する。
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 氏神社会の祖先神信仰は、大きく「開いた扇子」で、祖先から子孫に命をつなぐ事を大事にしていた。
 氏族社会の祖先崇拝は、「閉じた扇子」で、父系の純血を最優先とした。
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 祖先神・氏神を一本の荒縄にすると、生前持っていた人としての人格も性格も生き様などありとあらゆるもの全てが消えて、聖なる太い命の「絆」になる。
 人としての人格や性格や生き様といった俗世の醜悪な欲情に塗れた人間性を後生大事にする者には、純粋な清明心を鏡とする祖先神・氏神の人神信仰はむかない。
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 これが、祭祀王・天皇を中心とした「国體」である。
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 祖先神・氏神は、恐れ多い存在でのぞき見る事ができないし、偶像として姿形に表す事ができない。
 唯々、そこに「おわす」として感ずるだけで涙を流す存在である。
 祖先神・氏神の人神信仰とは、偶像崇拝ではなく、神懸かり的な呪術でトランス状態に陥るシャーマン信仰でもなく、生きていた祖先の「なる神」を「命と心」で感じる信仰である。
 子孫と祖先のつながり、それだけである。
 祖先をいらないと確信する日本人は、祖先神・氏神の人神信仰を捨てている。
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 祖先神・氏神を持たない者、祖先がハッキリしない者、祖先をハッキリさせない者は、何処の馬の骨ともわからず怪しみ、人ではなく「物の怪」として恐れた。
 祖先を持たない胡散臭い者の言葉や態度や行動を観察し、人に害を与るような邪な相手でない事を確かめて、自分達とは違う客人神として敬った。
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 世界の宗教観では、三位一体的に個人の人格と命と霊魂は一体である。
 日本の宗教観では、個人の人格と霊魂は別物で、二つ間を命がつなげている。
 日本の宗教は、相対的価値観による二項であって、絶対的価値観による三位一体はない。
 個人が犯罪を行い有罪となって処刑された時、三位一体は一蓮托生で人格も命も霊魂も消滅する。
 犯罪を起こして汚れた人格は、命や霊魂まで救い難いほどダメにするからである。
 三位一体では、犯罪を犯した者は死んでも救われる事がなく、霊魂の救済も有り得ない。
 犯罪者は、地獄に落ち、未来永劫、地獄の業火で焼かれる。
 犯罪者は救済され、天国に向かい入れられる事は決してあり得ない。
 罪は、死んでからも消える事なく霊魂に付きまとっている。
 ゆえに、魂の救済とは嘘である。
 怨霊信仰を持つ日本では、人格と霊魂を別物として扱う。
 人格は本人にもので、霊魂は祖先のものであった。
 犯罪者は、処刑されるや人格と霊魂は切り離され、仏教は肉体を墓場に埋葬し位牌を弔い、神道は霊魂を神として祀った。
 祖先神・氏神とのつながりを持つ霊魂を粗略に扱うと怨霊として災いを起こす為に、神として祀った。
 如何なる凶悪な犯罪を起こした人間でも、祖先神・氏神の子孫を思う「まごころ」が受け継がれている。
 日本では、罪を憎んでも人を憎まず、人を罪人としても霊魂に罪を押し付けなかった。
 犯罪者の霊魂は、一度は地獄に落とされるが、救済されて天国・極楽に向かい入れられる。
 個人の罪は命と共に死ぬ事で消え、祖先との絆を持つ霊魂は罪穢れを持たない純真無垢の存在として神となった。
 日本の宗教は人も霊魂も平等に救済するが、世界には人を許さず霊魂を救済しない不寛容な宗教が多い。
 その実例が、靖国神社問題である。
 日本の民族宗教は、救済宗教として、A級戦犯達を神として祀った。
 世界の普遍宗教は、ユダヤ人難民達を助けたA級戦犯達を時効無き永久戦犯として、決して許さない。
