⛩90)91)92)─1─キリスト教の宗教侵略に対抗する為の第二回目の宗教改革。~No.197No.198No.199No.200No.201No.202 @

古事記の「こころ」―伊勢神道の視点から

古事記の「こころ」―伊勢神道の視点から

  • 作者:小野 善一郎
  • 出版社/メーカー: ペりかん社
  • 発売日: 2008/10
  • メディア: 単行本
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・{東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 キリスト教会は、日本を宗教占領しようと企んでいた。
 日本民族日本人は、日本を守る為に皇室神道を強化し国家神道を作った。
 それは、宗教戦争であった。
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 頭山満「一人でいて淋しくない人間になれ」
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 世界の常識として、「政教分離」とは表向きに過ぎず、如何なる政府でもその正統性はその国の神によって承認されている。
 宗教儀式を経ない国家元首は、存在しない。
 神の承認を否定するのは、共産主義国家のみである。
 政治と宗教を完全に分離するのは、反宗教無神論の国際的マルクス主義者である。
 ゆえに、国際的マルクス主義者は、科学的人工の一党独裁体制革命を唱え、日本を完全破壊するべく天皇制度と民族主義を攻撃した。
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 心理学者ユング「人生は山登りに似ている。登った限りは降りなければいけない」
 「登ったという事は、登って降りたという事」
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 アメリカは、多宗教国家という前提で大統領が就任式を行う際、カトリック教会、プロテスタントユダヤ教の各宗教代表者の前で聖書に手を置いて宣誓を行う。
 人工的移民国家アメリカは、表面的には政教分離を原則としているが、其の実はプロテスタントキリスト教真理による絶対神の正義を統治原理とした「神の国」である。
 移住者達は、異教徒インディアンの襲撃から生命財産及び家族の安全を守る為に、キリスト教の信仰を唯一の契約として団結し共同体を維持した。
 アメリカが、キリスト教原理主義に陥りやすいのは宿命である。
 国内の宗教的フロンティアを失ったプロテスタントアメリカ伝道界は、地球全体の絶対神の御教えである「福音」を広げる為に宣教師を行った。
 アメリカが、キリスト教の宗教的信念を支えとして、世界に福音を広めて正しい道に善導するという崇高なるる神聖な使命で行動していた。
 キリスト教原理主義の排他的宣教師は、普遍的価値観から未開の非文明的民族宗教を否定し、絶対神の正義から異教の神を悪魔的邪神として滅ぼして、唯一絶対神の「隣人愛信仰」を布教して廻った。
 アメリカの絶対神による正義を世界に広めたいという宗教的衝動は、精神的殲滅戦としてハワイなどの太平洋諸島からフィリピン、中国そして日本を目指した。
 アメリカの海外進出は、表向き政教分離の原則と自由と民主主義を掲げながら、其の実は絶対神の正義による「宗教戦争」であった。
 アメリカ人の行動が、プロテスタント的宗教信念で突き動かされているだけに、カトリック的ヨーロッパとは違って清濁併せの呑むような鷹揚さはなく、汚れを知らない処女のような純粋的であるがゆえに思い込みが強く曖昧な妥協を嫌った。
 アメリカの宗教的情熱を、唯一拒絶したのが祭祀王・天皇を中心とした国體を放棄しなかった弱小島国国家日本であった。
 中国と朝鮮は、柔軟にアメリカの宗教的心情を受け入れた。
 日本のみが、排他的に伝統的精神論を押し通して、アメリカの「隣人愛信仰」を広めるという宗教的夢を拒否した。
 狂信的宣教者は、日本を普遍的な「神の国」に改造する為に再上陸して来た。
 日本とアメリカの戦争は、軍国主義対自由と民主主義の戦争ではなく、2000年受け継がれてきた祖先神・氏神の人神信仰と唯一絶対神の隣人愛信仰による宗教戦争であった。 
