✨16)─1─国家の戦後賠償に対する無責任な受忍論。~No.69No.70No.71No.72 ⑫ 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
  国の「受任論」の起源とその非論理性
 《受忍論の起源》
 「1968年の在外財産補償要求運動と「第三次在外財産問題審議会」の審議が進められる中で、日本国政府に対し、カナダ政府により接収された在外財産の賠償を求めた裁判が昭和35年に提起された。第一審の東京地方裁判所判決(昭和38年2月25日)は、憲法第29条第3項に基づく損失補償請求を棄却する理由の一つとして、対日平和条約に基づく「戦時賠償」による、「原告等の日本国民の在外財産喪失による損失の実質的原因は、日本国政府の財産処分承認にあるとの主張は当たらず、強いて言えば、その損失の原因は、日本国の戦争遂行及び敗戦と言う事実自体に在ると言わざるを得ない。その意味では、原告らの損害は、今次の大戦により一般国民が強いられなければならなかった犠牲と何ら異なる所はない」ことを挙げた。
 これに対し、控訴審東京高等裁判所判決(昭和40年1月30日)は、「戦時敵の焦土作戦に基づく爆撃等のため国民が蒙った戦災等一般の戦争災害と同視し、または連合国による日本国民の資産ないし権益の侵害に対し、国として進んで適切な外交保護の手段を採らなかった(外交保護権の放棄)に止るが故に、国に何らの補償責任がない」との国の主張を否定し、憲法に基づく補償請求を容認した。
 しかし、最高裁判所大法廷判決(昭和43年11月27日)は、「戦争中から戦後占領時代にかけての国の存亡にかかわる非常事態においては、国民すべてが、多かれ少なかれ、その生命・身体・財産の犠牲を堪え忍ぶべく余儀なくされていたのであって、これらの犠牲は、いずれも、戦争犠牲または戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかったところであり、右の在外資産の賠償への充当による損害のごときも、一種の戦争損害として、これに対する補償は、憲法の全く予想しないところ」であるため、憲法第29条第3項を適用した補償の余地は全くない、として、その後の戦後補償裁判に大きな影響を与えた」(国会図書館調査室資料『戦後処理の残された課題』より)。
 以降この物的損害の受忍論が、全ての戦後補償を求める人的損害補償裁判にも持ち込まれています。
 《「受忍論」の非論理》
 国に対して戦争による被害の救済を求めて起こされる多くの訴訟は敗訴に終ります。この敗訴に共通する判決理由は、“戦争犠牲または戦争損害として、国民のひとしく受忍(我慢)しなければならなかったところ”とする「受忍論」です。
 国側(政府とその官僚)及び裁判所に戦争被害の国家補償について、法的基準というものは当然日本国憲法になければいけません。しかし彼らの判断基準はまったく現憲法になく、天皇の国家に尽くした者を中心にして補償をするという、戦前の国家観念枠のまま、いまだに続いています。また裁判官は、なぜか国側の主張に追従してしまいます。被告国側の代理人、裁判官は日本国憲法を知らないはずはない。行政・立法不作為の確信的違反を犯しています。
 どうしてこうなるのか、学者たちによって歴史学社会心理学、個人心理学、そして政治学など、学際的究明がなされ始めています。
 東京大空襲訴訟を支援する会 西沢俊次
   ・   ・   ・   





   ・   ・   ・   

日本の戦争責任とは何か

日本の戦争責任とは何か