🕯148)─1─現代日本人はコロナ禍で非宗教的科学的死生観に目覚め民族的寛容さを捨てた。~No.313No.314 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 現代の日本人は昔の日本人とは違う日本人である
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 日本列島とは、死の島、死が支配する島である。
 日本民族とは、死・死者と共に生きる人々である。
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 2022年5月5日・12日号 週刊新潮「ポスト・コロナ論
 新型ウイルスが問うた日本人の『死生観』
♦『コロナと戦争』で『西洋』と『日本』の『覚悟』の違い
♦『死』を遠ざけてきた近代社会
♦収束でもまた『不条理』は襲ってくる
♦『死』をどう受け入れるか」
♦求められる『霊性』『宗教観』
♦『生の無限欲望』の対極にあるもの
 得体の知れないウイルスが襲いかかってきた時、我々は遠ざけようとし、しかし決して避けられない現実を思い知らされた。『死』。受け入れ難(がた)くも受け入れざるを得ないこの不条理とどう向き合うべきなのか。シリーズ『ポスト・コロナ』論。日本人の死生観を問う。
 佐伯啓思
 コロナ禍が始まってすでに2年超が経過した。この疫禍は我々に何をもたらいたのであろうか。
 社会は混乱して、閉塞感が覆い尽くし、経済は停滞した。しかし、これらはいずれもコロナ禍の『現象』であって、『本質』ではあるまい。
 感染症とは、つまるところ自然による人間への襲撃である。それを前にして我々はほとんど無力だった。マスクをし、手洗いを徹底する程度のことはできたものの、実態としてそれ以上はどうすることもできなかった。ワクチンは一定の効果をあげたが、また次の変異ウイルスがでてくる。このような感染症は、営々と築き上げてきた近代文明の力をもってしてもいかんともしがたく、科学技術の進歩によって解決できるものでもない。
 だが、考えてみれば当たり前のことだ。自然災害、戦争、飢餓、そして疫病。我々は常にこれら不条理に囲まれて生きているのである。にもかかわず、近代社会において我々は、不条理を視界から消し去ろうとした。万事、科学と技術によって合理的に解決できると信じ込もうとした。それこそが、近代の近代たる所以(ゆえん)なのだと。
 ところが新型コロナウイルスは、この考え方が大間違いであったことを白日の下に晒した。不条理は合理的に解決することはできない、だからこそ不条理なのだという至極当然の事実へと
我々を連れ戻した。
 コロナ禍の不条理、それは突然の『死』という厳然たる事実である。もちろん、コロナでなくとも、最終的に我々は死から逃れることはできない。結局のところ、できることと言えば死という不条理をどのように受け入れるかという準備と覚悟を持つことしかない。そのことに我々は改めて気づかされた。そうであれば、現在、我々は死への覚悟の決め方、すなわち死生観を今一度問われていることになる。

社会思想家である京都大学名誉教授の佐伯啓思氏は、近年、日本人の死生観についての思索を深めてきた。大きなきっかけは2011年の東日本大震災だったというが、コロナ禍もまた、我々が死生観を問い直す〝奇貨〟であったのではないかと説く。まずは、この2年超の日本社会のあり様を佐伯氏は振り返る。

 コロナ禍により日本社会は大きく動揺した。無論、揺れ動いたのは日本だけではなかったが、西洋社会とは様相を異にしていた。
 失われた寛容さ
 西洋のコロナ対応が成功したとは必ずしも言えないが、少なくとも『覚悟の仕方』が日本よりも激しいものだったとは言えよう。まず政府はロックダウンで全ての動きを止めてしまう。それを仕方のないこととして市民も受け入れる。一度(ひとたび)感染者が減少に向かうと、ロックダウンを解除し、あとは基本的に市民の自由に任せる。そこから先は自分で身を守るよう、市民の側に責任が委ねられたのである。あるところまで政府が責任を持つが、それ以降は自己責任で動いてくれということだ。
 良い悪いの判断は措(お)くにしても、少なくともこうした対応は方針としては分かりやすい。そこには多分に西洋の価値観が反映されていたといってもよかろう。
 第一段階として、まず国家があり、政府は国民の安全保障への強い責任を負い、国民もそれに協力する。その前提のもとで市民社会の自由が確保される。
 つまり、市民の自由は無条件ではなく、社会の維持のためには個人の自由や経済活動が制限されても、また個人の生命が犠牲になることもやむを得ないという考え方がまずある。これは『個人の死』よりも『集団の生』が優先さることがあり得るという西洋的な思想の顕(あらわ)れであろう。
 この考えは、基本的に陸続きであり、戦争によって常に国の存立が脅かされてきた西洋で、歴史的に作られてきた政治思想に基づいたものと言えよう。だから、今回の疫病も『コロナとの戦争』なのであり、覚悟の仕方が違った。
 個人の自由よりも、社会が壊れるのを防ぐという強権的なロックダウンを市民に要求するものは、生存が脅かされる『戦争』の発想があるからだ。そうやって彼らは、個体の生存よりも種の生存、つまり現代では国という社会共同体の維持を優先した。
