✨32)─2─マッカーサーの日本キリスト教国家改造計画と主要神社の破棄計画。1945年10月24日~No.127N.128No.129 @ 

カトリック教会の教え

カトリック教会の教え

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 アメリカ・キリスト教会の靖国神社伊勢神宮明治神宮など主要神社の破棄計画。
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 マーク・ゲイツ「日本人は、女を武器に連合軍の占領統治に抵抗しようとした」(『ニッポン日記』)
 日本に進駐した連合国軍は、戦場の常識として、無条件降伏した日本政府に対して兵士の為に日本の女性を要求した。
 主権を失っていた日本政府は、各地に公営慰安所を設置し、商売女性や戦争未亡人や戦争孤児ら掻き集めて進駐軍の相手を強要した。
 白人兵士の大半が宗教的人種差別主義者であり、日本人を人間以下の家畜と見下し、日本人を好き勝手にできる奴隷として扱った。
 中には、変態まがいの性行為を強要されて、精神に異常をきたして自殺した若い日本人女性もいた。
 無条件降伏とは、そういう意味である。
 連合国軍兵士は、商売女に飽きて、素人女性を求めて暗い道を歩き回り、中には一般家庭に押し込んで強姦して抵抗すれば殺害した。
 GHQは、事件が問題化しない為に報道規制言論統制をおこない、犯罪を行った兵士は祖国に帰還させた。
 占領期間中に、連合国兵士がらみで殺害された日本人は2,536人とされ、表面化しなかった事件を入れると数万件になるといわれている。 
 進駐軍兵士の犯罪は、闇から闇に葬られた。
 軍事占領されていた日本は、無条件降伏した以上は抗言できず、占領軍の命令には唯々諾々と従うだけであった。
 左翼・左派のマルクス主義者やキリスト教会は、占領軍の威を借りて、日本を自由と民主主義で大改造しようとした。だが、彼等の日本大改造計画は失敗した。
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 マッカーサーは、日本政府に対して、日本精神・武士道・民族主義軍国主義の温床であるとして、焚書図書約7,000点の廃棄を命じ、言論の自由を奪った。
 GHQのユダヤマルクス主義者は、日本人愚民化を日本占領政策の核とし、天皇制度の破壊を最終目的として民主化教育を広めた。
 アメリカは、日本が二度とアメリカに楯突き逆らわないように、日本人の自立心を奪い、日本文明・日本文化を矮小化する為の大改革を断行した。
 最初。焚書の没収、廃棄業務を内務省や警察が行っていたが、皇国史観を受けていた官僚や警察が行っていた為に、サボタージュ的に個人所有として隠蔽していた。
 昭和23年3月からは、文部省の革新官僚(隠れマルクス主義者)が自主規制として行った。
 日本の教育現場に日本人マルクス主義者が教師として入り込み、日本文明。日本文化破壊と祭祀王・天皇を否定する民主化教育を行った。
 日本的な書籍が禁止されたが、伝統的日本文化批判や祭祀王・天皇制度廃止論などの日本否定の左翼系雑誌・書籍の出版が奨励された。
 日本的なモノの破壊は国際法の下で実施され、左翼系知識人やアメリカに媚びる諂う国際派日本人が積極的に協力した。
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 10月 GHQ民間情報教育局(CIE)は、日本軍国主義および民族主義の淵源は日本語にあると考え、日本人協力者を大動員して教育改革を強行した。
 左翼・左派の教育関係者も、天皇制度を廃止する為に、伝統的日本文化を破壊する国語改革に協力した。
 日本のグローバル化とは、西洋礼賛に基づき和魂洋才を洋魂洋才に変えて、日本から日本らしさを消滅させる事である。
 日本語文字のローマ字化の為に、古典的文語や歴史的仮名遣いや地域的変体仮名など変換できない伝統的日本語の使用を廃止した。
 漢字全廃を前提として、4,000字以上使用していた漢字を1,850字の当用漢字に制限した。
 日本語改革の問題は、単純明快で合理的な西洋語とは違って同音異義語が多く、その違いを漢字で表現している事であった。
 「貴社の記者が、記事を汽車に乗って貴社に届け。貴社は、それを記者発表した。」