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 安倍晋三首相の、中国・韓国・北朝鮮などのアジア諸国による靖国神社参拝非難に対する反論。
 「国の為に尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。我が閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している」
 靖国神社は、祖先神・氏神の人神信仰の象徴である。
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 現代日本では、学校で教えられる日本人罪悪史観から祖先に対する感謝や敬意や愛着の気持ちが薄れ、祖先神・氏神といった人神信仰は消滅しつっある。
 日本的家族意識の消失に伴い、「家」よりも「個」が優先され、祖先などはいないが如く振る舞っている日本人が増えている。
 反宗教無神論現代日本人は、「命のつながり」である祖先を必要としなくなっている。
 祖先が、日本から消えようとしている。
 その現れが、祖先を憎むように教えている日本人罪悪史観である。
 現代の日本史教育は、侵略戦争戦争犯罪を行った祖先を憎むように教えている。
 現代の子供は、祖先が築いてきた伝統、歴史、文化、宗教を無価値として棄てようとしている。
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 インド生まれの仏教は、中央アジア・中国・朝鮮に伝播する内に、各地の土着宗教の世界観に染まって変質し、悟りを解釈する高僧等によって数多くの宗派に分かれた。
 中国仏教の各宗派は、信者を獲得し勢力を拡大する為に、他宗派と法論を繰り返して論破して衰退させた。さらに、皇帝や士大夫等を帰依させる為に、儒教道教など諸子百家邪宗と攻撃した。
 貧しく虐げられた民衆は、仏教を革命思想として受け入れた。
 儒教は、仏教を華夷秩序を乱し人心を惑わす邪悪な宗教として弾劾し、天意を奉ずる皇帝を動かして夥しい仏教徒を残忍な方法で惨殺した。
 仏教徒中国人は、叛乱を繰り返して仏敵を殺し、中華帝国を衰退させ、多くの王朝を滅亡させていた。
 中国の属国であった朝鮮も、儒教社会を守る為に、「天」はおろか「仁・義・礼」の徳目を否定する仏教を、危険思想として大弾圧した。
 東アジアにおいて、慈悲に満ちた仏教が根付いたのは、格差の少ない日本のみであった。
 日本の仏教は、変質し凶暴化した中国仏教や朝鮮仏教に興味を示さず、仏教の温和で柔軟な本質を見極める為に天竺・インドをめざした。
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 近代的天皇制度を採用した大元帥明治天皇は、大日本帝国の誕生と発展に貢献した数多くのユダヤ人の大恩を終生忘れなかったか。
 日清戦争に貢献した、イギリス系ユダヤ人のマーカス・サミュエル(ロイヤル・ダッチ・シェル社)とフランス・グードショー銀行のアルベール・カーン。
 日露戦争において多額の軍事債務を引き受けてくれた、ドイツ系ユダヤ人ジェイコブ・シフ(クーン・ローブ商会)。
 大日本帝国憲法の父アルベルト・モッセ。昭和天皇は、モッセの恩に報いる為に家族をゲシュタポから救出した。
 歴史学の父ルドウィヒ・リース。
 日本の外交官として活躍したアレクサンダー・マークス。
 その他。
 皇国教育を受けた日本人にとって、共産主義者ユダヤ人も、資本主義者=ユダヤ人も、ユダヤ人の秘密結社(フリーメーソン)による世界及び日本征服陰謀説も、日本民族イスラエル十部族の末裔とする日猶同祖論にも興味を持っても、それ以上の関心はなかった。単に、架空の面白い与太話と受け止め、キリスト教徒ほど信じなかった。
 「八紘一宇」という神道的大家族主義では、自分も他人も大自然という宇宙的世界では身内であり、日本人も外国人も人種や民族さえも理屈を越えて同じ「人」であるとして、差別しなかった。
 古層の日本には、キリスト教徒白人の様な宗教的人種差別は存在しなかった。
