⛩93)─1─神社合祀令と自然破壊。南方熊楠と自然保護運動。朝鮮神宮。1906年~No.203No.204 @ 

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   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 夏目漱石「(私の個人主義とは)第一に自己の個性を発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。
 第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。
 第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。
 ……
 これを外の言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、金力を使う価値もないという事になるのです。
 ……
 国家が危うくなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨張して来る、それが当然です。いやしくも人格がある以上、それを踏み違へて、国家の亡びるか亡びないかという場合に、勘違いをしてただむやみに個性を発展ばかり目懸けている人はないはずです」
 個人の自由は国家があってこそ存在し、個人主義は国家に対して責任と義務があり、そうした道理を理解し実行できる人格者のみが個人主義を主張できる。
 日本のムラ社会という国柄に於いて、同じムラで生き死にを共有する者同士として、個人と国家は対立するものではなく共存するものである。
 隣人が気にくわないからと言って村を出て他の村には移れない以上、自己中心的に他人を完全無視し迷惑をかけて勝手気ままに生活する事は許されない。
 分別を持った抑制ある個人主義が、日本のムラ社会である。
 空気を読むとは、国家・社会・組織を無秩序化して崩壊させない為に、人権を半歩下げて折り合いを付ける曖昧さにある。
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 小泉八雲ラフカディオ・ハーン)「御地蔵様とは、日本の民間信仰におけるもっとも麗しく、心優しい姿の表現」
 西洋文明による近代化と共に、民間信仰のお地蔵様や道祖神は破壊され、日本の古き伝統や心が消え殺伐としていった。
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 キリスト教会が説く「イエス・キリストの再臨という奇蹟」も「天国に生き返って永遠の命を得るという恩寵」も「人はが生まれながらに為て原罪を背負っているから悔い改めよ」は、日本の死生観や宗教観や人生観には馴染まず、日本人にはどう考えても理解できなかった。
 日本人は、考えても理解できないモノは排除も排斥もせず、「御説ご尤も」として聞き流し我関せずとして遠ざけて放置した。
 つまり、否定も肯定もせず、冷たく完全に無視した。
 内村鑑三「キリストは聖書が示す如く慥(たしか)に再び来る。そしてこの外的再臨の予表たる内的再臨は我が心霊の内実の内界に於て実感する所である。神の霊われに注がれて我内部に新世界の礎石の築かるるを確実たる霊的実験として抱く、これ再臨の内的半面である」
 内村鑑三らが説く「再臨」や「奇蹟」は、ごく少数の日本人を魅了したが、大多数の日本人から嘲笑され奇人扱いされた。
 猜疑心の強い日本人には、キリスト教会が説く「隣人愛信仰」は素晴らしい事に聞こえるが、同時に御為ごかしの綺麗事と思えて仕方がなかった。
 つまり、心なき仏であると。
 キリスト教が日本で信者を増やせないのは、日本人が持っている打ち砕けない心の壁、明け切らぬ心の闇による。
 ローカルな文化・宗教・習慣で生きてきた日本人には、グローバルな文化・宗教・習慣が理解できず、ややもすると敬遠して近付かなかった。 
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 神社合祀政策
 1906年12月 勅令「神社合祀令」が発布された。
 内務省神社局と地方局は、発足したばかりの国家と地方自治体にとって、神社行事・祭祀に公費を供進する事は財政負担になる為に、財政を圧迫しない数にまで全国の神社を統廃合で整理する事にした。
