✨41)─1─昭和天皇と被曝者支援の米学者シュモー氏との書簡。~No.176No.177No.178No.179 @ ㊱ 

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 2017年1月8日 朝日新聞「被曝者支援の米学者
 天皇陛下 書簡で交流
 昭和天皇、現天皇陛下と、戦後日本の復興や平和運動に携わった米国人との交流を示す英文の書簡15通が、米シアトルのワシントン大図書館で確認された。米国による原爆投下で壊滅的な被害を受けた広島での支援活動が縁となり、侍従らを通じた手紙のやりとりを半世紀近く重ねていた。専門家は『戦後の日米交流と皇室の関わりを示す貴重な資料』と話す。
 『理解が重要』『努力に感謝』
 皇室と書簡をやりとりしていたのは、森林学者だったフロイド・シュモー氏(1895〜2001)。平和主義で知られるキリスト教・クエーカー教徒で、家を失った被曝者向けの復興住宅を建てる救援組織をつくり、1949年夏に広島を訪問した。天皇陛下が皇太子の時代に家庭教師を務めた同教徒のバイニング夫人とも知人で、その縁もあって皇室に手紙をしたためたとみられる。
 今回見つかった書簡のうち最も古いものは、昭和天皇にあてた49年7月6日付。シュモー氏が訪日前に自らの活動への理解を要請した内容だった。
 『もし(支援活動の)精神が日米両国の人々に理解されるなら、救済や復興のために私たちができる物質的な作業よりも、将来の世界平和にとってはるかに重要なものとなるでしょう』
 これに対する返信は同月31日付。当時の三谷隆信侍従長の署名で、昭和天皇が訪日中のシュモー氏による支援活動への謝意を伝える内容だった。
 『陛下(昭和天皇)は手紙を受け取ったことにお礼を言うことと、あなたの寛大さと日本国民への温かい友情に深く感謝するだけでなく、救援派遣団の高貴な性格と精神への高い称賛を伝えることを熱望されています』
 皇室とシュモー氏の書簡での交流は90年代まで続いた。特に天皇陛下は、皇太子だった49年10月と88年11月の2回、東宮御所などでシュモー氏と面会し、功績をねぎらっていた。
 90年にシュモー氏が寄付を集め、シアトルに『平和公園』を開設した際には、楠本祐一侍従が同4月20日付で、天皇、皇后両陛下の謝意を伝える書簡を送っていた。
 『両陛下は、この素晴らしい事業で示された、あなたとシアトルの人々の平和を希求する強い思いに感銘を受けておられます。皆様の精力的な努力に深い感謝の意を表しておられます』
 平和のキャッチボール
 天皇陛下と面会も
 1度目の面会は、シュモー氏が被曝者向けの復興住宅建設のために来日した49年10月。皇太子だった天皇陛下が東京・小金井に滞在時、シュモー氏が訪れる形で実現した。陛下はシュモー氏が持参したスキー映画を一緒に鑑賞し、広島での活動について説明を受けた。小泉信三東宮御教育常時参与らが面談後、シュモー氏に礼状を書いていた。
 『皇太子殿下は、(住宅を建設した)あなたの2ヶ月間にわたる崇高かつ実用的な活動に深く感銘しておられます』『殿下の国際的な友情への確信がますます育まれますように望んでいます』
 シュモー氏は翌50年、再び広島を訪れ、復興住宅建設を再開。同7月にはこの間の活動を書簡で報告し、野球ボールをプレゼントとして贈った。清水二郎・東宮傅育(ふいく)官は同年末、ボールへの礼状と覚書を送った。
 『世界平和のためにあなたが日本でされている素晴らしい仕事への感謝を込め、クリスマスと新年のお祝いを申し上げます』『(殿下は)ボールを学習院大に持って行かれ、学習院チームにプレゼントされました』
 その後も手紙の往来は続いた。昭和末期の88年11月、反核・平和に貢献した人や団体に贈られる『谷本清平和賞』の受賞が決まり、シュモー氏が広島を訪れた際に再び面会。一緒に御所の庭を散策するなど、もてなしを受けた。
