✨40)─1─赤い宣教師。赤い仏教僧。日本キリスト教会は神道の八百万の神々を冒涜した。1949年~No.173No.174No.175 @ ㉟ 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本キリスト教会は平和集会を開催し、キリスト教原理主義者は神道八百万の神々を冒涜した。
 共産主義を受け入れた赤い宣教師や、赤い仏教僧は、反天皇反日の布教活動を始めた。
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スタインベックエデンの東
「リー『白人社会で生きて行くには、流暢な英語を喋る事は決して良い結果を生まない』」
「サミュエル『そういう格好をして、たどたどしい英語を喋っている限り余計な厄災には巻き込まれない』」
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 湯川秀樹は、中間子理論でノーベル物理学賞を授賞した。
 科学分野では行進国と軽蔑されていた日本人科学者の授賞に、世界は驚いた。
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 祭祀王・昭和天皇によって護られた、伝統的祖先神・氏神信仰の民族宗教。祖先神・氏神の人神信仰は、普遍宗教の異端である。
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 1949年1月23日 総選挙。参謀部第2部が支援する、吉田茂民主自由党は定数466議席中264議席で絶対多数を確保した。
 民政局は、民主党社会党を支援した。
 民主党は69議席社会党は48議席議席を減らした。
 共産党は、GHQの対日政策に協力して35議席に大躍進し、都市労働者と教育者などの知的階層の間に支持者を拡大させていた。
 キリスト教会は、共産主義勢力の拡大に危機感を募らせ、速やかに日本をキリスト教化する為に多くの宣教師を来日させたが、「言葉の壁」に阻まれて思った様にほどの信者を獲得でき頭にいた。
 知的エリートは、フィリピンの様に外国語を公用語にして日本語使用を制限すれば、自ずとキリスト教の布教活動もはかどると提言した。
 エドウィン・ライシャワー共産党の進出は、その反占領姿勢ゆえ日本国民の共感を呼んだのだ。インテリ層は簡単で闘争的な教義に弱い。総司令部の対日教育政策の誤りが、日本人に対して共産主義という『禁断の果実』の魅力を増大させた。なによりも、日本人は外界の情報に飢えていた。日本人は知的な渇きを癒す為に、共産主義宣伝の水を飲まざるを得なかったのである」
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 牧師の中から、侵略戦争に協力した後悔の念に苛まれて、日本を平和な国に作り変えるべく共産党に入党する者が続出した。
 世に言われる「赤い牧師」である。
 赤い宣教師達は、世にも恐ろしい血に飢えた邪悪な悪魔である共産主義者と、天皇を生け贄とし、異教国・日本の支配権を与えるという、身勝手な「死の契約」を交わした。
 『文藝春秋』3月号 東京上原教会の赤岩栄牧師「信仰を持つたままぼくの入党を認める共産党に入党して悪い理由がどこにあろうか」
 2016年10月号 Hanada「昭和の戦後精神史 平川康弘
 2,知識人と共産党
 ……
 日本共産党はこんな渡邊発言を大喜びしたことだろう。だが渡邊は続けて『しかし、僕は
共産党員ではありません』と言い、あれこれ述べている。
 ここで一言説明を補いたい。21世紀の今から考えると、敗戦後の日本でなんでそんな入党が知識人にとって切実であり得たのか、と思われるかもしれない。だが、戦争で死なずにすんだ人々の負い目の感情と共産党の関係を考えてみよう。戦争直後の日本では知識人は戦争を阻止し得なかったという罪責感に苛(さいな)まれた。ないしは苛まれないというポーズをした。戦争に反対したために弾圧され投獄者を出した共産党はそうした人たちに対して心理上勝ち目があり、自分たちの正統性を唱え得る立場に立っていたのである。
 しかも連合国側にも、これからの日本の政治は日本の侵略戦争に反対したために国外へ亡命を余儀なくされた者か投獄された者に委ねるべきでるという考え方もあったのである。後で登場するE・H・ノーマンはそのような考え方に傾いていた一人である」
