⚔50)─2・E─260年のパクス徳川は鎖国とキリシタン追放で得られた。〜No.214 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 戦国時代最大の危機は、中世キリスト教会・イエズス会修道士会による日本に対する宗教侵略であった。
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2020-05-10
⚔37)─1─徳川幕府は世界の三流国化で貧しくとも平和と安定を達成した。~No.159
2020-08-13
⚔37)─2・A─徳川家康の田舎的国防策は現代の国際的国防戦略とは違う。~No.160
2023-12-19
⚔37)─2・B─徳川家康は正統皇室と伝統祭祀が永く存続する事を願っていた。~No.160 2023-12-21
⚔38)─2・B─開明的な徳川家康の対外政策と自由貿易。三浦按針。~No.164 
2018-09-07
⚔45)─2─中世キリスト教会とキリスト教原理主義者の日本国・日本天皇を滅ぼす陰謀。~No.184No.185No.186No.187・ @ 
2018-09-25
⚔46)─3─バチカンの日本キリスト教化計画は、徳川家康策に敗北した。太平の世の伊賀と甲賀。1639年/~No.197No.198No.199・ @ 
2020-03-24
⚔50)─1─鎖国策は日本を破壊するキリスト教排除が目的であった。〜No.213・ * 
2023-04-10
⚔50)─2・A─鎖国策とは軍事力で宗教侵略から日本を守る為の最強の防衛策であった。岡本大八事件。〜No.214  
2020-06-02
⚔51)─1─鎖国令は疫病水際対策で、賤民や部落民は疫病死・変死の死体処理専門業者であった。〜No.215No.216 
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 中世キリスト教会・イエズス会修道士会群と白人キリスト教徒商人は、日本人商人と手を組んで日本人交易で莫大な金儲けをしていた。
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 2024年1月7日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「結局、『どうする家康』とは何だったのか…コラムニストが1年間見続けたワケ
 「何か新しい家康」を求めて
 NHK大河ドラマ『どうする家康』公式サイトより
 2023年の大河ドラマ『どうする家康』は徳川家康が主人公であった。
 家康が登場する大河ドラマはいままで多数あり、だいたい20作ある。新たに作るかぎりは何か新しい家康を見せねばならず、つまり家康の上に家康を重ねなければならないわけで、なかなか大変だ。
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 2023年の家康は「平和をめざす家康」でいった。
 まあたしかに、家康のところで戦いの世は終わったので、家康はもとから平和をめざしていた、と言うことは可能である。
 いまどきの家康はそういう方向で描かれることもけっこうある。
 『どうする家康』で珍しかったのはそれに最初の妻をからめたところである。
 彼女との約定を大切にすることによって、家康は天下を平定した。と、2023年家康はそういうことになっていた。
 家康の正室・瀬名は築山殿とも呼ばれ、武田方と内通した疑いによって殺されている。歴史上は(これまでの大河でも)だいたいそう解釈されている。
 2023年でも彼女は武田方と連絡は取り合っていた。
 でもそれは内通でもないし、織田への反攻のためでもない。
 徳川と武田を中心として、上杉、北条、伊達らが戦わず仲良くなって慈愛の国の連盟を作るための謀略であったのだ。東日本「慈愛による連合」を作ろうと、瀬名が動いていた。
 彼女は張儀蘇秦に比するべき歴史的な策謀家であったのだ。
 まるで「歴史を使った大喜利
 『どうする家康』の24話でその説明を聞いたとき、衝撃的でちょっと感動した。
 同時に腰がくだけそうでもあった。まるで、大人に誉めてもらうためだけに書かれた中学生の作文を聞かされているようだ。
 歴史を使って「大喜利」をやっているとも見える。大喜利のお題に文句を言ったってしかたがない。笑って見守るしかない。
 慈愛の同盟はうまくいかず、瀬名は殺される。ただ家康は、その亡き妻との約束を守るため、戦なき世を実現させようと邁進する。
 家臣団も一体となってそれを支えていた。
 それが2023年『どうする家康』であった。
 ちょっとおもしろかった。
 同時にちょっとおもしろすぎた。真剣に見るものではないなとおもいつつ、でも、次、どんな変なことを言い出すかとおもって、ずっと目を離せなかった。どうやら不評だった(というか相手にされなかった感じ)であるが、私はけっこう好きだった。
 あらためて徳川時代250年の平和(大坂の陣から戊辰戦争までとすると251年)をもたらしたのは、家康と三河家臣団、その子孫たちだったのかとおもうと、しばし感心してしまう。
 そして、250年の平和をもたらした政策としてその後の「国を鎖す」という決定は大きかった。
 島原の乱のあと、鎖国が徹底される。家康の孫、家光の時代だ。
 鎖国だから、日本人であるかぎりは海外の国に行くことはなく、また海外から人がくることもない。そういう世の中である。
 わりとこの方策は日本人のメンタリティと合っていたとおもうのだが、でも国民の心情を慮っての政策ではない。
 宗教侵略に対する対抗策である。
 言い方を換えれば、宗教戦争の前哨戦として、国を鎖ることが徹底されたのだ。
「ものめずらしさ」から「危機感」へ
 歴史の授業で習ったはずなのに、鎖国という現象だけが強く印象に残り、なぜ、という部分はわりとスルーされている。
 「以後よく広まるキリスト教」は1549年、ザビエル一行の決死の上陸以後、国内での信者数を増やしていった。大名でも、大友宗麟高山右近小西行長など著名な大名が洗礼を受けていた。『どうする家康』でも十字架の陣羽織を羽織った大名(行長)も登場していた。
 べつだんキリスト教徒が日本国内で増えてもいいじゃないか、というのは、宗教信仰熱が科学信仰熱に取って代わった現代だからこその感想で、こと16世紀においては、そんなのんきなことを言っていられない。
 ルターによる宗教改革があり、新教(プロテスタント)の勢力に押され始めて、旧教(カソリック)も必死だった。波頭を越えて世界の東の果て・日本までやってきた。彼らも命懸けである。
 最初はものめずらしさもあって、何となく受け入れていた支配者たちも、やがて、危機感を抱く。
 三英傑でいえば、信長は中世秩序の破壊者として、キリスト教はどんどん受け入れていた。中世のしきたりを破る道具として有効、と考えていたところがある。
 秀吉も最初は信長の方針を受け継いでいたが、全国統一して国全体の支配者になる道筋がついたころ、バテレン追放令を出す。1587年、キリスト教禁止の始まりである。
 すでに2年前に関白になっていた秀吉は、「日本」のおおもとである天皇家と密接に関わっており(なにしろ関白だから)、日本国に天皇家のあるかぎり、キリスト教の教えが国の中心にきてもらっては困る、という行動に出る。
 もともと宣教師たちは本気である。
 ローマ教皇のための土地と人民を獲得しようとして、日本国に乗り込んでいる。
 教皇、というのは神の代理人であり、つまり「神のもの」として日本の土地や人民を捧げようとしていたのだ。
 当時の資料を読んでいると、その実情がよくわかる。
 神社への参詣は「悪魔の所業」!?
