✨25)─1─メメント・モリ(死を想え)。日本のレクイエム、ソウル・ミュージックは、「荒城の月」と「海ゆかば」である。日本の軍歌。~No.102No.103No.104 @ ㉑ 

日本人のこころと品格(3)~海ゆかば

日本人のこころと品格(3)~海ゆかば

  • アーティスト:寺田農
  • 発売日: 2007/07/11
  • メディア: CD
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本の宗教観では、霊魂は家族と共にある事が幸せである。
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 日本の軍歌には、敵を侮辱する歌わなく、勇ましい益荒男の歌と癒やす鎮魂の歌(レクイエム)があった。
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 ヘロドトス「平和な時には子が父を弔い、戦争の時には父が子を弔う」 
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 プラトンの想起説。
 「生きている者から死んでいるものが、という過程に少しも劣らず、死んだいる者から生きている者が生じて来たという過程も確かにある事になるのだ……まさに死者達の魂が、何処に──そこから再び生じてくるというところに──存在していなければならないという事は、それで十分証拠付けられる事になるのだ」
 「いや確かに、甦るという過程がある事も、死んでいる者から生きている者が生じるという事も、そして死者達の魂が存在する事も、本当なのである」
 「如何なる誕生の時にも忘却する事がなかったとしたら、我々は、つねにその知識を所持したままで生まれ、そのまま一生を過ごして、まさに知っている状態にあり続けるのではないか……ところがしかし、おもうに生まれてる以前にそれらの知識を得ておきながら、生まれてくる時に失ってしまい、そこで後になってから……」
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 キケロ「自分が生まれる前のことについて無知でいることは、ずっと子どものままでいること」
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 靖国神社は、戦争を讃美する戦争神社(ウォー・シュライン)ではなく、祖国を守って死んだ英霊を家族・身内・友人が心から祀る平和神社(ピース・シュライン)である。
 中国、韓国・北朝鮮アメリカなどの諸外国は、家族や親しい友人を涙を流しながら安らかな眠りを祈る靖国神社を否定している。
 靖国神社は、日本の民族宗教による伝統的慰霊施設である。
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 靖国神社は、元首・天皇の神社としてその死が天皇に由来する者のみを祭神として祀っている。
 天皇主権を否定した成立した日本国憲法とは無関係である以上、国民主権で戦後する自衛隊員は靖国神社の祭神にはなれない。
 靖国神社とは、国體護持と護国の為に国に殉じた、国の為に命を捧げた祭神を、生き残った日本民族日本人が顕彰する神社である。
 開かれた神社として、如何なる宗教宗派でも、いかなる人種・民族でも、祭神に敬意を払って頭を垂れる心があれば誰でも参りする事ができた。
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 靖国神社は万民平等の精神から、祭神には階級・身分・地位・出身・宗教・人種・民族・貧富・性別・年齢そして年齢も関係ない。
 靖国神社は、八百万の神々を祀る多神教であり、現実に生きていた人間を死後に神とする人神崇拝である。
 祭神246柱の内5万7,000柱が女性である。
 祭神対象者の年齢制限がなく、0歳児も祭神として祀られている。
 日本人だけではなく、朝鮮人も、台湾人も、平等に祭神として祀られている。
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 日本の鎮魂歌(レクイエム)・魂の音楽(ソウル・ミュージック)は、「海ゆかば」と「荒城の月」(滝廉太郎)である。
 「海ゆかば)は、日本民族=日本国民の。
 「荒城の月」は、武士の。
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 1937年11月22日 軍部は、国民の戦闘意欲高揚を目的として、「陸奥国出金詔書」(『続日本紀』第13詔)にある大伴家持詔勅の語句に曲を付ける様に、信時潔に依頼した。
 信時潔は、万葉集の東歌や防人の歌から受け継いだ「言霊」として崇高な旋律を付け、「海ゆかば」を完成させた。
 信時潔「詩の中からおのずから音楽が出てくるように作曲しないといけない」
 「海ゆかば」は、ラジオで放送されるや、哀愁が漂う情緒的なメロディーが国民の共感を呼んで、「第二国歌」「準国歌」とまで呼ばれた。
 勝戦を発表する場合は、「敵は幾万」、陸軍分列行進曲「抜刀隊」、行進曲『軍艦』などが用いられた。
 玉砕を伝える際に、必ず冒頭に「海ゆかば」が流された
 「海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
 山行かば 草生(くさむ)す屍
 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
 かへりみはせじ
 (長閑(のど)には死なじ)」
 訳「海を行けば、水に漬かった屍となり、
 山を行けば、
 草の生す屍となって、
 神の裔・天皇のお足元にこそ死のう。
 後ろを振り返ることはしない」
 信時潔「今も人々に謳われているとすれば、それはあの当時の戦死者とか靖国神社とか、そういった生々しいイメージを絡ませて謳われないと思う。少なくともそうあってはならないんです。もしああいう歌が次の世代にも歌われるとすれば、作られた当時の広い意味での、実用価値を超えた芸術的価値ですね」