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 フランス共和国は、厳格な政教分離を建前としているが、休日・祝日の制定などでキリスト教的価値観を暗黙の裡に前提としており、ムスリムからの反発を招いている。
 政教分離とは、便宜的なものに過ぎず、憲法の条文として宣言していても、額面通り完全に分離を行っている国家は存在しない。
 人の軟弱な心情を理解できない非人間的人間、例えばフランス革命時のロベスピエールのような血を好む冷血漢だけが妥協なき政教分離を主張する。
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 フランス人は、如何なる宗教権威に対しても嫌悪感が強く、キリスト教でも、イスラム教も、ユダヤ教も、宗教権威を踏みにじる様に容赦なく風刺して貶める。
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 明治政府は、天皇を最終決定権者とする中央主権体制を構築する為に、天孫降臨神話の天つ神神道を中心とした国家形態を採用した。
 明治天皇は、近代的天皇制度になっても、神代から受け継いだ民族的心として「五箇条の御誓文」を精神とする事を訴えた。
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 仏教界は、国際感覚のある政治家や軍人や高級官僚そして在野の上級武士階級を総動員し、1906年に「神社合祀令」を発令させた。
 小作人出身の伊藤博文(東荷神社)や足軽出身の山県有朋ら下級武士出身の政府高官や上級将校らは、仏教界に協力した。
 庶民の困惑を無視して、国家権力で全国にあった由緒ある神社約20万社の内10万社以上を潰した。そして、神社の神域である自然を破壊した。
 2600年以上守って来た民族の神々が息づく神域を国家財産として接収し、永年入山禁止としてきた山野を破壊し、神が宿るとされた御神木を伐採し、神が降臨する巨石・巨岩を砕き、「神殺し」を断行した。
 神聖とされた農耕地は、都市の投資家の単なる金儲けの道具にされ、貧しくとも何とか生活できていた農村は借金苦で荒廃した。
 明治になるや、貧困化した農民の一部が、重税に苦しめられる日本に絶望して、自由を求めて人種差別の激しいアメリカに移住した。
 移住する勇気のなかった農民は、抵当は言っている田畑を都市の投資家にとられ、幼い娘や妻を都市の遊郭に遊女として売り、高利貸しから借りた借金の返済にあてた。
 都市の男達は、金を払って農村から売られてきた生娘を好んで買った。
 都市の慈善家は、農村の救済を声高に訴えるが、自分の手を汚す様な現実的行動は取らなかった。
 農村優位にあった日本は、国際化に伴って欧米社会同様に都市優位となった。
 日本の近代化は、都市型資本主義による「神殺し」で推進された。
 軍部は、農村部の都市部への不満を利用して政治力をつけ、農村型ファシズム体制の確立へと暴走した。
 国際社会から非難を受ける日本の農村型軍国主義は、閉鎖的農村部を地盤として成立した。
 その被害を蒙ったのが、開放的都市部であった。
 反天皇反軍部反日派日本人は、マルクス主義を受け入れて、都市部を中心に勢力を拡大し、都市労働者を味方に引き入れて天皇制度破壊の暴力的プロレタリア革命を目差した。
 日本人マルクス主義者は、反日朝鮮人テロリストやソ連共産主義勢力と協力して天皇暗殺計画を練り、日本人の目の前で実行した。
 現代(人口約1億2,000万人)では、約8万1,000社の神社に激減し、名も無き小さな社は敬虔な氏子(神の血を引く子孫)を失い、無宗教反神論の日本人リベラリストから忘れられて朽ち果てようとしている。
 政治力を強めた仏教界は、近代国家の条件とされた「政教分離」の原則を大義として、民族中心主義的神社神道の政治力を無力化し、天皇親政を全面に出して責任を宮中に負わせ、無宗教で単にお辞儀をするだけの「国家神道」を新設して巧みにその陰に隠れた。
 国家神道とは、布教を行わない宗教性の薄い頭を下げるだけの「儀式行為」であって、他国を宗教侵略し、日本人以外の外国人を改宗させて信仰を強要する宗教ではない。
 国家神道は、政教分離の原則に従って非宗教的祭祀とされ、礼儀としての礼拝を強要するものであって、改宗させ信仰を強制するものではなかった。
 日本は、宗教の持つ排他的不寛容の弊害を知っていただけに、古代から平時に於いて宗教が政治に関与する事を嫌い、神仏を敬いながら俗世の政治から遠ざけた。