 それが一定の成果をあげると今度は一転して、自己責任で個体の生を個人の手に委ねたのである。繰り返すが、それが奏功したのかは分からない。ただ、そこに彼らの死生観が垣間見られたのである。
 翻(ひるがえ)って日本はどうだったのか。コロナへの対処は極めて曖昧だった。ロックダウンで縛るのでもなく、かといって市民に完全なる自由を許すけでもない。『生命尊重派』と『経済優先派』の狭間で、世論・メディアから突き上げられた政府はその都度調製を図り、結果、中庸的な対策をとる。そして、どちらからも批判される。
 これは、いかにも能率が悪いし、分かりにくい。少なくとも集団が生き残るための戦いなのだという発想は日本には全くなかった。しかし、それが日本のやり方なのである。我々はそういう文化を育んできた。その限界の中で、日本政府はそれなりにやれることをやったというべきであろう。
 ただし、日本のやり方がうまくゆくには、社会に寛容さや成熟が求められる。経済的な補償に関して言えば、例えばひとりで居酒屋を経営していれば店を閉めて協力金をもらったほうが普段より潤うこともあり、どうしてもアンバランスが生じる。それを、致し方のないこととして許容する寛容さがなければ、日本の中庸的な対策は功を奏(そう)さない。
 現代の日本においてはその寛容さが失われてしまった。だから、政府は常にどちらからも批判され続けることになったのである。だがどうして寛容さが失われたのか。
 第一に、戦後民主主義なるものが過度なまでの形式的平等主義に陥り、結果として寛容さを認めなくなったからであろう。『中庸的』のやり方がうまくゆくには、権利や利益の主張よりも、相互の配慮や、自ら身を引くという自制が必要である。もともと日本にはこうした自動調整機能が存在した。しかし、戦後、誰もが自分の権利を主張し、それを戦わせることこそが正義だとされ、自動調整機能が働かなくなってしまった。
 求められる覚悟のあり様
 第二に、1980年代以降のグローバル資本主義がある。飽くなき成長、進歩、開発を強いる新自由主義的なグローバル競争により、誰もが疲弊した。ギリギリのところでの競争を余儀なくされ、今のポジションを失えば待っているのは転落だけだというような過酷な状況に追い込まれていった。端的に言えば他人のことなど考えている余裕はなくなってしまったのだ。そこに、得体の知れない新型コロナウイルスが襲来し、恐怖、不安に苛まれてますます余裕が失われた。
 コロナ禍を前にして、西洋型の国家観念や死生観に依拠(いきょ)するのか、あるいは中庸的で自動調整的な日本型を寛容さのもとで受け入れていくのか。結局、結論が出されることなく、2年後超が経過した。そしてここに来て、重症化率が下がり、有り体に言えば『まあ、コロナ禍に罹(かか)っても死にやしない』という状況に至って、何とかこのままやり過ごそうという雰囲気が生まれたのである。
 しかし、いずれ必ず新たな疫禍は襲ってくるし、巨大な自然災害も起きる。戦争の脅威も他人事ではない。我々がまた不条理に直面するのは確実だ。そうなった時に、どこまで政府が介入し、どこまで個人の自由に委ねるのか、また相互の信頼や寛容の気質をどのように醸成(じょうせい)するのか。それを今から議論しておかなければ、『新・新型コロナウイルス』が現れた時、日本社会は今回と同じ混乱を繰り返すに違いない。不条理とどう向き合うのかという覚悟のあり様が求められているのだ。
 では、覚悟とは何か。それは、突き詰めれば死生観に辿り着く。誰もが死にたくない。ましてや得体の知れないウイルスになど侵されて死にたくない。
 しかし、コロナ禍で我々は、否応なく生物体の『死』を再認識させられた。それは結局のところ、死に直面した際、それを受け入れる覚悟をどう持つのかという話になる。逆に言えば、今さらながら死生観を云々しなければならないほどに、我々は『死』を遠ざけてきたと言えよう。
 近代文明は科学や技術を発展させてきたが、それは医学にしろ生命科学にしろ、『死の脅威』との戦いであった。そうやって、不条理な死を遠ざけようとしてきた。裏返せば、『生』を無制限に欲望してきたということでもある。『生きること』『生の楽しみを享受』のみに価値を置き、死を社会の表層から隠そうとしてきた。
 しかし、人間とは死すべき存在であるという自明の理へと我々は戻された。我々の生が死に取り囲まれていることを改めて知らされたのである。なにしろ、人間が作り出した壮大な文明は、目に見えない微小なウイルスの前ではほとんど力を持たなかったたのだ。
 そして『死』が『生』の最終段階である以上、『生き方』は『死に方』と相関している。そうであるならば、死を前提とし、そこから逆算して各自が生き方を自問自答しなければなるまい。これが死生観が問われているというゆえんだ。
 思い返せば、一昨年、初めて緊急事態宣言が出された際、それでもパチンコ屋に群がる人たちが話題となった。ひたすらパチンコに興じて死んでいくので良いのかどうか──。いずれにせよ。死の受け入れ方が各々に問われているのである。
 窮屈なまでの潔癖主義