 共産主義に転向する者は、キリスト教徒だけではなく仏教徒の中にも広がった。
 赤い宣教師や赤い僧侶達は、日本神道・日本天皇の悪魔的支配から日本を解き放し日本人を救済しなければならないという「崇高な使命」から、反天皇反日的活動を精力的に始めた。
 反宗教反神論の共産主義者は、最終的には全ての宗教を破壊する事を目指していたが、今は天皇制度廃絶と日本神道破壊の為に赤い宣教師や赤い僧侶を最大限に利用し、その陰に隠れて共産主義を日本人に広めようとした。
 反宗教汎神論を徹底する為に、共産主義の教師を総動員して教育の現場から一切の宗教を排除し、死後の世界は存在せず死ねば無となって全てが消え去り、霊魂の救済はないと子供たちにマルクス主義唯物論を教えた。
 それが、反靖国神社運動の始まるである。
 日本の一部のキリスト教徒や仏教徒などの宗教関係者は、反天皇神道の立場から反宗教無神論共産主義者と行動を共にし始めた。
 天皇制度打倒と皇室廃止が、彼らの「神聖な使命」であった。
 そこに、在日朝鮮人・韓国人諸団体と戦後急増し始めた新たな部落民が反天皇反日的活動に加わった。
 そうした反天皇反日的活動を陰で支えたのが、GHQ内の隠れ共産主義者キリスト教会であった。
 キリスト教は、日本人ではなく韓国人の間に信者を増やしていった。
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 4月 日本政府は、左右両派の反国家的組織を取り締まる為の団体等規正令を公布した。
 GHQとキリスト教会は、共産主義団体以上に、日本のキリスト教国化の障害となりそうな神道系宗教団体を消滅させる為に政治権力を利用した。
 4月4日 マッカーサーは、ポケット聖書連盟の日本人に聖書を携帯させる運動を支持し、配布は100万部ではなく1,000万部が好ましいと助言した。宣教師達は、全国の中学校でポケット聖書を配布し、少年少女を改宗する為の宗教指導を行い、日本古来の宗教行事を悪として禁止した。
 4月27日 トルーマンは、日本をキリスト教国化し、日本人に「原罪の思想」を植え付け、自立心・独立心を喪失させて精神的にも隷属化するという「ロイヤル文書」を承認した。
 数百人の宣教師が、占領軍と日本政府と日本キリスト教会の協力を得て、日本各地で布教活動を始めた。
 宗教教育の一環として、皇国史観などの神道的価値観は軍国主義の元凶であるとして廃絶し、かわってポケット聖書1,000万部を全国の中学生に配布した。
 「信教の自由」は、キリスト教のみに認められ、神道などの民族宗教には認められなかった。
 伝承的民族宗教の神々と日本民族の霊魂は否定され、そして日本の神々と日本人の魂を抹殺する事が「国際化」の美名のもとで行われた。
 だが、言葉の壁だ宣教師の教化活動を妨害した。
 国際派教育者は、国際基準であるキリスト教価値観を普及させる為に、教育現場では外国語のみを話し日本語の使用を禁止すべきであると提言した。つまり、日本人は国際人として、フィリピン人同様に民族語・日本語を捨てて外国語・英語のみを話すべきであると。
 占領軍は、中南米諸国の様に、日本から民族言語である日本語を排除しようとした。
 トーマス・A・ビッソン「今後は、戦争型の国際カルテルの中で、アメリカ資本が財閥のパートナーとなるか、あるいは大量の直接資本投下によって、日本の基幹産業を乗っ取ってしまうと言う事だ」
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 5月25日 マッカーサーは、日本国民に対して「聖フランシスコ・ザビエル渡来400年記念祭」に関する声明を発表した。占領軍であるアメリカ軍は、日本をキリスト教動国化するという大統領命令に従って、公然と布教活動に全面協力した。アメリカのプロテスタント関係者は、日本のキリスト教国化がカトリック教会主導で行われている事に不満を募らせ、精力的に活動している陸軍省(トレーシー・ヴォヒーズ陸軍次官)とスペルマン枢機卿に非難が集中した。
 参謀部第2部は、国際情勢が共産主義陣営と自由主義陣営の対立に突入するや、日本をアジア地区での対共産主義軍事基地として永久使用する為に、官公庁の共産主義分子の追放を日本政府に求めた。
 5月27日 長崎巡幸。昭和天皇は、奉迎場で多くの長崎市民に向かってお言葉を述べ、長崎市民はお言葉に対して万歳に応えた。