 天皇中心の日本史に於いて、大陸史・世界史・人類史の様に、宗教が政治や軍事に干渉し、庶民生活を厳格な戒律で支配した事実は多くない。
 日本の宗教世界は、神道、仏教、道教、土着信仰、迷信などと多種多様な価値観で騒々しいほどに多岐にわたっていて、唯一の絶対価値観で画一化されてはいなかった。
 神道には、宮司や神主や巫女はいるが開祖や教祖はいないし、神話はあるが聖典や経典や聖書による教義や教理はないし、忌み嫌われる伝承やしきたりや定めはあるが戒律や律法の類いはない。そして、布教活動もない。
 つまり。神道は、近代宗教としての要素はなく、古代宗教そのままの姿を残している。
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 保守の福沢諭吉や革新の中江兆民らは、盲目的西洋礼賛主義者が推し進める日本文化を否定する様な急速な近代化に危機感を抱いた。
 西欧列強の侵略から日本を守る為には産業と軍事に力を注ぐべくであるが、さりながら、日本民族の魂や道徳、日本風の生活や習慣、日本人の政治や経済を、捨て去る様な近代化は「百害あって一利なし」として警鐘を鳴らした。
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 喫緊の脅威であるロシア帝国への関心から、ロシア文学が大ブームとなって、トルストイドストエフスキーチェーホフなどの作品が読まれた。
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 1900年 中国に利権を持つ日本を含む六ヶ国は、自分勝手とは知りながらもアメリカの三原則を受け入れた。
 6月 義和団事件
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 神道は、国家の宗祀であって宗教ではないというのが政府当局の見解であった。
 内務省社寺局から神社局と宗教局に分離され、宗教局は文部省に移管され、神道とその他諸宗教は明確に区分された。
神道とは、人で在る為の道である人道と呼応する言葉であり、神で在る為の道(惟神〔かんながら〕の道)である。
 道とは、道理や倫理等、物事や人などの在るべき在り方を意味している。
 一神教絶対神崇拝を中心とした宗教観とは、趣を異にする。
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 1902年 孫文は、親日派革命家として、辛亥革命を行うに当たって西洋列強ではなく日本を真似るために、日本に渡って日本の右翼勢力の協力を仰いだ。
 日本の右翼は、政府の勧告を無視して孫文を全面支援し、革命暴動に参加するために日本人志士を送り込んだ。 
 孫文は、中国に妻が居るにも関わらず、日本人女性・大月薫と重婚して娘をもうけ、さらには浅田春を愛人として旅行先に同伴していた。
 魯迅「ある種の勝利者は、敵が虎や鷹であってはじめて勝利の喜びを感じるので、敵が羊や鶏の雛だと逆に勝利の虚しさを感じるそうだ。また、ある種の勝利者は、征服の完成によって、死ぬ者は死に、降伏する者は降伏して、皆『恐れ多くも御上に言上』式の臣下となり、もはや敵も競争者も共となり、独り、ぽつんと、寂しく、自分だけ上位に取り残されると勝利の悲哀を感じるそうだ。
 しかし、我が阿Qはそんな弱虫ではない。彼は何時だって意気軒昂である。これまた、中国の精神文明が世界に冠たる一証かもしれない」(『阿Q正伝』)
 「中国の庶民は奴隷根性の持ち主で、上に媚びる事しか考えない愚民ばかり」
 孫文「人民は馬鹿だから、政治は俺達に任せておけ」
 アメリカ軍は、フィリピン革命政府軍約12万人を攻撃し、フィリピン人20万人以上を虐殺した。
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 ハワイ共和国は、アメリカへの併合を発表した。
 日本は、強く抗議した。
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 1903年11月 オーストラリア・ビクトリア州沖合におけるタンカー・ペトリアナ号(乗員63名)座礁事件。
 オーストラリア政府は、救助船を派遣して、船長以下白人36名を救助したが、中国人や マレー人水夫27名を船内に放置した。
