🌈91)─1─日本人の「和の心」には2つの側面がある。日本民族は「津波てんてんこ」。~No.156No.157 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本列島とは、同時多発的に頻発する複合災害多発地帯である。
 日本の自然は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境の中を、家族や知人さえも誰も助けずに身一つ、自分一人で逃げ回って生きてきた、それ故に祖先を神(氏神)とする人神信仰を受け継いで来た。
 日本人は生き残る為に個人主義であり、日本社会は皆で生きていく為に集団主義である。
 日本の宗教・文化・言語は、こうして創られてきた。
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 日本民族人間性である価値観・人格・気質を作り出したのは、人間(他国・異民族・異教徒)の脅威ではなかったし、唯一絶対神(全智全能の創り主)の奇蹟と恩寵ではなく、自然の脅威と恩恵(和食)である。
 つまり、日本人と朝鮮人・中国人は違うのである。
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 2024年3月28日 YAHOO!JAPANニュース ニューズウィーク日本版「他人に嫌われたくない日本人の「和の心」には2つの側面がある...なぜ「戦略的アップデート」が必要なのか
 <内輪づきあいを超え、他者との和を構築できるかが求められるようになってきている。重要な役割を果たす「信頼」をどのように拡げていくのか。WEBアステイオンより>【橋本博文(大阪公立大学大学院文学研究科准教授)】
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■安心と信頼
 私たちは、他人の目を気にしてしまう生き物である。他人からの評価を気にして、まわりの人たちから嫌われないように自身の言動を周囲に合わせようとするのは、ヒトという種に進化的に組み込まれた自然な心性に裏打ちされたものだろう。
 【動画】海外メディアにおすすめ旅行先として紹介される日本
 いまからさかのぼること四半世紀も前に、嫌われたくない日本人の心性を鋭く分析した一冊の本がある。山岸俊男の『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)である。
 山岸は日本人が互いに信頼したり協力したりしあう実状を、信頼ではなく「安心」という語を用いて表現する。
 ここでの安心とは、「内輪づきあい」と呼ばれるような既存の人間関係の内部で相互に監視・規制(ときには制裁・排除)しあうことにより、そうした関係から逸脱することが損になる状況をつくりだしたうえで、まわりは自分を裏切ることはないだろうと期待することを意味する。
 こうした状況が常につきまとう社会に身を置く限りは、たとえ裏切りそうだと思える人物であったとしても「安心」してつきあうことができるというわけである。
 このような内輪づきあいの人間関係から生まれる安心は、内輪の外にいる他者一般に対する「信頼」の欠如と表裏一体である。
 山岸の研究知見において特筆すべきは、日本人に特有とされる心のあり方(他者一般に対する信頼の欠如)と日本社会のあり方の動的な関係を、ゲーム理論で言うところの「均衡状態」として捉えている点である。
 つまり、人間関係の固定性と閉鎖性が、個々の日本人の一般的信頼の欠如を生み出すことで、ますます固定的・閉鎖的な社会関係が重要視されるようになる。その結果として、内輪の外にいる他者一般に対する信頼の欠如が促されるという循環的なメカニズムが働く。
 例えば、ある人が「人を見たら泥棒と思え」という諺のとおりに、とりあえず他人を信頼しないという判断に至るのは、その人が固定的・閉鎖的な人間関係の中に生きるがゆえであると考えられる。
 そして、まさにそうした他者一般への不信によって人間関係を閉ざしてしまうと、初対面の他者と新たな関係を積極的に構築する筋合いもなくなり、既存の人間関係の内部で、まわりから嫌われないようにふるまうことに固執するようになる。
 『安心社会から信頼社会へ』が上梓されたのはもうずいぶん前のことだが、この本の中に満ちている深い考察がもつ説得力はいまだ健在である。
■和の二側面
 山岸は、『安心社会から信頼社会へ』の中で、他者一般に対する信頼によって成り立つ、「より開かれた社会」への移行の重要さを説いていた。
