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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
敵軍兵士捕虜に対して、虐待した日本人3割、面倒を見た日本人2割、無関心無興味で放置した日本人は5割。
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現代日本人の知識や感情では理解できない。
現代の歴史教育は、不都合な事実を全て歴史の闇に葬り、事実を暴こうとする行為を歴史修正主義と激しく非難し潰している。
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旧日本人兵士の捕虜虐待に対するBC級戦犯の罪状は事実無根であり捏造が多く、その意味で処刑された旧日本人兵士は冤罪であった。
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日本人と中国人・朝鮮人とは、正反対の性格で別人の様である。
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戦時国際法に従って敵軍捕虜の保護・収容と敵兵捕虜の負傷者・病人の治療・救護は、明治天皇以来の天皇の希望であった。
統帥権の管理下にある日本軍は、天皇の命令・希望を拒絶する事は出来ない。
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開戦と終戦の決定権は、政府の国権であって、天皇の統帥権ではない。
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軍国日本は、ファシスト中国や中国共産党に比べれば幾分かは真面であった。
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2018年8月3日 産経ニュース「【ロンドンの甃】退役軍人が今の日本人に伝えたい「日本兵の騎士道精神」
「日本にも騎士道精神があったことを日本人に伝えたいと思っていた」。英南部ベッドフォードの教会で7月、退役軍人団体「ビルマ・スター」協会幹部の元軍司令官、ビル・スマイリーさん(96)の葬儀で、司教はこう追悼した。
士官として旧ビルマ戦線で日本軍と戦ったスマイリーさんは、ジャングルを3カ月さまよった。大戦で英国軍人約5万7000人が日本軍の捕虜となり、過酷な労働に従事させられ、英国に反日感情をもたらした。ビルマ・スター協会も1998年に天皇陛下が訪英された際、パレードに背を向け日の丸を焼き、「仲間が日本兵から虐待を受け、殺された」と和解を拒み続けた。
しかし6年前、スマイリーさんは、元兵士の相互理解を目指す民間団体「ビルマ作戦協会」の要請を受け入れ、和解ミサに参加。同じ旧ビルマ戦線で戦った元日本兵と共通体験から心が結ばれ、「戦友」と呼び合う仲になった。その後、「瀕死(ひんし)の重傷を負い、従軍できなくなった戦友を苦しませないため撃ったことがある。日本兵は私たちを包囲しており攻撃できたのに黙って見逃した。これぞ武士道」と秘話を明かした。
司教がスマイリーさんの言葉として紹介した日本人の騎士道精神とは、武士道精神にほかならない。(岡部伸)」
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日清戦争(1894〜95年)、義和団事件(1899〜1900年)、日露戦争(1904〜05年)、第一次世界大戦(1914〜18年)、シベリア出兵(1918〜22年)と、日本軍は戦時国際法に従い戦争の常識以上の理想的な人道的捕虜収容所を作って敵軍兵士捕虜を保護していた。
敵軍兵士は戦闘不利となった時、日本軍への降伏を希望し、日本人兵士が管理する捕虜収容所に喜んで収容された。
中国に代わって、五大国の1員として認められ、非白人非キリスト教徒にも関わず国際連盟の常任理事国に就任できたのは、連合国の勝利に貢献して平和をもたらし、自己犠牲的精神で人道的貢献を行ったからである。
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天皇家・皇室・皇族と深い関係にある赤十字活動に対して、如何に横暴な軍部でも配慮しなければならなかった。
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2018年7月・8月号 SAPIO「救難活動 いまなお英米で讃えられる日本の精神
422名の英軍将兵の命を救った帝国海軍中佐の『武士道』
カミカゼでも万歳突撃でもない、旧敵が真に畏敬し、戦後も尊崇の眼差しを送るのは、自艦乗務員よりも多くの敵兵を救助する、前代未聞の英断を下した帝国海軍の武士道だった。
惠隆之介
平成20年(2008年)12月7日、元英国海軍大尉で戦後外交官として活躍したサムエル・フォール卿(当時89歳)は埼玉県川口市、薬林寺境内にある工藤俊作海軍中佐の墓前に車椅子で参拝し、66年9ヶ月ぶりに積年の再会を果たした。卿は大戦中、自分や戦友の命を救ってくれた工藤中佐にお礼を述べたく、戦後、その消息を捜し続けたが、関係者の支援の結果、ようやく墓所を探しあてたのである。
卿はこの直後、記者会見で、工藤中佐指揮する駆逐艦『雷(いかづち)』に救助され厚遇された思い出を、『豪華客船でクルージングしているようであった』と語った。