 ビクトリア州政府も住民も、人間以下の有色人種を助ける事を拒否した。
 白豪主義に基ずく連邦移民法は、如何なる理由においても有色人種の入国を禁止していた。
 座礁から5日目。日本の貨物船が、漂流していたペトリアナ号に取り残されていた中国人やマレー人全員を救助して、香港に届けた。
 オーストリアは、日本によって面目を潰された逆恨みから、反日派として日本に不利になる行動を取り始めた。
 オーストリア反日的行動は、今も昔も変わる事がなく、表向き日本と友好関係に見えても本質は変わりがなく反日的である。
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 1904年 アメリカとドイツ帝国は、サモア王国の内戦に干渉し、独立国家としての主権を否定して軍事占領し、分割して領土とした。
 欧米列強は、太平洋の島嶼を植民地化し、島民を奴隷とした。
 キリスト教は、絶対神の聖なる使命として、土着の宗教・文化・言語・風習を消滅させ、島民にキリスト教への改宗を強要した。
 島ごとにあった、孤立した民族性は消滅した。
 アメリカは、中国市場に参入する為に、太平洋の島嶼を領土もしくは保護領としながら西進していた。
 アメリカの人種差別主義者は、日本人をインディアンや黒人と同類と見なしていた。
 時代は、道理も道義もない、弱者に生きる権利を認めない帝国主義時代であった。
 東郷平八郎など一部の海軍軍人は、アメリカの西進に危機感を抱き始めていた。
 小国日本は、植民地を拡大する為に押し寄せてくる欧米列強に対して、負ける事が許されない過酷な状況下で、援軍を送ってくれない友好国もなく孤独に戦っていた。
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 アメリカ大陸に移住した白人は、生きるすべを先住民インディアンから教わり、土地を分けて貰って開拓を始めた。
 アメリカ人は、インディアンの恩に対して仇で報いた。
 オランダ、イギリス、アメリカは、労働力不足を補うべく大量のアフリカ人を奴隷として新天地に運び込んだ。
 黒人は、神に愛された真の人間ではなく、神に愛された白人の為に奴隷として造られた家畜である。
 ブレンデン「普遍的な人間性などというものは存在しない。白人と赤色人種、黄色人種、黒人は北極の熊とアフリカの虎が違っているのと同じで、基本的な共通項は持たない。黒人は白人と同一の創造物ではない。彼らの構造が彼らを奴隷に運命付け、彼らの進歩を不可能にしている」
 独立宣言、「我々は以下の諸事実を自明なものと見なす。全ての人間は平等に造られている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含むある侵すべからずる権利を与えられている。これらの権利を確実なものとする為に、人は政府という機関を持つ」
 アメリカは、ダブルスタンダードとして、宗主国イギリスに対して「自由と平等」の原則は宣言したが、貧しい下層階級の白人と黒人やインディアンには認めなかった。
 南北戦争で黒人は解放されたと言われながら、依然として奴隷的な境遇はからず、暴行や強姦やリンチ殺人は絶えていなかった。
 チェロキー族、ナバホ族、プエブロ族、スー族、シャイアン族、マンダン族など多くの先住民インディアンが、祖先からの土地から追放され辺境の砂漠地帯や不毛な丘陵地へ追放された。
 ロスアラモスは、プエブロ族の居留地であった。
 フォーコーナーズは、ナバホ族居留地であった。
 ユッカマウンテンは、ショショニー族の聖地であった。
 誇り高い草原の戦士であるインディアンは、黒人のように柔順に奴隷として使役できい所か、武器を持って反撃してくる為に恐怖した。
 白人に二度と刃向かえないようにする為に、文明社会から追放し、土着の宗教、文化、言語、風習を破壊する事とした。
 精神改革に利用されたのが、キリスト教であった。
 南北アメリカ大陸は、西洋キリスト教文明で統一された。
 インディアンの正しい戦争、正義の戦いは、文明に対する犯罪として否定された。
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 現代日本反戦平和市民団体は、非暴力無抵抗主義から「正しい戦争」「正義の戦争」を完全否定するが、歴史上存在する。