 四半世紀が立った今、押し寄せるグローバル化の潮流の中で、他者一般を信頼することの意味やメリットを考えることの重要さもますます増してきている。
 しかし、日本人の心のあり方はいまだ安心社会に適応したままの状態にあり、多くの日本人は袋小路に迷い込んでいるように筆者には見える。そのため、社会のグローバル化の波にすぐに向き合えないとしても決して不思議ではない。
 安心社会に身を置く限りは、既存の人間関係の枠を拡げられないという問題が際立つ。したがって、安心社会のみならず、他者一般との信頼関係も希求しあう信頼社会に適応するための生き方も志向し、そのための心のあり方を併せ持つメリットにも目を向ける必要がある。
 そこで筆者は、信頼社会への移行に際して、日本人の「和の心」をアップデートすることが必須であると考えている。
 一般に和の心というと、まわりの人たちの気持ちを慮(おもんぱか)る心、いわば「思いやる」心を指すと考えられている。しかし、そうした心とセットにして議論される和のあり方には、弁別すべき二つの側面がある。
 一つは、まわりの人たちとの和を新たに構築するという側面であり、もう一つは、すでに存在している和を維持するという側面である。
 安心社会に適応するための心の性質を身につけてきた日本人は、前者ではなく後者の意味での和の維持に長けているはずである。
 実際に、筆者らが行った国際比較調査の結果によると、世界の人たちと比べて日本人に顕著に示されるのは、まわりの人たちから嫌われるのを避けようとしたり、意見対立を回避しようとしたりするといった和の維持を志向する心のあり方のみである。
 このまわりの人たちから嫌われるのを避けようとする心のあり方は、他者一般に対する信頼の欠如や、内輪づきあいの外にいる他者一般に対する寛容性の低さなどとも関係していることがわかっている。
 しかし、筆者が強調したいのは、まわりの人たちとの和を主体的・積極的につくろうとするといった和の構築にかかわる心の性質に文化差は示されていないという点である。
 和の輪を拡げる
 前述した「和の心」のアップデートとは、和の輪を拡げるための心の性質を身につけることを意味する。
 内輪づきあいの人間関係の維持に専念し、安心している限りは、和の輪の範囲は拡がらないばかりか、そうした人間関係の内部でまわりから嫌われないような心のあり方に縛られる生き方しかできなくなる。
 そうした心のあり方をアップデートし、自ら主体的に和の輪を拡げられるように、内輪の外にいる他者一般に対する信頼や寛容性の水準を高めておく必要がある。
 これは、そうしたほうが結果的に多くの機会を得られるという、いわば損得にかかわる話であると割り切って考えてもよい。
 日本人の間では、「一度人生のレールから外れるとやり直しがきかない」、あるいは、「失敗するリスクの少ない無難な生き方を選ぶ方が賢明」といった考え方が根強くみられる。
 また、失敗をした人物に対する周囲の評価も厳しい。そうした否定的な評価こそが、失敗した当人の這い上がりを難しくさせる。
 そのため、社会全体としては、一度失敗したとしても「再挑戦」できる機会を可能な限り多く創出することが不可欠である。
 そうした機会が多く創出されはじめれば、人々の志向も自ずと変化し、既存の和を維持することにのみ縛られず、他者一般をまずは信頼すること、そして、自らが選ばれるためのスキルの習得を通した新たな和の構築も促されていく。
 既存の人間関係における和の輪を拡げ、他者一般に対する信頼や寛容性の水準を高めた方が戦略的に有利となる、より開かれた社会のあり方への転換はすでにはじまっている。
 その意味において、他者から嫌われないような生き方のみに固執する適応価は失われつつある。内輪づきあいを超えた、他者一般との間での和を構築できるかが、日本社会を生きる多くの人々に求められるようになってきている。
 『安心社会から信頼社会へ』で語られている他者一般に対する「信頼」は、これからますますその重要な役割を果たすはずだと筆者は考えている。
 橋本博文(大阪公立大学大学院文学研究科准教授)
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 3月28日 YAHOO!JAPANニュース 東洋経済オンライン「「気を遣いすぎる」のは、日本人の長所か欠点か? “なあなあ”の国・日本が「誇れるもの」もある!それはいったい「何」か?
