関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
1985年 松平永芳(靖国神社宮司)「生涯の内で意義ある事をしたいと私は自負する事ができるのは、所謂〝A級戦犯〟を合祀したとである。
現行憲法の否定は我々の願う所だが、その前には極東国際軍事裁判がある。この根源をたたいてしまおうという意図の元に、〝A級戦犯〟14柱を新たに祭神とした」
レーガン大統領は、西ドイツを訪問した際、コール首相とナチス親衛隊49名が眠るビットブルク戦没軍人墓地を訪れて献花した。
1月1日 中核派による、米国総領事館パイプ弾発射事件。
8月15日 中曽根康弘首相は、靖国神社参拝に対して国内外の批判が強い事を考慮して、参拝に当たって、手水は使わず、お祓いを受けず、正式な二礼二拍手一礼をせず、玉串は捧げないと公言した。
つまり、靖国神社には行くが、宗教的な行為を一際せず、お参りせず唯通り過ぎるだけであると。
松平永芳宮司は、尊ばれるべき祭神・御霊に対する非礼であり不遜であると激怒して、通りすぎるだけで参拝しないのであれば正装を持って出迎える事を拒否した。
靖国神社は、参拝は国民一人ひとりが敬虔なる気持ちで行う神聖な宗教行為である以上、時の政治家が行う政治や外交に左右されるべきではないとの立場を鮮明にした。
つまり、政教分離の原則と宗教・信仰に対する不介入の鉄則を貫いたのである。
政治と慰霊は次元が違う。
敵対する相手の宗教・信仰に干渉しないというのが、絶対に犯してはならない人類の大原則である。
8月4日 朝日新聞と反天皇反日的日本人は、敗戦記念日を前にして靖国神社参拝を社会問題化する為の一大キャンペーンを始めた。
「靖国神社は戦前、戦中を通じて国家神道のかなめに位置していた。……軍国主義日本のシンボルだったことも見逃すことのできない歴史的事実がある」
8月7日 朝日新聞「靖国問題が今『愛国心』のかなめとして再び登場してきたことを、中国は厳しい視線で凝視している」
8月15日 中国共産党政府は、中曽根康弘首相が靖国神社を参拝しても問題とせず、抗議しなかった。
8月末 社会党訪中団は、北京で中国共産党政府高官や中国共産党幹部と会談して、「中曽根内閣は軍事大国を目指している」と警鐘を鳴らした。
中国共産党政府と中国のマスコミは、靖国神社参拝批判を初め、靖国問題が対日外交カードとなった。
朝日新聞や反天皇反日的日本人は、中国共産党政府の日本批判が激しくなるにつれ、それに合わせて激しい自民党政権批判を展開した。
草の根運動として、反戦平和市民団体やキリスト教会などの主教団体も反靖国運動に加わった。
11月29日 中核派による、国電同時多発ゲリラ事件。
・ ・ ・
1986年2月 松平永芳「靖国神社は正式な手続きにのっとって〝A級戦犯〟の合祀を行ったまでの事である。講和条約発効後の昭和28年5月18日から8月10日にわたる期間、第16回国会が開かれたが、この国会に於いて『東京裁判受刑者等に関する特別措置』が審議された。これはいわゆる〝戦犯〟も戦没者と全く同様の取り扱いをするという議案の審議で、7月23日の衆議院厚生委員会で決議され、この決議に基づいて恩給受給資格を持ついわゆる『戦犯』に対しては恩給法により、それ以外の『戦犯』に対しては遺族等援護法によって、それぞれの遺族に対し戦没者遺族に対する場合と変わらない待遇が図られるようになった。この体制によって、厚生省は戦後を開始したのだといってよいだろう。
『法務関係遺族に対する戦傷病者戦没者等援護法及び恩給法の適応について』という昭和28年9月15日付の京都府民生部から送られてきた通知が資料として私の手許にある。
そお内容は要するに、昭和28年4月1日の時点に遡って、〝戦犯〟の遺族にも恩給あるいは年金が下給できるはこびとなったから、厚生大臣宛に遺族年金請求書をお出しなさい、という内容の通知で、同様な公文は各地方自治体から管内に居住する〝戦犯〟遺族の許にそれぞれ届けられたに相違ない。この立法措置により、いわゆる〝戦犯〟は戦没者と同等の資格を持つに至った。この立法と行政の措置に沿って靖国神社は対応しているに過ぎない。……
靖国神社の立場からすれば、昭和28年4月1日の時点を以て〝戦犯〟として処刑された方々の御霊を合祀申し上げなくてはならない責務を負うに至ったのです。その際〝戦犯〟に冠せられたA級、B級、C級という形容は総て連合国側が向こうで勝手にランキングしたものに過ぎず、当方には何等かかわりのない事柄に属する。
靖国神社は然るべき法的根拠によって昭和殉難者を合祀申し上げた。……」