 「長崎市民諸君、本日は長崎市復興の状況を見聞し、また、市民の元気な姿に接することができてうれしく思います。長崎市民が受けた犠牲は同情にたえないが、われわれはこれを平和日本建設の礎として、世界の平和と文明のために努力しなければならないと思います」
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 6月 反天皇派日本人は、天皇制度廃止を含む共産主義的自主的憲法である『日本人民共和国憲法案』を作成した。
 天皇と皇室の財産は、国際連合国と共産主義信奉者ユダヤ人グループによって没収された。広大な不動産は新生日本国が管轄し、莫大な銀行の預貯金や金塊や有価証券などは日本復興の資金となり、食糧の代金となって国民を飢えから救った。日本の真の冨、財産は消失した。
 天皇の不動産は、国民から略奪する様に所有したのではなく、明治維新によって各大名が所有していた土地を受け継いだにすぎない。皇室の資産は、欧米の王侯貴族や上流階級の様に庶民を搾取して得たものではなかった。
 だが。マルクス主義者は、階級闘争史観を強引にあてはめる為に、天皇と皇室を悪辣な掠奪者と告発し、そして子供達を反天皇主義者にするべく正しい歴史教育を施した。
 マッカーサーのメソディスト教会会議への書簡「戦争と敗戦を経験した日本は、今やキリスト教にとってこれまで経験した事のないような大きな宣伝の機会を提供するものである。日本人は敗戦によってその信念の拠り所であった神話と伝説の浅薄さを悟った。そのため生じた日本人の精神的空白状態はキリスト教伝道にとって絶好の活動分野となるだろう」
 6月12日  明治神宮競技場で、「ザビエル渡来400年記念祭」の2週間に及ぶ大野外ミサが行われた。ローマ教皇ピオ12世の特使ノーマン・ギルロイ枢機卿や高位聖職者が、ミサに参加する為に来日した。高松宮と妃殿下が出席し、スペイン、ポルトガル、オランダの各国使節団が列席した。参観者は、数万人に及んだ。首相兼外相の吉田茂キリスト教徒)は、出席を予定していたが、当日、急遽とり止めて代理を出席された。
 バチカンは、日本をキリスト教国にするべく多くの宣教師を派遣していた。天皇を改宗させれば日本は苦もなくキリスト教国化できると分析して、皇室周囲に熱狂なクリスチャンを配置した。
 皇后や皇太子ら皇族は、国際社会で通用す様な洗練された教養を身に付ける為に、彼等からキリスト教だけの宗教教育を受けていた。
 中村正直天皇がまずキリスト教の洗礼を受けて範を示すべきだ」
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 7月 ローマ教皇ピオ12世は、鉄のカーテンの向こう側に閉じ込められた東欧諸国の信者4,700万人の安否を気にし、反共産主義という立場を鮮明にするべく「共産党に入党する信者は破門にする」と宣言した。
 カトリック教会は、反宗教無神論共産主義との妥協なき対立を明らかにした。
 マッカーサーも、「日本をキリスト教化する事は、アジアを共産主義から救うスタート」であると、反共十字軍発言を行った。
 ウィリアム・L・クライトン元経済担当国務次官「」キリスト教国のリーダーとして、アメリカは重い責任と同時に、世界の未来を作り出す絶好の機会である。我々はまず冷戦に勝利しなくてはならない。国際基督教大学は、日本人をキリスト教徒に改宗させる旧来の宣教活動ではない。自由と信教の自由を尊重する」
 ポール・ラッシュ宣教師「もしキリスト教が日本人の空白を埋める事が出来なかったら、共産主義が容易に勝利を得る」
 ウィリアム・C・カー(民間情報教育局宗教課顧問)「日本で行われている仕事は世界的事業の一部である。それは全世界にわたる神の国建設の重要な一部である。日本は無条件降伏の意味を軍事的なものとしてよく知っているが、キリストに対する無条件帰依の意味をあまりにも知らない。日本は今外国の軍隊に占領されている。もし日本が眞にその中心にまでキリストの霊によって占領されるならば『全日本をキリストへ』という言葉に表れた人々の願は明らかに実現するであろう」
 盲目的西洋礼賛主義の国際派日本人は、キリスト教的素養を持ってエリートという自覚から、マッカーサー昭和天皇を超えた神と崇め、マッカーサーの「日本をキリスト教化する」という意を実現するべく奔走した。
 7月14日 左翼・左派の歴史学者及び教育関係者達は、フランス革命勃発日に歴史教育者協議会を結成した。
