🌏9)─1─江戸末期。明治元(1868)年の江戸の庶民と町の風景。~No.18No.19No.20No.21 @ 

1868 明治が始まった年への旅

1868 明治が始まった年への旅

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 庶民にとって、主君に忠誠を武士とは違って、誰が権力者になろうと支配者になろうと関心が無かった。 
 統治者が、徳川将軍でなく、天皇でも、薩長でもどうでも良い事であった。 
 その証拠が、太平洋戦争に敗れて、肉親を殺したアメリカ軍が進駐して日本を占領支配しても誰も反対も抵抗もしないどころか、熱烈大歓迎していた。
 日本の庶民とは、そうした人間である。
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 2018年10月12日号 週刊朝日「週刊図書館
 150年前の1年間を読んで知る幸せ  片岡義男 
 『1868 明治が始まった年への旅』 加来耕三 時事通信社
 日本の元号が明治になったのは慶応4年の9月8日だった。新しい元号はその年の1月1日にさかのぼって適用されることになっていたから、慶応4年の1月1日から明治という時代は始まった。
 西暦だと1868年1月25日だが、当時の人たちには西暦などなんの関係もなかった。明治維新のあとに西暦が採用され、明治5年12月3日が、西暦の明治6年1月1日となった。西暦は新暦ともいい、どちらも太陽暦の通称だ。
 太陽暦が採用されるまでの日本の人たちが拠ってきた暦は、新暦に対して旧暦と呼ばれている。この本のなかにある150年前の時間は、すべて旧暦で進行する。
 明治元年の元旦は晴天だったがきわめて寂しいものだったという。インフレと不況が深刻に進行していた。物価は15年前の10倍に高騰していた。時代は内乱であり、それに備えて幕府や大名は豪商から大量に現金を借り入れた。そのために破産した商人は少なくなかった。江戸時代は傾向としては明らかにデフレだったから、人々はとまどうより先に苦しんだ。この苦しみは幕府から人々の気持ちが離れていく土台となった。
 150年前の正月に江戸の人たちはなにをしていたのか。前の年の28日頃から門松の飾りつけが始まっていた。その出来ばえを正月の晴天の下で見物してまわった人たちがいたという。吉原の廓のなかにあってもどれも見上げるほどに大きく、立派なものばかりだったという。
 物価高で追い詰められた家は数多くあり、妻や娘を遊廓で働かせ、いくばくかの現金を得ていた。この時代背景のなかで遊廓の女性は急増し、十数年前ですでに吉原には4,000人の女性がいたという。どの女性も趣向をこらした衣装をまとう1月3日の吉原の華やかさや艶やかさなどは、当時の江戸ではそこだけにあるものだった。インフレと不況のさなかに、江戸の遊廓だけは賑わっていた。
 時代は内乱であり、とさきほど書いた。内乱とは、ごく簡単に言うと、それまでの社会に、それからの社会がとって代わるための、新と旧の戦いだ。旧は旧幕府軍、そして新は、薩摩と長州の新政府軍だ。
 彰義隊が新政府軍と戦った上野戦争では、その戦闘を見物しにでかけた人たちがいた。そしてその人たちに、握り飯を売っていた人たちがいたことに驚く。戦いは握り飯を食べながら見物できるようなものだったのである。
 1月3日、京都南の鳥羽街道旧幕府軍と薩摩の軍が戦闘を始めた。戊辰戦争の始まりとなる、鳥羽・伏見の戦いだ。優勢だったのは旧幕府軍だが、薩摩はいくつかの文献を参考にして想像でまとめた『錦旗(きんき)』(錦の御旗)を作り、これは正式なものであるという演出をした上で、陣地にこの旗をかかげた。それまでとはまったく逆の、官軍となった。その効果は絶大で、1月5日には戦いに勝利した。1週間に満たない期間のなかで日本の進む道が決定されたのだが、江戸の人たちはすこぶる呑気だったという。
 7月17日、『江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書』が明治天皇から出された。10月には江戸城は東京城と名を変え、12月には明治天皇が東京城を出発し、京都還幸の途に就く。150年前、江戸が東京になった年、日本は文字どおり激動したのだ。その1年間をいま読んで知ることの出来る幸せが、この本のなかにある。
 慶応4年の12月は小さな月だったから、大晦日は29日だった。東京は晴れていた、という記録がある。前日の28日には英・米・仏・蘭・独・伊が新政府を正式に認めた。
 幕藩体制は崩壊した。100万都市と呼ばれた江戸の経済と繁栄を支えた大名や武士は消え去り、東京は荒涼たる寂れようのなかにあつた」
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 時の支配者は、勝てば官軍の権利として、歴史を自分に都合のいいように書く。
 明治政府は江戸時代を、戦後日本は戦前の日本を、1980年代後半の日本は高度経済成長・バブル経済までの日本を、それぞれ好き勝手・自分勝手にいいように改竄・歪曲・捏造した。
 つまり、日本には正しい正史など存在しないが、それでもニセの歴史が蔓延る中国や朝鮮に比べればはるかにましである。
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 日本は、自主独立国して、日本語を唯一の共通語として、独自の暦を編み出して使っていた。
 朝鮮は、中華帝国の永遠の属国として忠誠を誓い、中華儒教朱子学)を国の柱とし、中華帝国の暦と基準を採用し、中国姓を取り入れ、中国語を公用語として使っていた。
 日本と朝鮮とは違うのである。


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