💄21)─1─300年続いた“ナゾの歓楽街”「吉原」が日本から消滅した歴史背景。~No.44No.45 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 現代日本人には、民族的な伝統力・文化力・歴史力そして宗教力がない為に本当の歴史が理解できない。
 戦後民主主義教育における歴史教育の多くがウソである。
   ・   ・   ・   
 2024年2月10日 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「「遊女たちは奴隷と同じ」300年続いた“ナゾの歓楽街”「吉原」が日本から消滅した歴史背景
 ナゾの街「吉原」とはいったいどんなところだったのか? ©getty
 〈「日本はこれを誇るべきだ」外国人旅行者が激増、子連れで来る観光客も…日本一有名な歓楽街「飛田新地」に起きた異変〉 から続く
 《写真多数》セーラー服姿で誘う“妖しい美女”も…ナゾの街「飛田新地」を覗いてみる
 時代劇や落語の世界で見聞きする「吉原」。かつては江戸幕府も公認の遊郭だった同地がある日を境に勢いを弱め、ついにはその町名も消滅した理由とは? 風来堂編著『 ルポ 日本異界地図 』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/ 後編 を読む)
 ◆◆◆
 江戸時代に隆盛を極めたナゾの街「吉原」
 高下駄を履いた遊女が練り歩く花魁道中などでよく知られるのが遊廓・吉原だ。
 吉原遊廓が誕生したのは1618(元和4)年のことだ。江戸の地に男性たちを相手にする遊女屋がいくつもでき始め、そのうちのひとつを営む庄司甚右衛門が幕府に願い出て市中に点在していた遊女屋を1ヵ所に集めて遊廓を開いた。吉原は京の島原(京都市下京区)、大坂の新町(大阪市西区)と並んで三大遊廓と呼ばれ、幕府公認の遊廓となっていた。
 もともと吉原は現在の中央区日本橋人形町のあたりにあった。葭や茅が生い茂る湿地帯で、それらを刈り取って盛り土をして地盤を形成した。そこから「葭原(よしわら)」と呼ばれ、やがて「吉原」になったといわれている。その後、江戸の開発が進み、浅草寺の裏手にあたる日本堤に移転することになった。現在、色街としてよく知られている吉原は移転後の吉原だ。周囲には黒板塀がめぐらされ、お歯黒どぶに囲まれていた。出入りは大門の1ヵ所のみだ。
 遊女屋では表通りに面した格子がはめられた「張見世」という部屋に遊女たちが座って道行く男たちを誘い、男たちは気に入った遊女を選んで遊んだ。また大見世と呼ばれる規模が大きく格式の高い店で遊びたいと思ったら、男性は引手茶屋を通して茶屋の2階で宴を開き、その後に遊女屋へと移動して遊女と床に入るという手順が必要だった。
 しかし、隆盛をきわめた吉原も明治維新とともに状況は大きく変わる。
 吉原は徳川幕府のときと同様に遊女と遊ぶ代金である揚代の一部を新政府に上納することで営業が認められていた。一方、遊廓の遊女たちは奴隷と同じだという諸外国からの批判が高まり、新政府は1872(明治5)年10月に「芸娼妓解放令」を発布した。けれども、遊女屋は貸座敷と名前を変えて存続し、娼妓、つまり遊女たちは場所を借りて自らの意思で営業しているという体裁を取ることになり、その実態は、ほぼ変わらなかった。
 吉原の女たちは貧しい農村や没落した商家などから身売りされて来た者がほとんどだった。しかし、日本に欧米のキリスト教的な倫理観が入ってくると、遊女たちが差別の対象となってくる。1900(明治33)年に「娼妓取締規則」が制定され、遊女の自由廃業が可能となったが、一方で、身売りされる女性はなくならず、吉原も存続し続けた。
 「吉原」という名の町名は消滅
 太平洋戦争末期、東京大空襲によって吉原も焼け野原になった。
 しかし、すぐに東京都と警視庁から吉原再建の命令が下り、1945(昭和20)年8月には焼け跡のビルを改修して営業を再開した。間もなく終戦を迎えると、今度は日本政府が進駐軍向けのRAAを東京の大森海岸など全国に設けた。
 1946(昭和21)年にはGHQに従って公娼は廃止されることになり、兵士たちの間で性病が蔓延したこともあって、RAAも閉鎖。吉原は翌年には「特殊飲食店街」と名称を変え、借金の証文を破棄。遊女たちは借金に縛られているのではなく、飲食店で働きなが自由恋愛で性行為をしているという建前が取られた。
 1956(昭和31)年5月に「売春防止法」が成立。2年の猶予をもって吉原の特殊飲食店も営業を終了した。代わりに吉原にはトルコ風呂が増えていく。トルコ風呂とは、当時は男性客に対して女性が垢すりを行う個室つき浴場。やがて性的サービスも行われるようになっていったのだ。
 現在では町名も変更され、住所としての「吉原」は存在しない。こうして形を変えながらも400年近く続く色街では、いまも多くの女性が働き、男たちの欲望を満たし続けているのだ。
 「ちょっとエッチな大人のディズニーランド」滋賀県の“ナゾの歓楽街”「雄琴」には何がある?【これぞ男の夢の世界】 へ続く
 風来堂,加藤 桐子/Webオリジナル(外部転載)
   ・   ・   ・