 では死生観、すなわち死を受け入れる価値観をどうやって我が物とすることができるのか。ごく簡単に言えば、そこには霊性、広い意味での宗教観が求められるであろう。宗教とは、死に臨んでも安らげるように、死ぬ向かう覚悟を与える『装置』である。永遠の魂を信じるのか、祖先を信仰するのか、死後はいっさい『無』だと割り切るのか、形はさまざまであろう。だがそれぞれが何らかの宗教観や霊性への意識を持たなければ、『死に方』すなわち真の『生き方』を見つめ直すことはできまい。
 霊性などというと、ややもするとオカルト的に受け取られがちである。しかし、例えばお盆を考えてみる。先人たちは、死者によって生者は見守られているお考えた。だから死者が戻ってくるための祭祀を行った。
 確かに祖霊などに何の科学的根拠もない。しかし、あえて、死者に見つめられているというストーリーを共有することで、生者の側にある程度の倫理観が保たれた。また生者の心に死を刻むことができた。
 なによりもそう考えることで、生を意味づけたり、楽にしたりすることができる。これは一例であるが、我々はなぜお墓参りをするのか、どうしてこうした習慣がずっと続けられているのかを考えれば、今日でも我々は決して霊性を失ってしまったわけではない。
 そもそも科学的根拠を絶対視する、すなわち合理的であることのみに価値を置く思想は、西洋的近代精神によって大きく開花した。極東に位置しているにもかかわず、日本は戦後、この近代合理主義を盲信してきた。その結果、死という受け入れ難いものを上手い具合に抱き込むといった先人からの知恵が見えなくなってしまった。例えば、世界を超越した絶対神を信仰の基盤とするユダヤキリスト教と異なり、現世を『生々流転』『万物一体』といった世界とみるような価値観が日本にはある。
 こうして『借り物』として西洋の近代的合理主義を受け入れた日本は、不必要に、そして過剰なほどにそれを奉(たてまつ)り、今日、ある種の窮屈なまでの潔癖主義に陥っている。曖昧さをうまく残すことを許容できなくなってしまっや。すべて性急に白か黒か断定しなければ気がすまなくなっている。
 これでは我々の精神の自由は失われる。合理的には処理できない曖昧さや不条理にも何らかの意味を見出し、うまく処理するという柔軟な態度こそが本来の意味での精神の自由であり、現下の潔癖主義はその逆ではなかろうか。
 ウクライナの情勢を見てもそうだが、世界中で不確実性と不条理が顕在化している。限りなく自由と富を欲し、合理的科学や技術を推し進めれば、無限に進歩できるなどと信じられる時代は終わった。
 今日、求められるのは、自然を脅威とみなして管理しようとする西洋発の近代的価値観ではない。そうではなく、日本文化のなかで育まれてきた価値観、すなわち我々は常に不条理に囲まれた限定された存在であり、人間の理解を超えた領域があるという自然観や死生観ではなかろうか。
 元来、日本には身の程を知り、欲望を抑えるという考え方があった。それは、科学の進歩によって死の脅威を抑え込み、もっぱら生きる快楽を追求する近代的な『生の無限欲望』とは対極のものであったはずだと私には思えるのである。」
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 日本の自然は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族・日本人は、そうした地獄の業火の様な自然の猛威に耐え夥しい死傷者を出しながら「逃げ出さず」、他人を頼らず・あてにせず・依存せず、自分を信じて自己責任・自助努力・自力救済で生きてきた。
石器時代縄文時代は、後世である数千年前の弥生時代古墳時代とは違って食べ物や土地を取り合う殺し合いはなかった。
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 映画・スペック「生と死を峻別する事に意味はない。
 他者が認ずれば死者とて生命を持ち、
 他者が認ずる事なければ生者とて死者の如し」
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 現代の日本人は、敗戦時の12歳の子供から進歩し成長、成熟せず、むしろ真逆に幼稚度を増し未熟度を深めて10歳以下の幼児に退行している。
 現代の日本人は昔の日本人とは違う日本人である。
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 日本民族日本人の気質とは、昔のいい事も悪い事も過去の話として風化させ忘れ、忘れて今この時・この瞬間を刹那的享楽的に喜んで生きる事である。
 死後の世界は死後の世界と割り切り、金持ちは金持ちなりに、貧乏人は貧乏人なりに、今を受け入れ、「宵越しの金を持たず」と「死んで花実が咲くものか」そして「困った時の神頼み」で生きている今を楽しんでいた。
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 昔の日本人が抱いてきた民族の古典的伝統的文化として死生観・人生観・宗教観と、現代の日本人が持っている死生観・人生観・宗教観は全然違う。
 最も違うのが宗教観で、昔の日本人は数万年前の石器時代縄文時代以来の宗教を持っていたが、現代の日本人は戦後民主主義教育で科学を信奉して宗教を信じず持たないか否定している。