〝戦犯〟などという心ない言葉を神社は到底許容する事ができないし、法務死という言葉も官庁間の用語としてはそれでよいだろうが、当方で使うにはどうも落ち着きが悪い。そこで色々思案した挙句、明治維新の際、国に殉ぜられた方々を幕末殉難者、維新殉難者と呼称している当社記録に徴し、昭和殉難者とお呼びする旨、昭和53年11月23日の宮司通達で社内に徹底された。
この昭和殉難者14柱の御霊を含めて、計175柱を合祀申し上げたのは昭和53年秋の例大祭のときであった。……
新聞は半年後の春の例大祭にこの事を知り、……『A級戦犯をひそかに祀っていた』と報じたが、戦前であれば官報によって合祀の神々を報じたわけだが、戦後にはそういう手段はない。合祀後、遺族に通知を差し上げる事で御了承いただいているのが現状であり、ひそかにどこうという性質のものではない」
3月11日 日韓両政府は、両国の新たな友好関係を象徴させる為に皇太子同妃殿下の訪韓に合意した。
だが、日本のマスコミは歓迎したが、韓国の野党やマスコミは猛反対した。
韓国日報「訪韓は時期尚早 日韓協調の重要性をしながらも、訪韓に反対する錯綜した気持ちを我々は充分に理解し、むしろ、その反対意見に同調する」
3月17日 宮内庁は、美智子皇太子妃が子宮筋腫手術で24日に入院する為に、年内に予定されていたアメリカと韓国ご訪問を中止すると発表した。
渋谷区広尾の聖心女子大学構内で「第8回世界聖心同窓会 東京大会」が開催された。
ご卒業された美智子皇太子妃は、24ヵ国からの同級生と日本人の同級生、約1,000人の前で英語による歓迎スピーチを行った。
美智子皇太子妃「異なる文化間の交流は、グローバル化しつつある今日の世界で、人類史上かつてないほど大切なものになっています。世界の国々が平和の内に共存するには、国と国の間に対話がなくてはなりません」
パメラ・スナイダー「東京でスピーカー達が『世間間そして異文化間の対話』のテーマについて語るのを聞いた時、私は目が覚める思いがしました。……その後数年かけて、この世界には様々な問題があるけれども、対話という手段によって解決が可能である事に気が付き、傾注するようになったのです」(日本聖心同窓会ホームページ)
4月 チェルノブイリ原発事故。約二年後、年間5ミリシーベルト以上の地域からの大規模な住民移住が実施された。
後に。ロシア政府は、2011年に事故処理として行った大規模な住民移住は見込み違いによる失敗であったと結論付けた。
ピリピャチは放射能汚染でゴーストタウンとなったが、スラビチッチは情報汚染を免れて人口が急増した。
5月 明仁皇太子「天皇と国民との関係は、天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。天皇は政治を動かす立場にはなく、伝統的に国民と苦楽共にするという精神的立場に立っています。この事は疫病の流行や飢饉にあたって、民生の安定を祈念する嵯峨天皇以来の写経の精神や、また『朕、民の父母となりて徳覆うこと能わず、甚だ自ら痛む』という後奈良天皇の写経の奥義などによっても表れていると思います」
9月 アジア司教協議会連盟総会。白柳誠一大司教「私たち日本の司教は、日本人としても、日本の教会の一員としても、日本が第二次世界大戦中にもたらした悲劇について、神とアジア・太平洋地域の兄弟たちにゆるしを願うものであります。私たちは、この戦争にかかわったものとして、アジア・太平洋地域の2,000万を超える人々の死に責任を持っています。まさにこの世代の人々の生活や文化の上に今も痛々しい傷を残している……この真実を素直に認めて謝罪します」
日本のキリスト教会は、天皇と日本の戦争責任を公式の場で認め、日本が行った全ての戦争犯罪に対して謝罪した。
キリスト教会は、日本神話に基づく現人神・天皇の神性を侵略戦争を正当化する元凶であるとして否定している。
マルクス主義者と共に、『古事記』や『日本書紀』に基づく日本民族の物語は、科学に証明できない偽史であるとである否定している。そして、天皇とその一味の、日本を支配しようとする悪巧みを隠す為の陰険な謀略書であると証明した。
人権派弁護士や反戦平和市民団体と共に、勤王の志士が祀られた靖国神社や護国神社などの各神社の祭典に政府や地方自治体が玉串料や献花を捧げる事は、平和憲法が定めた「政教分離の原則」と「信仰の自由」に違反するとして裁判を起こしている。
キリスト教会とマルクス主義者は、日本の古来からの精神的支柱を破壊しようとしている。
その日本破壊工作は、現在でも続けられている。
11月29日 大島島民は、三原山噴火によって東京へ全島避難した。
明仁皇太子・美智子同妃両殿下は、千代田区の体育館に集団避難してきている大島島民を慰問し、自ら腰を下ろし膝をつき、疲れ果てた避難民に声をかけ、話を聞き、励ました。
・ ・ ・
キリスト教会と一部の仏教徒による、反靖国発言は激しく、神社の祭典に行政機関が関与する事は政教分離の原則に反するとして裁判を起こしている。