 内務省神社局は、氏子区域と行政区画を一致させるとの基本方針で一町村一神社を基準とし、施設など一定基準を充たさない神社を減らした。
 地方行政の合理化という側面もあった。
 国家祭祀は皇室神道方式と定めて、土地で古来から祀られている神々の上に、『古事記』、『日本書紀』などによる皇統譜につながる神々を据えた。
 無宗教国家神道を普及させようとしていた仏教界は、日本人の神道離れにつながるとして賛成した。
 キリスト教会も、排他的絶対神信仰から、教義や戒律を持たない未開の自然崇拝を破壊できるとして賛同した。
 日本の近代化の為には、神霊の憑依やそれによって託宣を得る行為、性神信仰などが低俗なものや迷信として否定され、多くの民俗行事が禁止された。そのため、出雲神道系などの信仰が偏狭な解釈により大きく後退した。
 死ぬ定めの国つ神の神社神道は、死ぬ事のない天つ神の皇室神道に屈服させられた。
 経済界は、殖産興業の為のエネルギーとして大量の薪を必要とし、手近にある神社が保有する山林に目を付け、神域の材木を手に入れる為に神社合祀を支持した。
 神社合祀は、氏子や崇敬者の意向を無視して断行され、合祀を拒んだ神社には祭祀王・天皇の命令で強制的に合祀した。
 神の裔・天皇の命令とあっては、反対の集会も運動も出来なかった。
 生活集落と行政区画が一致しない所では、氏神神社が居住地から遠い場所に移された為に、氏子が氏神神社に参拝するに山を越え川を渡って行かねばならない地域もあった。
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 農村が崩壊する事で仕事を失ったの農民は、都市へ低賃金労働者として移り住むか、国外に移民した。
 当時の農村は、悲惨を極めていた。
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 神社合祀が著しかったのは、三重県和歌山県であった。
 三重県の6,500社の神社が7分の1以下に、和歌山県の3,700社の神社が6分の1以下に合祀された。
 民俗学者博物学者の南方熊楠らは、広大な面積の鎮守の森を失れ、日本の自然が破壊されているとして合祀反対運動を始めた。
 南方熊楠は、科学誌『ネイチャー』に世界中の科学者で歴代最高の51本の論文を掲載している。
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 ファーブルは、ダーウィンの進化論を否定し、「私は死を詮索するのではなく、生を探求している」として『昆虫記』(1823〜1907)を書いた。
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 1907年 イギリスは教育勅語の講演を依頼し、元文部大臣の菊池大麓男爵はロンドン大学で25回の連続講演会を行った。
 ハーグ第三条約で、宣戦布告後に戦争を始めるという国際法制度が確立した。
 宣戦布告とは、大国に有利で、小国には不利な制度であった。
 何時の時代でも、世界ルールを決めるのは欧米列強であり、日本などの非西洋諸国は一方的に押し付けられる世界ルールを無条件で強制的に受諾させられている。
 非西洋諸国が欧米列強に突き付けられる世界ルールは、欧米列強の利益を侵害しないものに限られていた。
 1908年 ロンドンで開催された第一回世界道徳教育会議において、日本政府代表の北条時敬は教育勅語に関連した「日本の諸学校における徳育」について講演を行った。
 世界中の教育者は、宗教性を排除した、日本の教育勅語と修身教科書を文明国の道徳教育の模範であるとして賛辞を送った。
 世界常識としての道徳教育は、教会の宗教的倫理教育であった。
 ゆえに。無神論を口にする事は、自分は道徳・良心・常識を持たない欲情のみで生きる獣のような非文明的野蛮人であると宣言している事と同じであった。
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 1908年 日本国民は、日露戦争に勝利し勝者となったと傲慢になって中国人や朝鮮人を見下し、欧米列強と肩を並べたとして私生活を白人風に改め、自分本位となって心が荒んできた。
 都市では労働争議が地方では小作人争議が頻発し、民衆の暴動と官憲による暴力的鎮圧で社会は荒廃し始めた。
 明治天皇は、日本の行く末を案じ、慢心して我見我欲に走る民衆への戒めとして、「戊申詔書」を発布し、勤勉と質素倹約を説かれ、そして国民お手本となるべく率先垂範された。
