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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
世界の常識は日本を非常識で、日本の常識は世界の非常識である。
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産経新聞iRONNA
上皇后さまのお見舞いのため、皇居に入られる天皇、皇后両陛下=2019年9月、皇居・半蔵門(代表撮影)
「生きた神話」
日本は世界で一番歴史の長い、世界最古の君主国である。太陽の女神(=天照大神、アマテラスオオミカミ)の子孫が祭祀王(プリースト・キング)となり、その家長が皇室をつないできた。その歴史が、連綿と21世紀まで続いている。これこそ、まさに「生きた神話」といえる。
そんな国が有色人国家とは、白人国家には内心、許し難いのかもしれない。それでも未開のジャングルに原住民族として生きているなら、「保護しよう」となる。ところが、G8サミット(主要8カ国首脳会議)に唯一、非白人国家として参加を続けている世界屈指の主要国なのだ。
世界史で、敗戦国の国家元首が、敗戦後もそのまま元首を続けた例はない。あり得ない。戦勝国や民衆に断罪されるか、事前に亡命するか、戦勝国に対して「国と国民は譲り渡すので、自分と家族と、できれば親族の命を助けてほしい」と命乞いをするのが定石だった。ところが、昭和天皇はまったく違う対応をされた。
1945年9月27日、GHQ(連合国総司令部)最高司令官、マッカーサー元帥は、昭和天皇を自分のもとに呼びつけた。マッカーサー元帥はソファに座ったまま、昭和天皇が直立不動で国際儀礼のあいさつをされるのを聞いていた。次の瞬間、驚くべきお言葉が続いたと伝えられている。
「戦争の責任はすべて私にあります。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任はない。私の一身はどうなろうと構わない。あなたにお委せします。しかしながら、罪なき国民が住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」
マッカーサー元帥は驚いて立ち上がり、昭和天皇を丁寧に椅子に座らせた。真のジェントルマンの姿に心を打たれ、最後は玄関まで見送ったという。
昭和天皇は戦後、日本中を大した警備もつけずにご巡幸された。国民の中に入って、敗戦の中で必死に生きる国民を励まされた。圧巻は、広島を訪れられた光景だ。大群衆が、昭和天皇を歓喜して迎えた。8年半のご巡幸で、石ひとつ投げられることはなかった。
天皇陛下とそれを支える国民あっての日本なのだ。「国体」とは、君民一体の天皇国・日本である。私が親しかった作家の三島由紀夫氏は、守るべきものは何かと『文化防衛論』で訴えた。それは『国体』であり、畢竟(ひっきょう=帰結として)、それは天皇陛下である。
神話が天皇陛下のご存在によって、21世紀まで連綿と生き続ける奇跡の国・日本。弥栄(いやさか)あれ。その貴い国柄を、天皇陛下とその国柄を守らんと散華された日本の父祖の名誉を、日本人が守らずに、誰が守ると言うのだ。(ヘンリー・S・ストークス、zakzak 2015.03.27 取材・構成、藤田裕行)
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天皇陛下に期待される「国民像」とは何か
『高森明勅』 2019/10/22
国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式に臨席し、お言葉を述べられる天皇陛下と皇后さま=2019年9月16日、新潟市(佐藤徳昭撮影)
天皇陛下の皇位継承に伴う重要祭祀「大嘗祭(だいじょうさい)」に使う新米を納める行事「新穀供納(しんこくきょうのう)」=2019年10月15日、皇居・東御苑(代表撮影)
高森明勅(皇室研究家)
いつ頃からだろうか。国民の一部が、皇室にあれこれ無遠慮に「注文」めいたことを、並べ立てるようになったのは。それでいて、既に皇室から与えられている恩恵に、国民として感謝するわけではない。まして、自分たちが皇室に対してどのように貢献できるかなどと、真面目に考える人は少ない。