フォール卿は心臓病を患っており、来日は心身ともに限界に近かった。これを実現させたのは、何としても存命中に墓参したいという本人の強い遺志と、ご家族の支援があったからである。付き添いの娘婿ハリス氏は『我々家族は、工藤中佐が示した武士道を何度も聞かされ、それが家族の文化(Family Culture)を形成している』とさえ語った。
なおこの時は英国海軍を代表して同駐日海軍武官チェルトン大佐が参列、また護衛艦『いかづち』(4代目)艦長以下乗務員多数が参列した。まさに敗戦で生じた歴史の断層が修復される瞬間であった。
『総員敵溺者救助用意』
第二次世界大戦中、昭和17年(1942年)3月1日午後2時過ぎ、ジャワ海において日本海軍艦隊と英国東洋艦隊巡洋艦『エクゼター』、駆逐艦『エンカウンター』が交戦し両艦とも撃沈された。その後、両艦長を含み乗員420余名の一団は約21時間漂流した。当初、『友軍が間もなく救助に来る』とお互いに励ましあっていたがその希望も絶たれていた。
彼らの多くは艦から流出した重油と汚物に汚染され一時目が見えなくなった。加えて灼熱の太陽、サメの恐怖等で衰弱し生存の限界に達しつつあった。中には絶望し劇薬を飲んで自殺を図る者さえいた。
翌2日午前10時頃、日本海軍駆逐艦「雷」は単艦で同海域を哨戒航行中、偶然この集団を発見した。工藤艦長は見張りの報告、『左30度、距離8,000(8Km)、漂流物多数』の第一報でこの集団を双眼鏡で視認、独断で、『一番砲だけ残し総員敵溺者救助用意』の号令を下令した(上級司令部には事後報告)。
一方、フォール卿は、当時を回想して『日本人は未開で野蛮という先入観を持っていた、間もなく機銃掃射を受けていよいよ最期を迎える』と覚悟したという。ところが『雷』マストに救難活動中の国際信号旗が掲げられ救助艇が降ろされた。そして乗員が全力で救助にかかる光景を見て『夢を見ているかと思い、何度も自分の手をつねった』という。『雷』はその後、広大な海域に四散したすべての漂流者を終日かけて救助した。120名しか乗船していない駆逐艦が敵将兵422名を単艦で救助し介抱した。勿論本件は世界海軍史上空前絶後の事である。
工藤艦長は兵に命じ、敵将兵一人一人を両側から支え、服を脱がし、真水で身体を洗浄させた。フォール卿の回想では、『帝国海軍水兵たちは嫌がるそぶりを全く見せずむしろ暖かくケアしてくれた』という。その後、英国海軍将兵に被服や食料を提供され、士官には腰掛も用意された。しばらく休息した後、艦長は英国海軍士官全員に対し前甲板に集合を命じた。
士官全員が恐る恐る整列を終えると、艦橋から降りて来た工藤艦長は彼らに端正な敬礼をした後、英語で次のスピーチを始めたのだ。『貴官達は勇敢に戦われた。本日は日本帝国海軍の名誉あるゲストである』と。さらに士官室の使用を許可したのである。
一行は翌3日午前6時30分、オランダ病院船『オプテンノート』に移乗した。その際舷門で直立して見送る工藤艦長にフォール卿は挙手の敬礼を行い、工藤は答礼しながら温かな視線を送ったと言う。
天皇訪英反対論を黙らせた
平成10年(1998年)4月29日、フォール卿は本件を『英タイムズ紙』に投稿し、『友軍以上の丁重な処遇を受けた』と強調した。
英国には戦後、日本軍の捕虜になった英軍将兵たちが『虐待された』と喧伝し、我が国に賠償を求める動きがあった。またこの年の5月には今上天皇皇后両陛下が訪英される予定であった。そこで元捕虜たちは訪英に反対していたのだ。天皇の謝罪を求める投稿文もフォール卿の投稿文と同時に掲載された。
ところがフォール卿の投稿文によって、これらは悉(ことごと)く生彩を欠いたのである。
一方、工藤艦長の英断は戦後米海軍をも驚嘆させている。米海軍は昭和62年(1987年)、機関誌『プロシーディングス』新年号にフォール卿が『武士道(Chivalry)』と題して工藤艦長を讃えた投稿文を7ページにわたって特集したのである。同誌は世界海軍軍人が購読しており国際的な影響力は大きい。
これから4ヶ月後、東芝機械ココム違反事件が発覚し、我が国は国際社会で孤立した。これは対共産圏輸出統制委員会(ココム)が輸出禁止にしていたスクリュー製造用精密機械を、東芝の子会社がソ連へ不正輸出し、ソ連原子力潜水艦の海中における静粛性を飛躍的に向上させた事件である。このような情勢下で米国の対日貿易赤字は拡大しており、米国民は『安保ただ乗り』と批判し全米で日本製品不買運動が起きていた。
このとき日本海軍と交戦した米海軍の提督たちが帝国海軍の後継である海上自衛隊を称賛し、『同盟国中、最もポテンシャルをもつ組織である』(アーレイ・バーク大将)とまで強調したのである。米国内の対日バッシングはこの結果沈静化した。工藤艦長らの遺産が寄与したものと思われる。」
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武士道では、降伏した者は友人の様に受け入れ、家族の一員の様に遇した。
「昨日の敵は今日の友、今日の友は明日の敵」という心である。
つまり、戦う時は死力を尽くした戦うが、戦いが済めば一切の悪感情・敵意・憎悪を綺麗さっぱり水に流して忘れた。
日本民族日本人は、悪い過去は過ぎ去った事として後に残さず忘れる淡白な民族である。
太平洋戦争後、日本民族日本人はアメリカ人と生死を共にしても構わないと言うほどの大親友となり、アメリカと共に戦うと誓うほどの同盟国となった。
近隣諸国である中国・韓国・ロシアとは、そこまでの付き合いはしないし、したいとも思わない、それどころか仮想敵国として疑い警戒している。