 「海ゆかば」とは、命をもって購い、悲哀をもって背負わねばならない、過酷な時代に生まれて仕舞った民族の宿命への諦め、としての「もののあわれ」である。
 運命を受け入れ、死から逃げず死を直視し、追い詰められても最後の望みを持って雄々しく前を向き胸を張って生きるという戦う覚悟が、「海ゆかば」である。
 ゆえに「海ゆかば」は、「鎮魂歌」であると同時に「命の賛歌」である。
 鎮魂歌は、生への希求(バイオフィリア)を内に秘める事によって安らぎと癒やしを、聞く者の心に与える。
 命の賛歌は、死への希求(ネオフィリア)を陰として持つ事によって命の輝きを増す。
 死のみの鎮魂歌は、救いようのない絶望の呻きでしかない。
 死を意識しない命の賛歌は、何もない砂漠の様な心なき不毛でしかない。
 現代日本は、後者である。
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 前線の日本軍将兵は、戦意高揚の勇ましい軍歌より故郷を思い出す哀愁を帯びた歌謡曲を歌い聞いて涙し、そして戦って戦死していた。
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 現代日本人に、霊魂否定の反宗教無神論が広がり、今ある幸せは金で全てが買える以上は金を稼がねばないと努力している。
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 『新約聖書ヨハネによる福音書 第1章第1〜4節』「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。この言葉、初めに神と共にあった。万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった。言葉の内に命があった。命は人間を照らし光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」
 キリスト教の「神の言葉」と日本神道の「言霊」とは、違う言葉である。キリスト教は、「言霊」を光に対する闇と忌み嫌っていた。
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 日本の軍歌は、戦意高揚の勇ましいものより、情緒的でもの悲しいものの方が多い。それは、万葉集にある古代日本人の哀愁漂う「防人の歌」や「東歌」に似ている。
 日本の歌集には、言霊が宿っている。故に、殺すや血を流す様なまがまがしい言葉を嫌っていた。日本人は、無意識のうちに、美しい言葉や綺麗な言い回しを好んで歌詞に込めた。言霊は、理解できる者にはわかるものであるが、わからない者にまで無理して理解せよとは強制しない。
 キリスト教では、言葉とは絶対神そのものであった。絶対神は、完全不寛容として神の命に逆らう者を根絶やしにする様に命じている。
命令口調は、誰が聞いてもわかりやすいストレートなものである。命令の徹底の大原則から、理解できない者や従わない者には、規律を乱す者として厳罰を下した。
 曖昧な日本語と単純明快な大陸言語の違いは、命令口調か情緒言葉かである。故に、大陸の言語はわかりやすいが、日本の言語はわかりにくい。
 欧米や中国の軍歌は、敵を殲滅させる様な、誰が聞いても勇気が湧いてくるものが大半である。
 この差は、現代の国家にも現れている。大陸国家の国歌は、軍隊行進曲や国家を賛美するもので、誰が聞いてもわかりやすい曲であり歌詞である。対して、日本の国歌は曖昧でわかりにくい曲であり歌詞である。
 日本軍歌は厭戦気分を醸し出す情緒的なのに対し、大陸の軍歌はプロパガンダによる戦意高揚の勇ましいものであった。
 反天皇反日の左翼・左派のマルクス主義者は、言霊が理解できず、日本語を軽蔑し、英語を公用語とすべく活動を強化している。国歌『君が代』に反対するのは、防人の歌や東歌などの「言霊」が理解できないからである。
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 肉体は滅んでも、魂は不滅であり、
 死者の想いは、遙かに遠い天国や極楽に行って分かれるのではなく、靖国神社や地元の神社に帰って人神として何時も寄り添い、家の中の神棚に来て絶えず見守ってくれている。
 霊魂は、愛する家族の元に返り、家族と共に生活する。
 生への絶望ではなく、死への希望であった。
 日本人は、死者と倶に生きていた。
 今の世の礎石として人柱となった祖先の犠牲を偲んで、「海ゆかば」は歌い継がれている。
 祖先神・氏神となった先人の辛酸を念い、その志・心・精神・情との絆・つながりが込められている。
 人生観であり、死生観で有り、宗教観である。
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 鴨長明の『方丈記
 吉田兼好徒然草
 人は如何なる状態にあってもあきらめず生きなければならないが、時代の不運で死なねばならなかった。
 「海ゆかば」は、日本的な生きる事への悲しいまでの無常観である。
 現代日本人には、消えつつある情緒である。 
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 自分の事しか考えず、相手を思いやらない、傲慢無礼な日本人が急増している。
 そうした人間ほど、自分こそが正しい人間だと自称して相手を非難中傷し、相手の事を無視して善意を押し付けて自慢している。
 現代の日本人は、昔の日本人とは、姿形は似ていても、その本質は全く異なる。 
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 竹内浩三。1945年4月に、24歳でフィリピンで戦死。
 「骨のうたう(原型)」1942年8月3日の日付が書かれていた詩である。
  戦死やあわれ
 兵隊の死ぬるやあわれ
  とおい他国で ひょんと死ぬるや
  だまって だれもいないところで
 ひょんと死ぬるや
  ふるさとの風や
  こいびとの眼や
 ひょんと消ゆるや
 国のため
 大君のため
 死んでしまうや
  その心や