 「きしゃのきしゃが、きじをきしゃにのってきしゃにとどけた。きしゃは、それをきしゃはっぴょうした。」
「kisyanokisyaga、ziziwokisyaninoxtutekisyaniyodoketa。kisyaha、sorewokisyahaxtupyousita。」
 GHQは、日本を国際化する為には国語の混乱を解消する必要があるとして、英語の公用語化計画を捨ててはいなかった。
 日本語の現代化によって、現代の日本人は、江戸時代の子供でも読めていた崩し文字が読めなくなり、原書の古典を現代文字に置き換え訳さねば理解できなくなった。
 それは、言語の進化・進歩なのか劣化・退化なのか、何とも言えない。
 日本文化および日本神道と日本語は、一体である。
 昭和27年4月14日 国語審議会会長土岐善麿は、文部大臣天野貞祐に「これからの敬語」という建議を提出した。
 「建議
 国語審議会は,かねて敬語の用い方について審議していましたが,昭和27年4月14日第14回総会において別冊「これからの敬語」を議決いたしました。ついては国語改善の実をあげるため,その趣旨が広く普及徹底するよう適当な処置をとられることを要望します。
 これからの敬語
 まえがき
 この小冊子は,日常の言語生活における最も身近な問題を取り上げて,これからはこうあるほうが望ましいと思われる形をまとめたものである。
 これからの敬語についての問題は,もちろんこれに尽きるものではない。元来,敬語の問題は単なることばの上だけの問題でなく,実生活における作法と一体をなすものであるから,これからの敬語は,これからの新しい時代の生活に即した新しい作法の成長とともに,平明・簡素な新しい敬語法として健全な発達をとげることを望むしだいである。
 基本の方針
 1、これまでの敬語は,旧時代に発達したままで,必要以上に煩雑な点があった。これからの敬語は,その行きすぎをいましめ,誤用を正し,できるだけ平明・簡素にありたいものである。
 2、これまでの敬語は,主として上下関係に立って発達してきたが,これからの敬語は,各人の基本的人格を尊重する相互尊敬の上に立たなければならない。
 3、女性のことばでは,必要以上に敬語または美称が多く使われている(たとえば「お」のつけすぎなど)。この点,女性の反省・自覚によって,しだいに純化されることが望ましい。
 4、奉仕の精神を取り違えて,不当に高い尊敬語や,不当に低い謙そん語を使うことが特に商業方面などに多かった。そういうことによって,しらずしらず自他の人格的尊厳を見うしなうことがあるのは,はなはだいましむべきことである。この点において国民一般の自覚が望ましい。」
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 10月24日 マッカーサーは、教育改革の一環として、キリスト教関連の教育機関に於ける戦時中のキリスト教迫害状況を調査するように命じた。同時に、学校から神道教育を排除し軍国主義教育者の追放を指示した。
 一部の大学は、GHQに媚びを売るように、自主的に皇学及び皇道研究を捨てキリスト教講座を新設した。
 10月25日 上智大学カトリック教会神父達は、民間情報教育局(CIE)に非公式見解として「神道は日本の国教なのか」についてのレポートを提出した。
 「神道を宗教と呼ぶことができるのかという問題だが、神道の場合二通りの解釈ができる。神道は宗教であることは間違いないが、明治初期に日本の愛国主義者が神道を国教にしようとした。だが、西洋の宗教に比べると、神道は『明確な教義、神学、形而上学、倫理、社会問題解決への貢献、宗教精神、聖人と殉教』などの宗教的要素が極めて乏しい。日本政府の見解である『国家の儀式、国民道徳』ということは、あながち間違ったものとは言えない。日本の宗教団体法では、宗教を『教義の宣布教義の執行』と定義している。国家神道は教義の宣布を禁止しているので、宗教ではないことは明白である。そのため、ヴァチカンは『国家神道は純粋に公共制度』であるという主張を受け入れてきた。日本のカトリック信者といえども、政府が神社で挙行する式典に参加した。この意味では、『国家神道は、宗教ではない』と解釈でき、『日本で廃止すべき国教は存在しない』ことになる。