 人の品位や品格は、金銭や武力に頼る事なく心の有り様にあると。
 日本民族日本人にとって、天皇の姿は心身を正す鏡であった。
 明治天皇は、「力こそ正義」とする弱肉強食の帝国主義的風潮が日本人の心・精神を狂わす事を憂慮された。
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 清朝は、近代的欽定憲法大綱を起草するに当たって、明治憲法条文の多くを字句を変えて写した。
 第一条 大清帝国万世一系の皇帝が統治する。
 古代から王朝交替の正統理論である伝統的天命思想と放伐禅譲の革命思想が、蛮族の日本皇室思想で完全否定された。
 中国における天皇コンプレックスは、この時から始まる。
 漢族は如何に実力があっても中華皇帝になれず、中国は未来永劫にわたって満州族モンゴル族チベット族などの蛮族の皇帝の臣下である事が定められた。
 日本式立憲君主制と共に、議会制も日本を完全にまねて設置した。
 中国人革命派は、漢族を団結させ漢族だけの国家を作る為に共通の祖先を持つ必要があるとして、皇室の皇祖でる神武天皇に匹敵する存在として伝説の皇帝・黄帝を担ぎ出した。
 そして、神武天皇の即位が2675年前とされているので、漢族は日本民族よりも偉く見せる為に黄帝の即位を4713年前と定め、皇紀に対抗して黄帝紀元とした。
 日露戦争でロシアを破った日本が武士道精神、大和魂。日本精神を誇りとしている事を真似て、ありもしない民族主義を盛り上げる為に中国魂、国魂をこしらえ、民族団結のスローガンとした。
 梁啓超 『中国之武士道』
 日本留学組の中国共産主義者達は、白樺派武者小路実篤らが行っている平等・博愛精神の新しい村運動に感動して、中国に蔓延る個人エゴの腐敗堕落を是正すべく、個人の私有財産放棄して共有財産とする集団生活の広めようとした。
 中国共産党は、皆が豊かで幸せに暮らせる完全平等な社会を目指す日本式共同体社会では中国を支配できないとして、正反対に近いマルクス・レーニン主義共産主義を導入した。
 ただし、マルクス主義を表現できる中国由来に漢字が存在しない為に、日本発祥の和製漢語を無条件に全てを輸入した。
 日本への憧れとコンプレックスという相反する心情が反日感情を生み出し、克服も乗り越えも出来ない苛立ちが日本への嫌悪と憎悪を増幅させた。
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 1909年秋 夏目漱石は、50日間の満州と朝鮮を旅行して帰国し、紀行『満韓ところどころ』を出版した。
 「余は支那人朝鮮人に生まれなくて、まあ善かったと思った」
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 1910年 帝国議会は、南方熊楠らの自然保護運動に共鳴する世界的著名な博物学者や植物学者らの強い批判を受け、無計画な急激な合祀を改めて慎重に計画を進めた。
 最初の3年間で全国約20万社から4万社が取り壊され、1913年頃までには約7万社が廃棄された。
 合祀政策中止されたが、時既に遅く爪跡は大きく、地方にあった伝統的祭礼習俗が数多く消えてし、地域での伝承が途絶えた場合にはその神社の古来の祭神が不明になってしまっている場合がある。
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 日本産業界は、経済発展の為には自然を破壊するのも止むなしとしていた。
 事実。経済発展している国は、世界中で自然破壊を行っていた。
 実例は、1901年の足尾銅山鉱毒事件である。
 経済的冨を信奉する企業家は、目の前の自然を保護して、自然破壊は農業であるとして訴え、支持者を獲得する為に大金をばらまいていた。
 政治家は、政治資金と投票券を獲得する為に、農民と自然を犠牲にして企業家を支持した。
 金のない学者は、研究資金を獲得する為に、企業家に有利な学説を広めていた。
 貧しい都市労働者は働き口を確保する為に、雇用主の主張す賛同して、農地を持つ農家を攻撃した。
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 梅原真隆「いうまでもなく、日本の戦争は、それが天皇陛下の御名によって進められるのであるから正しい。すなわち聖なる戦である。これはわれら国民の信念であり、実に日本の基本的性格である。ここに日本の戦争観の根底がある。そしてそれは大乗仏教の精神と一致するものである」(昭和14年7月「興亜精神と仏教」)