 苔いじらしや あわれや兵隊の死ぬるや
  こらえきれないさびしさや
  なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ
 白い箱にて 故国をながめる
 音もなく なにもない 骨
  帰っては きましたけれど
 故国の人のよそよそしさや
 自分の事務や 女のみだしなみが大切で
 骨を愛する人もなし
 骨は骨として 勲章をもらい
 高く崇められ ほまれは高し
  なれど 骨は骨 骨は聞きたかった
 絶大な愛情のひびきを 聞きたかった
  それはなかった
  がらがらどんどん事務と常識が流れていた
 骨は骨として崇められた
 骨は チンチン音を立てて粉になった

  ああ 戦場やあわれ
 故国の風は 骨を吹きとばした
 故国は発展にいそがしかった
 女は 化粧にいそがしかった
  なんにもないところで
 骨は なんにもなしになった
   「竹内浩三全作品集 日本が見えない 全1巻」藤原書店
   ・   ・   ・   
 「骨のうたう」竹内浩三  
 戦死やあわれ
 兵隊の死ぬるや あわれ
 遠い他国で ひょんと死ぬるや
  だまって だれもいないところで
  ひょんと死ぬるや
  ふるさとの風や
  こいびとの眼や
  ひょんと消ゆるや
 国のため
 大君のため
 死んでしまうや
  その心や

 白い箱にて 故国をながめる
 音もなく なんにもなく
 帰っては きましたけれど
 故国の人のよそよそしさや
 自分の事務や女のみだしなみが大切で
 骨は骨 骨を愛する人もなし
 骨は骨として 勲章をもらい
 高く崇められ ほまれは高し
  なれど 骨はききたかった
 絶大な愛情のひびきをききたかった
  がらがらどんどんと事務と常識が流れ
 故国は発展にいそがしかった
 女は 化粧にいそがしかった

  ああ 戦死やあわれ
 兵隊の死ぬるや あわれ
  こらえきれないさびしさや
 国のため
 大君のため
 死んでしまう
  その心や
   「愚の旗〜竹内浩三作品集〜」松島新・編(成星出版1998年)より
   ・   ・   ・   
 小学唱歌集初編「蛍の光」1881(明治14)年11月24日付
1、蛍の光、窓の雪、     |ほたるのひかり、まどのゆき、|
  書読む月日、重ねつゝ、  |ふみよむつきひ、かさねつゝ、|
  何時しか年も、すぎの戸を、|いつしかとしも、すぎのとを、|
  開けてぞ今朝は、別れ行く。|あけてぞけさは、わかれゆく。|
2、止まるも行くも、限りとて、|とまるもゆくも、かぎりとて、|
  互に思ふ、千萬の、    |かたみにおもふ、ちよろづの、|
  心の端を、一言に、    |こゝろのはしを、ひとことに、|
  幸くと許り、歌うなり。  |さきくとばかり、うとうなり。|
3、筑紫の極み、陸の奥、   |つくしのきわみ、みちのおく、|
  海山遠く、隔つとも、   |うみやまとほく、へだつとも、|
  その眞心は、隔て無く、  |そのまごころは、へだてなく、|
  一つに尽くせ、國の為。  |ひとつにつくせ、くにのため。|
4、千島の奥も、沖繩も、   |ちしまのおくも、おきなはも、|
  八洲の内の、護りなり、  |やしまのうちの、まもりなり。|
  至らん國に、勲しく、   |いたらんくにに、いさをしく、|
  努めよ我が背、恙無く。  |つとめよわがせ、つゝがなく。|
   ・   ・   ・   
 北方領土はおろか全千島列島も、日本の固有の領土であり、ソ連・ロシア領ではない。
 ゆえに、北方領土交渉に於ける分割返還などは有り得ない。
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  軍歌「戦友」   真下飛泉・作詞  三善和気・作曲       