靖国神社は、憎悪の的で、世界の如何なる宗教からも理解されず同情されず弁護されない。
・ ・ ・
日本NCCは、天皇制度否定という共産主義的政治イデオロギーを前面に出して、宮中祭祀である大嘗祭反対運動を始め、日本国民からの署名を集計するべく大嘗祭問題署名センターを組織した。
・ ・ ・
1987年1月24日 赤報隊関連事件。
10月24日・25日 第42回国民体育大会。
11月12日〜15日 第23回全国身体障害者スポーツ大会。
・ ・ ・
1988年 殉職自衛官合祀訴訟。山口県出身の自衛官が公務中に殉職し、隊友会はその霊を山口県護国神社に合祀した。
クリスチャンの妻は、自分の信仰しない神社で夫の魂を慰霊される事は不快・苦痛であるとの理由から祭神名簿の名前を取り消し、信仰の自由を保障している宗教的人格権の侵害として損害賠償を求める裁判を行った。
それは。キリスト教会において、キリスト教信者ではない、仏教徒や神道信者の戦没者に言及し追悼・ミサをしてはならないという事でものある。
死者の霊魂は、家族が信仰する宗教のみで慰霊して、それ以外の宗教は一切口に出しても祈ってもならないという事である。
最高裁は、遺骨・遺品ではない霊魂の慰霊は完全なる宗教行事であり、信仰しない神社に強制的に連れられて無理矢理参拝されない限り、世俗の裁判所が関与する問題ではなく、宗教的寛容の言葉を使って「宗教的人格権は、権利とは認めない」として退けた。
特に日本の神社は、遺骨や遺品を納めた宗教施設ではなく、慰霊したい人々が霊魂を合祀して祭神としている宗教施設に過ぎない。
だが。祭神名簿から名前を削除しても、慰霊したい相手を祭神として念う参拝者がいる限り合祀されている事に変わりはない。
8月15日 全国戦没者追悼式。昭和天皇の御製「やすらけき世を祈りしもいまだならず くやしくもあるかきざしみゆれど」
唯一の祭祀王として、追悼行脚である全国巡幸が、最も訪れなければならない大事な沖縄を残している事に慚愧の念を抱いていた。
左翼・左派勢力の強い沖縄は、反天皇から、戦時中と戦後に昭和天皇に見捨てられ裏切られたという反感かあら天皇訪問に強い抵抗を見せていた。
昭和天皇「どんなに短くても「いいから是非、沖縄に行きたい」
9月21日 中核派による、千葉県収用委員会会長襲撃事件。
・ ・ ・
1989年1月 昭和天皇の崩御。
文藝春秋3月号「松本清張 『神武天皇の孤独』 その間、天皇家を超える実力者は多くあらわれている。とくに武力を持つ武家集団、平清盛でも源頼朝でも、北条氏でも足利氏でも、また徳川氏でも、なろうと欲すればいつでも天皇になれた。……どうして実力者は天皇にならなかったのか。だれもが知りたいことだが、歴史家はこれを十分に説明してくれない。学問的に証明できなのだという」
昭和天皇崩御の際、国を挙げて喪に服したのは親日国家であるインドとカストロ議長のキューバの二ヵ国のみである。
4月2日 中核派による、日本飛行機専務宅放火殺人事件。
6月21日 朝日新聞夕刊 キャロル・グラック「歴史家が明確に分析できない事がらはどこの国にもある。アメリカの人種問題。ドイツのホロコースト(大虐殺)。日本の天皇制などがそれ。……
(天皇制は)歴史の饗宴に現れる亡霊」
・ ・ ・
1998年 日本キリスト教婦人矯風会は、反天皇という政治スローガンを掲げて左翼・左派の諸団体と共に「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW・NETジャパン)を組織し、昭和天皇の戦争犯罪を暴く為に活動を開始した。
後に。同組織は、ユダヤ人難民を助けた昭和天皇とA級戦犯達を見せしめ的に吊し上げる目的で、NHKと朝日新聞と協力して「糾弾集会・女性国際戦犯法廷」を開き、全員を有罪T宣告した。
日本と韓国のキリスト教会は、反天皇で共通し、日本人を信者にすべく布教活動を続けている。
日本の左翼な各メディアは、キリスト教会の宗教活動を好意的に報道するが、天皇の神道的宗教行事は意図的に報道しない。
・ ・ ・
日本の神社において、祭神を残したまま別の神社に移す「分霊」はあるが、一度祀った祭神を取り除いて別の神社に移すという「分祀」はありえない。
日本神道に於いて、新しい神が来たからといって古い神を追い出して祀る事はなく、新しい神も古い神も等しく祀るのが正式である。
世界史・大陸史においては支配者が変わるたびに神も変わり、勝者である征服神は敗れた地元の神を呪われた神として抹殺した。
「神殺し」は人類史の常識で、現代に存在する神は勝利の神のみである。
日本の神々と世界の神とは、本質的に異なる。
・ ・ ・
- 作者:正康, 保阪
- 発売日: 2011/12/24
- メディア: 文庫