 設立趣意書「私達は限りなく祖国を愛する。そうして私達は、日本から一切の封建的なものや、ファッショ的なものを排除し、一日も早く、内には民主主義を発展させ、外には国際平和に寄与するようになる事を願うものである。私たち歴史教育に関心を持つ者は、過去に於いて誤った歴史教育軍国主義やファッシズムの最大の支柱の一とされていた事実を痛切に反省し、正しい歴史教育を確立し発展させる事が私達の緊急の重大使命である事を深く自覚する」
 明治維新以降に行われた、国家の近代化と国防の富国強兵そして天皇を神聖不可侵とした神国教育を軍国主義国家建設目的であったと断罪し、軍国主義及びファシズムの育成の為に利用された皇国史観を完全払拭するべく宣言した。
 そして、世界に愛される平和国家を建設する為に、主権在民の精神で大衆を中心とした新たな歴史教育を子供達に教えるべきであると訴えた。
 階級闘争という進歩的歴史観は、戦前の価値観全てを完全に否定し、戦前からの如何なるつながりも完全に断絶する事で始まった。
 歴史教育者協議会が目指した戦後の歴史教育とは、天皇制度打倒を最終目的として、恣意的に曲解・歪曲する情緒的な人間性を排除し真理、真実に立った科学的系統的な歴史のみを重視するという、反伝統・反民族・反宗教という左翼的思想教育であった。
 つまり、暴力革命を目指す共産主義者の「歴史教育は思想戦」であり、歴史教育は「子供を洗脳する有効な手段」と言う戦略である。
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 8月6日 広島市議会は、広島平和記念都市建設法を成立させた。
 7月7日に行われた日本国憲法第95条による初の住民投票において(投票率65%)91%の賛成を得て、8月6日に公布、即日施行された。
 「広島平和記念都市建設法
 1949(昭和24)年8月6日法律第219号。
 最終改正:1999(平成11)年12月22日法律第160号。
  第1条(目的)
 この法律は、恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする。
  第2条(計画及び事業)
 ① 広島平和記念都市を建設する特別都市計画(以下平和記念都市建設計画という。)は、都市計画法(昭和43年法律第100号)第4条第1項に定める都市計画の外、恒久の平和を記念すべき施設その他平和記念都市としてふさわしい文化的施設の計画を含むものとする。
 ② 広島平和記念都市を建設する特別都市計画事業(以下平和記念都市建設事業という。)は、平和記念都市建設計画を実施するものとする。
  第3条(事業の援助)
 国及び地方公共団体の関係諸機関は、平和記念都市建設事業が、第1条の目的にてらし重要な意義をもつことを考え、その事業の促進と完成とにできる限りの援助を与えなければならない。
  第4条(特別の助成)
 国は、平和記念都市建設事業の用に供するために必要があると認める場合においては、国有財産法(昭和23年法律第73号)第28条の規定にかかわらず、その事業の執行に要する費用を負担する公共団体に対し、普通財産を譲与することができる。
  第5条(報告)
 ① 平和記念都市建設事業の執行者は、その事業が速やかに完成するように努め、少なくとも6箇月ごとに、国土交通大臣にその進捗状況を報告しなければならない。
 ② 内閣総理大臣は、毎年1回国会に対し、平和記念都市建設事業の状況を報告しなければならない。
  第6条(広島市長の責務)
 広島市の市長は、その住民の協力及び関係諸機関の援助により、広島平和記念都市を完成することについて、不断の活動をしなければならない。
  第7条(法律の適用)
 平和記念都市建設計画及び平和記念都市建設事業については、この法律に特別の定がある場合を除く外、都市計画法の適用があるものとする。
  附 則
 1 この法律は、公布の日から施行する。
 2 この法律施行の際現に執行中の広島特別都市計画事業は、これを平和記念都市建設事業とする。」
 CIEは、原爆投下の正当性を脅かす様なような内容ではないか、アメリカを非難し批判する文言が含まれるのではないかを探るべく、広島の原爆死没者慰霊碑制作に係官を派遣した。
 軍事占領下の日本では、情報検閲によって知る権利も表現の自由もなかつた。