 普賢大円「わが国の天皇は現人神として天つ神の御意のまにまに治め給う国であるという信念は必然的に天皇に対する絶対随順の心を湧き出さしめ、国体に対する絶対信頼の情を起こさしめる」(昭和16年「神ながらの道と浄土真宗」)
 ゴンチャロフ「彼等(日本人)は?刺とした眼差し、大胆な表情、旺盛な好奇心など欧州人が意識的に持っているものを何ももっていない」(『日本渡航記』)
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 国家神道とは、明治政府がキリスト教に対抗する為に、仏教界と儒学・漢学専門家の意見を聞いて創作した国家宗教である。
 国家神道は、広義には神道的な実践を国民統合の支柱とするものであるが、狭義には宗教とされた教派神道に対して、内務省神社局によって統制されたものをいう。
 国家神道の定義によっては、内務省が神社を管掌する以前の神祇官教部省による神社行政も含まれる。
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 国家神道が、宗教なのか非宗教であるかは意見が分かれている。
 非宗教説は、個人の信仰による敬神ではなく、国民の義務として神社・軍隊・学校・官公庁などにおける敬神は宗教ではなくむしろ国民の精神的支柱とするもので、道徳の範疇にあるのと主張している。
 その代表的神道関連施設が、靖国神社とされた。
 靖国神社は、御霊崇拝を基盤としながら信仰の対象ではなく、戦死者を「英霊」として祀って鎮魂・慰霊が主目的であっり、国民統合の精神的中核であった。
 国家神道には、文明的宗教を証明する教祖、教義・経典・戒律、布教活動がない。
 宗教説は、教祖は祭祀王・天皇であり、「天皇現人神思想」と「万世一系思想」が教義であり、海外に神社を建てる事が布教活動であると。
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 日本の怨霊信仰とは、日本人の人生観である「禍を転じて福となす」を実践したものである。
 日本人の霊魂観では、不幸にも死にたくなかったのに死なねばならなった人間の魂が、運良く生き残った者を恨んで怨霊=悪霊となって祟り、災害を起こし、不幸をもたらす事を恐れていた。
 戦争で戦死した者、天災で死んだ被害者、不慮の事故で死んだ犠牲者は、怨霊=悪霊になる危険性が最も高かいと恐れた。
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 靖国神社とは、怨霊信仰の一種である。
 怨霊信仰が分からなければ、靖国神社は理解できない。
 世界は、日本が如何に説明したところで靖国神社を理解できない。 
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 日本には、世にも不思議な「水子信仰」が存在する。
 世界の普遍宗教からすれば、生まれ出ずに死んだ胎児を水子として崇拝する事は狂信的信仰である。
 水子信仰は、「命の絆」「魂のつながり」による祖先神・氏神の人神信仰の一種である。
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 1911年 夏目漱石は、和歌山で「現代日本の開化」という題の講演を行った。
 文明の開化は、できるだけ楽をする為に道具や機械を発明する活力節約と楽しみや快楽といった欲望を叶える為の活力消耗の、両行動で発現すると説いた。
 日本における文明開化は、日本人の穏やかな性質を蝕んでいった。
 その原因は、日本が望んで内発的に文明開化をしたのではなく、ペリー来航によって外圧的に軍事力で恫喝・脅迫・威嚇を以て強引に押し付けられたからである。
 2000年近く、独自の多種多様な価値観や曖昧な道徳で馴れ合いの穏やかな生活していただけに、西洋の単一価値観と不寛容な道徳への強制的受容は日本人に精神的ストレスを加えた。
 西洋という恐怖の巨人を目の当たりにした日本人は、底知れぬ恐怖心に震え上がり、西洋に呑み込まれて植民地にされ奴隷にされるという強迫観念から逃れる為に、無我夢中で国力を付け、狂った様に軍事力の増強に暴走した。
 日本の軍国主義は、植民地を拡大してきた西洋の帝国主義に対する過剰反応として発動していた。
 いつ侵略されて亡ぼされるか分からないという恐怖心が、西洋に擦り寄り反日的活動を続ける中国と朝鮮に対して過剰的な自己防衛行動を取らせ、両国を占領して安心したいという無限衝動から大陸への侵略を発動させた。