日本人と中国人・朝鮮人とは、正反対に近いほど本質的に違うのである。
その意味で、常識ある正統な軍人は、日本には数多くいたが、中国・朝鮮には少なかった。
そもそも、中国や朝鮮には、武士・サムライは存在しない以上、中国人や朝鮮人には武士道も士道もなかった。
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五大国に一員となったのも、国際連盟の常任理事国になれたのも、強大な軍事力があったからではない。
もしそうであるならば、人類には未来はなく、人類は絶望するしかなく、人類は早期に絶滅するしかない。
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日本民族日本人が人の道・人権を守って国際的な地位を得る事を希望したのが、近代的天皇制度下の明治天皇・大正天皇そして昭和天皇であった。
昭和天皇は、ヒトラー、ナチス・ドイツから逃げてきたポーランド系ユダヤ人難民達の保護・救済を切望した。
東条英機・松岡洋右・板垣征四郎・松井石根らA級戦犯達は、昭和天皇の希望に従ってユダヤ人難民達(数万人)を無償でナチス・ドイツの魔の手・ホロコーストから守りきった。
アジアで、自己犠牲と無償でユダヤ人難民達を助けたのは軍国日本のみであり、利益至上の中国ではなく、まして人権無視の非人道的な中国共産党では断じてない。
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アメリカのユダヤ人は、反日派敵日派としてポーランド系ユダヤ人難民達を助けた事に不満を抱き、昭和天皇と軍国日本を潰す為にファシスト中国や中国共産党を全面支援した。
アメリカ政府は、ユダヤ人達の強い要請に従い、対日強硬外交と中国軍事支援を行っていた。
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だが、現代日本人は、人道的貢献を繰り返した戦前の日本人とは別人の様な日本人である。
その証拠が、昭和天皇の戦争責任問題、A級戦犯合祀の靖国神社問題、歴史教育問題などである。
つまり、戦前の日本人は清き人の心を持っていたが、現代の日本人は人の心を持っていない、と言う事である。
日本民族日本人の知性、教養、人格は、戦前に比べて確実に劣ってきているし、その劣化は現でも進んでいる。
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現代日本が、世界で信用されているのは、戦争放棄と再武装禁止を謳う第九条の平和憲法ではなく、昭和天皇やA級戦犯達など明治から戦前まで行ってきた無償と自己犠牲の人道的貢献である。
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武士道は、日本民族日本人特有の精神・志・気概であった。
中華人(中国人・朝鮮人)には、清く生きて潔く死ぬという武士道はなく、当然日本民族日本人のような武士道的素質・素養もなかった。
中華人は、平時にも関わらず戦争を起こす為に、第一回南京事件、済南大虐殺、通州大虐殺事件などの虐殺事件を繰り返していた。
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日本軍は、戦時中にも関わらず戦闘を中止して、黄河決壊被災者(数十万人)救助、漢口無差別爆撃被災者(数百万人)救出、河南省大飢饉飢餓民(1,000万人以上)救護など人道的貢献を繰り返していた。
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ヒトラー、ナチス・ドイツのホロコーストから命からがら逃げてきたユダヤ人難民(数万人)を、昭和天皇と東条英機、松岡洋右、松井石根らA級戦犯達は無償で保護し助けた。
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中国共産党・中国軍には、そうした人道的業績は皆無である。
だが、日本民族日本人が命を犠牲にして助けた相手は、何故か、反日派敵日派となって昭和天皇を呪っている。
そうした反天皇反日的外国人は、昭和天皇の大喪の礼に参列しないどころか、その尊厳・名誉を踏みにじり、死者と魂を冒涜する様な罵詈雑言を浴びせた。
そうした日本人は日本人の中にも少なからずいる。
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キリスト教系朝鮮人テロリストと共産主義者テロリストらは、天皇制度を破壊し、軍国日本を崩壊させる為に、昭和天皇や皇族を惨殺するべくつけ狙っていた。
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日本民族日本人が全て善人ではなく、悪人も少なからずいた。
最もおぞましい日本人は、反天皇のマルクス主義的(共産主義的)日本人である。
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騎士道とジェントルマンのヨーロッパ人は法律、規則、ルール、マナーを守るが、中華人は全てを完全無視する。
西洋の倫理と中華の道徳は、根本的に違う。
そして、中華の道徳と日本の道徳も本質から異なる。
西洋の倫理、中華の道徳、日本の道徳は、三者三様の毛色が違った別物である。
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