✨43)─1─遺族援護法改正。広島原爆死没者慰霊碑。A級戦犯達の遺書『世紀の遺書』。第五福竜丸事件。1952年~54年~No.186No.187 @  

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 カトリック教会は、長年の布教活動の経験から、他宗教を排除せず、相手の信仰を尊重していた。
 カトリックは、神道を否定せず、信者の神社参拝を禁止していない。
 靖国神社を廃絶から救い、靖国神社の参拝を認めた。
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 1952年 バチカンは、サンフランシスコ講和条約調印を受け、日本との国交を回復した。
 ピウス12世は、日本国民を改宗させるべく、復活祭に祝福のメッセージを送った。
 日本人は、現人神と信じていた天皇人間宣言して以来、価値基準を失って一種の精神的虚脱状態に陥っていた。
 共産主義の様な強烈な思想や価値基準に馴染めない日本人は、各地で誕生した新興宗教に救いを求めた。
 キリスト教会は、不安定な精神状態にある現状を布教の好機と捉えて、多くの宣教師を日本に送り込んだ。
 4月28日 サンフランシスコ講和条約が発効され、日本は独立した。
 宮内庁は、植村環に対し「宮中を訪れる間はキリスト教について話したり、賛美歌を唱ったり、祈る事を今後禁止する」と言い渡した。
 宮中からキリスト教的要素すべてが排除され、宮中祭祀キリスト教の軛を外されて自由となった。
 サンフランシスコ平和条約第11条「戦争諸判決の受諾 日本はこの禁固刑に処せられた者を勝手に赦免、減刑仮出獄させてはならない。但しこの判決に関係ある1または2以上の国の判決や日本の勧告があればよい」
 日本は、収監されているA級戦犯達やB・C級戦犯達を解放すべく、条文に従って、国際的及び国内的な諸手続を経て合法的に釈放した。
 連合国で、第11条に基づいて行われたA級とB・C級戦犯戦犯釈放に反対する国はなかったし、元A級戦犯であった者が政府代表として国際舞台に復帰する事に反対した政府もなかった。
 国際社会は、日本にはもう戦争犯罪人がいない事を諒解した。
 日本は、連合国との間にある戦争賠償問題を個別に条約を結んで決着させ、約束に従って無償・有償等の形で賠償金を支払った。
 国際法的に、日本は戦争責任を果たし、A級戦犯及びB・C級戦犯は存在しない。
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 衆議院予算委員会で、中曽根康弘昭和天皇の退位問題を質問し、吉田茂首相は激怒した。
 中曽根「天皇が自ら御退位あそばされる事は、遺家族その他の戦争犠牲者達に多大の感銘を与え、天皇制の道徳的基礎を確立し、天皇制を若返らせるとともに、確固不抜のものに護持するゆえんのものであると説く者もありかすが、政府の見解は……」
 吉田「陛下が御退位というような事があれば、これは国の安定を害する事であります。これを希望する如き者は、私は非国民と思うのであります」
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 6月9日 第13回国会参議院本会議 第49号「戦犯在所者の釈放等に関する決議」
 「講和が成立し独立を候復したこの時に当り、政府は、
1.死刑の言渡を受けて比国に拘禁されている者の助命
2.比国及び濠洲において拘禁されている者の速やかな内地帰還
3.巣鴨プリズンに拘禁されている者の妥当にして寛大なる措置の速やかな促進のため、関係諸国に対し平和條約所定の勧告を為し、或いはその諒解を求め、もつて、これが実現を図るべきである。
 右決議する」
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 7月22日 原爆死没者慰霊碑碑文の決定。
 8月2日 前日。浜井信三市長は、広島市議会で「原爆慰霊祭碑文の『過ち』とは戦争という人類の破壊と文明の破壊を意味している」と答弁した。
 広島市は、広島平和記念公園原爆死没者慰霊碑を建立した。
 8月6日 広島原爆死没者慰霊碑除幕式。
 碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませんから」は、原爆の被害を受けた広島市民の煮えくり返る様なアメリカへの憎悪を悟られまいとする苦心の作であった。