 カトリック神父たちはその一方で、神道学者のホルトムは『国家神道は、事実上日本の国教である』という意見を紹介している。ホルトムは、①政府主催の神社参拝には宗教的要素が含まれる②神社参拝は国民精神や愛国教育のテストとして用いられてきた③神道の神話を本当の歴史として扱うことは、科学的精神の侵害、国際理解の妨げになる、とその根拠をあげている。
 こに対してカトリック神父は、ホルトムの意見が『国家神道が宗教であることの証明』ではない。なぜなら、『国家が神社に公金を支出して維持され、法律によってその機能が定められている』という、『極めて限られた意味での国教』と呼ぶべきであろう。それ故、国家から神社に支出されている財政を除去すべきである。国家神道は国教であると立脚しても、『信仰告白が法によって強制』されていないので国教とはいえない。たしかに抑圧や強制の事例はあるが、それらは『行政の独断であり、法的な強制』ではない。『国教・非国教を問わずに、このような事例は将来確実に防止しなくてはいけない』……
 また、カトリック神父はキリスト教・西洋中心主義という基準でした『国家神道』を解決していない。……原始宗教やアミニズムを宗教として認めるという文化相対的な感覚があったならば、『国家神道』は宗教かつ日本の国教であると容易に結論が下せたはずである。……カトリック神父は、一神教以外の宗教を否定し、神道を宗教に値しないという固定観念があったと推察できる」(岡粼匡史『日本占領と宗教改革』P.169〜171)
 10月27(22日〜)日 ロバート・K・ホール少佐は、民間情報教育局長ダイク大佐に、国家神道は非宗教で狂信的な侵略戦争を引き起こしたイデオロギーであるから廃止するという神道指令第二次草案を提出した。
 10月30日 民間情報教育局宗教課長ウィリアム・K・バンズは、国家神道は宗教と認め、政教分離の原則から天皇が主宰する皇室祭祀を国事ではなく私的行為と見なした。
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 10月末 アメリカは、日本民族の強さの源泉である精神的支柱を破壊する事を望んでいた。
 GHQは、マッカーサーの日本のキリスト教化という意志に従い、国家神道を含む日本神道を根絶すべく、靖国神社伊勢神宮明治神宮など主要神社の破棄を計画していた。 学習院長・山梨勝之進(元海軍大将)は、日本神道の破壊は天皇制度の廃止と皇統の消滅につながるとして、学習院の教師であるイギリス人からGHQの情報を仕入れて行動を起こした。
 山梨は、国家神道の総本山として真っ先に焼却廃棄の対象とされた靖国神社を存続させる為に宗教法人化した。
 次に、GHQが望みながら躊躇している「天皇の神格」を否定する詔勅発布を、日本側から自主的に行う事を申し込む為に宮内大臣・石渡莊太觔に意見具申した。
 華族を監督する団体「宗秩寮」の総松平慶民は、山梨の願いを聞いて昭和天皇に提案した。
 昭和天皇は、信頼する山梨勝之進の提案と聞くや、人間宣言の発布に同意した。
 GHQは、神格否定の人間宣言が日本側からの提案で公表する事で、日本人から憎まれる事なく、昭和天皇自らの発布と言う事で旧軍人や右翼の暴発を防げるとして安堵した。
 山梨勝之進(宮城県人会で)「政府としても、天皇陛下もいまお読みした(人間宣言)ような意味の事を国民全般に仰りたかったと拝察するのである。国民もあの混乱の中でどうなるのか。天皇陛下がどうなるか。皇太子がどうなるか。そういう事が一切不明な場合に、何某かこういう事を知りたかったのではなかろうか。また、マッカーサーとしても、連合軍が注文してそんな事を言ったら大事になるわけで、誰も言えない。そうなれば立ちすくみで、何時までもそのままで、そういう危険至極な大事な事を言えない。こっち側から言い出して連合軍、アメリカが横を向くのではいけない。向こうの言う事を聞いてこっちが従うのも良くない。如何したらこういう危い、重大な問題が解決できるかという事を考えたのである。
 手を叩くと音が出る。どっちの手から音が出るのかというのと同じである。火打ち石を打ったようなもので、火は出るがどっちが先か、そういうようなものであるのだ。しれで、ああ動いていった。陛下の詔勅ですっかり内外の情勢が落ち着いたのである」
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旧題名・「ユダヤ民族と日本民族は同族か? 天皇の祖先はユダヤ人か?」