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 日本軍は、ロシア帝国との絶望的戦争を始めるに当たって、各軍司令官に軍略の天才ではなく総合的に判断して行動が取れる平均的に優秀な軍人の中から、特に運の強い常識人を選んだ。
 日本の組織は、天才をトップに付ける事を嫌い、単なる手駒として使った。
 日本のトップには、他を寄せ付けないほどの才能溢れた有能者ではなく、指導力がなく頼りなさそうな好々爺的人格者或いは愚直的な律儀者がなる事が多かった。
 日本で最も大事とされた素質は、運の強さであった。
 甚大なる被害が起きやすい自然災害多発地帯の島国で生き残れるのは、強運だけであった。
 日本の脅威は、人間ではなく自然であった。
 ゆえに、日本の指導者の必修条件は「運」であり、「知」を指導者の絶対条件とする世界とは本質から異なる。
 だが。そうした「運」を理想とする指導者像は明治時代までで、戦後は西洋的な「知」を理想とする指導者がトップになった。
 そして。1980年以降、日本は「運」をなくして駄目になった。
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 2月(〜05年9月)日露戦争
 ロシア帝国は、ウラジオストックからサハリン・オホーツク海カムチャツカ半島から軍事的威圧を加え、隙あらば千島列島や北海道を領土化しようとしていた。
 日本軍部は、ロシア軍の極東・シベリアへの補給路であるシベリア鉄道を抑える為に、満州から北上しようとした。
 満州とは、日本の国防の生命線であった。
 満州を抑えてシベリア鉄道に軍事的脅威を与える事は、極東・シベリアへの軍事力強化を阻止する事が可能であった。
 大国・強者は、戦争の時期を自由に選択でた。
 小国・弱者には、選択の自由はなく、やるべきにやらねば勝機は無かった。
 小国は、国家としての自主独立や個の名誉・体面・誇りを守る為に、必勝を賭けて戦わざるを得なかった。
 小国・弱者の戦略は、大国・強国に対して奇襲或いは不意打ちから始めるのが基本である。
 歴史に於いて、正義の戦い或いは正しい戦争は存在する。
 日本は、ロシア帝国の侵略から祖国を守る為に、国家と国民が一致団結して戦った。
 白人至上主義で世界常識を持っ者は、大国ロシア帝国に戦いを仕掛ける非白人の日本人を好戦的な狂人・野蛮なサルと見ていた。
 清国は、日本軍が敗れれば、日清戦争の復讐戦としてロシア軍に味方して日本を攻撃し、旧領台湾や日本領沖縄を手に入れようとしていた。
 朝鮮は、日本を半島から追い出す為に、密かにロシア軍に日本軍の情報を伝え、ロシア軍を国内に引き入れようとしていた。運良くば、日本領対馬を奪おうと目論んでいた。
 ロシア帝国は、満州と朝鮮、そして日本の一部を領土としようとしていた。
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 広瀬武夫は、軍神として靖国神社に、祭神として大分県竹田市の広瀬神社に、祀られた。
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 玄界灘沖ノ島にある宗像神社の奥宮(沖津宮、おきつぐう)は、普段は上陸が禁止されているが5月27日だけは日本海海戦の勝利を記念して一般人参拝者の上陸が許されている。
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 日露戦争は、誰が何と言おうとも、祖国防衛の自衛戦争であった。
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 アメリカは、和やかに日本に友好的な態度を見せていたが、日本が戦争に負ければ、沖縄や小笠諸島などの太平洋上の島嶼を全て奪おうと手ぐすね引いていた。
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 ロシア帝国が日本に領土を拡大する為に南下して来たのは、江戸後期からであった。
 明治維新は、ロシア帝国の侵略から日本を守る為に、「武力防衛」か「外交防衛」かの二者択一の選択の為に行われた。
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 タイ王国は、戦っても勝てないと諦めたがゆえに、武力防衛を諦め外交防衛を採用して、領土と領民の一部をフランスやイギリスに割譲して自主独立を守った。