 当時を生き抜いた日本人は、碑文の裏に隠した広島市民の真意・心情を汲み取っていた。
 現代日本人は、本心を表さず言葉の内に秘めるという日本語が読み解けない為に単純に碑文の字面を読み、非人道的な原爆を落としたアメリカを怨まず、原爆を落とされる様な愚行を行った軍国日本を嫌悪した。
 被爆者であるが広島大学教授雑賀忠義は、浜井信三の「この碑の前にぬかずく一人一人が過失の責任の一端をにない、犠牲者に詫び、再び過ちを繰り返さぬように深く心に誓う事のみが、ただ一つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」いう発言を元にして、碑文を撰文・揮毫した。
 サンフランシスコ講和条約調印によって、表面的に占領から解放され主権を回復した事になっているが、本質は独立国が最低限保持すべき自衛権を奪われたアメリカの保護国にすぎなかった。
 日本国憲法と広島原爆戦没者慰霊碑は、その事実を物語っている。
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 8月 日本弁護士連合会は、政府に「戦犯の赦免勧告に関する意見書」を提出し、4,000万人の署名を集めた。 
 12月9日 第15回国会 衆議院本会議 第11号「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」
 「独立後すでに半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数に上り、国民の感情に堪え難いものがあり、国際友好の上より遺憾とするところである。
 よつて衆議院は、国民の期待に副い家族縁者の悲願を察し、フイリツピンにおいて死刑の宣告を受けた者の助命、同国及びオーストラリア等海外において拘禁中の者の内地送還について関係国の諒解を得るとともに、内地において拘禁中の者の赦免、減刑及び仮出獄の実施を促進するため、まずB級及びC級の戦争犯罪による受刑者に関し政府の適切且つ急速な措置を要望する。
 右決議する。」
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 1953年 戦犯達が処刑寸前に書いた遺書を集めた『世紀の遺書』が出版された。
 田嶋輶純(仏教教誨師)「戦犯死刑囚の多くと接してその最期を見送ってきた私には、この人々の為に戦争裁判について訴えたい事が鬱積しておりますが、この書の目的がこれたの人々の切々たる叫びを世に生かさんとする未来への悲願である事を思い、寧ろ黙して故人と共に一切の批判をも将来に委ねたいと思うのであります」
 田嶋輶純(65)は、昭和32年7月24日に死亡した。
 8月 遺族援護法改正。
 8月3日 第16回国会 衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」
 「8月15日9度目の終戦記念日を迎えんとする今日、しかも独立後すでに15箇月を経過したが、国民の悲願である戦争犯罪による受刑者の全面赦免を見るに至らないことは、もはや国民の感情に堪えがたいものがあり、国際友好の上より誠に遺憾とするところである。しかしながら、講和条約発効以来戦犯処理の推移を顧みるに、中国は昨年8月日華条約発効と同時に全員赦免を断行し、フランスは本年6月初め大減刑を実行してほとんど全員を釈放し、次いで今回フイリピン共和国はキリノ大統領の英断によつて、去る22日朝横浜ふ頭に全員を迎え得たことは、同慶の至りである。且又、来る8月8日には濠州マヌス島より165名全部を迎えることは衷心欣快に堪えないと同時に、濠州政府に対して深甚の謝意を表するものである。
 かくて戦争問題解決の途上に横たわつていた最大の障害が完全に取り除かれ、事態は、最終段階に突入したものと認められる秋に際会したので、この機会を逸することなく、この際有効適切な処置が講じられなければ、受刑者の心境は憂慮すべき事態に立ち至るやも計りがたきを憂えるものである。われわれは、この際関係各国に対して、わが国の完全独立のためにも、将又世界平和、国家親交のためにも、すみやかに問題の全面的解決を計るべきことを喫緊の要事と確信するものである。
よつて政府は、全面赦免の実施を促進するため、強力にして適切且つ急速な措置を要望する。」
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 1954年1月2日 二重橋事件。皇居一般参賀において、二重橋参賀者の将棋倒しが発生した事故。16名が死亡した。