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 二つのブログを、五つに分けて建設する。
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 11月 レーモンド・クラマーGHQ経済科学局長「天皇は世界有数の財閥であり、ただちに財産税賦課によって適切に処理されるべきだ」
 昭和天皇は、11宮家を集め皇籍を離脱するように説得した。
 「諸般の情勢上、三宮を除き、他の皇族は全員臣籍に降下する事が妥当であるような事情に立ちいたった。まことに遺憾であるが、了承せよ」
 強行に反対していた閑院宮春仁は、やむなく同意した。
 アメリカ・プロテスタント教会は、異教国日本をキリスト教化できるかを調査する為に代表団を日本に派遣した。
 朝日新聞は、朝刊一面で「国民と立たん」という宣言を「社告」とし掲載し、戦争を煽り美化した保守的な経営陣や幹部達は全て総辞職させた事を報告した。
 森恭三らマルクス主義者が、新生朝日新聞を支配し、左翼・左派の宣伝機関して反日偏向報道を始めた。
 戦中に共産主義スパイとして逮捕されていた元政治経済部長の田中慎次郎が、朝日新聞に復帰して論説委員に就任した。
 これ以降。朝日新聞は、日本を共産主義国にするべく、中国共産党ソ連北朝鮮を労働者による地上の楽園と美化し、残忍な虐殺者に過ぎない毛沢東スターリン達を礼賛する記事を書きまくった。
 11月8日 バンズ課長と皇典講研所吉田専務理事は、皇室神道の要である伊勢神宮の処遇について協議した。
 伊勢神宮明治神宮と共に廃止はしないが、皇室祭祀と深い関係にあるとしても特権を認めず、一般的神社と同等に扱う事で決着した。 
 伊勢神宮は、皇室との特殊関係で公金を受けて神社経営を維持して一般参賀を排除するより、民族中心神話として日本人の崇敬心による賽銭と寄付金で存続する道を選んだ。
 宮川宗徳「御上のお許しをいただいて形式は国民の信仰の方をとるべきではないか。神宮と御上との関係は占領下の形式はどうになっていても、本質上、断じて切断し得ないものだ」
 「占領が終れば、皇祖の神宮としての本質は直ちに回復する。しかし1000年にわたって培われて来た民衆の神宮信仰を、今の時世に禁圧してしあえば、占領が20年も続けば、どうなるか憂慮にたえない。一つ選ばねばならぬとすれば、忍びがたきを忍んで、御上のお許しを得て国民の信仰を続け得る道を選ぶ外ない」
 日本人マルクス主義者は、反宗教無神論から、靖国神社はもちろん伊勢神宮明治神宮も皇室関係の神宮や神社の全廃止を求め、日本の民族的伝統文化を根刮ぎ消滅させようと為た。
 11月10日 マッカーサー検閲規則。GHQは、日本を敗戦国として二度と自主独立国としての気概を持てない様にする為の情報規制方針を、「日本に於ける報道検閲方針」という部外秘備忘録を作成した。
 対敵情報局長エリオット・ソープ准将は、翌46年11月13日に承認して、日本国内の情報全てを規制する為の検閲を命じた。
 マッカーサーは、大統領選への出馬意欲から自分に対する批判を封じたが、トルーマン大統領と昭和天皇への批判報道を許可した。
 海外からの報道に関する4つの原則。
 1,マッカーサー占領政策に対するアメリカ及びその他の外国から発信された批判は、もし治安を乱す恐れが十分にあると見なされるのであれば許可してはならない。
 2,連合国同士の批判は許可されない。
 3,中華民国に対する他国又は国内の共産主義者による批判は許可される。
 4,連合国統治権下にある人民(日本人、朝鮮人、台湾人)による皇室・天皇・政府に対する批判は許可される。
 日本人が海外へ発信できる批判に関する3つの例示。
 1,トルーマン大統領のアメリカでの政策に関する記事。
 2,新聞記者自らが書いた、原子爆弾問題の解決の為の提言記事。
 3,日本人が書いた、占領下のドイツにおける占領軍の政策に関する記事。
 GHQ内のニューディーラーやソ連工作員占領政策協力者の反天皇反日的日本人は、天皇制度を廃絶し、日本を共産主義化する為に中国共産党への批判を検閲規制に潜り込ませた。
 マッカーサーは、日本の国體を骨抜きにする為に容共・親共産主義占領政策を認めていた。
 11月12日 昭和天皇は、終戦報告の為に伊勢神宮に向かった。
 昭和天皇は、お召し列車が戦災の被害が激しい地域を通過する際は速度を落とすように希望された。