例えば、保守系の人士(じんし)が皇室祭祀(さいし)の大切さを力説する論調は、もはや珍しくなくなった。しかし、その皇室祭祀を経済的に支える内廷費が平成8年以来、20年以上も同額のまま据え置かれた、異常な状態にある事実を知っている人は、どのくらいいるだろうか。その問題点を舌鋒鋭く追及する声を、ほとんど耳にしないのはなぜか。
そういう光景にうんざりした気分になるのは、恐らく私一人ではないだろう。
天皇陛下は先頃、ひたすら国民のために何のご躊躇(ちゅうちょ)もなく、最も制約が多くご不自由で孤独で、極めて責任の重い「日本国の象徴」「日本国民の象徴」としての「天皇」という地位についてくださった。その厳粛な事実だけで、私ども国民は心から感謝すべきではないか。
「期待」とは、望ましい状態や結果をあてにして、その実現を心待ちにすること(『明鏡国語辞典』)だ。それも形を変えた「注文」の一種ではあるまいか。ならば、天皇陛下「への」期待ではなく、皇室「から」国民はどのように期待されているか、ご期待にどのようにお応えすべきか、逆に胸に手を当てて反省してみるのも有益だろう。
例えば、天皇陛下は皇室祭祀に実にご熱心に取り組んでくださっている。歴代天皇の中でも、とりわけ祭祀にご熱心だったとされるのが上皇陛下。その上皇陛下に決して引けを取らないご精励ぶりだ。陛下は、国家の公的秩序の頂点に位置する、最も高いお立場にあられながら、祭祀に誠心誠意お取り組みになることで、常に自分より上位の存在を自覚され、へりくだった清らかなお心を、深く身に付けておられる。それは驕(おご)りや高ぶりや弛(ゆる)みとは正反対の精神だ。
そのようなご姿勢に、私ども国民も見習わなくてよいのか。もちろん、国民一人ひとりが直接、祭祀に携わることはできないし、その必要もない。しかし、心のありようは学ぶことはできるはずだ。陛下は精魂を込めて祭祀に打ち込んでください、われわれはそっぽを向いていますから、では話にならない。千分の一、万分の一でも、そのお心構えを見習おうとする態度があるか、ないかだ。
「天皇の祈り」についても誤解があるのではないか。天皇陛下はわれわれ国民のために祈ってくださっている。有り難い。そこにとどまっているのではないか。自分らが「皇室のために」お祈り申し上げる、という気持ちがわずかでもあるだろうか。
天皇陛下が国民のために祈ってくださっているという場合、その内実はどのようなものか。以前、上皇后陛下が分かりやすく説明してくださっている。「陛下が…絶えずご自身の在り方を顧みられつつ、国民の叡知がよき判断を下し、国民の意志がよきことを志向するよう祈り続けていらっしゃることが、皇室存在の意義、役割を示しているのではないかと考えます」(平成7年、お誕生日の文書回答)と。これは、国民がどれだけ無知怠慢でも天皇陛下がお祈りくださっているから、もうそれだけで大丈夫、というような呪(まじな)い的な祈りではない。全く違う。「責任」は全て国民にある。ただ、その国民の「判断」「志向」がより善きものとなるように、祈ってくださっているのだ。そこを勘違いしてはならない。
天皇陛下は、皇太子として迎えられた最後のお誕生日の際の記者会見の中で、以下のようにお述べになった。
「平成は、人々の生活様式や価値観が多様化した時代とも言えると思います。…今後は、この多様性を、各々が寛容の精神をもって受け入れ、お互いを高め合い、さらに発展させていくことが大切になっていくものと思います」(同31年)と。これは、かなり明らかな表現で示された、国民へのご期待だろう。
現在、加速度的に進行しているグローバル化は、必ずしも社会にプラスの効果ばかりをもたらすとは限らない。むしろ、国内における経済格差の拡大や「移民」の増加によって、社会に深刻な分断を持ち込みかねない。そうなると、異質性を憎む非寛容な対立感情が激化する恐れがある。よほど有効な施策が講じられなければ、「国民統合」が不可逆的に困難になる可能性が見込まれる。