 日本の不幸は、西洋の文明開化を恐怖心で受け入れた事に尽きる。
 そして、西洋の侵略を共に戦ってくれる同盟国が周辺に存在しなかった事である。
 日本は、古代から孤独な国であった。
 2月 小田貫一衆議院議員は、帝国議会で「国家神道というものは明かに分つている」「神社局に於ては国家神道なるものを扱ひ、宗教局に於ては耶蘇、仏法及神道の各派に属する所の、即ち宗教神道を支配する」と発言した。
 2月11日(紀元節) 平田内相は、幸紱秋水ら社会主義者無政府主義者らによる大逆事件が起きたのは、日露戦後の不況と重税で貧富の格差が広がり、貧民階層で不平不満が充満してきたからであると憂慮し、貧病者救済の社会政策が必要でるとして済生会設立案を発案した。
 明治天皇は、「施薬救済以(もつ)て済生の道を弘(ひろ)めむとす」という勅語を発し、恩賜財団済生会設立資金として恩賜金150万円を下賜した。
 財界は、明治天皇の御稜威・大御心に従って寄附金を拠出した。
 官吏は、強制的に俸給の一部を徴収された。
 政府は、寄附された浄財を利用し、貧病者の施薬院を全国の主要都市に作った。
 マルクス主義者とくに共産主義者は、国史と言われる『日本書紀』を根拠とした紀元節は、歴史的事実でない、科学的ではない、として否定している。
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 1912年 加藤玄智は、東京帝国大学で宗教学として『我が国体の本義』を講じ、「現人神とも申し上げてをるのでありまして、神より一段低い神の子ではなくして、神それ自身である」と述べた。
 1月 白瀬矗(のぶ)陸軍中尉は、南極大陸に上陸し、同月28日に辿り着いた地点に日章旗を掲げて「大和雪原」と名付けた。
 南極地名委員会は、1961年に、大和雪原のあるロス棚氷東海岸白瀬海岸と名付け、白瀬中尉の功績を称えた。
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 1913年 上杉慎吉憲法学者東京帝国大学教授)は、国家学会雑誌で「皇道概説」を発表した。「概念上神とすべきは唯一天皇」は、昭和初期には陸軍の正統憲法学説となった。
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 1914年 夏目漱石は、学習院大学で「私の個人主義」という講演を行った。
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 1915年 二宮忠八は、私財を投じて京都府八幡市に「飛行神社」を創建し、自ら神主となり、飛行機事故の犠牲者の御魂を祀り慰霊した。
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 1916年 フランスの詩人で神学者ポール・リシャール
「独り自由を失はざりし亜細亜の唯一の民
 貴国こそ亜細亜に自由を与ふべきものなれ
 曾て他国に隷属せざりし世界の唯一の民よ
 一切の世界の隷属の民のために起つは貴国の任なり」
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 1919年 朝鮮に、官幣大社朝鮮神宮が創建され、祭神は天照大神明治天皇とされた。この他に、官国幣社9社 を含み約60社が造られた。
 靖国神社の三代目宮司でもあり国学者賀茂真淵の末裔でもある賀茂百樹は、多神教神道から、朝鮮民族の祖神である「檀君」も祀るべきであると主張した。
 4月 裕仁皇太子は、満18歳となる。
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 日本は、中国や朝鮮とは違って、近代化の為に独力で悪戦苦闘を繰り返していた。
 中国や朝鮮は、自力で汗水垂らし苦労を重ねて努力しようとはせず、他人をあてにして楽をして豊かになろうとしていた。
 キリスト教価値観の白人は、号泣しならがら足下に平伏して救済を願う中国人や朝鮮人を哀れんで保護したが、痩せ我慢して他人の助けを当てにせず自力救済に徹しようとする日本人を嫌った。
 キリスト教に改宗する中国人や朝鮮人は多いが、日本人でキリスト教に改宗する者は少ない。



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