 アメリカは、日本人の自主自立意識を奴隷根性にねじ曲げ、他者との関係から切り離した孤立した個を確立すべく伝統的互助精神や地域的コミュニケーションを崩壊する為の洗脳教育を行っていた。
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 8月14日 日本キリスト教平和教会は、数万人の群衆を集めて、皇居前広場日比谷公会堂で平和に関する集会を開催した。
 日本全国で数百万人が記念祭に熱狂して、各地で神道八百万の神々を冒涜した。
 かって、ナチス・ドイツに協力したローマ教皇ピウス12世は、日本をキリスト教国化する為に特使ギルロイ枢機卿と数百人の宣教師を日本に派遣した。
 アメリカやイギリスなどの連合国は、バチカンと共にホロコーストを黙認していた。
 キリスト教会(スペルマン枢機卿)は、共産主義信奉者ユダヤ人と協力し、何が何でも日本をキリスト教で大改造しようとした。
 マッカーサー元帥は、日本のキリスト教国化に同意し、昭和天皇を改宗させる為のあらゆる便宜を図った。
 マッカーサー「これは歴史始まって以来の最初の、キリスト教的占領とならなければならない」
 だが、彼らは「神聖な使命」を達成する為に天皇制度の廃止に反対した。最終目的は、教皇の様にキリスト教徒非日本人を天皇に即位させ、日本の精神世界を支配する事であった。
 ウッダード「占領軍の内部及び外部で、カトリックプロテスタントの双方が、個人的に、これらの高い地位にあった日本人に対して、その影響力を行使してキリスト教を広げようと努力した」
 絶対的権力を持つGHQから不動の権威を与えられていた日本人エリート知識人らは、日本人を国際社会で通用する様な「正しい人」に生まれ変わる為に、キリスト教価値観で新たな日本精神を創造しようと躍起になっていた。
 国際感覚を持つ都市部のインテリ層を中心に改宗者が急増し、20万人以上がキリスト教の洗礼を受け、祖先を敬うという氏神信仰を捨てた。そして、多くの由緒ある神社が朽ち果て、厳かな宗教行事や伝統的祭りが中止に追い込まれた。
 彼等は、国際感覚が優れていただけに外圧に弱く、他国の指示に従って自国の利益を捨てた。
 古い伝統に囚われた庶民階層、特に農村部ではでの改宗は進まなかった。キリスト教会は、占領軍の全面協力で多くの宣教師達を来日させ、改宗が進まない農村部に彼等を派遣して布教活動を強化した。
 農村部は、排他的民族意識が強く、外圧に屈することなく頑なに自分の殻に閉じこもっていた。
 共産主義者社会主義者や知的リベラルは、天皇制度を廃止する為の方便として日本のキリスト教化を支持した。
 だが。脳天気な日本人には、絶対神でしか救ってもらえないという底知れない絶望感を持ち合わせていなかった為に、絶対神に背いたという人の「原罪」が理解できなかった。
 単純明解な思考を好む島国人にとって、大陸人のわけが分からない哲学的思考回路は複雑すぎて理解できなかった。
 ロベール・ギラン「神の掟のいまだない所には、罪はない」
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 9月2日 マッカーサーの降伏4周年の声明。「キリスト教の理想がアジアに進出する機会を与えた占領軍の文化の進歩に対するこの上なく大きな功績は、永く史上に記録されるだろう」
 マッカーサーが期待したほど、日本人の改宗は進まなかった。
 9月17日 岡田資元海軍中将は、45年5月14日の名古屋無差別爆撃で撃墜したB29爆撃機搭乗員27名を捕らえ処刑した事が捕虜殺害の罪にあたるとされ、B級戦犯として処刑された。
 岡田被告は、「無差別爆撃を行った米兵のみ」を戦時国際法に照らして「戦争捕虜ではなく犯罪者」として裁いたが、戦況逼迫の為に、司令官の責任で略式手続きで死刑に処した、と主張した。
 軍事法廷は、全ての弁明を却下して有罪判決を下した。
 「敗戦直後の世相を見るに言語道断、何も彼も悪い事は皆敗戦国が追うのか?何故堂々と世界環視の内に国家の正義を説き、国際情勢、民族の要求、さては戦勝国の圧迫も、亦重大なる戦因なりし事を明らかにしようとしないのか?」