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 古層に生きた純朴な日本人は、新しいモノ・優れたモノ・珍しいモノ・面白いモノ・可笑しいモノ・使いやすいモノそして古くて美しいモノを愛でる好奇心が旺盛な、ムラ人型日本人であった。
 ゆえに、天才理論物理学アインシュタインや有名な作家カフカ、教育者クルト・ジンガー、カール・レーヴィット、偉大な精神分析学者フロイトらを尊敬し、天才喜劇俳優チャップリンをこよなく愛し、画家シャガール、優秀な音楽家マーラービゼーメンデルスゾーンー、シュトラウスと指揮者ルービンシュタインバーンスタインホロヴィッツ、ブルノーワルター演奏家ヨゼフ・ローゼンストック、クラウス・プリングス、アレクサンドル・モギレフスキー、レオ・シロタ、レオニード・クロイツァー、マルガリ−タ・ネッケレーヴェらの奏でる心慰されるクラシックの音律に酔い痴れた。
 そして、愛の詩人ハイネの詩集を低学歴で身分の低い者でも幾つかは諳誦していた。
 古代から、身分の卑しい日本人でさえも詩想をひねり詩歌を嗜んでいた。
 1930年代の世界最大のクラシック・レコード市場は、日本であった。
 都市の低所得層から地方の貧しい農民・漁民まで、世界的な心和む音律を聞き惚れ、心温まる美しい詩集・歌集を愛し、心癒される絵画を味わっていた。
 大陸的な他人を貶し蔑む様なブラック・ユーモア的な嘲笑を嫌い、みんなで心の底から楽しめる本当の笑いを愛した。
 日本人の笑いは、世界的なジョークやユーモアやエスプリとは異質な滑稽な笑いであり、たいていは日本人にしかわからない。ゆえに、世界的には通用されないし、説明すればするほど誤解され理解不能として嫌悪された。
 島国生まれの日本人は、普遍的価値観が理解できず、笑いさえ解さないつまらない人種、ジョーク下手な社交性の乏しい民族、と言うのが世界の認識である。
 神道的日本人は、世界一「お人好し」な性格ゆえに、屈託のない陽気さから世界一祭り好きであった。
 日本人は、お目出度いほど、脳天気な、世界常識のない「阿呆」である。故に、冷静に理屈をこねて一人で観るよりも、我を忘れて輪に入りみんなと一緒に踊り惚けるのである。
 日本人は、欧米的個人主義や東アジア的利己主義よりも、日本の「絆」重視の集団主義に安住している。
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 日本民族は、絶対的な「観念の善」を第一とする東アジア人とは違って、相対的な「心情の美=雅」を愛でる稀有な民族である。
 日本独自の「雅」とは、万国共通の普遍的な美ではなく、合理的な理屈や科学的な理論や哲学的な定義にも関係なく、情感的に「美しいモノは美しい、優れたモノは優れたモノ、心癒されるモノはやはり良いモノ、古くからあるモノは神霊・霊魂が宿るほどの善いモノ」という事だけである。それが、ユダヤ製だろうが、ドイツ製だろうが、気にはしなかった。
 そこには、同じ日本人だからという身贔屓の「甘え」は存在しない。その反対に、同じ日本人であればなおさら未熟者や自己満足に驕る者をけっして許さない厳しさがあった。
 つまり、他人には優しく、自分には厳しい。自虐的なのが、日本人の真骨頂であった。
 真の日本文化は、「甘え」(精神的弱さ)や「妥協」(意図的ないい加減さとは違う)を嫌い、贋作や物真似を軽蔑する口うるさい「辛口」で鍛えられるものであった。
 上達をもたらす創意工夫が日本人職人の信条であり、我慢し努力しない無職の怠け者を最低の人間と軽蔑した。
 農耕漁労民らしく、早朝から夜遅くまで、あくせくと一心不乱に働き続ける事が生き甲斐であった。
 太古の日本人は、怠ける事を嫌い、働く事を快感とする、他に例のない民族であった。
 日本の美=雅は、東アジアの排他的な傲岸不遜で絢爛豪華な普遍的個性美ではなく、控えめで清らかで清楚な艶やかさを伴った民族的心美であった。
 華美な多を嫌い、質素な少を好んだ。
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 日本の反ユダヤ派とは、反天皇共産主義者同様に、学歴のある知識人や読書家などの資産家インテリとキリスト教的教養(反天皇反神社)を持つ反ナショナリストの国際派エリートであった。彼らの多くは、神代から続く純日本的な「時のうつろい」(四季の変化)や「諸行無常」(人の定めとしての切なさ虚しさ儚さ)などの「心の情緒」(人の弱さ脆さ悲しさ)を、非科学的として否定している。  