 現代の日本人は、昔の日本人とは違い無宗教である。
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 日本人と中国人・朝鮮人はまったく違うアジア人である。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
  地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教(啓示宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の甚大な被害をもたらす破壊的壊滅的自然災害は種類が多く、年中・季節に関係なく、昼夜に関係なく、日本列島のどこでも地形や条件に関係なく、同時多発的に複合的に起きていた。
 それこそ、気が休まる暇がない程、生きた心地がない程であった。
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 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本民族は、命を持って生きる為に生きてきた。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 日本民族の祖先は、アフリカで誕生した下等な猿である。
 つまり、日本人を軽蔑して見下す偏見と差別の蔑称である「イエローモンキ」あるいは「ジャップ」は正し呼び名である。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、石器人・ヤポネシア人、縄文人・日本土人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 日本民族の生き方は、仲間・友と一緒に小さな櫂(かい)を漕ぐ丸木舟生活である。
 つまり、日本の集団主義とは海で生きる船乗りの集まりである。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 2022年3月号 Voice「言葉のリハビリテーション 森田真生
 何もしない勇気
 最適化された世界の窮屈さ
 ……
 太陽がのぼるのも、雲が動くのも、鳥が鳴くのも自分のためではない。だからこそ、目に見えるもの、耳に届く音に、素直に感覚を集めることができる。
 ……
 『浅はかな干渉』が生み出す害
 ……
 『注意の搾取』が奪い去ったもの
 私たちはときに、浅はかな理解や理論に基づく性急な行動で安心を手に入れようとする前に『何もしない』という知恵を働かせてみることも考えてみるべきなのだ。
 だが、人間の設計したもので溢れかえる現代の世界において、『何もしない』ことはますます難しくなっている。
 ……
 物思いに耽(ふけ)って電車を乗り過ごし、都会の真ん中で月を見上げて立ち止まる。スマホを横に置いて窓の外を眺め、ただ理由もなく鳥の鳴く声に耳を傾ける。……」
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
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 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
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 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
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 左翼・左派・ネットサハ、右翼・右派・ネットウハ、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者には、日本民族ではない日本人が数多く含まれている。
 彼らには、数万年前の石器時代縄文時代と数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた日本民族固有の歴史・文化・伝統・宗教はない。
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 日本の自然は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
 日本民族・日本人は、自然の猛威に耐えて生きてきた。
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 日本民族は、石器時代縄文時代からいつ何時天災・飢餓・疫病・大火などの不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭りを繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
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