 ルイス・フロイスの『日本史』がもっとも入手しやすく、読みやすい一次資料である。
 まず仏教徒や、神道の行事などを指して「悪魔の所業」と断じている。
 それに従事している者たちは、全員「悪魔」およびその手先と呼んでいる。
 本当に正しいのはキリストの教えだけであって、迷える愚かな者たちは、真の教えを知らないために「ホトケ」やら「カミサマ」という悪魔の考え出した教えを間違って信じ、悪魔の道を進んでいると糾弾しているのだ。
 日本人のキリスト教信者となると、悪魔の所業に従事する人たちから隔離される。
 悪魔の所業というのは「お正月には家族で集まって新年を祝う」「神社に参詣する」「墓参りをする」という21世紀にも続く(しかも無意識に行うような)行為のことも指している。
 正月だけは家族のもとに帰らせてくれないかと頼む信者を、隔離して、キリスト教施設へと軟禁した事例も見られる。
 やがて、キリシタン大名の領地内では、過激な信者たちが、神社仏閣を毀ち始める。
 この先にもっとキリスト勢力の力が強くなっていたら、多くの神社もお寺も潰されていた可能性が高い。それがキリスト教徒が増えていく、という現実である。
 あきらかにそれはまずい。
 統治者として、それを見過ごすわけにはいかない。
 秀吉から家康、さらに秀忠、家光の時代にかけて、徐々に鎖国=キリスト教信者の排除が完成されていく。
 キリスト教の力があまりに強く、徹底した暴力集団であることを察知した彼らは、とにかく日本国内から「キリスト教」というものを完全に除外することにした。
 日本国内では徹底してキリスト教を認めない。
 日本の秩序を破壊するものとして、認めなかった。
 国内に住む日本人であるかぎり、キリスト教信者であるわけがない。それを徹底した。
 信者であることが露顕すれば死刑になるのが17世紀から19世紀半ばすぎにかけての日本の状況である。
 それが鎖国である。
 言語化されていないこと
 例外的な存在として隠れキリシタンと、漂流民がいる。
 隠れキリシタンは、でも先導者がおらずに信仰をつづけており、もはや潜行した時点で本来のキリスト教とはかけ離れたものになっていった。しかもしっかり潜行していたので、その勢力が周囲に何かしらの影響を与えたことはなかった。
 漂流民も、生きて日本国に帰るのが望みであったから、流された先の(たとえばロシアなりアメリカなりの)キリスト教行事は旅人として見物はしていたが、けっして入信しようとしなかった。ときに土地の女性と一緒になって信者になってしまう漂流民もいて、彼らはその土地で生きていくと決心して、のちに帰国する漂流者の手記からは消えていく。
 やがて暴力的に開国させられ、キリスト教徒が国内に現れるが、もはや16世紀的宗教の熱情は帯びていなかった。布教ではなく通商をしたがっていた。
 17世紀から19世紀の鎖国によって、日本国は多くのものを守ることができた。
 もちろん失ったものもあるが、それは、いっとき盛んに言われたことなので(和辻哲郎の『鎖国 日本の悲劇』とか)いまさら言うまでもないだろう。
 『どうする家康』を見ながら、瀬名(有村架純)の強いおもいが、やがて国を鎖すことにつながり、それが長き平和へとつながるのか、と感慨深かった。
 日本はキリスト教信者がほとんどいない国なのに(信者数は国民のだいたい1%)、なぜクリスマスを祝うのか、というのは明治以来150年、常に問いかけられている。
 先だっての高島屋ケーキ崩れのイギリスでの報道でも触れられていた。
 それは、信者がほとんどいない国であるからこそ、ということになる。
 キリスト教そのものを国を挙げて信じていないので(秀吉―家康ラインのおかげである)でもキリスト教国と喧嘩するのも面倒だから、表面上仲良くするためにはクリスマスを祝うあたりでの手打ちがいいんじゃないか、ということだろう。誰一人として言語化していないが、国民の総意はそのあたりだとおもわれる。
 (詳しくは『愛と狂瀾のメリークリスマス』)
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 堀井 憲一郎(コラムニスト)
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