 明治天皇を敬愛し手本とした第124代昭和天皇も、ユダヤ人への恩義を在位64年間忘れず、ナチス・ドイツの弾圧を受けるユダヤ人の身の上を案じ続けていた。
 天皇に忠誠を誓う軍部、日本軍人が、ユダヤ人を保護するのは当然の義務であった。
 ヒトラーの真似をしてユダヤ人を差別し迫害する者は、皇道を否定する反天皇主義者か協調性なき自己満足的な右翼・右派のみであった。
 戦時中。信義を重んじる軍国日本は、大恩あるユダヤ人アルベルト・モッセの家族をナチス・ドイツホロコーストから助けた。
 戦前の情緒的日本軍人は、「天皇の為、国の為、社会の為、他人の為そして『愛する』家族の為に、死ぬほどの名誉はない」と信じていた。
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 宗教的反ユダヤ主義白系ロシア人は、敬愛するロシア皇帝を殺され、伝統的社会を破壊され、住み慣れた祖先から受け継いだ故郷や敬慕する父母の家を追われ、無一文の難民として避難する途中で愛する家族と引き離され、竹馬の友と信頼する友人を殺された恨みから、至る所でユダヤ人を共産主義者として殺害していた。
 日本の反ユダヤ主義は、大正期のシベリア出兵(1918~22年)から始まり、シベリヤ出兵に参加した軍人の多くは、白系ロシア人からキリスト教ギリシャ正教)真理とユダヤ人脅威論(偽書『シオンの長老の議定書』)を教えられた。
 偽書『シオン長老の議定書』(翻訳、四王天延考=キリスト教徒)が翻訳されて、日本人はユダヤ人の世界征服陰謀説を知り驚愕した。そして、狂信的共産主義者ユダヤ人が、神の裔・天皇を殺害し、神国日本を破壊し、臣下の日本人を奴隷としようとしていると知らされて恐怖した。
 『シオン長老の議定書』は、ロシア帝国の秘密警察オフラーナが、暴力的共産主義革命を計画するユダヤ人革命家を弾圧する為にでっち上げた偽物とされている。
 『シオン長老の議定書』が本物か偽物かの真贋問題も大事であるが、それ以上に問題なのは議定書を信じた人が多くいたという事である。
 それ以前に、日本で反ユダヤ思想が生まれなかったのは、身近にユダヤ人がいなかったからだという説があるが、それは日本人の混血で雑種民族という歴史と伝統、文化と宗教が理解できない単一民族論者の妄言である。
 確かに、普通の日本人には、ユダヤ人と他のヨーロッパ人が区別できなければ、キリスト教ユダヤ教の違いがわからない。
 さらに、人種及び宗教を理由にした迫害や弾圧、そして暴動や紛争が理解できない。
 つまり、世界通念としての全ての差別概念が理解できない。
 日本の不完全なナショナリズムには、排他的絶対原理で他人と自分を区別し、「個を優先する」という普遍的ルールで人の差異をはっきりさせて交渉するというるという思想が欠如していたからである。
 戦前の日本人は、国際社会での権力闘争という歴史的実情が見えない為に、キリスト教徒白人の有色人種を人間以下の奴隷にする事は理解できても、非ユダヤ人系白人のユダヤ人系白人への歴史的宗教的人種的民族的迫害・弾圧が理解できなかった。
 さらに、同じユダヤ人でありながら宗教的正統派ユダヤ教徒と政治的世俗派シオニストの対立が理解できなかった。
 そして、東方のアシュケナジィ系(ハザ−ル・トルコ系、ドイツ系)ユダヤ人と西方のセファルディ系(セム系、スペイン・ポルトガル系)ユダヤ人が、なぜ反目するのかさえまったくわからなかった。
 昔の日本人には、大陸では当たり前の世界常識が欠落していた。
 閉鎖的島国に生きてきた天皇心神話の神道的日本人には、大陸史的な普遍宗教価値観が無かった為に、国際的な反ユダヤ主義が理解できなかった。
 ユダヤ人は、ユダヤ教教義から、人を神として祀る事は、絶対神の神聖を否定するものであると否定している。
 故に、ユダヤは反天皇であり反神道である。
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 ユダヤ民族とは、女系民族である。
