大国・日本の崩壊―アメリカの陰謀とアホな日本人 (カッパ・ビジネス)
- 作者:小室 直樹
- メディア: ペーパーバック
関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
高度経済成長と共に、日本から伝統的民族文化の輝きが色あせ、同時に新たな民族文化の創造も起きなかった。
戦後日本には、戦前までのような世界に誇れる民族文化は生まれなかった。
現代に残っている日本文化は、過去も遺物、死んだ日本文化でしかない。
現代日本人では、過去の遺物となった日本文化に新たな生命力を吹き込み、輝きを甦らせ、生き返らせる「こころ」精神力はない。
・ ・ ・
2016年3月号 WiLL 「藤木幸夫『戦争が終わって昭和20年、国土は焼け野原と化して、仕事も社会も工場も金も食べ物もない。生きていくのが精一杯の時代でした。
のちに聞いた話ですが、その時、日本政府の掲げた目標が「昭和11年の生活水準に早く戻そう」だったとのことです。昭和11年と言えば、2・26事件が起こった年です。
その他には、「文化国家」という目標も掲げられていました。
……
「文化」を捨て去った国
いくらか産業というものが芽ばえてきた時分に、品川の東京通信会社という小さな会社が、アメリカで開発されたトランジスタという半導体を使ってラジオを作った。いわずと知れたいまのソニーです。それが昭和30年代にヨーロッパで爆発的にヒットして、日本は急に自信を持った。今度は技術で食っていけるぞ、と。その辺りからでしょうか、文化というものの優先順位が徐々に下がっていったような印象を受けます。
先述したように、終戦直後に日本が掲げた目標のなかに「文化国家」というものがありました。日本は世界に類をみない縄文時代から続く文化が連綿としてある、これからは文化国家でやっていこうと決め、コンロは文化コンロ、包丁は文化包丁、家は文化住宅という具合に、新しく作ったものに片っ端から「文化」を冠していった時代。
それを決定的に捨て去ったのが、昭和30年から始まった高度経済成長です。もはや文化なんか標榜する必要がなくなった。「経済大国」に突入していき、経済が最優先、猫も杓子も「カネ、カネ、カネ」。資本主義の末期症状のような状態で、文化は二の次、三の次どころか、もうどこかに吹っ飛んでいってしまった。いまと同じで、グローバル化と称して他人を蹴落としてでも何をしてもいいからカネを儲けた奴が偉い、という風潮。企業にしても儲けることが一番、現場の従業員がどうなろうと知ったこっちゃない、という世界の風。
私のいる港だけは、絶対にそんなことはさせません。前号で申し上げたように、先輩方が一生懸命築き上げてくれた港の文化、港湾荷役の文化が連綿と受け継がれています。義理と人情と恩返し、G・N・Oの精神が港には詰まっている。これこそ日本の宝なんです。絶対に守っていなくてはなりません』」
・ ・ ・
- 作者:小室 直樹
- メディア: 単行本
- 作者:小倉 正行
- 発売日: 2013/06/29
- メディア: 文庫