言うまでもなく、これは専ら国政上の重大課題である。だから、天皇陛下や皇室の方々は一切、関与できない。まさに、国民の「叡知」と「意志」が問われるテーマだ。それに無為無策のまま、「国民統合」の確保をひたすら天皇陛下や皇室の方々に求めるような、本末転倒に陥ってはならない。このような点でも、皇室から期待される国民像とは何かを、自省すべきだろう。
上皇陛下は「天皇陛下御在位三十年記念式典」のおことばの中で、次のように述べておられた。「象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、さらに次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています」と。誠に頭が下がる謙虚さだ。天皇陛下はこのおことばにお応えになるべく、早速、上皇陛下のお気持ちをくみ取りながら、新しいなさりようもお見せくださっている。
天皇陛下は日本の歴史上、かつて例を見ないほど国際社会で目覚ましくご活躍いただける条件を備えておられる。特に、世界が直面する「水の問題」では既に国際的に高い評価を受けておられる。陛下の世界への偉大なご貢献を、国民は力を尽くしてお支えすべきだろう。
天皇陛下には、どうか上皇陛下がなさったように、ご自身のお考えの通りに、新しい時代にふさわしい「新しい風」を吹かせていただきたい。健全な庶民はこぞってそれを歓迎するだろう。
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苦しむ人々が口にした「天皇陛下万歳」に込めた本当の意味
『八木秀次』 2019/10/22
2015年11月、国連本部で開かれた「水と災害に関する特別会合」で、基調講演をされる皇太子さま(当時)=ニューヨーク(AP=共同)
「即位後朝見の儀」でお言葉を述べられる天皇陛下と皇后さま=2019年5月1日、宮殿・松の間(代表撮影)
八木秀次(麗澤大教授)
天皇陛下が5月1日の即位後朝見の儀で「歴代の天皇のなさりようを心にとどめ」と述べられたことには極めて重い意味がある。陛下のご覚悟がうかがえるのだ。
「ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(けんさん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」との部分だ。極めてあっさりとした表現で、それゆえに多くの人はその意義に気付いていない。
平成29(2017)年2月、57歳のお誕生日を前になさったご会見で天皇陛下(当時皇太子)は同じような表現をなさった。ご会見の内容は次のようなものだ。
平成28年8月7日、陛下は、戦国時代の16世紀中ごろに後奈良天皇(第105代、在位:1526年6月9日〈大永6年4月29日〉~1557年9月27日〈弘治(こうじ)3年9月5日〉)が洪水や天候不順による飢饉(ききん)や疫病の流行に心を痛められ、苦しむ人々のために諸国の神社や寺に自ら写経した般若心経を奉納されたときの一巻を実際にご覧になった。
陛下は、学習院大で中世・瀬戸内海の水運史を卒業論文のテーマとされ、留学先の英国オックスフォード大大学院で17~18世紀の英国テムズ川の水上交通史を研究された。関心はやがて世界の水問題へと発展し、水に関することを自らのライフワークとされるようになった。
平成15(2003)年には第3回世界水フォーラムの名誉総裁を務められ、平成19(2007)年から平成27(2015)年までは、国連水と衛生に関する諮問委員会(UNSGAB)の名誉総裁も務められた。ご講演録『水運史から世界の水へ』(NHK出版)に詳しいが、水は少なすぎれば、干ばつや飢饉、水争い、戦争を引き起こす。
水くみのために時間を取られ、十分な教育を受けられない子供たちも世界中には多く存在する。また、近年の台風や豪雨による大洪水や水害、また地震の際の津波のように、水は多すぎても人々を苦しめ、命を奪う。最近の豪雨は、地球温暖化による気候変動によるものでもあり、国を超えたテーマにもなっている。陛下はこうした水への関心から、洪水に苦しむ民に心を痛められた後奈良天皇の御事績に思いを馳(は)せられたのであろうと拝察する。