 宮中関係者は、戦争で肉親を亡くし家財産を失った被災者によって、昭和天皇が襲撃されるのではないか危惧した。
 最も恐れたのが、共産主義による敗戦革命であった。
 だが、その不安は取り越し苦労であった。
 被災した国民は、お召し列車に頭を下げ、昭和天皇に対して戦前と交わず接した。
 列車に同乗したアメリカ人の世界常識からして、敗戦をもたらし途端の苦しみをもたらした昭和天皇に対して罵声一つ浴びせず石一つ投げない日本人が理解できなかった。
 昭和天皇は、13日に伊勢神宮の内宮と外宮を参拝し、14日に神武天皇陵と明治天皇陵を詣でた。
 それ以外の皇祖皇宗への終戦報告は、各皇族宮家が手分けして参拝した。
 11月15日 GHQ民間情報教育局は、神道指令を発令した。
 11月20日 日本政府は、GHQの重圧に耐えながら粘り強い交渉を続けて神社制度刷新要綱を取りまとめた。
 11月23日 昭和天皇は、宮中祭祀として新嘗祭を執り行った。
 侍医らは、伊勢行幸の疲れと風邪気味から祭儀を執り行う事は健康上心配であると危惧したが、昭和天皇は祭祀を行った。
 「神に対し、大宮(皇太后)様に対し、また国民に対し、是非明日は祀りに出る。たとえ少々病気になりても、差し支えない」
 昭和天皇は、祭祀王としての重責から、敗戦後の激務にも拘わらず全ての宮中祭祀を執り行った。
 宮中で、退位と隠退所、宮城移転と新天皇の御動座が囁かれていた。
 GHQは、昭和天皇が宗教行事を疎かにせず務めている事から皇室と神道の結び付きに危機感を抱き、国事行事から宮中行事を切り離す宗教改革を急ぐ事にした。
 バチカン使節団は、上智学院ブルノー・ビッテル神父と共にマッカーサーと会談し、日本の改宗計画について話しあった。
 パウロ・マレラ大司教「世界中のカトリックが心からの同情と大きな希望を持って日本に注目している。……我々の目的は、全ての日本人を改宗させるほどのものである。……神の導きにより、沢山の日本人が改宗される日が来るであろう」
 11月27日 日本政府は、GHQに提出する政府案「神社問題対策」を作成し、信教の自由を認めて思想・宗教を強要しない、政教分離の原則から神社と国家を切り離して公金の支出と保護を撤廃する、学校教育から神道を含む宗教を排除し教育勅語を教えない、などを誓った。
 11月28日 マッカーサーは、総司令部でポール・マレラ・ローマ教皇使節とブルーノ・ビッテル代理使節と会談した。ローマ教皇は、日本のカトリック教会復興資金として2万ドルを送った。
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 2015年12月23日 産経ニュース「【戦後70年】神道の命運左右した「視察」 GHQに新嘗祭見せよ…占領政策から神社守った宮司の戦い
 視察団を前に、本殿で「浦安の舞」を奉納する山口文治宮司の娘ら=昭和20年11月25日、埼玉県所沢市(中氷川神社提供)
 連合国軍総司令部(GHQ)の占領下にあった日本で、神社の命運を左右した「視察」が70年前、所沢市の中氷川神社で行われた。GHQによる国家神道への実態調査で、昭和20年12月15日に発令された神道指令に大きな影響を及ぼしたとされる。準備期間はたった3日。進駐軍への恐怖を抱きながら、視察を受け入れた宮司の静かな戦いがあった。(さいたま総局 川峯千尋
 「神社を破壊すべき」過激意見もあったGHQ
 「3日後に、新嘗祭を総司令部の係官に見せてほしい」。同年11月22日、中氷川神社の山口文治宮司=当時(60)=は、突然来訪した内務省神祇院考証課の宮地直一課長=同(59)=からこう告げられた。
 当時、神道は「国家神道」として優遇され、宗教ではないとみなされていた。一方、日本の非軍事化・民主化を進めていたGHQ内では、天皇を頂点とした精神的な団結力が日本人を戦争に突き動かしたという考えから、日本人の精神的改革のため「神社を破壊すべきだ」という過激な意見もあった。教育・宗教を所管した民間情報教育局(CIE)は神道に対する日本人の考え方を知ろうと靖国神社(東京)を視察。さらにケン・ダイク局長は、CIE顧問を務めていた宗教学者、岸本英夫氏=同(42)=に「どこか民間の神社の祭りを見たい」と希望を出した。条件は「11月25日、場所は司令部からジープで1時間以内」だった。
 神主苦悩「万が一あれば累は全神社に及ぶ」