 プロデューサーであるつんく♂さんと起業家である孫泰蔵さん、異なる2人のプロフェッショナルによる対談、第4回(撮影:尾形文繁)
 音楽家、プロデューサーのつんく♂さん、連続起業家としてさまざまな事業を手がける孫泰蔵さんの対談。
 2023年、つんく♂さんが『凡人が天才に勝つ方法 自分の中の「眠れる才能」を見つけ、劇的に伸ばす45の黄金ルール』、孫泰蔵さんが『冒険の書 AI時代のアンラーニング』をそれぞれ刊行。お互いの著書を読み、仕事論からAI時代の話まで、深い話は尽きることなく盛り上がりました。
 【写真で見る】「気を遣いすぎる」のは、日本人の長所か欠点か?“海外の視点”を取り入れて解説する、つんく♂孫泰蔵
 今回は、日本と海外の仕事のとらえ方の違いや、そこから生まれるメリット、デメリットについて話し合います。第4回目(全6回)。
 *この対談の1回目:「仕事で成功するのはプロか天才か?」意外な結論
 *この対談の2回目:AI時代「子どもが不登校でも“問題”ない」本当の訳
 *この対談の3回目:日本の会社員が「世界中から嫌われる」納得の理由
■ネイティブ同士は「なあなあ」「ふわっと」なりやすい
 孫:日本は特に同調圧力を感じ取りやすいと思います。
 相手を慮って、気を遣い合って……というのは決して悪いことではないけれど、気を遣いすぎた結果、「既存の範疇外のことをしたらまずい」という空気があるんですよね。
 つんく♂:たしかに、何をするにも周りを見てから、ですよね。
 孫:日本で仕事をしていると、基本的に日本人とばかり会って、日本語でやりとりしますよね。
 ネイティブ同士の世界にいると、みなまで言わなくても「いつもの感じでさ。うまくやろうよ」「わかりました。うまくやりますわ」みたいに進むでしょう。
 つんく♂:いわゆる「なあなあ」の世界ですね。
 孫:外国人がいたら「うまくやりましょうってどういうことですか?」と聞かれますから、きちんと説明しなきゃいけないですよね。
 ネイティブ同士の世界だと、ふわっと進んでやりやすい面もあるでしょうが、いざうまくいかないときに、なぜうまくいかないのか、どこを変えたらいいのかが見えないんです。
 だから、うまくいかなくても「よくわかんないっすねー」みたいに相変わらずふわっとして、結局、停滞してしまうんですよね。
 言い出しっぺが悪者になる世界
 つんく♂:うまくいっているときは、「古いやり方はやめよう」「もっといい方法がある」なんて言い出した人が悪者になりますよね。もっとよくしようと思って言っているのに、「あいつが言ったからめんどうくさいことになった」みたいな感じで。
 孫:そうですよね。みんな言い出した人のせいにして、「自分は関係ないです」みたいな感じになりがちですよね。そうしたらみんな言わなくなりますよ。言うだけ損だから。
アメリカでは、要求しないと水は飲めない
 つんく♂:たとえばアメリカ人だってみんながみんな積極的ではないですが、日本のような忖度はありませんよね。
 孫:アメリカ人だって気を遣う人もたくさんいるけど、さすがに「それを言うとまずいんじゃないか」という雰囲気までにはならないんですよ。
 つんく♂:僕が今住んでいるハワイは「多言語社会」でいろいろな民族がいるから、日本のように「のどが渇いたかも」と言っても飲み物は出てこないんです。ちゃんと「水が1杯ほしい」と言う必要があるわけですよね。
 それは気を遣ってくれないわけじゃなくて、いろんな言語の人がいるから、要望があればわかりやすく英語に置き換えて伝える必要がある。日本人のようにニュアンスでは通じない。
 孫:たしかにそうですね。
 「業者もゆるい」のがハワイカルチャー
 つんく♂:反面、ハワイで感じたのは「責任者って誰?」みたいな言葉が伝わらないことです。
■ハワイでは「責任者、誰?」が伝わらない
 つんく♂:たとえば家にトラブルがあって業者を呼んだとき「これって、どこに責任があるの?」と聞くと、「えっ?  じゃあ直さないんですか?」と言われる。
 「いや、直すけど、誰が責任をとるの?」「保険会社です」「いやいやお金を払うのは保険会社だけど、このトラブルの責任はどこにあるの?」「いやあ……」というやりとりになるんですよ。