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 小林秀雄宮本武蔵の独行道のなかの一条に『我事に後悔せず』というふ言葉がある。……今日の言葉で申せば、自己批判だとか自己精算だとかいふものは、皆嘘の皮であると、武蔵は言っているのだ。そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、そういふ小賢しい方法は、寧ろ自己欺瞞に導かれる道だと言へよう、そういふ意味合いがあると私は思ふ。昨日の事を後悔したければ、後悔するがよい、いづれ今日の事を後悔しなければならぬ明日がやって来るだろう。……別の道が屹度(きっと)あるのだ、自分という本体に出会ふ道があるのだ、後悔などといふお目出度い手段で、自分を誤魔化さぬと決心してみろ、そういふ確信を武蔵は語っているのである。それは、今日まで自分が生きて来た事について、その掛け替へのない命の持続感といふものを持て、という事になるでせう」(昭和24年10月「私の人生観」)
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 10月 中華人民共和国は、中国で布教活動をしていた全ての外国人宣教師を国外追放とし、中国人司祭や信者を弾圧した。マルクス主義は、全ての宗教は人民を搾取する悪と決めつけて大弾圧した。
 中国を追放された宣教師らは、1948年頃から日本や韓国などに避難して布教活動を続けた。
 GHQは、来日した3,000人近い宣教師の布教活動は、「日本の民主主義化に重要な貢献をする」と認めて、特別扱いして支援した。
 韓国に渡った宣教師の多くは、反共産主義ではなく反天皇を説いて信者を増やした。
 洗礼を受けた日本人の一部も、昭和天皇の戦争責任を追及する為に反戦平和市民団体を組織した。
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 11月3日 如何なる交戦権をも放棄した、平和憲法である『日本国憲法』が公布された。
 帝国書院の教科書「悲惨な戦争を二度と繰り返すまい、という国民の願いから生まれました」
 日本書籍「日本が再び侵略戦争をしないようにする為に市民達の手で作られていたさまざまな憲法改正草案を参考にして」
 現実の国際社会を知る元枢密院議長の清水澄博士は、民族と国家の衰退に繋がるとして、子孫の将来を憂えて抗議する為に自決した。
 日本は、アメリカの復興基金から18億㌦(現在の価値で約12兆円相当)を借りて戦後復興の資金とした。
 両国間には、様々な密約があったと言われている。
 11月18日 GHQの民間情報教育局(CIE)宗教課長ウイリアム・K・バンズ・メモ「1949年6月23日から10月3日まで、最高司令官代理として、小官が出席した第4回ユネスコ総会に関して、10月24日18時30分から19時30分まで、マッカーサー将軍に報告していた折、会見の終り近くになって、将軍は突然話題を世界情勢から日本の宗教の問題に転換した。マッカーサー将軍は、日本人の大多数は、プライドが邪魔になってキリスト教に回心できないだろうから、少なくとも近々のうちに日本がキリスト教国になる事はなかろうとの見解を述べた」
 レイ・ムーア「1949年は、マッカーサーの日本における伝道運動が最高潮に達した年であった。しかし、潮が引き始めた時、その潮に押し流されなかった日本人はほんのわずかしかいなかったのは明らかである。日本のキリスト教国化だ少しでも前進させる方法は、ベテラン宣教師達が大胆にも最高司令官に申し上げた様に、長期にわたる努力によるしかあり得ない。1946年にマッカーサーがダグラス・ホートンに予言した『精神大革命』は、1949年になっても、起きそうもなかった」(編『神の兵ー日本をキリスト教国とするマッカーサーの試み』)
 コートニー・ホイットニー「クリスチャンとして彼は、多くの〝異教徒〟日本人を巧妙だが強力な圧力をかけてキリスト教徒に改宗させたいという、当然の誘惑に直面した。そのような改宗をさせるほど大きな機会は、またとなかった。かってない精神的荒廃が全ての日本人を包み込んでいた。苦しい時に全ての人がやる様に、日本人も精神的なよりどころを求めて宗教に目を向けた。しかもこの重大な時に当たって彼らの宗教も救いとはならなかったのである。1945年9月の日本は、宣教師の楽園であった」(『日本におけるマッカーサー』) 



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昭和天皇(上)

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