陛下はこの57歳のお誕生日を前にしたご会見で、後奈良天皇が自ら写経された般若心経の奥書に「私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている」旨の思いが記されていたことを特に紹介された。
その上で「般若心経を写経して奉納された例は、平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め、鎌倉時代の後嵯峨天皇、伏見天皇、南北朝時代の北朝の後光厳天皇、室町時代の後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、そして、今お話しした後奈良天皇などが挙げられます」と歴代の天皇の名前を挙げられた。
そして、その次に「私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います」と述べられた。
ここでは「こうした先人のなさりようを心にとどめ」という表現になっている。「こうした先人」とは、言うまでもなく、名前を挙げられた歴代の天皇を指す。即位後朝見の儀での「歴代の天皇のなさりようを心にとどめ」と同じ内容と考えてよいだろう。すなわち「歴代の天皇のなさりようを心にとどめ」とは、名前を挙げられた歴代の天皇と同じように、自らを「民の父母」と位置づけることを覚悟されたことを意味する。
「民の父母」とは文字通り、国民にとって父親や母親のような存在であることを意味する。親が子供を愛おしく思い、慈しむ、自分の存在に替えてでも守りたいと思う、そんな心情を持った存在ということだ。陛下はそのことを「国民を思い、国民のために祈るとともに、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ」存在であると述べられている。
それをもう少しかみ砕いて言えばどんなことか。私が天皇という存在について考えるとき、必ず思い起こすのは、亡くなった作家、評論家の松本健一氏が書いた『昭和天皇伝説』(河出書房新社)という著作の最後の一節だ。次のようなものだ。
「国民のすべてが(とくに戦後は)それぞれにじぶんのことを考え、じぶんの愛する人を想い、じぶんの家の永続性を祈り、じぶんの属する集団や共同体の利益を図るときでさえなお、一人でいいから、ほんとうにたった一人でいいから、国民のことを考え、想い、祈り、図ってくれる人がいてほしい。/そのような幻の人を思い描いて、この昭和という時代のなかで、二・二六事件の青年将校は『大御心にまつ』といい、戦争中の特攻隊員は『天皇陛下万歳!』と泣き苦しみながら死に、〔公害企業からはもちろん、内閣からも議会からも病院からも救ってもらえないと絶望した〕水俣病の患者は〔最後に、ほんとうに最後の光を求めるように、その自由にならない口で〕『て、ん、の、う、へい、か、ばんざい』と呻いたのではかったか。 (〔 〕内は前の文章をもとに筆者が補った)」
天皇とは何だろうか。どういう存在だろうか。
さまざまな議論が可能だが、多くの日本人にとって天皇とは、自分の心を救ってくれる「最後の人」なのだ。この世がどんなに苦しくても、最後は天皇が救ってくださるという思いで、日本人はこの国の歴史を歩んできた。
松本氏は「制度的な意味で権力から切れた戦後の昭和天皇は、…『民の心を抱きとめて、いつくしむ』ことこそが天皇政治の本質であるとおもい、つとめてそのように振る舞おうとした」とも述べている。松本氏はあえて「天皇政治」という言葉を遣っている。
ここでいう「政治」とは政治家が行使する権力行為ではない。それを超越した、いや、政治家にはできない、高次元での精神的な統治のことだ。権力政治では救われない「民の心を抱きとめて、いつくしむ」、「国民のことを考え、想い、祈り、図る」ことをいう。そのような「たった一人」の「幻の人」にしかできない高度の政治、これが「天皇政治」なのだ。
松本氏は「幻の人」と書いたが、私たちは現に「民の父母」であろうと覚悟を決められた天皇陛下をいただいている。「幻の人」ではない現実の天皇陛下が私たちの前にはいらっしゃる。その天皇陛下による「天皇政治」がこれから本格的に始まる。」
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