 孫:ハワイのカルチャーもあるかもしれませんね。僕もハワイで水道漏れの業者を呼んだら、直せないっていう。「あなたはプラマー(配管工)なのになぜ直せないのか」と聞けば「いや、部品が今ないから」って。
 つんく♂:そういうの、めっちゃあります(笑)。
 孫:「いつ直るの?」と聞いても「部品が来るまで直らないよね」と言われて、「いや、誰かちゃんと責任持ってよ」と言っても「いや、部品が来るまでは難しいよね」としか言われない(笑)。
 孫:たとえばシリコンバレーだと、問題が起こる前に「ここ、ちょっとまずくない?」と言う人が出てきて、「たしかにここは事前に対策しておかないとまずいね」「じゃあ、俺が言い出したから俺がやるわ」という感じです。
 つんく♂:その的確さがあるのもシリコンバレー特有な気もします。そうすることで評価されて、報酬もきちんと上がっていくわけですよね。
シリコンバレーで「足の引っ張り合い」が少ない理由
 孫:シリコンバレーは事業がうまくいけばストックオプションにもろ反映されますから、ボーナス2割アップとかいうレベルじゃなく、将来、何億、何十億という差になっていく。だから足の引っ張り合いじゃなく、全体の利益を考えるんです。
 「お前より俺のほうがうまくできる」と思えるなら、積極的に仕事をとりに行く人もいる。そのとき「それは俺の仕事だ。お前にとられる筋合いはない」なんて言われないわけですよ。
 「たしかにこの仕事はお前のほうが向いている。じゃあ俺はこっちやるわ」というコラボレーションになる。全体がうまくいけばみんなが潤うことがわかっているからです。
 つんく♂:個人のレベルが高いからこそでしょうね。めちゃくちゃうまい人たちが野球をしている感じで、ランナー2塁でピッチャーゴロだったら、誰が捕ってどこに投げるかをチーム全員が脳で考える前に体が完璧にわかっているような。
 孫:そうです。そもそもプロフェッショナルな人材が集まっているので、人材を育成しようという雰囲気がないんです。
 でも、すごい人たちだらけだから、お互いに学び合うし「それすごいから自分にも教えて」「どうぞどうぞ」、「その件なら知り合いの詳しい人を紹介するよ」「ありがとう」みたいに、自然と高め合っていく感じですよね。
 つんく♂:でも、僕が日本っていいなと思うのは、やはり接客力というか「おもてなし文化」ですよ。ホテルや空港、ちょっとしたカフェだってかゆいところに手が届くサービスをしてくれる。あれは世界に誇れるものだと思うんだけどなあ。
■日本の「おもてなし文化」は世界に誇れるか!? 
 孫:他国は接客について重要視していないとか、ホスピタリティにまったく興味がないのかも。だから「僕に言われても困るよ」みたいな感じになりがちですよね。
 おもてなし文化とシリコンコンバレーの話でわかるのが、全体的に平均が高いけど突出した人がいない日本と、数少ないすごい人たちが突出して二極化しているアメリカということかもしれませんね。
 つんく♂:たしかに、日本人の平均的なレベルは高いですよ。
 孫:シリコンバレーを理想とすれば「日本はつまらない」と感じるでしょうし、一方おもてなし文化に感銘を受けると「日本最高」と感じるでしょうね。
 おもてなしについては、僕もつんく♂さんと同感です。どちらがいいかと言われると、なんとも言えませんが。
 つんく♂:「なあなあ」や過度な忖度はビジネスの世界では悪手でしょうが、一方、日本人の気遣い文化みたいなものも、評価されてほしいですよね。
 *この対談の1回目:「仕事で成功するのはプロか天才か?」意外な結論
 *この対談の2回目:AI時代「子どもが不登校でも“問題”ない」本当の訳
 *この対談の3回目:日本の会社員が「世界中から嫌われる」納得の理由
 対談場所:Rinne.bar/リンネバー
 お酒を飲みながら、カジュアルにものづくりが楽しめる大人のためのエンタメスポット。廃材など、ゴミになってしまうはずだった素材をアップサイクル作品に蘇らせる日本発のバー。
 つんく♂ :総合エンターテインメントプロデューサー/孫 泰蔵 :Mistletoe Founder
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 日本民族は、死滅するかもしれない地獄のような日本列島で生きる為・生き残る為に、最高神である女性神天照大神を祖先とする万世一系世襲を正統とする男系父系天皇を推戴する民族中心神話を生み出し日本列島に埋め込んだ。