 シュモー氏が米市民らから寄付を募り、90年にシアトル市内に造った平和公園には、被爆後に亡くなるまで病床で折り鶴を作り続けた故佐々木禎子(さだこ)さんの銅像も建てられた。楠本祐一侍従が同4月20日付で出した書簡には、天皇、皇后両陛下がシュモー氏の長年にわたる社会福祉や平和への貢献をねぎらう言葉がつづられていた。
 『両陛下は戦後、この国の社会福祉の促進にあなたが貢献されたことをよく覚えておられます』『禎子像とシアトルピースパークが、世界平和と、すべての人々の友好の象徴として役立つことを両陛下は強く望まれています』
 天皇から民間人に送る書簡は意を受けた侍従らが書くのが慣行とされ、皇室からシュモー氏への11通も当時の侍従らの署名で送付。残る4通はシュモー氏が皇室に送った。今回確認された最後の書簡は94年3月7日付。シュモー氏が現皇太子さまに、終戦50年の95年に米国を訪問するようお願いした内容だった。実現はしなかったが、シュモー氏が晩年まで日米の親善と平和交流を望んでいたことがうかがわれる。
 シュモー氏の功績を伝える活動をする市民団体『シュモーに学ぶ会』(広島市)の今田洋子代表(73)は、確認された書簡について
 『皇室と親交があったと聞いていましたが、具体的なやり取りが分かり、驚きました。地位や国籍を超えて、ともに手を携えることが平和の原点だと教えられました』と話す。(岡本玄)」
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 昭和天皇の戦争責任を声高に叫ぶ現代日本人の、いびつに歪んだおぞましい根性、救い難い哀れな心。
 昭和天皇のような重責を持って行動ができる日本人は、他に誰もいない。
 まして、天皇・皇室・皇族に罵詈雑言を浴びせ天皇制度廃絶を主張する反天皇反日的日本人の如きは、日本心のなき哀れな日本人である。
 反天皇反日的日本人が行っているのは、「破壊」「崩壊」「消滅」であって「再生」「復興」「新生」ではない。
 国際社会では、反天皇反日的日本人など相手にされない芥子粒のような取るに足らない無価値な人間に過ぎない。
 昭和天皇ほど、中国共産党ソ連コミンテルンの支援を受けた日本人共産主義テロリストや反日朝鮮人テロリストに命を狙われた日本天皇はいない。
 そして、キリスト教会。
 昭和天皇を暗殺しようとしたテロリストは、反日勢力圏である中華(中国共産党・韓国・北朝鮮)世界では失敗したとは言え偉大な功績を残した英雄とされている。
 現皇室は昭和天皇の血筋が続く、周辺の中華諸国(中国共産党・韓国・北朝鮮)に対して反省し謝罪する責任も義務もない。
 日本天皇は、戦前では国家元首・最高位祭祀王であり、戦後では国家と国民の統合の象徴である。
 国家元首・最高位祭祀王であり国家と国民の統合の象徴を、日本国民が、日本民族日本人が命を犠牲にして護る事が戦争犯罪となるのか、人類への罪、平和に対する罪となるのか。
 日本天皇・皇后両陛下、皇太子・皇太子妃両殿下が訪れてはいけない国とは、昭和天皇を暗殺しようとした中国共産党国家、韓国・北朝鮮旧ソ連のロシアである。
 さらに、
 中国は、第1回南京事件、済南大虐殺、通州大虐殺を行って恥じず、黄河防爆破洪水で溺死寸前の被災者や河南大飢饉で餓死寸前の飢餓民を戦死者を出しながら救助しても感謝いない国である。
 ロシアは、旧ソ連軍が逃げ惑う女性や子供の日本人引き揚げ者を大虐殺しても恥じず、ロシア人戦争孤児を戦死者を出して助けても、幾度も難破船に駆け寄り溺死寸前のロシア人を救助しても感謝しない国である。
 日本を取り巻く近隣諸国とは、そうした国々である。
 天皇を批判し戦争責任を繰り返しがなり立て、近隣諸国との友好の為に戦争犯罪と植民地支配に対して反省と謝罪を脅迫する日本人は、救い難いほどに察する能力のない心の狭い馬鹿である。
 日中友好の美名の下で、強制的に天皇・皇后両陛下を北京訪問させ反日中国共産党幹部と会見させた政治家や官僚達はその最たる者である。


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