1)ここは御国を何百里 離れて遠き満州
  赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下
2)思えば悲し昨日まで 真っ先駆けて突進し
  敵をさんざん懲らしたる 勇士はここに眠れるか
3)ああ戦いの最中に 隣に居ったこの友の
  にわかにはたと倒れしを 我は思わず駆け寄りて
4)軍律厳しい中なれど これが見捨てておかりょうか
  しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾の中
5)おりから起こる吶喊に 友はようよう顔上げて
  御国のためだかまわずに 遅れてくれなと目に涙
6)あとに心は残れども 残しちゃならぬこの体
  それじゃ行くよと別れたが 永の別れとなったのか
7)戦い済んで日が暮れて 探しに戻る心では
  どうか生きていてくれと 物なと言えと願うたに
8)虚しく冷えて魂は 国へ帰ったポケットに
  時計ばかりがコチコチと 動いているのも情けなや
9)思えば去年船出して 御国が見えずなった時
  玄界灘に手を握り 名を名乗ったが始めにて
10)それより後は一本の 煙草も二人分けてのみ
  着いた手紙も見せ合うて 身の上話繰り返し
11)肩を抱いては口癖に どうせ命はないものよ
  死んだら骨を頼むぞと 言い交わしたる二人仲
12)思いもよらず我一人 不思議に命永らえて
  赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘ろうとは
13)隈なく晴れた月今宵 心しみじみ筆とって
  友の最期をこまごまと 親御へ送るこの手紙
14)筆の運びは拙いが 行燈の陰で親たちの
  読まるる心思いやり 思わず落とすひとしずく
   ・   ・   ・  
 支那派遣第40師団朝倉歩兵236連隊(鯨部隊)内で自然発生的に生まれ、
 『よさこいと兵隊』
 南国土佐を後にして 中支へ来てから幾歳ぞ
 思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節
 土佐の高知の播磨屋橋で 坊さんかんざし買うを見た
 よさこいよさこい

 月の露営で焚き火を囲み しばしの娯楽のひと時を
 自分も自慢の声張り上げて 歌うよ土佐のよさこい節
 みませ見せましょ浦戸をあけて 月の名所は桂浜
 よさこいよさこい

 故郷の父さん室戸の沖で 鯨釣ったという便り
 自分も負けずにいくさの後で 歌うよ土佐のよさこい節
 言うたちいかんちやおらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる
 よさこいよさこい
   ・   ・   ・   
 「君死にたまふことなかれ」 与謝野晶子

 あゝおとうとよ、君を泣く
 君死にたまふことなかれ
 末に生まれし君なれば
 親のなさけはまさりしも
 親は刃をにぎらせて
 人を殺せとをしへしや
 人を殺して死ねよとて
 二十四までをそだてしや

 堺の街のあきびとの
 旧家をほこるあるじにて
 親の名を継ぐ君なれば
 君死にたまふことなかれ
 旅順の城はほろぶとも
 ほろびずとても何事ぞ
 君は知らじな、あきびとの
 家のおきてに無かりけり

 君死にたまふことなかれ
 すめらみことは戦ひに
 おほみずから出でまさね
 かたみに人の血を流し
 獣の道で死ねよとは
 死ぬるを人のほまれとは
 おほみこころのふかければ
 もとよりいかで思されむ

 あゝおとうとよ戦ひに
 君死にたまふことなかれ
 すぎにし秋を父ぎみに
 おくれたまへる母ぎみは
 なげきの中にいたましく
 わが子を召され、家を守り
 安しときける大御代も
 母のしら髪はまさりぬる