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 日本も、タイ同様に戦争を避けて話し合いによる外交防衛を行うのであれば、北海道と北方領土ロシア帝国に、沖縄をイギリスか中国に、対馬を朝鮮に、小笠原諸島アメリカに譲渡する覚悟が必要であった。
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 日露戦争を日本の大陸侵略と非難する者は、こうした事実を充分理解した上で主張している確信犯である。
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 日本がもし負けていれば、日本の国土は欧米列強や中国・朝鮮によって解体され、日本が地図上から消滅したかも知れない。
 日本が勝った事によって、日本は植民地化が免れた。
 そして、欧米列強によるアジア・アフリカ地域での植民地獲得競争も終わった。
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 日本は、中国や朝鮮とは違って、一国一人でも「尊厳」を守る為に、大国相手に戦争を行う覚悟があった。
 日本が軍国主義化したのは、周辺諸国はおろか地球の反対側の欧米列強の侵略から祖国と民族を守る為に、それ以外に手段が無かったからである。
 やむを得ない事であった。
 だが。
 現代に於いて、日本が軍国主義化した事は犯罪とされている。
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 「眠れる獅子」と恐れられた清国は、イギリスに敗れ、フランスに敗れ、日本に敗れ、8ヵ国連合軍に敗れ、外国軍の略奪と虐殺を放置した為に衰退して滅亡した。
 礼儀の紳士の国と自画自賛していた非武装に近い朝鮮は、如何なる犠牲を払っても戦って国を守ろうとする決意がなかった為に、国際社会で一人前の国とは認められずに捨てられた。
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 1905年 夏目漱石「御ねえ様も招魂社がすき? わたしも大すき。一所に招魂社へ御嫁に行きましょう」(『吾輩は猫である』)
 田山花袋「招魂社へ行くんだからお銭(あし)を呉れ!」(『東京の三十年』)
 明治二年に建てられた東京招魂社は、明治十二年に靖国神社と改称された。
 明治・大正の日本近代文学では、ごく自然に招魂社・靖国神社が親しみを込めて描かれている。
 招魂社・靖国神社を憎悪持って否定すると、上流階層の教養人による私小説や下層階層の庶民による滑稽小説も、9割以上の日本近代文学が否定される。
 つまり、近代化を目指した文明開化の否定である。
 靖国神社を否定する日本人は、夏目漱石森鴎外などの近代文学に関心も興味もなく、それ以上に日本国を嫌悪し、日本民族の祖先を抹殺したいが為に、靖国神社廃絶を公言して憚らない。
 そうした反日的日本人にとって、日本あるいは日本的なものが嫌いなのである。
 日本完全否定の潮流が生まれたのは、原理主義キリスト教と反宗教無神論マルクス主義が日本に伝播してからである。
 両者は、明らかに、伝統的な日本の国體・国柄・国の有り様を破壊し葬り去ろうという強い意志を持っていた。
 ラフカディオ・ハーン小泉八雲)「日本の真の力は、その庶民の道義性のうちに存する。即ちそれはあるいは農夫であり、漁夫であり、職人であり、労働者であって、あるいは田畠に、町の片隅に、黙々として働いているのが、日本民族のみずから意識せざる英傑の気性は、じつにこれら庶民のすばらしい勇気に存するのである。彼らは生死に無関心であるのではないが、しかも死者にさえ位を賜り、位階をのぼせたまう天皇陛下の御みことのりのまにまに、献身せんことを冀(こいねが)うのである。今や日露戦争のために召出されたる幾千の若者の誰よりも、戦勝の栄誉をおびて家に帰りたいという願いを聞くことはない。彼らに共通の願いは、唯一つ、招魂社にまつられて、天皇陛下及び祖国のために生命を捧げた人々のすべてと一所になるといふことである。日本を敵とする国の恐れなければならないのは、その精鋭の武器よりも、この古来の忠誠心である」