 女性が産んだ子供が誰の子供か分かず、誰の子か分からない子供に乳を与えて育てたのは女性である。
 ユダヤ人社会は、産ませた男に関係なく、女性の腹を根拠にしてその子供をユダヤ人と認めた。
 故に。ユダヤ人には、ヨーロッパ人やスラブ人もいれば、アラブ人もいれば、アジア人もいれば、アフリカ人もいる。白色人種や有色人種にも、ユダヤ人はいる。
 ユダヤ人とは、人種でなければ民族でもない、ユダヤ教を信じている宗教集団である。
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 死者は、赤の他人ではなく、ましてや魔物ではなく、先祖である。
 祖先が子孫を憎んで祟り、子孫を襲いかかる現代。
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 2016年8月9日 読売新聞「死者への恐怖が生んだもの
 怪異2016
 幽霊・妖怪
 『しっかりやっているか?』
 7月27日、青森県五所川原市の川倉賽の河原地蔵尊。同県藤崎町契約社員工藤幸子さん(62)は、9年前に23歳で病死した長男・貴洋さんの花嫁人形に心の中で語りかけた。『独身だったから伴侶がいた方がいいと思ってね』。隣には着飾った花嫁人形が寄り添っていた。
 津軽地方には、未婚のまま亡くなった者が彼岸で幸せな結婚生活を送ることを願い、花嫁・花婿人形をお堂などに奉納する風習がある。同地蔵尊もその一つで、奉納された人形は、専用のお堂の中に安置される。
 山形県中部の村山地方では、絵馬を使って未婚の死者を供養する。『ムカサリ(結婚)絵馬』と呼ばれる習わしで、同県天童市の若松寺(じゃくしょうじ)本坊には、幸せそうにほほ笑む男女を描いた絵馬が処狭しと飾られている。絵師の高橋知佳子さん(43)は『大半は故人の親からの依頼。奉納前にひと晩いっしょに絵馬と過ごしたいと望む方もいる』と話す。
 だが、若松寺の鈴木純照教務(67)は『「未婚のまま亡くなった祖先の霊がたたり結婚できない」と若い女性が絵馬を奉納しに来たこともある』と明かす。成城大の松崎憲三教授(民俗学)は『絵馬の奉納は、結婚や出産という人生の既定路線を外れた未婚の死者を恐れる気持ちから始まったのでは』と推し量る。
 こうした供養が始まったのは、近世以降の死生観の変化に基づくといわれる。東北大の佐藤弘夫教授(日本思想史)が語る。
 『中世までは仏が死者を救済すると信じられていたから、死者を恐れることもなかった。それが近世になって世俗化が進んでくると、近親者が死者を手厚く供養しなければ成仏させられず、死者は幽霊になってしまうと考えられるようになった』。その意味では、死者への恐怖の念が、幽霊や妖怪といった怪談話の主人公を生み出したといえそうだ。
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 メディアを中心とした1980年代以降の心霊ブームで、各地に根付く鎮魂の習俗の中には、オカルト的な色合いばかりが注目されるものが出てきた。東北大の小田島健己専門研究員の調査では、若松寺の奉納絵馬は、76〜85年に平均8枚だったのが、86〜95年に同46枚、96〜2005年には同37枚に。今年も7月までに既に10枚を超えている。小田島専門研究員は『「生者が描かれるとあの世に連れて行かれる」と語れるなど怪談的な興味で話題となり、広く知られるようになった。その結果、奉納が増えた』と分析する。
 この点、佐藤教授は『そもそも供養とは死を自然なものとして受けとめるための儀式』と強調。『死に率直に向き合おうとしないゆがんだ時代になったが、死者の声をしっかりくみ取る文化が残っていれば、ホラー作品にありがちな単に不気味なだけの幽霊は生まれなかったのではないか。目に見えぬ存在と一所にこの世界を作っている感覚は大切だ』と訴える。
 幽霊や妖怪といった異世界にひかれるだけでなく、生者と切っても切れない死者とどう向き合うか、考え直すべき時期かもしれない。(文化部 武田祐芸)」



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