関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本民族日本人は、一等国民として、赤紙一枚で強制的に戦場に送り出されて戦い戦死した。
朝鮮人は、二等国民として、戦死する徴兵の義務化はなく、戦争に協力する徴用はあった。
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昔の日本人には愛国心はあったが、現代の日本人には愛国心がない。
愛国心とは、ハイリスクから逃げない事である。
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小灘利春「特攻は愛するものを守りたいとの強い思いから生まれたのです」
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2014年12月11日号 週刊新潮 「岩田健太郎
医者のけもの道
エボラのリスクと日本人としての矜恃
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感染症は自然発生しません。伝播には必ずその『経路』が必要となります。日本の場合、……エボラ流行国は、日本からかなり離れており、日本にエボラウイルス感染者がやってくる確率は(欧米のそれと比べると)ずっと低いのです。
……アフリカでのエボラ対策に本気でコミットするとなると、話は変わってきます。日本から専門家を現地に送るようになるからです。すでに何人かは赴いていますが、今後はもっとたくさんの専門家が流行地に行き、現地での対策に参画するようになるでしょう。
エボラウイルス感染のリスクは、現地に行く人の数や期間、そして患者と直接、接触する頻度により変化します。アフリカでの対策にコミットすればするほど、日本人のエボラ感染リスクは当然、増すのです。欧米の感染者がエボラ対策に従事していた医療関係者や宗教家であることからも、これは明らかです。
しかし、グローバル化する世界の中で、アフリカの感染者をただ放っておくという選択もよろしくありません。このまま流行が抑えられなければ、他の国で感染が拡大する危険もあります。今はまだ日本にとって『遠い国の出来事』ですが、よそへ飛び火すればもっと近い問題になっていくかもしれません。情けは人の為ならず。他国の健康問題に積極的に関与することは、自国を守ることでもあるのです。ぼくは、……アフリカのエボラ対策に積極的に取り組み、日本人の専門家が世界の専門家に交じってアフリカで活動することに反対はしません。
しかし、それは日本人のエボラ感染者の発生と、国内でのエボラ症例発生のリスクを甘受しなければならない、という意味でもあります。もちろん、十全の対策でそのリスクは最小にすべきですが、問題にコミットする以上、リスクを楽観視するわけにはいかないのです。
アフリカで日本人の専門家に発熱が見られた時、国内世論はどう反応するでしょうか。まさか『日本に帰ってくるな』とか『自己責任だ』なんて無体なことは言わないでしょうね。
愛国心とは、政治家が靖国神社に参拝するというような、形式的なものだけではないとぼくは考えています。アフリカでエボラ対策に奔走した日本人が感染した時、ちゃんと自国に受け入れる覚悟を決める、そんなリアルな感覚が真の愛国心なんです。
欧米は、自国民のみならず、他国のエボラ患者を引き受ける覚悟を決めています。『うちではエボラを診たくない』という指定医療機関の本音をちらほら聞く昨今、日本人の健康のためにちゃんと愛国心を発露する覚悟はできているのでしょうか。」
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日本は、地球規模の異常事態で、此れまでのような自分の殻に閉じこもって自分だけの安全を守る為に金が出して逃げ回ってきた、一国平和主義では生きて行けなくなっている。
東日本大震災の後、放射能汚染が怖いから東北の震災ゴミを受け入れる事拒否したり、他の場所で焼却で来るように費用を出す、といった日本人的エゴを丸出しにしていた。
自分が善ければ、他人なんがどうなろうとも気にしない。
他人がどうなろうとも、自分が信ずる〜イズムを最優先する。
守るべきは、自分であって、他人ではない。
日本人が実行しない正論や被害を受け入れる覚悟がない正論を英語で繰り返して主張しても、誰も聞かないし、誰も信じない。
御身大切の正論など、糞の役にも立たないし、信用もされないし、他人に被害を与えるだけの有害である。
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世界は湾岸戦争の折に、平和憲法盾に集団的自衛権を拒否して戦費だけを出した、日本の卑劣を忘れてはいない。
自分の子供を戦場に送り出したくない為に、他人の子供を戦場に送る金を出したと。
日本人は、世界第二位の経済大国として、人の命を金で買っていると。
日本人とは、リスクを取らず利益のみを求める、非人間的な人間であると。
日本人に、国際人足る資格があるのか。
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中国は、世界各国で嫌われていても、大金を惜しげもなく拠出した上に、リスクを引き受けて人的貢献もしている。
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人が善く正論を主張しても、金も出さず、人も出さない、リスクを負って身を切らない人間を信用しない。
人が悪く暴論を吐いても、金も出し、人も出し、リスクから逃げない人間を信用して頼る。
国連常任理事国として、国際人として、日本人と中国人の差はここにある。
日本人は、リスクから逃げる。
中国人は、リスクから逃げない。
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中国人は、愛国心が強く、祖国の為とあれば戦争も行う。
日本人は、愛国心が弱く、祖国の為であっても戦争はしない。
中国人は、国の命令であれば日本と戦争を行う。
日本人は、たとえ国の命令であっても中国とは戦争しないし、如何なる戦争も平和憲法を守って拒否する。
敵が侵略してきても、日本人は抵抗せず降伏し、軍事占領を受け入れる。
日本国憲法は、たとえ自衛であっても、同胞の日本人が目の前で殺されようと、他国との戦争行為は全て放棄している。
つまり、国内限定での殺人であれば助けてよいが、他国との重要案件であれば助けてはならないと、国家と政府を縛っている。
そこには、個別的自衛権も集団的自衛権も存在しない。
日本国憲法を正しく読めば、それ以外の解釈はない。
日本国憲法の究極の読み方は、国民の生命財産を保護せず見捨てると言う事である。
自衛隊隊員が、攻撃されないのに、他国の民間人はもちろん他国軍隊の兵士を殺害すれば殺人罪で逮捕される。
日本政府の許可を得ずに発砲しても、逮捕される。
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日本国憲法
前 文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、我等と我等の子孫の為に、諸国民との協和による成果と、我が国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存する事を宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。我等は、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我等の安全と生存を保持しようと決意した。我等は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。我等は、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する事を確認する。
我等は、いづれの国家も、自国の事のみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふ事は、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する事を誓ふ。
……
第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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