 靖国神社宮司筑波藤麿「日本の青年達は栄光に満ちて、家に帰ってくる事を希望しておらぬ。彼らの願いは、天皇陛下の御為に命を捨てた者の祀られる処、つまり靖国神社に祀られるという事、これを共通の願いとして抱いているのである。ここに日本の力の根本がある。これがハッキリした時に、初めて日本は本来の姿に立ち戻るのであろう」
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 孫文ら革命派は、清国を打倒する為に、日本人右翼の支援を受けて東京で中国革命同盟会を結成した。
 機関誌である『民報』も、日本人右翼の協力を得て神田小川町で発行された。
 中国の近代化は、日本人右翼の助けを受けて軍国日本・東京から始まった。
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 1905年 アインシュタインは、相対性理論を発表した。
 物理学界は、科学革命を起こす相対性理論を認めなかった。
 ノーベル賞選考委員会は、世界観の転換(パラダイム・シフト)を受け入れる事に戸惑い、アインシュタインノーベル物理学賞を授ける事を見送った。
 アインシュタインは、不完全な理論であるとして不満が残る量子論で、1921年にノーベル物理学賞を受賞した。
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 1906年 イギリスは、清国との間で、紛争の原因となっていたアヘン問題を解決する為に、ケシ栽培を中止し、今後はアヘンを持ち込まないと合意した。表面的にはアヘン貿易は停止されたが、裏ではアヘンの密輸は続いていた。イギリス商人に代わって中国人秘密結社が、イギリス商人からアヘンを購入して密売していたのである。
 フランスも、植民地仏印から雲南地方を勢力圏としてケシ栽培を行い、中国人秘密結社を利用して暴利が得られるアヘン密売に参入した。
 その利益の多くは、上海にあるユダヤ系国際金融資本の銀行に入金れた。
 白人キリスト教徒にとって、人間以下である中国人などの有色人種がアヘン中毒で廃人となり、幾十万の異教徒が薄汚れて野垂れ死にしても罪の意識を持つ事はなかった。
 白人キリスト教徒は、絶対神の戒律を厳粛に守る敬虔な信者として、強奪するように得た利益から多額の金を信仰の証しとして教会に寄進した。
 各地のキリスト教会は、その金を使って厳かにして絢爛豪華な大聖堂を競争して立て、祈りに訪れる全の信者に栄光に包まれた神の王国の権威を示した。
 アジア各地の民族宗教や土着信仰の多くが、普遍宗教の布教によって消滅した。
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 政府は、神社勢力の政治への関与を押さえる事を目的として、国学者は、皇室周囲から遠ざけられ、政府中枢から排除され、神話と古典文学を研究する教育機関に押し込められた。
 幕末期。国学者は、急進的な復古主義から尊皇攘夷の中心的として倒幕に活躍したが、近代化にはついて行けずに衰退した。一時は、右翼の思想的指導者として活動したが、それも仏教系右翼とくに法華衆によって追い出された。
 教育機関の国際化によって、文学としての国学もいつしか魅力をなくした。
 国家権力は、庶民の困惑を無視して、1914年までに全国にあった由緒ある神社約20万社の内10万社以上が潰した。そして、神社の神域である自然を破壊した。
 三重県では県内全神社のおよそ9割が廃止されたが、京都府は皇室や公家縁の神社が多かった為に1割程度ですんだ。
 2600年以上守って来た民族の神々が息づく神域を国家財産として接収し、永年入山禁止としてきた山野を破壊し、神が宿るとされた御神木を伐採し、神が降臨する巨石・巨岩を砕き、「神殺し」を断行した。
また、国家神道の教義の中心を「天皇現人神思想」や「万世一系思想」とする意見もある。
 江戸時代、会津藩岡山藩水戸藩長州藩、津和野藩では、批判論が出るなどの議論が続く中で、小祠や淫祠の廃止・統合がおこなわれていた。
 このうち、水戸藩の神社合祀政策を特に「八幡改め」と称した。これは旧支配者佐竹氏が尊崇した八幡神社を破壊し、みずから崇拝する鹿島神宮に置き換える運動である。
明治になると、神祇官は神社の調査が済むまで神社の整理をおこなわない方針をとった。
 1876年以降 教部省は、この方針を変更して無格社や仏堂の整理を開始した。





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