 宮地課長を通じて白羽の矢が立ったのが、中氷川神社だった。現在の朝日達夫宮司(67)は「社格制度で県社として認められていたことや、宮地さんが神社を訪れていたことで選ばれたのではないか」と推察する。その宮地課長は「万一、悪い印象を与えれば全神社の浮沈にも関わる。そういう事情をくんで、どうか引き受けてほしい」と頼み込んだ。
 辞退したものの、押し問答の末に視察を受け入れた山口宮司は、手記で「軽々しく引き受けられるものではなかった。万一のことがあれば、自分の身はどうあれ、その累は全神社に及ぶのだ」と苦悩をつづった。
 「新嘗祭を3日で準備するなんて、常識じゃ考えられない。ましてや『鬼畜米英』と恐れられた時代です」と、朝日宮司は先代の決断に思いを馳せる。
 「祭典に関しては誰も絶対に口出しはしない」。それが山口宮司の出した条件だった。「命がけで奉仕するのに、いちいちだめ出しをされたら到底務められない」。決意の下に、氏子総代や家族を巻き込んだ嵐のような3日間が始まった。
 「外国人正座できない」食材集めに奔走も
 連合国軍総司令部(GHQ)の視察を引き受けた中氷川神社(現所沢市)の山口文治宮司=当時(60)=は、すぐに地域の氏子総代を集めて事情を説明し、新嘗祭の準備に取りかかった。
 戦後の困窮の中で、お供え用の野菜や魚は氏子らが持ち寄り、酒は国の機関である神祇院などから提供されることになった。「外国人に正座はできないだろう」と、戦時中、境内に滞在した陸軍通信隊が残した机を直会(なおらい)の会場に並べた。外国人用の仮便所も作った。つい先日まで「鬼畜米英」と呼んだ相手をもてなすため、人々は奔走した。
 「娘たちにいたずらされたら…」
 難題は、舞姫だった。
 新嘗祭に奉納舞は欠かせない。しかし、「娘たちにいたずらでもされたら大変だ」と誰もが怖がった。「そこで山口姉妹の出番だったんです」と笑うのは、山口宮司の四女、平野順子さん(75)だ。5歳だった平野さんは、4人姉妹の姉が踊ったのを覚えている。社務所疎開していた宮内省楽部の多(おおの)忠朝楽長=同(62)=の娘も舞姫にかり出された。
 迎えた昭和20年11月25日。ジープで乗り付けた民間情報教育局(CIE)の一行は、出迎えの町長らに機嫌良く日本式の礼を返した。怖いもの見たさか、神社には町中の人が集まって視察の様子を見守った。
 酒を「飲んだふり」で必死のもてなし
 拝殿で行われた奉納舞では、多楽長が呼んだ宮内省の楽人の演奏と立派な装束が娘たちをあでやかに演出した。「ワンダフル」。視察を担当したCIEのケン・ダイク局長らはCIE顧問の岸本氏の説明に興奮した様子で、祭典の様子を写真に収めた。一行は直会で用意された赤飯や煮魚をきれいに平らげ、大きな湯飲みで酒を何杯も飲み、氏子らは飲んだふりをして少ない酒を回した。
 視察を終えて車に乗り込む際、一行の1人が平野さんを抱き上げた。日本人側に緊張が走った。が、ドロップやガムを渡すと優しく抱き下ろし去っていった。「父は私が泣いたら終わりだと思っていたそうです」。幸い、幼児は笑顔で一行を和ませた。岸本は手記に 「歓を尽す。司令部側に対して、よき知識を供給」と記している。
 ファシズムの施設と全く違う」
 約3週間後の12月15日、発令された神道指令は政教分離を徹底させたが、神社の取り壊しといった日本人の精神文化の破壊には踏み込まなかった。
 国学院大の大原康男名誉教授(宗教行政)によると、発令までにCIEが視察したのは靖国神社と中氷川神社だけで、「厳かで優雅な神社の祭典を視察して、ナチズムやファシズムといった全体主義的な施設とは全く異なるものだと実感したのだろう」と視察の影響を指摘している。
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 神道指令 昭和20年12月15日、GHQが政府に対して発した指令「国家神道神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」の略称。ポツダム宣言で認められた「信教の自由」を前提に、政教分離を目的として出された。神社を国が管理する「国家神道」を廃止し、神社は宗教法人として存続することになった。」
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皇統は万世一系である

皇統は万世一系である