 3月1日 キャッスル作戦。ブラボー実験。アメリカ軍は、ビキニ環礁で水爆実験を実施した。
 午前3時50分 第五福竜丸事件。マーシャル諸島ビキニ環礁近くで操業していた静岡県焼津漁港の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」(乗組員23名)は、アメリカが行った水爆実験による死の灰を浴びた。
 ビキニ環礁海域で操業していた日本漁船は992隻で、日本人漁民推定2万人以上が被曝した。 
 10月20日 吉田首相は、ローマで教皇ピウス12世を表敬訪問した。バチカンは、日本での布教活動に功績があったとして、サン・グレナリオ騎士団勲章を授与した。67年 10月20日 吉田茂は死亡し、故人の希望で洗礼が施され洗礼名「トマス・ヨゼフ」の名が与えられた。23日に、内葬が東京カラドラル聖マリア大聖堂で行われた。
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 日本基督教団は、『新教育とキリスト教教育』を出版して、日本人を国際的に通用する国際人にする為にも、キリスト教教義に基づいた道徳を学校で教えるべきであると主張した。
 そして。天皇が行う宗教行事は、戦前同様に国民を統合支配しようとする専制君主制の意図がある為に廃止するべきであると、訴えた。
 キリスト教会は、思った以上に信者が増えない事に苛立ち、八つ当たり的に祭祀王・天皇神道を吊し上げていた。
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 11月3日 東宝が製作した特撮映画『ゴジラ』(監督・円谷英二)が公開され、観客動員は数961万人であった。
 当時の日本の総人口は、約8,800万人。
 海底に眠っていた太古の怪獣「ゴジラ」が、水爆実験によって目覚めて首都・東京を襲撃う内容であった。
 ゴジラは、核兵器を持った人類への警告で、都市を破壊する怪獣映画ではなかった。
 本多猪四郎ゴジラの本質は原爆の恐怖です」
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 ゴジラ映画のヒットは、単純な反原爆映画だからではなく、日本の都市を破壊し、日本人を殺し、日本人が如何なる最新兵器を使っても殺せないからである。
 反日的諸外国がゴジラが好きなのも、実はそこにある。
 マゾ気のある日本人が、全てを破壊つくすサドのゴジラの行為にえも言われない陶酔を感じると同時に、サドとなって暴力を振るう事にも憧れた。…
 切通理作「それがなければ『かわいそうな私たちです』という戦後日本人にありがちな被害者意識に凝り固まった他の反戦映画と同じく、観客は女子どもにも容赦ないゴジラを戦争の象徴として憎んだだろう。ところが……ゴジラは大スターになってしまった。明らかに観客は、殺される側の無念さと同時に殺す側の快感をも引き受けていたのだ」「戦争体験というものは決して一方向からだけで描けるものではないと、本多は感じていたのだ」(『本多猪四郎 無冠の巨匠』)
 2015年6月14日 サンデー毎日「旅行鞄の片隅に 膻里隆
 思いっきり壊してみたら何かが変わるかもしれない
 ……
 思えば、怪獣映画は日本のオリジナルコンテンツのひとつだ。西洋のモンスターと異なり、巨大で、圧倒的パワーを持ち、人々の平和な日常を破壊する異形の存在。それは、この国に古くから伝わる〝荒ぶる神〟にも重なる。ちっぽけな人間には到底抗えない自然災害に神の姿を投影し、畏れ、敬い、受け入れてきた私たち日本人のDNAに、怪獣モノhsよくなじむ。
 ……
 大人になった私たちは、子供の頃とは違ったストレスにさらされて生きている。耐えられなくなったとき、、脱出する旅に出るのもいいが、怪獣文藝に没入して世界を破壊してしまうのもいい。破壊の後には創造が待っている。破壊神たる怪獣から明日を生きる力をもらうことができる。それが怪獣と共に生きてきた私たちの必殺技かもしれない」
 同時期に、黒澤明監督の「七人の侍」が公開された。
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史料による日本キリスト教史

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