💖10)─2─日本軍は敵軍兵士捕虜を厚遇したが国民は猛反対した。~No.43No.44No.45 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本軍は、「武士の情け」という武士道精神で兵士を厳しく軍事教育し、「国家の為・国民の為」に勇敢に戦って捕虜となった敵軍兵士への敬意を持つように教えた。
 家族を戦争で失った国民は、敵軍兵士捕虜に対する厚遇に猛反対した。
 右翼・右派は、民意に従って差別主義的行動を行っていた。
 現代日本人の歴史認識は、事実と正反対か、現実に対してまるっきりのウソである。
   ・   ・   ・   
 2024年2月5日 YAHOO!JAPANニュース 読売新聞オンライン「外国人捕虜の外出も認めた徳島の収容所、厚遇に国民反発で禁止に…その後収容所内で音楽・印刷を許可
 近代日本の捕虜政策を解説するパネル(鳴門市で)
 近代日本が行った戦争における捕虜政策について解説する企画展が徳島県鳴門市大麻町の市ドイツ館で開かれている。日清戦争日露戦争の捕虜に対して人道的な扱いがなされた背景やドイツ兵捕虜に文化的活動が認められた板東俘虜(ふりょ)収容所について22枚のパネルで紹介している。来月31日まで。
 展示では、日清戦争(1894年)で清国人捕虜に人道的な待遇が行われたとし、その背景には明治政府が欧米諸国と対等な関係を築こうと国際法を重視していたことがあると説明。日露戦争(1904年)では、ロシア帝国国際法の遵守(じゅんしゅ)に力を入れていたこともあり、捕虜とした将校の外出を認めるなどさらなる厚遇につながったと解説している。
 ところが捕虜への厚遇に国民の反発があり、第1次世界大戦時、鳴門にあった板東俘虜収容所では外出が禁止に。代わりに収容所内での活動が推進され、ドイツ兵捕虜に音楽や講演、印刷といった文化的活動を認め、地域住民との間にも良好な関係が築かれたと指摘している。
 長谷川純子学芸員は「近代日本の歴史における、板東俘虜収容所の位置付けを知ってもらえる機会になる」と話している。期間中、第4月曜日休館。入館料は大人400円、小中学生100円。
   ・   ・   ・