 故に、現人神である天皇は「空気の様な」神聖不可侵の存在である。
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 MS&ADインターリスク総研株式会社
 コンサルタントコラム
 「津波てんでんこ」を正しく理解しよう~災害に強い組織づくりへの第一歩~
 所属 リスクマネジメント第一部 リスクエンジニアリング第二グループ
 役職名 コンサルタント
 執筆者名 加藤 真由 Mayu Kato
 自然災害
 2023年6月2日
 「津波てんでんこ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「津波てんでんこ」とは、「津波が来たら、いち早く各自てんでんばらばらに高台に逃げろ」(岩手県HPより)という津波襲来時の避難に関する三陸地方の言い伝えである。2011年3月に発生した東日本大震災にて、従来から津波防災教育を受けていた岩手県釜石市の小中学生が、この「津波てんでんこ」の教えを実践した。これにより、多くの命が助かった事例は「釜石の奇跡」として大々的にメディアに取り上げられた。その一方で、「津波てんでんこ」は、その注目度の高さ故、言葉がひとり歩きした結果、「自分だけが助かればよい」という意味で誤解され、「利己的で薄情である」と批判された事例も見受けられる。津波被害から身を守り、災害に強い組織づくりをするためにも、まず「津波てんでんこ」という言葉の意味を正しく理解する必要がある。
 京都大学の矢守克也教授は、「津波てんでんこ」は4つの意味・機能を多面的に織り込んだ重層的な用語であることを述べている(2012年)。
 1つ目は、「自助原則の強調」である。「自分の命は自分で守る」という考え方は重要だとされている。しかし、単純に津波避難における「自助」の重要性にとどまるものではなく、自己責任の原則だけを強調するものではないことに注意が必要である。
 2つ目は、「他者避難の促進」である。避難する姿が目撃者にとっての避難のきっかけとなり、結果的に他者の避難行動を促す仕掛けとなる。
 3つ目は、「相互信頼の事前醸成」である。「津波襲来時はお互いに"てんでんこ"する。」という行動を、事前に周囲の他者と約束する。この信頼関係が共有されていれば、「てんでんこ」の有効性が飛躍的に向上する。
 4つ目は、「生存者の自責感の低減」である。被災時には、津波で命を落とした他者に対して自責的感情に苛まれやすい。しかし、事前に他者と「てんでんこ」を約束しておくことで、「亡くなった人も"てんでんこ"した(しようとした)にも関わらず、それも及ばず犠牲になった」と考え、生存者の自責的感情を低減する可能性がある。
 この4つの意味・機能より、「津波てんでんこ」という言葉には、自助だけでなく、共助の重要性を強調する要素が含まれている。加えて、一刻を争う津波避難時の行動原則だけでなく、事前の社会のあり方や事後の人の心の回復等にも大きな意味を持つものである。
 東洋大学の及川康教授は、「津波てんでんこ」という言葉に対する考えを認識度別に調査した。その結果、「津波てんでんこ」に対する真の理解を得るためには、一義的・表面的な原義を提示するのみでは不十分で、適切な解説・解釈がなされる必要があることを示唆した(2017年)。
 「津波てんでんこ」という1つの言葉から学ぶべきことは非常に多い。災害に強い組織を作るためにも、東日本大震災をはじめとした過去の災害を振り返り、1つの言葉をテーマに皆さんで深い議論を重ねてみてはどうだろうか。
 以上
 (2023年5月25日 三友新聞掲載記事を転載)
 古川 崚仁 Ryoto Furukawa
 氏名 加藤 真由 Mayu Kato
 役職 リスクマネジメント第一部 リスクエンジニアリング第二グループ コンサルタント
 専門領域 自然災害リスク/カーボンニュートラル/スポーツ・リスクマネジメント/イベント・リスクマネジメント/施設等(指定管理者)の安全管理
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