 暖簾のかげに伏して泣く
 あえかにわかき新妻を
 君わするるや、思へるや
 十月も添はで 別れたる
 少女ごころを思ひみよ
 この世ひとりの君ならで
 ああまた誰をたのむべき
 君死にたまふことなかれ
   ・   ・   ・   
 「東京だよおっ母さん」作詞 野村俊夫。作曲 船村徹
   唄 島倉千代子  
1)久しぶりに 手をひいて
  親子で歩ける うれしさに
  小さい頃が 浮かんできますよ
  おっ母さん ここがここが二重橋
  記念の写真を とりましょうね

2)やさしかった 兄さんが
  田舎の話を 聞きたいと
  桜の下で さぞかし待つだろ
  おっ母さん あれがあれが九段坂
  逢ったら泣くでしょ 兄さんも

3)さあさ着いた 着きました
  達者で永生き するように
  お参りしましょよ 観音様です
  おっ母さん ここがここが浅草よ
  お祭りみたいに にぎやかね
   ・   ・   ・   
 「東京だよお母さん」は、東京巡礼歌である。
   ・   ・   ・   
 日本軍の戦死者は、宗教、思想、人種・民族、性別、地位、身分、家柄、出身、職業、犯罪者、その他全てに関係なく、等しく、分け隔てなく、世界から非難を浴びている九段坂上靖国神社に祭神として祀られている。
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 2017年11月1日 産経ニュース「【正論】今こそ「海ゆかば」の精神を 断絶された日本文明の歴史を回復するには必須だ 文芸評論家、都留文科大学教授・新保祐司
 文芸評論家で都留文科大学教授の新保祐司
 ハンチントンの『文明の衝突』は1996年に刊行されて大きな衝撃を与えた。日本でも翻訳が2年後に出版され話題となったが、今年、文庫化されたので改めて熟読した。20年ほど前に出たものだが、今日の世界状況を鋭く予言しているように思われる。「文明の衝突」というべき事態が頻発しているからだ。そして、今後の世界も趨勢(すうせい)としてはこの方向で展開していくに違いない。
 栄光を保持する意志はあるか
 この本では、世界の主たる文明を8つとしたことが注目された。即(すなわ)ち、西欧、中華、日本、イスラムヒンドゥー、スラブ、ラテンアメリカ、アフリカである。重要なのは、日本文明が単独で1つの文明とされたことだ。ハンチントンは「文明の衝突」という観点からいうと、日本にとって重要な2つの問題が出てくるという。
 1つは、「日本は独自の文明をもつかどうかという疑問をかきたてたことである。オズワルド・シュペングラーを含む少数の文明史家が主張するところによれば、日本が独自の文明をもつようになったのは紀元五世紀ごろだったという。私がその立場をとるのは、日本の文明が基本的な側面で中国の文明と異なるからである。それに加えて、日本が明らかに前世紀に近代化をとげた一方で、日本の文明と文化は西欧のそれと異なったままである。日本は近代化されたが、西欧にならなかったのだ」と書いている。
 そして、もう1つは、日本以外の7つの文明には2カ国ないしそれ以上の国々が含まれているのに、「日本がユニークなのは、日本国と日本文明が合致しているからである。そのことによって日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接なつながりをもたない」ことである。
 つまり日本は一国一文明なのであり、ある意味でこれほどの栄光はないであろう。しかし、逆にこの孤立は悲劇的ともいえる。だから今後の日本人に問われるのは、この悲劇的な栄光を保持し続ける意志があるかどうかである。
 「おずおずと」してはならない
 この20年ほど前の本で、ハンチントンは「2010年」に仮定した米中衝突のシナリオを書いているが、そこで「中国が軍事的に勝利したのを見て、日本はおずおずと中国にすり寄りはじめ、正式の中立から積極的に中国寄りの中立へと立場を変え、やがて中国の要求にしたがって参戦国になる」と想定している。
 このシナリオについては、既に「訳者あとがき」に「議論の余地があるだろう」とされているが、日本人が一国一文明の宿命に耐え続ける覚悟ができず、「おずおずと」した精神であるならば、「近代化されたが、西欧にならなかった」日本の文明は、「独自の文明」として立ち続けることの困難に直面するのではないか。
 この予測に憂鬱な気持ちになっているとき、富山県高岡市に行く機会があり、『万葉集』と大伴家持のことを改めて考えることになった。ハンチントンは、日本が独自の文明をもつようになったのは紀元5世紀ごろと書いたが、『万葉集』の最後の大伴家持の歌が詠まれたのは8世紀半ばだ。
 日本の「独自の文明」がはっきり姿を現したのはこの頃だったのではないか。なぜ高岡で家持を思い出したかといえば、家持は28歳から33歳までの5年間ほど越中守として滞在したからである。高岡に行って今年が大伴家持生誕1300年であることを知った。
 「海ゆかば」の復活は必須だ
 正岡子規生誕150年であることは知っていた。しかし、近代が終焉(しゅうえん)したように感じられる今日、「近代短歌」の子規よりも『万葉集』の家持の方がはるかに時代が古いにもかかわらず、私の精神に、よりアクチュアルなものとして迫って来るのはなぜだろうか。
 「文明の衝突」の時代に、日本文明のアイデンティティーの再発見が必要とされており、家持の精神の中にそれがあるからではないか。家持個人の精神というよりも、「大伴氏の言立(ことだて)」を自覚し回想した家持の精神といった方が正確かもしれない。
 『万葉集』に収められた家持の長歌の中で、最大の長歌が巻第18にある「陸奥国に金を出(い)だしし詔書を賀(よろこ)びし歌」である。天平感宝元(749)年5月12日、家持が越中守のときの32歳の作である。家持は、この長歌の中で「大伴氏の言立」として「海行かば水漬く屍(かばね) 山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ」と詠(うた)ったのである。
 交声曲「海道東征」の作曲家・信時潔が、昭和12年にこの「言立」に曲を付した「海ゆかば」こそ、戦前の日本の最深の音楽であった。それは、遥(はる)かな『万葉集』の時代から昭和の戦前までの日本の歴史を貫く響きでもあった。
 しかし、敗戦後、この曲は「封印」された。日本文明の歴史が断絶されたのである。本来の日本文明を回復して立ち続けるためには、この名曲の復活が必須であろう。この宿命的な音楽に、日本文明の核があるからである。(文芸評論家、都留文科大学教授・新保祐司 しんぽゆうじ)」
   ・    ・    ・   
 2018年3月2日 産経ニュース「「海行かば」軍歌か鎮魂か 一部市民から指摘…市教委、公演の後援見送り
 千葉県八千代市で3日に開催される民間団体主催の歌のイベントを毎年後援してきた八千代市教委が、今回は後援を見送ることを決め波紋を広げている。イベントの中で歌う予定の「海行かば」をめぐり、一部の市民から「軍歌を歌うイベントの後援は好ましくない」との指摘があったためだ。主催者側は市教委の姿勢を批判し、「そもそも『海行かば』は軍歌ではなく鎮魂歌だ」と反発、法的な対抗策も検討する構えを見せている。
 イベントの名称は「日本の心を歌う集い」。唱歌などに表れる日本の美しい言葉と旋律で、感動を共有しようとするのが目的。平成28年から行われており、今年で3回目となる。
 実行委によると、過去2回はいずれも、八千代市と同市教委が後援に名を連ねていた。昨秋に例年通り後援を申請したが市教委が見送ったため、主催者側が審査請求を行って理由を尋ねたところ、「社会通念上、軍歌とされる『海行かば』が歌われる」「この歌を歌えば戦争賛美、戦死賛美を助長しかねない」といった理由が示されたという。一方、市は今回も後援を決め、対応が分かれた。
 市教委教育総務課の担当者は取材に対し、市民から「軍歌を歌うのは好ましくない」との声が寄せられたことが後援を見送った背景にあると明かし、「『海行かば』は作られた経緯から軍歌だと思っている」「今回も『海行かば』を歌うかどうか主催者に確認したが、期限までにプログラムの提出がなかったため、後援申請を不承認にした」と説明した。
 主催者の実行委員長、若松博さんは「市教委は一方の市民の意見を代弁しており、公正中立とはいえない」と反発している。
 文芸評論家で鎌倉文学館館長も務める富岡幸一郎関東学院大文学部教授は「『海行かば』や本居宣長の和歌など、伝統的な文芸が戦意高揚に使われたことはあるが、本来は軍国主義と無関係」と指摘している。
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【用語解説】海行かば
 奈良時代歌人大伴家持万葉集に詠み込んだもので、昭和12年、作曲家の信時潔が歌曲としたことで有名になった。戦時中、大本営の戦果発表で使われたり、出征兵士を送る曲や戦没者の遺骨を迎える際に流されたりした経緯がある。」
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